真昼の半月 1



 嵐がやってきた。
 台風が近付いてきていると聞いてはいたが、思ったよりずっと速度が速かったらしい。
 あと一日は保つかと思われた空は急にどんよりと暗い雲で覆われ、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。
 それはあっという間に土砂降りに変わり、飛ばされそうな風と相まって横殴りの豪雨へと変化する。


「あああ〜、まいった!後もう少しなのにっ!こんなところで足止めかよ…」
 しかもイルカが雨宿りに選んだのは、今にも倒れそうなボロ寺だった。
「大丈夫だろうな、ここ。なんか飛ばされそうなくらいボロいけど」
 それでもこの嵐の中、屋根があるだけでも儲け物。一応雨漏りもない。

 身体に掛ける物が有ればいいんだろうけど、こんなボロ寺であるかないか分らない物を探して歩くつもりはない。
 土間の隅に忘れ去られた薪が残っていたのは幸いだった。
 イルカは火遁の術でそれらに火を付けると、冷え切った身体を温める。多分風邪を引くことはないだろう。一応用心のためにクナイを手にして隅の方に丸まって横になる。
 この先には吊り橋があったはずだ。万一この嵐でそれが切れたりすれば、大回りのルートを取るしかなくなる。
 イルカは心の中で吊り橋の無事を祈りつつ、瞼が重くなるのに任せて眠りに就いた。


 任務を終えた後で疲れが溜まっていたのか、眠りは相当深かったらしい。嵐特有の暴風雨すら眠りを妨げることはなかった。
 しかし不意に目覚めたのは、覚えのないチャクラを身近に感じたからに他ならない。
 疲れていようと忍びは忍び。他人の、しかも味方かどうか分からない気配には敏感でなくては生き残れない。
 自然とクナイを握る手に力がこもる。

「無駄だあよ。アンタに俺は殺せないよ?」

 声が、すぐ後ろから聞こえた。がばっと起きあがると同時に横に飛ぶ。
 暗闇の中で何かが輝いていた。
「銀色…?」
 その銀色はゆっくりと近付いてきた。それがあまりにも普通に近付くので、うっかりイルカは見取れてしまった。
 殺気は感じないから敵ではないのだろうけど…。

 闇に目が慣れると、その銀色の風体が見えてくる。
「………っ、暗部…!」
 ぞわりと背筋に震えが走った。
 敵じゃない、敵じゃないけど木の葉の忍びにとって暗部はまた別格だった。
 暗部は自らその仮面を落とす。
 その銀色の髪に劣らぬ、白磁の肌が目に突き刺さる。なんて鮮やかな、その色。

「不運だったね、アンタ。こんなところで俺と鉢合わせするなんてね」
 カワイソウだけど、これも運命だと思って諦めて?

 男の言葉に首を傾げる。何が可哀相だと言うのだろう?
「…もしかして知らないの?」
 知らないって、何を?
 男の言葉は相変わらず分らなかったが、その雰囲気に自然と後ずさった。
「アンタ中忍だよね?だったらコレは上忍命令。俺はさっきの任務での熱がまだ冷めてないんだーよ。アンタがその熱、冷まして?」

 そこまで言われればイルカだって、男の言葉の意味は分った。戦場にだって行ったことはある、しかしその時は話を聞くだけで実際にそんな行為を強要されはしなかった。
だから思いもしなかったのだ。まさか戦場でもない、こんなところで、と。
「…あ、で、でも…」
 上手く言葉が出てこない。拒否したい。でもそんな事が出来るのだろうか?目の前の男は、体格で言えばイルカとそう変わらない。
 しかし男を形作る要素は、イルカが持つものとは相容れないものだと感じた。

 この男は違う…。
 俺や里の忍びとは、何かが決定的に違う…。

「だから不運だったって言ったでショ。今でなきゃ見逃してあげられたのにね」
 男の手がイルカの腕を掴む。その冷たさに小さな悲鳴が上がった。
「な、なんで、こんなに冷たいんですか!」
「んー、元々体温は低い方なんだあよ」
 それにしても冷たすぎる。イルカは無意識に男を火の側に押しやった。
「とにかく暖まって下さい!こんなんじゃ風邪引きます!」
 そんなイルカを不思議な目で見ながら、男はくつくつと嗤う。アンタ変わってるね、と囁きながら男は逆にイルカを引き寄せた。
「あ…っ!」
「冷たいのは我慢してよ。すぐに熱くしたげるから…」

 イルカがそれに答える前に、男はその唇を奪った。
「…やっ…んんっ」
 男はイルカの抵抗を簡単にねじ伏せて舌を絡ませた。アンダーの下に入り込んだ手は、イルカの肌の感触を確かめるように撫で上げる。
 イルカは抗議の声を上げたいが、男の唇がそれを阻んだ。
 巧みな男の手がイルカを煽る。下肢を剥かれて太腿の敏感なところをきつく吸われた。
「あ……あぁっ」
 じんわりと不可思議な感覚がイルカを覆っていく。男の指が僅かに反応し始めたイルカの牡を扱いた。
「や…だ…っ」
「我慢して。痛い思いしたくないでショ。潤滑剤なんて洒落たモンここにはないから」
 敏感な先端を弄られて、そこからトロリと蜜があふれ出した。鼓動が早い。イルカの身体はすっかり熱くなっていた。

 男の指が秘所に滑り込む。イルカが吐き出したものを指に取りゆっくりと解していった。指の本数が増えて行くに従い、か細い喘ぎが漏れ始めた。
「ふ…んん、ああ…ん」
 セックスの経験はあるものの性的に未熟なイルカは、男の指の動きに翻弄された。
 その指がとある箇所を擦り上げると、びくりと身体が撥ねた。背筋を快感が駆け上る。
「ここ?アンタのいいところ」
「やだ…っ、そこ…」
 すでに男のモノもいきり立っている。この哀れな生贄を傷つけたい訳ではなかったから、男はゆっくりと慎重に腰を沈めていった。
「う…、くぅ…」
「キツ…もうちょっと力抜いて…」
「そんな…の…わか…んな…」
 挿入のショックでイルカの身体はガチガチだ。しかし男の方も任務で高ぶった身体と心を静める為に、それ程の余裕がなかった。
 挿入はなんとか傷つけずに済んだが、これ以上熱の放出が遅れれば遅れるほど、組み敷いた相手の苦しみを長引かせる事になる。
 男は諦めて、それまでよりも少し乱暴に腰を打ち付けた。痛みと快感とが交互にイルカを襲う。ぽろりと涙が一筋頬を伝った。

 男の動きが激しくなるにつれ、繋がった部分がグチュリと淫猥な音を立てる。いつしかイルカは与えられる快楽だけを追いかけた。
 突き入れられる男のものを最奥まで飲み込んで締め付ける。そうして何度か突き上げられた後イルカは吐精し、男もイルカの中に熱を放った。
 どのくらいの間そうしていただろう。
 男が自分の身体に燻る熱を最後まで吐き出した後、ようやくイルカは解放された。最後の方はもう記憶なんかない。
 ただ男に合わせて腰を揺らせていただけだ。ぐったりと疲れ切った身体に睡魔はあっさりとやって来た。



 目が覚めたのは、すでに陽が西に傾きかけた頃だった。嵐はすっかり通り過ぎている。男の姿ももう何処にもなかった。
「あ、つつ…。痛いってゆうか…じんじんしてあんまり感覚がない感じ…」
 イルカは半ば麻痺した腰をさすりながら呟く。

 男の行為は勿論褒められたことではない。しかし暗部での任務に従事している忍びには、ある程度の自由が保証されているのも事実だった。
 自由と呼べる類の物かどうかは意見の分かれるところだ、と今なら思うが。
 暗部での任務は、肉体的にも精神的にもかなり厳しいものがある。例えどれ程技量が優れていようとも、所詮は同じ人間なのだ。
 それがより闇の部分に踏み込まねばならないのだから、その精神に掛かるプレッシャーは相当なものだ。人としても部分を根こそぎ剥ぎ取られるような、そんな任務もあるという。
 それ故暗部にはかなり自由な権限が与えられている。
「なんか…すごく疲れた…」
 あの男と再び会うことなど、きっともうないだろう。忘れた方が良い。忘れないと。そう思うのにイルカはどうしても、あの鮮烈な銀色を忘れられなかった。

「どうかしてるよな…」
 ここに居たからって、あの男が戻ってくる訳ないのに。

 イルカは疲れ切った身体を叱咤して外に出た。今からなら深夜になる前に里に帰り着くはずだ。受付はもう終わっているだろうが、報告は明日でいい。
 ここに留まる理由はないのだから、とにかく家に帰ろう。
 荷物を纏めてふらつく足で里に向かおうとした。
「何やってんの?そんな身体でどこ行くつもりなの?」
 その声にぎょっとしてイルカは振り返った。居るはずのない男がそこに立っていた。
「え…どうして…?」
「食い物取ってきたんだよ。あそこ何にもないからね。ほら、さっさと戻って、アンタまだ動き回れる身体じゃないでショ」
 男は仕留めた鴨を見せながらイルカを誘った。
(食べ物を、取ってきただけ?じゃあずっと付いててくれたのか…?)
 ぼうっとして動かないイルカに、男は意地の悪い笑みを浮かべて「俺に抱っこされたいの?」とからかいの言葉を投げつけた。
 つまり自分で歩けないから抱いて戻って欲しいのか、と。
「じょ…っ、戻りますよ!自分でっ!」
 真っ赤になりながらも、男のその言い種をイルカは歓迎した。でなければ、緊張してやはり動けずにいただろう。
 男の思惑はわからないが、もう一度会えたことが嬉しかった。

 パチパチと火の爆ぜる音だけがする。
 男が狩ってきた鴨はすっかり腹に収まっていた。そして何も喋る事もないので黙ったまま火を囲む。そんなままですでに一時間。
 いい加減その雰囲気に馴染めないイルカが思い切って静寂を破った。
「ええと…、あなたはどうして…戻ってきたんですか?」
 てっきりあのまま里に帰ったと思ってたのに。
「……だってアンタ動けなかったでショ。ま、あのままでも死ぬことはなかっただろうけど、さすがに初めての相手をヤるだけヤってポイじゃ後味悪いからね」
 考えようによってはひどいセリフだ。
「は、初めてって…」
「そんなの一目瞭然でショ。ガチガチなんだもん、アンタ」 
 ま、今日はやんないから安心して?
 そう言って笑った顔は、今まで見たどの顔よりその男らしくなかった。だって凄く綺麗に笑うから。
思わず見取れてしまうくらい綺麗に笑うから。

「イルカです」

「ん?」
「アンタじゃなくて…イルカ、です」
「そっか、イルカね。悪いけど俺の名前は教えられないよ」
  暗部所属の忍びの正体は極秘扱いだ。そもそも顔すら曝していいものではない。恐らく事の後は記憶を操作するつもりだったに違いない。
 イルカはわかっていると小さく肯いた。
「俺の記憶を消すんですか?」
 出来れば消して欲しくない。無理だろうけども。
「…ん〜、そのつもりだったけどね。アンタ…イルカはどう?消して欲しい?」
 無理矢理犯られた記憶なんか、ない方がいいに決まってる。
 顔を曝しているのだから、消すのは暗部側としては当たり前のことだ。
 どうしてわざわざ聞き返す?
「…いや、ですっ。消さないで下さい!」
 思わず叫んでいた。
「どうして?」

 どうしてって…だってコレは俺の記憶なんだし。無くしたくないものだから。
 でも、どうして無くしたくないなんて思うんだろう?
 自分の気持ちに戸惑うイルカに暗部の男はくすりと笑ってイルカの願いを聞き入れてくれた。
「変な人だあね、アンタ。いいよ、アンタの記憶は消さないでおいてあげる」
 だから俺のこと、覚えていて?
 その言葉に安心してイルカはうっとりと目を閉じた。

 覚えていたい、この人の事を…。



 翌朝。記憶はちゃんと残っていた。
 隣で寝ていた男の姿は、今度こそ見当たらなかった。辺りの気配を探ってみても何も感じない。
 どのみち相手は暗部だ。気配を完全に絶っていれば、イルカ如きが逆立ちしたって捜せやしない。
 それでも記憶は残っている。それで満足だった。
 こんな突然、行きずりの相手に恋をするなんて、と自分の迂闊さに歯噛みはしたいけれども。
 どうしてあの男なのか、とかそんな事は考えても仕方がないのだ。

『恋する相手なんて自分で選べるもんじゃないんだよ。ある日突然、この人だって思うモンなんだから』
 ずっと昔、まだ両親が健在だった頃そう教えてくれた人がいた。
『大抵は、なんでこんな奴って思う相手のことを好きになったりするモンなの。お前の両親が良い例だよ』
 だからどんな相手でも、出会いは大切なものなんだよ、とその人は言った。あの頃はよく分らなかったけれども。
 今なら分る。全くあの人の言うとおりだったって。
 名前も知らない暗部の男を好きになった今なら。

 里での日常は任務の後も変わらなかった。
 イルカは中忍としての任務に就く傍ら、見習いとしてアカデミーでも従事し始めた。
 忙しさが余計なことを考える妨げになりそうだったからだ。