Summertime in Italy

 ASSISI

アッシジには来てみたいと、ずっと思っていた。聖フランチェスコの逸話にはキリスト教には疎遠な者でも、心ひかれる何かがあったからだ。もっとも、一番最初は何で知ったのだかはっきりしない。大学時代にサリンジャーの『フラニー』と『ズーイ』を読んでいて、ズーイが妹のフラニーをからかう場面でフランチェスコの名前を出していたのは覚えている。

次は、好きだったドノヴァンが主題歌を歌うというので見た『ブラザー・サン シスター・ムーン』の映画だったろうか。1972年、フランコ・ゼフィレッリ監督作品だった。ゼフィレッリ作品らしい意匠を凝らした華麗なコスチュームを脱ぎ捨て、裸になってしまうフランチェスコの姿に、あの頃は素直に感情移入ができたものだった。舞台とされていたアッシジの風景の美しさも心に残った。

絵が好きで、美術館や展覧会を見て回っているうちに、ルネッサンスやゴシックの宗教絵画にひかれる自分を発見してからは、アッシジはジオットのフレスコ画と切り離して考えることができなくなっていた。地震で被害を受けたサン・フランチェスコ大聖堂の写真を見たときは、もっと早くに訪れておかなかったことを悔やんだほどだ。

それだけに車窓から山の中腹に延びる長い城壁と、大聖堂の鐘楼を見つけたときは、柄にもなく、やっと来たんだという感慨が湧いてきた。駐車場で車を降りると、焦る気はないのに坂道を上る足取りがつい速くなる。傾きかけた日は両側に壁のように立つ建築に遮られ、遠く大聖堂のある辺りだけが午後の日差しをうけて真っ白に輝いている。その光に向かって歩いていった。

 サン・フランチェスコ大聖堂

大聖堂のファサードは影になっていた。修復が終わった外壁は建てられた当時の明るさを取り戻していた。薔薇窓と入り口扉の舟形アーチをのぞけば装飾らしい装飾のない簡素な正面である。過激なまでに所有を峻拒したフランチェスコを讃えた聖堂とすれば、大聖堂といえども過剰な装飾は避けられて当然かもしれない。

サン・フランチェスコ大聖堂は内部が1階と2階に分かれる二重のバシリカになっている。聖堂下堂は薔薇窓を持つ上堂に比して暗い。しかし、その中で南袖廊の一角だけが不思議に明るい。まるでそこだけ天上から光が射し込んでいるかのような壁面に、俗に『夕陽の聖母』と呼ばれるその絵はあった。ピエトロ・ロレンツェッティ作『聖母子と二人の聖者』である。

夕陽の聖母ピエトロ・ロレンツェッティは14世紀のシエナの画家であるが、シエナ派というよりもジオットの影響を強く感じる。画面の中で聖母マリアと子イエスが見つめ合う構図には、声にこそならないものの確かに「聖なる会話」がなされているのを感じることができるし、半ば開きかけた聖母の唇からは今にも言葉が洩れそうである。また、親指を立て自分の後ろにいる聖フランチェスコの聖痕を示す手にも表情が読みとれる。このような感情表現は、様式的にはゴシックに属しながら、新しいルネッサンス絵画への道を開いたジオットの流れを汲むものといえるだろう。この優れた才能を見せる画家が、同じ画家の弟アンブロージオとともに中世に猛威を振るった黒死病の大流行により早逝してしまったというのは何とも傷ましい。思いなしか、日の傾くとともに聖母を包む光背の金の輝きが増したように思われた。

上堂の壁面は、ジオットによる『聖フランチェスコの生涯』の連作フレスコ画で飾られていた。とはいえ、祭壇画のようにきらびやかな金彩はなく、赤や青の色は既にくすみを帯びていた。しかも背景の建物と人物の比率は、ほぼ実物大で表現されているため、壁面の大きさに比べると、人物はつつましやかに見える。壁面の下部を飾るのも、少ない色数で描かれた素朴な幾何学紋様。天井は青地に金の星という意匠である。ステンドグラスから入る光のせいで明るい上堂の中は質朴な時間が流れているようであった。

 街を歩く

大聖堂からは一本の道がのびていた。サン・フランチェスコ通りである。真っ直ぐに歩いていけば、街の中心コムーネ広場に出られるという。アッシジの街はスバジオ山に張りつくようにしてできている。中心になる通りを歩けば、片側は山の方へ、もう一方は谷側に急な坂や石段が続いている。横道に入ったとしても上った坂なら下れば戻れる訳だ。

しかし、ことはそう簡単ではない。斜面を上に行こうとしても、急な斜面では小路は真っ直ぐに上がることができず、必ず斜めに延びていく。そして、踊り場状の空間に至ると、そこからまた右や左に坂や石段が延びているのだ。薄桃色の石を積んだ壁面で統一された街並みの中を歩いていると、まるで大きな城の中に迷い込んだような気さえしてくる。

しかし、街歩きの楽しみは見も知らぬ小路に踏み迷い、人気のない小広場に出会ったりすることの中にある。アッシジの街を行くのは無数の積み木を根気よく積み上げて作った山の中を歩いているようなものだ。曲がり角を一つ折れたら家と家の間に架かるアーチの向こうに、ウンブリアの野が突然開けたりする時の感動を何と言えばいいだろう。

 コムーネ広場

フランチェスコ通りには、こぢんまりとした構えの店が軒を並べていた。狭い間口と小振りな硝子窓が、いかにも昔からある店らしく落ち着いた表情を見せているのが好ましかった。子ども服や玩具を商う店が目立つのもフランチェスコの生まれた町らしい。一階部分が奥に引っ込んで柱廊になっている建物も昔の姿をとどめていた。間口の広さから考えると劇場だったかも知れない。

それまでの狭い視界が急にぱっと開けると大きな広場が目の前に現れた。広場の中央には噴水があり、その前にはカフェの椅子が並んでいた。左手に見える列柱が紀元前1世紀に建てられたというミネルヴァ神殿だろうか。大きな犬が一匹、まるで広場の主ででもあるかのように悠々と寝そべっていた。妻は早速頭を撫でていたが、愛嬌を振りまくこともせず、されるがままになっていた。昼寝の邪魔をしたのかも知れない。たて込んだ建築の中にぽっかり空いた広場の上を夕陽の影がすでに覆いはじめていた。
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last update 2001.8.16. since 2000.9.10