□■□ しっぽのきもち 8 □■□
ひとまず話を聞こう。火影の元に連れて行くのは、それからでも遅くはない。そう思いカカシはイルカと名乗る子供を家に上げた。
イルカはあからさまにほっとして、カカシに微笑みかけた。
子供の話はどう考えても信じられるのもではなく、それでも真剣な子供を何故か放り出す事も出来ず、 仕方なくカカシはイルカが家にいる事を許した。自分でも信じられないくらいの寛容さだ。イルカの笑った顔が、 どこか猫を思い出させたせいかもしれない。
「で、お前の話が本当だとすると、アカデミーにはもうお前の席もないだろうしどうするつもりなんだ?親もいないんだろう?」
言いながら何か引っかかりを覚えたが、それに拘る事もなくカカシは子供に尋ねた。
「えと…。信じて貰えないかもしれないけど、火影様にはやっぱり報告はしないと…。ただ…あの、ここに置いて欲しい…。 家はあるけど、でも、アンタと…カカシと一緒にいたい」
ふう、とカカシは溜息を吐いた。確かに誰に話しても笑われるだけだろう。
ここで子供を放り出すのは簡単だ。きっと昔の自分なら躊躇いもせずにそうしただろう。少しの間でも猫と共に暮らした事が、 自分に変化をもたらしたのだろうかと考えて少し落ち込んだ。こんな変化は忍びとしては良くない傾向だ。 しかも暗部所属の忍びとしてなら余計に。
ああ、でも。オビトだったらきっと笑顔でこの子供を受け入れるんだろう。
どこまでも懐の広い、あの親友だったなら。
「俺も信じたわけじゃないけどね。ま、いいでショ。もし本当に猫がお前だったら、もうあいつは戻って来ないわけだから」
「だから、本当なんだって…」
ぼそりと子供が口を挟む。
「それで?まだ忍びを目指すならもう一度アカデミーには行っとかないとね。卒業してないんでショ?」
「もうちょっとで卒業だったんだけどね。3年…もっとかな?随分離れていたからきっとカンが鈍ってる」
いかにも悔しそうに子供が愚痴る。それを聞いて、カカシは先程の引っかかりが何なのか分った。
「3年も猫でいたのに、何でお前年取ってないの?」
この子供ではいくら何でも7つや8つで卒業出来る程の実力はなさそうだ。
「分らないけど…オズは俺が猫でいる自分を拒んでいるからだって言ってたな」
「オズ?」
「猫の名前。そいつの世話になってたんだよ、ちょっとだけ」
ふいと顔を背けながら照れたように言う子供の様子から、子供が言うよりずっと世話になったのだろうと推察される。 生意気なところばかりでなく、年相応の顔がかいま見られてカカシはくすりと笑いをもらした。
子供を家に置くと決めた翌日、カカシはわざと何も言わずに出ていった。子供が猫ならカカシが早朝出掛けるのを知っているはずだし、 そうでなくても腹が減れば自分でどうにでもできるだろう。冷蔵庫にはアスマからの差し入れがぎっしり入っている。
「ねえ、知ってるんでショ?本当のとこどうなの?お前は上からのんびり眺めているだけだから、気楽でいいよね〜」
あの猫とはここで出会った。
オビトの命日で、自分もボロボロの状態でやっとここまで辿り着いた後だったから、つい親友が心配して仕組んだ出会いなんじゃあと 思ったのだ。ちょっとした「運命の出会い」ってやつかな。ただし相手が人間なら。ちらっとそんな考えが過ぎった。
じゃあ、あの子供が本当に猫ならあいつは俺の運命の相手なわけだ。
くつくつと笑いがこぼれた。
ふと、向こうの方から件の子供の気配を感じた。
カカシがいなくて探しにでも来たのだろうか?息を弾ませて子供が走り寄ってきた。
「やっぱりここだったんだ」
「よく分ったな、お前」
「だっていつも早朝から出掛けていく場所なんて限られてるよ。それに初めて出会ったのもここだったし、 特別な場所なんだろうなって思ってた」
そうだ。毎朝ここに来てた。いなくなった人達と話をするための場所。
「おれの父ちゃんと母ちゃんもここに眠ってる。話したいときにはここに来てたから…」
ここに眠る、というのは比喩的表現でしかない。魂はここにあるだろう。きっと。
けれど身体はその大半が里には戻らないのが忍びだ。里の機密を他の隠れ里に知られないため、 外で死んだ忍びはその遺体をその場で処理するのが習わしだったから。
子供の言葉はすとんとカカシの胸に落ちてきた。
そう言えば、猫に「お前が人間だったら」と語りかけたのは自分ではなかったか。
そうして猫は人間としてここにいるのだ。
だったらそれでいいじゃないか、と。
カカシは子供の頭に手を乗せてくしゃくしゃと撫でた。子供の黒い髪は、見かけよりずっと柔らかで触り心地が良かった。
「わあ!何すんだよ、カカシ!」
「お前ね、俺は一応上忍なうえに年上でもあるんだから、もっと敬ったらどうなのよ」
「そ…それはそうだけど。でもあの生活振りを知ってると、とてもそんなの無理って言うか…」
…確かに生活態度は褒められたもんじゃないな。ルーズで怠惰で面倒くさがりだ。掃除もしないしご飯も作らない。 他人との接触も嫌いだし話すのも苦手だ。それらを全部知られているわけだから、カカシは一言の弁解も出来なかった。
「カカシはもうちょっと生活態度を改めないと。今度から俺が掃除もするしご飯も作るよ」
「え!?作れるの?」
「まあ、ちょっとだけ…。両親が死んでしばらくは自分で作ってたし」
子供の「ちょっとだけ」にどこまで信用がおけるのか分らなかったが、自分は別に部屋が汚くても構わないし、 飯がまずくても気にしないのでそれじゃあお願いするね、とにっこり笑った。子供の機嫌が目に見えて良くなったので、それでよしとした。
そうして一人と一匹の同居が、二人のそれに変わってひと月もした頃。
とりあえず事情を話すだけ話しておいた火影から連絡があった。来年の春からイルカを再びアカデミーに通わせてもいいと許しが出たのだ。
火影はやはり最初はその話を信じなかった。けれど、子供の顔は確かの火影の知るイルカの顔であったし、 当のイルカが3年程前から行方不明なのも事実だった。
方々に探索の者を派遣して捜させたが、ついには見つからず諦めた子供だったのだ。それが、その当時のままの姿で戻ってきては、 いかに火影とて容易には信じられないだろう。
事情を知る他里のスパイの可能性とてないとは言えない。
上層部だけで何度も協議が開かれたと聞く。そうして最終的に火影はイルカを認めた。
「火影様何て?」
火影が飛ばした伝書鳥に付けられた手紙の内容が知りたくて、イルカはいてもたってもいられない状態だ。背の低い方のイルカは、 ぴょんぴょんと飛び跳ねてもカカシが持つ手を上に上げるとそれに届かない。
「ん〜。お前またアカデミーに通っていいってよ」
「ほっ、本当!!」
「嘘言っても仕方ないでショ。ほら、心配なら自分で見てみなさいよ」
カカシから受け取った手紙をイルカは恐る恐ると言った感じで覗き見る。そうして、次の瞬間ぱあっと笑顔になった。
「アカデミーなんてさ、別に行かなくても忍術でも何でも俺が教えてあげるのに」
アカデミーには行った方が良い、と言ったその直ぐ後からカカシは一転行かなくても良いと言い出した。何も今更行かなくても、 全部教えてあげるから、と。
カカシは上忍で暗部で確かに何もかもが抜群なのだろうとイルカは思う。上を目指すならカカシについて学ぶ方が有利だとも。 けれど違うのだ。アカデミーという場所自体にイルカはかなりの思い入れがある。猫だった頃に、懐かしさと悔しさと憧れでもって見つめ続けた場所。
「だって行きたいんだもん。俺は卒業したいの!大体なんでカカシは反対するわけ?前は行けって言ってたくせに」
カカシはしばらく逡巡したあと「だって時間合わないし…」と呟いた。
「え?」
「だって俺の任務はほとんど夜中だし、昼は寝てるし。イルカと時間が合わないからつまんないし」
だから火影様に暗部やめるって言ってるのに、中々承諾貰えないから。
子供の我が儘じゃないんだから、とイルカは思いもしなかったカカシの一面を知らされて脱力した。
「俺よく知らないけど、暗部ってそんな簡単に出たり入ったり出来るの?」
「ん〜?無理何じゃない、多分。でも俺はもうやめるって決めたから」
決めたからって、勝手にやめられるもんじゃないだろう…。
「やめるの待って。とにかくもうちょっとだけ待ってよ。俺すぐに卒業するし!前だってほとんど卒業間際だったんだから、 絶対すぐに卒業するから。そしたら俺も下忍だし、そこまで時間が合わなくなる事もなくなるよ」
なんとなく、このままじゃ火影様に迷惑が掛かりそうだと思ったイルカは、カカシを懐柔する作戦に出た。
だって別に暗部の仕事が嫌なわけじゃないんでしょう、だったら里のためにもうちょっとそのままでいてよ。カカシ、かっこいい! 暗部の衣装似合ってる!とか何とか。適当に褒めちぎったり強請ったりして、どうにか「暗部をやめる」宣言を撤回させたのだった。
数日後、火影の元を訪れたイルカに里長は深く感謝した。
「全く。一時はどうなるかと思ったがイルカのお陰で助かったわい。腕だけは一流じゃからな、あやつは」
今暗部を抜けられるのは、どう考えても痛い。そう聞かされて、自分が役に立った事をイルカは喜んだ。
「でも火影様、やっぱり暗部だから危険な任務ばかりなんでしょう?俺、あんな風に引き留めたけど本当は危ない事は出来る限りして 欲しくないんです…」
両親を任務先でなくした子供だ。そう考えるのが当然だった。
「なに、心配せんで良かろう。言ったじゃろう、あやつの腕は一流じゃと。それに、相棒もそれなりの奴じゃ。 お前は家で、カカシの帰りを待っておればいいんじゃよ」
ひとりぽっちだった二人の孤独な人間が、待つ家を得た。
大切な人を待つ家。大切な人が待つ家。
「はい、火影様」
「ところでずっと不思議だったんだけ〜どね。なんでイルカは猫になって、それで人間に戻ったのはなんでなの?」
珍しく任務のない満月の夜にふとカカシは聞いてみた。
「あれから思い出したんだけど。猫になる前に、俺見たんだ。昼間家の側で仲の良さそうな猫の親子をさ」
子供の背中を愛おしそうに舐めていた母親猫。あれが多分切っ掛けだったと思う。
「なに?つまりその親子が羨ましくて、気が付いたら猫になっちゃってたわけ」
「そう。子供だったからね。親が懐かしくて羨ましくて溜まらなかったんだ」
「今だって子供でショ。でも人間に戻ったのは俺のため?」
くすくす笑いながらカカシは聞いてくる。それにイルカも笑いながら答えた。
「そうだよ。あんまりカカシが情けない声で人間だったらいいのにって言ってたからね」
そして俺もそう願ったからね。
願いは叶った。
もうこれ以上、満月に願うことはないだろう。そうしてイルカは目を閉じた。
END
長らくお付き合い下さいまして、ありがとうございました〜。
とりあえず、おしまいです。やっとENDマークを付けられるところまでお話が進んで良かったです〜。ほのぼの止まりでしたね、 思いっきり(笑)
そのうち、数年後のふたりのお話もちょこっと書こうと思ってます。
だって、このままじゃあんまりだし。続編はもうちょっとカカイルっぽくなると思いますので、その節はどぞヨロシクです。