□■□ 迷子のシンデレラ 1 □■□




冬が終わりを告げて、木の葉にもようやく春がやってきた。
下忍に割り振られるような任務は、季節ごとに幾つもある。その内の大半は農作業に関するものだった。
上忍師を勤めているカカシは、このところそういう任務が多いらしく、毎回さぼりがちな子供達を叱咤して何とか任務を終えている。今日も今日とて子供達のブーイングをさらりとかわし、あの手この手で子供達のソレがちな集中力を任務に向けさせていた。
「カカシ先生〜、もういい加減あきたってばよー!」
「これも修行の一環だと思え!その中腰は足腰の鍛錬になるでショ。関係ないように見えて、全部ミになってんのよ」「もっと分かり易い修行がしたいってばよ〜!」
「どんな修行でも一緒でショ」
「そうよ〜ナルト、アンタ煩いわよ!黙って出来ないの?ちょっとはサスケくんを見習ったらどう?」
「ちぇっ、サクラちゃんはサスケ贔屓なんだからな〜…」
サクラとナルトが相変わらずの調子で言い合っている。
これもいつもの光景だ。サスケが黙って無視しているのもいつもの事。
ただ、今日はその後が違った。
「あれ?誰か来るよ、カカシ先生」
「ん〜?」
やって来たのは今回の依頼主だった。火影様から電話が入ったという。
「…電話、ですか?」
「すぐに戻ってくるように、と伝えてくれと…」
任務中にそんな伝言を電話でしてくるなんて珍しい事だ。急用なら忍びの伝達方法などいくらでもある。人を使ってもいいのに、何故わざわざ電話なのか?
カカシはちょっと首を捻ってから「わかりました」と応えた。
この退屈な任務を早々に切り上げられると思ってナルトがぱっと表情を明るくする。しかしそこにカカシの非常な一言が突き刺さった。
「ちょっと用を済ませてくるから、お前達はそのまま作業をこなしてるように。さぼるんじゃな〜いよ、ナルト」
「えええっ!行くのカカシ先生だけかよ〜っ!」
何を当たり前の事を、とサクラとサスケは大袈裟に溜息を吐いた。


「火影様、お呼びですか?」
ノックを省略してカカシはさっさと執務室に入り込んだ。扉が開いているのだからいいか、というのがカカシの主張だ。
「全くお主は…」
カカシのこう言うところは昔っからで、火影は慣れたものだったが他の者がその場にいればカカシの態度を不敬と取りかねない。それで火影はなるべくカカシの態度を改めるように毎回注意をしているのだが、それは一向に改善しなかった。
「まあまあ、いいじゃないですか。で、わざわざ任務中に呼び出したわけは?」
「うむ…、実はのう…」
珍しく言い淀む老人に、カカシは首を傾げる。
「つまり、お主のな…、その…過去の過ちの話じゃ」
「………はあ?」
なんだ、そりゃ。
過去の過ちって何それ?なんかしたっけ?覚えがまるでないんですけど。
「そうか、よもやと思ったが、お主知らなかったんじゃな…」
「火影様、はっきり仰って下さい。意味分かんないんですけど」
火影はふうと溜息を吐くと、奥の部屋に向かって声を掛けた。そこからコテツが顔を出す。ちょっと腰をかがめて小さな子供の手を引いている。
…子供。
…子供だ。
まだ二つか三つくらいの、小さな小さな子供。しかも思いっきり見た事のある顔をした。
「……ほ、火影様…。こ、この子供は…」
「お主の子供じゃろう、恐らくな…」
あり得ない爆弾をさらりと落としたのだった。


「俺の子供っ!?」
透き通るような白い肌といい光に反射する銀色の髪といい、誰が見ても子供はカカシに酷似していた。
「嘘でショ!だってそんなの有り得ませんよっ!」
「何を言うか。子供の年から逆算すると3〜4年前の話じゃろう。お主、その頃はまだイルカと会ってないはずじゃ」
カカシはイルカとの出会いを頭の中で反芻する。あれは確か、上忍師として里に戻された最初の年だから…。
ギリギリ、かもしれない。
しかしあの頃は色々面倒で、そこまで盛んに色街に通った覚えもない。どう考えたって、そんな失敗はしないと思うし。

「…だからって俺の種とは限んないでショ」
「ここまで似ていてもか?」
火影と、子供の手を引いているコテツの冷たい目がカカシに突き刺さる。
「だって…」
「いい年をして何がだってじゃ」
カカシはチラリと子供に視線を移す。確かに自分で見てもそっくりだった。
「この子、どうしたんですか?」
まさか子供が自分でここにやってくるわけはない。それに、母親は…?
「この子を見つけたのは俺なんですけど。母親は近くにはいませんでした。ぐずりもしない大人しい子供ですけど、喋らないんですよねー」
子供は新たに現れたカカシをじっと見つめる。
「………」
「ほら、ね?カカシさん、ちょっと話し掛けて下さいよ。お父さんなら態度違うかもだし」
すでにコテツの中ではカカシはこの子の父親という事になっているらしい。
良い迷惑だと思いながら、それでも子供を放ってはおけずカカシは膝を折って視線を子供の目線まで下げた。
しかし何と話し掛ければいいのやら。

「えーと…、名前言える?」
子供はことりと首を傾げる。言葉が分らないのか?それとも…?
「名前だよ、な・ま・え…」
「……ぁ、え?」
喋った!口が利けないわけではないらしい。
「そ、わかるか?お前の名前だ〜よ」
子供は再びことりと首を傾げながら、カカシの言葉を復唱する。
「まえ、の、なぁえ?」
「へえ、やっぱりお父さんの言葉は分るんですねえ」
だからお父さんじゃないでショ!と心の中で突っ込みを入れながら、カカシは思考を巡らせる。
このくらいの子供なら、多少の言葉くらい分るはずだろう。自分の喋る言葉をそのままなぞるだけで意味は分ってなさそうな様子から、もしかしたら親が育てるのを放棄した子供かも知れない。
「この子、何も持ってなかったの?」
荷物とまでは言わないが。何か身元の分るものは?
「ええ、何も…」
「火影様、ともかく母親を捜すのが先決じゃありませんか?」
「うむ、それでお主を呼んだのじゃ。ほれ、いいから相手の女性の事をとっとと思いださんか」
そう言われてカカシも仕方なく過去に付き合いのあった女性を意識の片隅に甦らせる。
ここまで来ては、自分の子供とは限らないと言い張る事も出来ない。証拠は何もないが、逆に子供ではない証拠もない。
とは言ってもあの頃は、言い寄ってきたくの一とそういう関係にはなっていなかったはずだ。つまり玄人だけが対象となるわけだが。

「ああ…、あの頃は薔華楼に入り浸ってたっけ…」

ふとあの頃の風景が思い出された。
あの贅沢な楼の一室で、何をするでもなくただ刻が過ぎるのを眺めていた。それに飽きた時に、傍にある柔肌に手を伸ばす。そうしてまた刻が過ぎるのを見送るのだ。
自分の合格ラインに到達するほどの子供も現れず、ろくな任務も与えられず、長い外の暮らしに慣れたカカシにとって里は余りにも安穏としすぎていた。

「なんにも興味が持てなくて、楼から出ない日もあったっけねえ…」
ポツリと呟く。
薔華楼といえば老舗中の老舗だ。一見の客は足を踏み込む事さえかなわない。そんなところに長居出来るカカシに、コテツは改めてこの上忍のかつての行状を思い知らされるのだった。
自分の家を持つ気にもなれなくて、空きのあるボロアパートに転がり込んでいた。賃貸ならいつでもふらっといなくなれる。縛り付けられる事もない。そんな気持ちだったのだ。
何となく「居場所」と言う物に慣れなくて。
あの楼は老舗だけあって客筋はすごぶる良い。客を選ぶわけだから、そのこ居られる者は幾つかの基準で満たされた者のみと言う事になる。だから、そこで何をしようと客の自由だった。
例えば法に触れるような行いをしようと、店に迷惑を掛けなければ目を瞑って貰える。知らぬ振りをして貰えるのだ。

あの頃カカシは、いろんな事に疲れていてアパートにも帰らずに薔華楼にずっと常駐していた。たまには隣にいる人に手を伸ばす事もあったが、そのほとんどを一人で過ごす事のが多かった。
「…って事は…更紗…か?」
あの頃カカシの相手を務めていたのは一人だけだった。
見た目もよく金払いもいいから、カカシは上客だった。だから誰もがカカシに指名されるのを望んでいたが、気むずかしいカカシを相手に出来る女性は限られていた。

「目星がついたのなら連れてくるが良かろう」
「…使いをやってもいいですかね?あの人がこんな無責任なコトするようにも思えないんですよね」
それにもしかしたらもう、あそこにはいないかも。
「好きにせい」
「じゃあ俺が行ってきましょうか?」
カカシの相手という女性に興味があるコテツが進言する。それに使いとはいえ薔華楼に行けるならそれもいい。
「アンタにはアンタの仕事があるでショ」
なに楽しそうに使いっ走りに立候補してんの。
「そうですけど、この子、俺には反応しないし」
だから、アンタの仕事は子守かっての。
「あー、はいはい。わかった〜よ、行きたかったらすきにしなよ。いいでショ、火影様」
「ふむ、まあ良かろう。この子をお主が責任を持って預かるというならの」
カカシはチラリと子供を見る。

イルカ先生に知られたら泥沼かなあ…?でもどう考えたって俺の子供のはずはないし。

そんな事を考えながら、カカシは渋々肯くのだった。


「名前がないのも不便だし、便宜上付けるかな…」
だけどなんて付けりゃいいのかも解らない。自分にうり二つの子供。あまり表情が動かないところまでそっくりで、カカシはちょっとだけ嫌な気分になった。
あまり思い入れたくはないから名前を付けるのは不本意だけれども。
「ん〜、真っ白だから白…いや、銀…。ってそれじゃ犬みたいだよなあ…」
ふと子供が、カカシに視線を投げかけた。何を言っているのか、と言う目で。
「……菫」
それがいい。この子の目にはぴったりだ。
自分の物とは違う、唯一のものをカカシは選んだ。
別に他意があったわけじゃない、ただこの子供には似つかわしく思ったのだ。
「……う?」
「お前の名前だ〜よ。菫。うん、いいよね、これで?」
「ぅ、みえ?」
「すみれ。お前の瞳の色だ〜よ」
そう言えば更紗も綺麗な紫の瞳をしていた。
「………あれ…?」
ちょっとだけ背中に嫌な汗が流れた。まさかと思うけど、本当に自分の子供だったりして?

背の高いカカシは子供と手を繋いで歩くのは無理だから、ひょいと抱えて片手で支えた。小さな子供はそれ程の負荷もなくむしろ軽いくらいだ。
とにかくイルカの家に連れて帰るわけにはいかない。さてどうしたものか。
カカシはゆっくりと方向を南に向けた。子供の頃から使っている隠れ家が南の外れにあるのだ。当然イルカは知らない家だ。暗部だった頃のカカシが好んで使っていた。
「うっわ…、しばらく近寄ってなかったから、ひどいもんだ〜ね。ここに子供を置いておくのはちょっとまずいか」
印を切って忍犬を呼び出すと、ちょっと悪いけどココ片付けるのを手伝ってよと下手に出てみた。
案の定散々文句言われはしたが、子供の存在に気付いた犬達はどうにか手伝いを承諾してくれた。子供様々だ。
「カカシ、お主、いつの間に子供なんぞ生ませたんだ?」
パックンが他の犬達を代表して聞きたい事を聞いてくる。
「まだ俺の子供と決まったわけじゃないんだけどねー…」
「お主の子供じゃろうが。ここまで似た子供なぞ他に居らんぞ」
「まあ、似てるのは認めるけどね」
しかし忍犬達が揃ってカカシの子供だと認めていると言う事は、やっぱり血を引いてるのだろうか?
「イルカが生んだわけではなさそうだの」
実のところ、だったらいいなと思いながらも理性で考えなかった事柄を、あっさりパックンは口にした。
「んなわけないでショっ!そりゃ、俺もそうだったらいいなーとか思ったけどねっ!」
「しかし、そうなると修羅場だのう」
「ヤなこと言わないでよね、もう…」
いつの間にか菫は犬達を相手にきゃらきゃらと笑っていた。