□■□ しっぽのきもち 7 □■□
カカシはにこにこと子猫を見つめている。それはもうとろけそうな表情で。こんな顔も出来るんじゃねえか、とアスマは内心ほっとしていた。
「ところでな、カカシよ。おめえは俺に茶のひとつも出そうって気はねえのか?一応俺は客だろうが」
「お茶なんか欲しかったら好きに淹れてい〜いよ。何処に何があるかなんて、アンタのが良く知ってるじゃない」
カカシの家の備品一切はアスマとオビトが揃えたものだ。カカシに任せておけば、ここで生活するのに必要な物すら揃えずにいただろう。
「そりゃ知ってるがな…。ま、いいか。勝手に使うぞ」
「どうぞ〜」
「おいっ、カカシ!ところでこの茶っ葉は一体いつ買ったんだ!?」
キッチンに向かったアスマがカカシに向けて疑問を投げかけた。
「えー?知らないよ、そんなの」
「知らないってお前…。賞味期限切れてんじゃねえだろうな」
カカシのいる場所からキッチンは見えない。
一体どの面下げてそんなみみっちい事を言ってんだ、あの髭。と、カカシはキッチンに足を運んだ。
「賞味期限なんか切れてたって死にゃしないよ。お茶っ葉なんて腐らないんだし」
いちいち細かい事にこだわんないでよ、髭のくせに。
その声にアスマは振り向いて「あほう」とほざいた。
「茶は香りだろうが。期限切れてっとな、茶を飲む楽しみが半減すんだよ」
そのセリフにカカシは目をしばたかせた。
結構長い付き合いだけれど。
この髭がそんなにお茶が好きだなんて知らなかった…。酒を好むのはよく知っていたけれども。
「へえ…」
「おら、さっさとそっち行け」
片手に急須、もう片手には湯飲みがふたつ。
とりあえず自分の分だけ、なんて心の狭さはこの男には無縁のものだったらしい。
「なんでお湯を湯飲みに入れるのさ」
「この茶は熱湯用じゃねえからな。お前はちゃんと分ってこれを買ったわけじゃねえだろうがな、いい茶だぜ、これ」
お茶の種類によって淹れるお湯の温度も変えるなんて、カカシは初めて知った。
「…美味しい…」
アスマが淹れてくれたお茶は、自分で淹れたものとは比べものにならないくらい味も香りも抜群に良かった。
「ちっとは見直したか?バカカシ」
「…ふん。お茶を美味しく淹れられるくらいでいばんな、髭」
「茶の淹れ方すら知らなかったおめえに言われたくはねぇなあ」
「むっかーっ!」
アスマに言い負けるなんて悔しい!と地団駄を踏んだところに、食事をおえた子猫がひょっこり顔を覗かせた。
「あ、食べ終わったんだな、お前」
ひょいとカカシが猫を掴む。可愛がっているわりにぞんざいな掴み方だ。
考えてみれば、忍犬以外の動物を自分の傍に置くという事自体なかっただろうから仕方ない。
「そんでそれ、なんて名前なんだ?」
「ん?な〜いよ、名前なんて」
「……ないって、つけてないのか?」
「だって猫には猫の名前があるでショ。人間が勝手につけるのもどうかと思ってさ」
「いや、そういう問題じゃねえだろ…。じゃあ何て呼んでんだ、おめえ」
カカシはちょっと考えてから「猫」と一言で片付けた。
言っている意味はわかるが、それもあんまりだろうとアスマは思った。
こいつは情操教育が必要な子供か…。
はあと息を吐いて、アスマは気持ちを切り替えた。とりあえずこんなでも任務にかけてはピカいちの腕だ。そうそう、自分はここに任務の打ち合わせに来たんだった。話だ、話をしよう。
アスマの努力によって、事態は不毛な言い合いから脱却し建設的な打ち合わせに移行した。
さて。任務は良いけど、とカカシはしばし悩む。
上手くいけばその日1日ですむ任務だが、万一何かアクシデントがあった場合猫をどうしよう。
別に元々飼い猫だった訳じゃないから、1日2日カカシがいなくとも餓死したりはしないだろう。けれど、なんとなく不安。
そこでカカシは子猫を火影に預けることにした。賢い子猫は人間の言葉を良く理解する。きちんと言い聞かせて火影に預けると、ようやくカカシは安心して任務に集中することが出来た。
一方子猫を預けられた火影は、カカシの行動にちょっとばかり吃驚していた。
あのカカシが。何にも興味を持たず執着もしなかった、あのカカシが。子猫だ、よりにもよって。忍犬候補の子犬でなく、愛玩用の、いわゆるペットの子猫とは。
「長生きはするもんじゃな、なあ、お前」
子猫に話しかけながら、そういえば名前を聞いてなかったなと思う。子猫に視線を移すと、ふと妙な気がした。
この子猫を見た事があったような…。もう随分前の事だ。確か執務室に入り込んだ猫がこんな風だったが、あれはもう2年も前の事だし同じ猫のはずがない。
「ふむ…。他人のそら似と言うが、猫にもあるようじゃな」
イルカは火影の独り言を聞いて、それはまさに自分のことだと言いたかったが、残念ながらそれを伝えるすべはどこにもなかった。
「カカシがこんな風に儂に預けていくとは、よほどお主の事が大切なんじゃろう。お主が人間なら、あやつの良い友人になってくれただろうにな…」
人間なんです、火影様。本当は俺、人間なんです。イルカです、火影様!!
そう言ってみても、火影から見ればみゃうみゃうと子猫が鳴いているだけだ。せめて言葉が通じれば、と心底イルカは思った。この気持ちを伝えられれば、と。
その夜遅くカカシは戻ってきた。
アスマもカカシもかすり傷ひとつない。ランクでいえばBランクの任務だ。上忍ふたりとなれば、片手で足りる程度の難易度だったのだろう。
火影から子猫を受け取りカカシは家に帰った。
道々、夜空に大きな満月が浮かんでいるのをぼんやりとイルカは見ていた。この満月に祈ったら、今度は叶えられるだろうか?今まで駄目だったものが今日急に叶うとも思えなかったが、イルカは祈らずにはいられなかった。
「ねえ、猫。お前に最初にあった時にね、俺は死んでもいいなーとか思ってたんだ。でも死ななくて良かったのかなって今は思うよ。お前に会ったのはもしかしたらオビトの画策か、なーんて思ったりね。そんなはずないんだけどさ、そうだったらいいなあって思う」
「みうー」
カカシは薄く笑いながらぽつりと言った。
「お前が人間だったら、良かったのにね」
どれ程そのオビトという男がカカシにとって大事な存在だったのか、その一言でイルカには分った。
オビトの身代わりでもいい。代わりになれるなら、文句なんか言わない。
カカシの傍で、カカシの為に居てやれる存在になりたかった。
ぺろりとカカシの頬を舐める。
慰めるように。本当は自分こそが慰めて貰いたかったのだけれど。
「ありがと…、猫」
朝の光でイルカが目を覚ましたのは、カカシが出掛けてすぐのことだった。もそりと布団から這い出そうとして、自分の手にぎょっとする。
手!手だ、人間の手!!…肉球じゃないっ!!
がばっと布団から飛び起きてイルカは洗面所に向かった。
「鏡!鏡を…っ!」
そこに写った顔はまさしくかつての人間の、イルカの顔だった。
なんで…どうして…?
元に戻った理由も何も分らずに、ただイルカは鏡に見入った。カカシが戻ってきて、洗面所でイルカの姿を見つけるまで、ずっと動けずにいた。
「…アンタ、誰?ここで何してんの?」
びくっと背中が震えた。
カカシの声に恐る恐るといった風に振り返る。洗面所で固まったように動かなかった子供は、まるで見覚えはない。一体どこから入り込んだのやら。
黙ったままの子供に、カカシはもう一度質問を投げかける。
「ねえ、どっから来たの?名前は?」
「…イ、イルカ…」
子供らしい、すこし甲高い声だ。どう見ても10か11くらいだろう。一体何の目的でこの家に来たのか。
「ふうん、イルカね。じゃ、もう一つの質問にも答えて。何してたのさ」
「…鏡、見てた。俺、信じられなくて…」
「は?何言ってんの。信じらんないって何が?」
イルカは何か決心したような顔つきでカカシに向き直った。
「俺、アンタに拾われた猫だったんだ。でも元々は人間で、なんでか猫になってただけ。随分と長い間…。それが急に人間に戻ったから吃驚して鏡のあるここに来てたわけ。信じてくれる?」
勿論カカシが信じるはずもなかった。
「そんな戯れ言信じるわけないでショ。そう言えば猫はどこに…?アンタ、猫を何処にやったんだよ」
「だから、俺が猫だったの!人間に戻ったからもう猫は居ないんだよ」
このままではラチがあかないと思ったのか、カカシがイルカの腕を取って引っ張った。とりあえず火影様のところに連れて行こうと思ったのだ。まだほんの子供だけれど、この子はきっとアカデミーの生徒に違いない。
「やだ!どこに連れて行くんだよ!俺はアンタと一緒にいたいんだ。ねえ、引っ張らないでよ!ここに置いて、頼むよ!!」
嫌がって暴れる子供を引きずるようにして外に出す。
「あ〜、もうウルサイよ。いい加減にしな。俺はガキの面倒を見る趣味はないんだよ。とにかく火影様のトコにはいってもら〜うよ」
「やだ!やだってば、カカシ!」
自分の名前を叫ぶ子供を、まじまじと見下ろす。なんで名前を知ってるんだ、このガキ。
元々人付き合いの悪い上に、オビトを亡くして暗部に転属されて以来、すっかり他人と関わるのを止めてしまった。アスマとでさえ2年近く会わなかったのだ。
なのに、何故この子供はカカシの名前を知っているのか。
「お前、イルカって言ったっけ…。何で俺の名前を知っている…?」
「だってアンタが自分で言ったんじゃないか。俺に…。カカシだって、宜しくって」
こんどこそカカシはまともにイルカと対峙する気になった。
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