□■□ しっぽのきもち 2 □■□



 ―――いいかい、良くお聞き。月に祈ってはいけないよ。
 ―――満月は人も獣も、何もかもを惑わせる。
 ―――強すぎる想いは力になる。意志ある声は形を作る。
 ―――だけど、それは人の身には大きすぎるものだから。

 ―――だから、いいかい?月に祈ってはいけない。
 ―――特に***の満月には。



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 気が付くと猫になっていた。
 何の冗談だろう?誰かがイタズラに変化の術をかけたのだろうか?それとも幻術をかけられたのか。そっちの方が有り得る話だ。
 だって俺は人間だ。猫じゃない。
 でも肉球のついた小さな手(前足?)は、どう見たって人間のそれには見えなかった。
 何がどうなっているのか分らずに、ちょっとパニックになった俺は寝ていた家を飛び出した。闇雲に走り抜けて、 息が切れたところでようやく止まる。
 走っている時も当然と言えば当然だが、四本の足で駆けていた。やっぱりどう見ても猫だなあ…。
 とにかく眠ろう。ここがどこか分らないが、きっと悪い夢に違いない。
 そうだ、夢だ。きっと夢を見てるんだ。眠って、そして起きたらきっと元通り。
 夜露をしのげそうな場所で俺は丸まって眠った。朝を待ちながら…。

 朝陽が目にしみる。
 顔に手をやろうとして、ぎょっとする。
 肉球!やっぱり夢なんかじゃなかったんだっ!どうしようっ!
 とりあえず火影様のところに行こう。きっと誰かが術をイタズラして解けなくなったに違いない。火影様に解いて貰わなくちゃ。
 だけど。はたと俺は気付く。
 ここは、何処だろう?何しろ闇雲に走ったからなあ…。誰かに道を尋ねるにしても、このままの姿で喋ったら妖怪か何かと間違えられそうだ。
 ああ、困ったなあー。

 トボトボと歩いていると、向こうから自分より少し大きい猫がやって来た。
 「あれ、アンタ新顔だね?どこから来たの?」
 いきなり話しかけられてびっくりしたが、それ以上に猫の言葉が分る自分にもっとびっくりだった。
 「え?な、なんで言葉が分るんだ?」
 「何言ってんのさ。猫同士で言葉が分かるのは当たり前。それとも何?アンタ実は猫じゃないのかい?」
 するとこれは変化の術でもないのだろうか?さらに分らない事だらけだ。
 「猫に見える?俺…、やっぱり…」
 しょんぼりしながら聞いてみる。それに相手はこっくりと頷いた。
 「猫だね、どう見ても。だけどそんな事を聞くぐらいだから、アンタ本当は猫じゃないんだね?」
 ふむふむ、と訳知り顔で喋る猫に俺は聞き返す。
 「どういう事なの?何か知ってるなら教えてよ。気が付いたら俺はこんな姿になってたんだけど…、そういうのってよくある事なわけ?」
 「ばかを言っちゃいけないよ。それはまさに奇蹟だよ。満月の奇蹟さ。お前さん、満月の晩に祈っただろう? 強い祈りは稀に叶えられるからね」
 満月の晩…?昨日…いや一昨日が満月だったっけ、そう言えば。だけど、祈っただって?何を?猫になれとでも?そんなバカな! 祈った覚えなど微塵もない。
 「それはさ、無意識の願いって奴だよ。決して、何かになりたい!なんていう風に願うモンじゃない。心の奥底に強く漂う想いを、 月が攫っていくんだよ」
 そんな想いなんて持ち合わせていなかった!全く冗談じゃない。じゃあ、元に戻るにはどうすればいいんだ?
 「そんなのは簡単。同じくらいの強さで願えばいいのさ。元に戻りたいってね。ただしその姿になったのが無意識の願望なら、 元に戻るのは難しいだろうね…」
 猫はさらりとひどい事を言う。
 だけど諦めるわけにはいかない。人間に戻らなくては。
 道を聞いて、俺はなんとか家に戻れた。別れ際に猫は、何かあったら遠慮無く相談に来いと言ってくれた。
 …猫に相談。う、嬉しいけどちょっと不安かも…。




 家に戻った俺がまずやった事は、火影様の元に行く事だった。
 火影の執務室に潜り込んで三代目がやって来るのを待った。ガラリと戸を開けて入ってきた三代目に、必死で泣きつく。
 だが、火影様には俺の言葉は通じなかった。
 火影様には「にゃあにゃあにゃあ」と猫が喚いているだけでしかなかった。
 「何じゃ、お前。どこから迷い込んできおったんじゃ?」
 (火影様!俺です、イルカです!俺の言ってる事、わからないの?!)
 「これこれ、そう鳴くでない。腹でも減っておるのかの?」
 ちっとも通じない言葉に焦れて、俺は執務室から逃げ出した。だって、誰も俺がわからない。俺の言葉もわからない。
 俺の言葉がわかるのは、猫だけだなんてあんまりだ!


 そうやって季節は俺が猫のまま移っていく。
 
 いつの間にか人間に対して期待するのを諦めた。どうあっても俺の言葉は猫にしか分らない。俺が喋っているのは猫語らしい。
 それから食事。最初は抵抗があった猫の食事も、今では平気だ。味覚がそもそも完全な猫になっているから、 返って美味しそうに感じてしまう。人間としてはちょっとプライドが傷つくが、食べなければ生きていけない以上それは有り難かった。

 満月の度に俺は祈る。一晩中。
 けれども、この願いは叶ったことがない。
 何が違うのだろう?そもそもの最初と。俺のどういう気持ちが、この奇跡を起こしたというのか?考えているが、未だに分らない。
 分らないまま、俺は祈る。いつか、いつか再び人間に戻れるように。

 季節は移る。
 満月の度に祈っていたそれは、いつの頃からか間が開くようになり、回数が減り、いつしか俺は満月を見なくなった。



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