Summertime in Italy

 FIRENZE

朝食を済ませた後、外に出た。街はもう起きていて、車がひっきりなしに通り過ぎる。若い人たちはスクーターが多い。ヘルメットをかぶった二人を乗せたスクーターが颯爽と車の間を走り抜けていく。ホテルの前は通りを隔てて小公園になっていた。鈴懸けの大きな葉が涼しそうな陰を広げる向こうがアルノ川である。サン・ニコロ橋の上に立つと、朝日を浴びたポンテ・ヴェッキオがすぐそこに見えた。

フィレンツェは小さな街である。特にアルノ川を挟んで両側に広がる旧市街なら歩いて見て回れる。ぶらぶらと街を歩いていると、知らないうちに広場に出ている。すると、そこには美しいファサードを見せる教会がひょっこり建っている。それが、たまたまサンタ・マリア・ノヴェッラ教会であったり、サンタ・クローチェ教会であったりする。それがフィレンツェという街だ。

初めて来たときは旧市街の西にあるホテルに泊まり、やはりぶらぶら歩きを楽しんだ。地図など持って歩かないから、ごろりと横になった芝生の向こうにあるきれいな教会が、有名なサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だとは気づきもしなかった。疲れがとれるまで芝生の上に寝そべって「それにしても感じのいい広場があるなあ」と、満ち足りた気持ちでそこを辞した。ルネッサンス美術の幕を開けたマザッチオの『三位一体』が、その教会の中にあるなんて知りもしなかった頃だ。

知らない昔が不幸だったとは思えない。その後、画集を見たり本を読んだりするうちに、ゴシックやルネッサンス美術について少し知るようになると、フィレンツェという街そのものが途方もなく大きな規模の美術館であることに気がついた。とても一日二日で見て回れるようなものではないのだ。今回のようにイタリア縦断なんてことをしていては、宝の山を前にしながら、一瞥して通り過ぎるようなもの。欲求不満の塊と化してしまっている自分を発見したのは皮肉である。

それに比べれば、何も知らずに歩いていて、フィレンツェで最も美しいといわれる広場の前で日が傾くまでゆっくり時を過ごすことができた以前の旅はどれほど心豊かだったことか。地図とガイドブック片手に見るべき物を探し訪ねる旅を否定はしないが、フィレンツェでは、美しい物は、探さなくても向こうから立ち現れる。旅人は、ただ心を開いて対象に向きあえばいいのだ。 

 ウフィッツィ美術館

予約の時間は9時15分。ホテルを出ると、アルノ川に沿って歩き出した。二十分も歩いただろうか、ヴァザーリのファサードが歩道脇に現れた。ヴェッキオ橋が見えているから分かるようなものの、そうでなければ見過ごしてしまいそうな素っ気なさだ。

それもそのはず。ウフィッツィとはイタリア語でオフィスの意味。コジモ1世がトスカーナ公国の役所を一箇所に集めるために建てたもの。その後フランチェスコ1世をはじめ、メディチ家の後継者が美術品を展示したのがこの世界最古の美術館の始まりである。

ウフィッツィ美術館の特徴は、古代彫刻は回廊に、絵画はゴシックから18世紀絵画まで、年代順に室内展示されていることだ。部屋の番号順に見ていけば、絵画の変遷を辿れる仕組みになっている。

 荘厳の聖母

第2室を中心とした一画にはトスカーナ・ゴシック美術が展示されていた。展示室に入った途端眩い光が目を射る。四壁の大型祭壇画の黄金背景が光を反射しているのだ。かつては、それぞれの絵が、教会堂や礼拝堂の祭壇に掲げられていたもので、美術品というのでなく信仰の対象であった。「荘厳の聖母(マエスタ)」と呼ばれる主題が中心で、チマブーエとジオットの作品が有名である。

青衣を纏い、玉座に座った聖母は幼児キリストを抱いて正面を向いている。聖母の左膝の上でイエスは祝福のポーズをとり、その二人の周りを天使や聖人が取り囲む。背景は描かれず、黄金で埋めつくされる。これが「荘厳の聖母」に共通する図像である。不滅や完全を表そうとするとき、洋の東西を問わず、黄金に行き着くのだろう。室内に入った時に感じた妙に懐かしい気分は、仏教美術を前にしたときと同じ物だった。

ジオットの『荘厳の聖母』は、聖母子のスケールの大きさや背景の黄金にいまだビザンティン的な要素を残しながらも、天蓋付き聖壇の扉の描写や聖母の膝の表現に遠近感を感じさせる工夫が見える。またチマブーエの作品にあっては、玉座の下に顔をのぞかせている二聖人に仄かではあるが感情表現を見ることができる。これらは、ルネッサンスの到来を告げるものである。

 ボッティチェッリ『柘榴の聖母』

ウフィッツィを代表する作品としてサンドロ・ボッティチェッリの『春』と『ヴィーナスの誕生』を挙げることに誰しも異論はあるまい。初めて来たときは、この二枚の絵の前でずいぶん立っていたことを思い出す。それだけに、いつもどこかの団体がガイド付きで占領していて、一人でゆっくり見ることがなかなかできない。そこで、これらは端で見ることにして、それ以外の絵で比較的に空いているところを独占することにした。

描かれている人物の美しさという点では、前二作よりも私は『柘榴の聖母』を採るものである。マリアが『ヴィーナスの誕生』で描かれているヴィーナスそっくりであるのも興味深いが、ここでは聖母を取り巻く6人の美少年達の方に注目したい。聖母子を描きながら、これほどまでに天使に力の入った絵を知らない。一人一人の少年達の表情からはその性格さえ読みとれそうである。特に画面右から二人目の少年は、自分の美しさを誇るように超然とした態度で見る者を見返している。どの天使も一人としてマリアの方を見ていない。マリアもイエスもまたどこか遠いところから聞こえてくる音楽に耳を傾けているような、心ここになしといった表情を見せる。耽美的と言おうか官能的と言おうか、ただならぬ美しさを漂わせる作品である。

 ミケランジェロ『聖家族』

ミケランジェロにかかると、聖母も一つの人体である。今しもヨセフから手渡されようとする我が子イエスを抱きとめるために差し上げた両手に見られる筋肉の表現は、マリアに聖性よりも母性よりも肉体を感じさせてしまっている。おそらく、本人も言っているように彼は画家である前に彫刻家なのだろう。

ただ、画家としても人並みはずれた技量の持ち主であり、革新的な表現を見せているのも事実である。それまで、マリアの膝の上に描かれるものであったイエスを聖母の頭上に持ち上げてみせた革新性は、彼以外の誰によって可能だったろう。それまでイエスがいたマリアの膝から、腕に、そしてイエスへと見るものの視線を引き揚げていくムーブメントはマニエリストに強い影響を与えたことだろう。

ヨセフとマリアはともにイエスを見つめている。イエスの目はマリアの方に向けられているようであるが、一人瞑想に耽っているようでもある。信仰の中心が聖母からイエスに移動していることがこの三者三様の視線からも感じることができる。特に、これまでは聖母の膝の上で無邪気な表情をしていたイエスの顔が、これまでとは違った翳りを帯びているのが印象的である。

 パルミジャニーノ『長い頸の聖母』

ああ、ここにあったのかと思った。異様に引き延ばされた身体の表現からマニエリスムの典型的な作品といわれているパルミジャニーノの『長い頸の聖母』である。暗い雲の立ちこめた廃墟を背景に、貴婦人のように着飾った聖母がイエスを膝にのせている。聖母の頸も指も不自然なほど長い。イエスの体もそれに比例して長く描かれている。隣には長く美しい脚を惜しげもなく見せて天使が立つ。ここではすべてが引き延ばされることで日常性を超えた夢のような情景が現出している。

20年前に開催されたイタリア・ルネッサンス美術展で、いちばん心惹かれたのがパルミジャニーノの『貴婦人の肖像(アンテア)』だった。複製画を買って額に入れ、長い間踊り場の壁にかけていた。まだどこかに少女のような表情を残した黒瞳がちな女性は凛とした気品を漂わせていた。
聖母のすぐ隣に立つ天使の顔が、その女性にそっくりだった。懐かしい人に再会したようでうれしかった。

 カラヴァッジオ『バッカス』

次から次へと現れる傑作を見るのに疲れて回廊に出た。洗面所に向かって歩き出した時、何かに呼び止められるような気がした。無意識に彷徨わせていた視線がその中に何かをとらえたようだった。引きずられるような気分で展示室に入ると、見慣れた若者がこちらの方を見ていた。

髪に実をつけた葡萄の葉を飾り、片肌を脱いだ若者の目はこちらを見ているようでもあり、放心しているようでもあり、何かとりとめのない印象の視線だ。なみなみと注がれた葡萄酒の杯をすすめているところからこの若者が扮しているのが酒神バッカスと知れる。そうなのだ。カラヴァッジオの絵筆は、籠に盛られた果物を描くときにも、モデルを描くときにもあまりにもリアルなので、画中のバッカスが画家のアトリエにいたモデルの若者に見えてしまうのだ。

画家独特の左側から指す光線を受けて暗い背景の中に浮かび上がるバッカスは、ボリュームのある長い髪やふっくらとした頬の赤さ、柔らかな唇の様子から女性めいた印象さえ受ける。マニエリスムの気儘に変形された人体を見慣れた眼から見ると、後にバロックといわれることになるこの時代の意外なほど古典的な作風に驚かされる。ただ、光を受けた部分と背後の暗闇との明暗の対比は劇的な雰囲気を盛り上げ、バロック的高揚感を感じさせる。

1階にあるミュージアムショップで、妻はインスタントタトゥーなるものを買っていた。なあに、昔でいう写し絵である。裏紙の上から水で湿らせ、うつしたい場所にはり、上から擦ると、絵が下に写る。妻の買ったのはロッソ・フィオレンティーナの『リュートを奏でる天使』他二枚であった。

 シニョーリア広場

ウフィッツィ美術館を出るとそこはもうシニョリーア広場である。ミケランジェロのダヴィデ像が道行く人を見下ろしていた。その後ろにある建物がコジモ1世の居城であったヴェッキオ宮である。手前にあるのがランツィのロッジア。広場で集会をする際のステージの役目を果たしていたが、今では彫刻が展示されている。


その一つ、『ペルセウス』像を作ったベンヴェヌート・チェッリーニには逸話が残っている。ペルセウス像はブロンズでできているが、自分の工房で鋳造中、薪の数が足らず、温度が下がってきた。あわてたチェッリーニは、自分の家にある家具を壊させては火にくべたという。像が完成した頃には家具のほとんどが燃やされていたというが、その分は代金に上乗せしたにちがいない。

シニョーリア広場は現在でもフィレンツェの中心であり、多くの人が訪れる。宮殿とロッジア以外の広場に面した建物の前にはカフェがテーブルや椅子を並べ、たくさんの人を集めていた。妻は、ウフィッツィ美術館のガイドをしてくれた人に、さっきのタトゥーの使用説明書を読んでもらっていた。イタリア語で書いてあるのでよく分からないらしく、
「イタリア語のできる人がいるうちに試してみるの。」
といって、早速左の二の腕に写そうとしていた。近くの人がペットボトルの水で濡らしてくれ、無事、天使のタトゥーは完成した。強く擦らなければ入浴しても二、三日は平気らしい。

 ドゥオモ

広場からフィレンツェの旧市街の中を通ってドゥオモに出た。ドゥオモとは、司教座教会(大聖堂)の意味で、フィレンツェのそれは、正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母寺)という美しい名で呼ばれている。

ルネッサンスの時代に修復されたとはいえ中世の色濃い狭い街路を抜けて、ドゥオモ広場に出ると、その大きさに驚く。大聖堂の大きさに比べ、広場が小さいこともあるのだが、写真に全容を収めることができないほどだ。その外壁を飾るのが白、緑、薄桃色をしたトスカーナ大理石である。一見すると塗装のように見える外壁の模様は、すべて天然の大理石の色を用いたものである。

ファサードの右手にはあのジオットの設計による鐘楼がある。高さ84メートルの四角柱の壁面もまた三色の大理石によりみごとに飾られている。中には階段があり最上階に上がれば、ドゥオモのクーポラを間近に見ることができる。

ファサードの真向かいには、フィレンツェ最古の建造物といわれているサン・ジョバンニ洗礼堂が建っている。ミケランジェロが『天国の門』と讃えたギベルティの扉が今も黄金の光を放っている。もっとも、ダヴィデ像と同じく、これもレプリカで、本物の扉はドゥオモ内に保管されている。

 サンタ・クローチェ教会

サンタ・クローチェ教会ミケランジェロ、ダンテ、マキャヴェリ、ガリレオの墓が並ぶフランチェスコ修道会の教会である。チマブーエの『キリスト磔刑図』やジオットがフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画が残っている。

昔からフィレンツェは革工芸で有名だったが、この界隈には今でも工房が多い。そんなわけでめずらしく店をのぞいた。妻のお付き合いのつもりだったのだが、以前から探していた革のジャケットが、あまりにもぴったり合うのでつい買ってしまった。妻も革のパンツを見つけ、前から持っているジャケットにぴったりだと言って喜んでいた。ブランド品を買い漁る旅ではないので、これが今回の最も高価な買い物となった。くたくたになるまで着込んでやろうと思う。

 ポンテ・ヴェッキオ

アルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオは、中世の香りを残すフィレンツェ最古の橋だ。橋の両側には貴金属の宝飾品を扱う店がずらりと並んでいた。かつて来たときには、ここで妻の土産を買った。革細工の薔薇の花のバレッタは金属部品は修理したが、今でも妻のお気に入りだ。

橋に着いた時刻が遅く、店はしまいかけていた。戸締まりの済んだ店は、古びた木の扉に金属製の帯を巻いて、まるで宝石箱のように見えた。一日の最後の日がアルノ川と岸辺の家並みを照らしていた。橋の中央に立つチェッリーニの像の前には何組かのカップルが集まっていた。日は沈みかけると速い。空に明るさの残るうちに夕食をとる店を探すことにした。

毎日プリモピアットからドルチェまで、完全ではないがコース料理を食べていると、もっと軽く済ませたくなる。シニョリーア広場のカフェでビールとサンドイッチの簡単な夕食を済ませた。ヴェッキオ宮の前には仮設ステージができ、音楽が始まっていた。昼間とはうって変わって涼しい風が吹いてきた。空はまだ蒼い。フィレンツェの夏の宵は今始まったばかりである。
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