真昼の半月 2




「やあ、イルカ。相変わらず忙しそうだね」
 教師生活も二年目になって、ようやく生活に余裕が出てきた。金銭という意味ではなく、時間を上手に使えるようになったという意味だ。
 そんな折イルカの元に一人の男が尋ねてきた。

「え…ハルナさん?うわっ、いつ戻ったんですか!」
「昨日の夜。すぐにでもイルカに会いたかったけど、深夜だったから遠慮したんだよ」
 ハルナはイルカの父親の教え子だった男だ。九尾事件の三年ほど前、上忍になると同時に他国への遠征に名を連ねて里を出た。
 それ以降たまに里に帰っては来るが、ほとんどを他国で過ごす生活をしていた。
「そんな遠慮、ハルナさんらしくないでしょう。いつもは俺の居ない隙に堂々と部屋に居座ってるくせに」
 九尾事件の後の一時期だけ、ハルナは里で暮らしていた。一人きりになったイルカを引き取って、アカデミー卒業まで共に暮らしたのだ。
「あははは〜。それを言われると辛いんだけどね〜」
「今回はどのくらいお休みを頂けたんですか?」
「休みって言うかねえ…」
 ハルナは困ったような顔でイルカを見た。
「実は今回は任務絡みなんだよね」
「え?そうなんですか。何か珍しいですね、里での任務なんて…」
「うん、まあね。それでねイルカ…」
「わかってます。いつまででも好きなだけいて下さい」
 里外での任務に何年も就いているのだから、当然ハルナの家というものは里にはない。任務明けで里に戻っている間は、もっぱらイルカの所で世話になっているか、里が用意した宿舎に住んでいた。
「悪いね。だけど実は、もう一つお願いがあってね…」
「はい、何ですか?俺に出来る事なら何でも言って下さい」
 うん、とハルナはちょっと困った顔で話を切り出した。
「実は俺の他にもう一人、居候させて欲しい人物がいるんだよね…。ま、変な人間じゃないから。それは俺が保証する。性格はちょっとアレだけど」
 ハルナの説明にイルカはこっそり苦笑する。それではちっとも「変な人じゃない」という言葉をフォローしてないではないか。
「どういうお知り合いですか?うちはそりゃあ、両親の残してくれた家ですから部屋は沢山あるし構いませんけど、古いしそれに忍びの家だから色々その…」
 触ってもらっては困る物も置いてある。それに両親が残したものも。
「あ、そう言う事なら大丈夫。そいつも忍びだから、そこら辺は心得てる」
「もしかして同僚の方ですか?」
 里で就く任務のパートナーというところか?
「簡単に言やそうかな。ちょっと偏屈なとこがあるけど根はいい奴だから。たぶん…」
 多分ですか、そうですか…。いいですけどね。
「仕方ありませんね、人となりについてはハルナさんを信じる事にします。遠慮無くどうぞ」
 自分一人のところに、と言うのなら躊躇するだろうがハルナも一緒なのだから心強い。万一合わなくても、そう長い間ではないだろうし。
「助かるよ、イルカ。じゃあ早速火影様に報告入れて二人でそっちに行くよ」
「あ、はい。じゃあ俺は部屋の用意をしておきますから」
 一応使わない部屋も週に一度は掃除をしているが、何しろ使ってないわけだから家具も何もない。ああ、それから茶碗とか湯飲みとかも出して。お箸、使ってないのあったかな?
 ふとウキウキしている自分を発見して驚いた。
(そう言えばここのところ意識して忙しくしてたから…)
 余計な事を考えないように、なるべく代わり映えのない毎日をせかせかと生きてきたのだ。
 一人じゃないのはいい。この時期にハルナが戻ってきたのはまさにイルカにとって幸運だった。幼い頃から気心の知れているハルナなら、イルカの心情をそっと汲んでくれるに違いない。

 そうしてその日の夕方。
 三人分の食事の用意を調えて、二人がやってくるのを待った。せかくなので酒も用意した。普段自分が飲んでいるような安物ではなく、ハルナが好んで飲んでいたそれなりに値の張る一品だ。
「そろそろ来る頃かなあ…」
 呟いた矢先によく知るハルナの気配に気付いた。窓から外を覗くとこちらに向かってくる二人組が目に入る。夕日に何かがキラキラと輝いている。
(なんだ?何か光ってる…?)
 光がチラチラと揺れる。まるで生きているみたいに。
(もしかして同僚の人って金髪なのかなぁ)
 ハルナはイルカよりもずっと明るい栗色の髪だが、ごくたまに光の加減で金色に見える事がある。しかしこんな風に光に反射する事はない。
 とにかく出迎えようと玄関を出る。するとそれに気付いたハルナが手を上げてイルカに合図を寄越した。
「イルカ!悪かったなぁ、無理言って」
「いいえ、それよりお疲れ様です。とにかく入って下さい。ええと、お連れの方も…」
 そう言ってイルカは視線をハルナの後ろに佇む男に移す。その目があり得ない物を見たように瞠目した。

(……、う、嘘っ!)

「ああ、こいつの事も紹介しないとね。ま、それも中に入ってからにしようか」
 のほほんとした笑顔でハルナはそそくさと家に入る。いかにも勝手知ったるといった感じである。
「え、あ…。ちょ…」
 待ってくれ!と心の中で叫びはするものの、余りの事にまだ上手く口が廻らないイルカだった。
「ま、そういうわけなんで全部中でね?イルカ」
 一方こちらも、さも当たり前のようにイルカを置いて家に上がっていく。ぱくぱくと開閉していた口を閉ざしイルカは深く深呼吸した。驚いたせいもあるが、この鼓動の早さはきっとそれだけじゃない。しかも今になって頬が熱くなってきた。顔は真っ赤に違いない。
(参った…、まさかこんな偶然があるなんて。もう会えないかもと思ってたのに…)
 これからずっと同じ家にいるという事の意味を、この時イルカはまだ深く考えていなかった。
「で。えーと、こいつの紹介がまだだったよね」
 さっさと上がり込むと、これまた慣れた手つきでハルナが全員の分のお茶を淹れていた。それを手にしながらイルカはハルナとカカシの前にちょこんと座った。
「はあ…」
 確かに名前は教えて貰わなかったから今も知らないままだ。本来ならないはずの記憶を残しておいてくれたから、男の顔はきちんと覚えている。
 整った相貌もきらきら光る柔らかそうな銀色の髪もあの時のまま変わらない。
「こいつ、はたけカカシっての。俺同様、外での任務が多いからイルカは顔は知らないと思うけど、ま、有名だから名前は知ってるかな」
 はたけカカシ!
 木の葉で知らぬ者はないくらいの有名人じゃないか!
「う、嘘…」
 いろんな逸話がまことしやかに流れている上忍だ。ついでに経歴も折り紙付の超エリート。
「でも言われている程かっこよくないから、こいつ。偏屈で我儘でいい加減だから。いつもの調子でビシビシ鍛えてやってくれな」
 いや、ビシビシって…。
(ハルナさんの俺のイメージって、どんな…?)
 そんな二人のやり取りを、文句も言わずにカカシは聞いている。イルカの、本人は気付いていないだろう百面相が面白くて、笑いをかみ殺すのに苦労していた。
「ちょっと、久しぶりでじゃれるのも分かるけど俺にもこの人紹介してよ。これからお世話になるんだし」
 ああそうか、悪い、とハルナは姿勢を正した。
「うみのイルカ、アカデミーで教師をやってるんだ。俺のお世話になった人の息子さんでね、たまに里に帰るといつもイルカんちに泊めて貰ってる」
「じゃあ昔っからの知り合いなわけ?」
「ああ、イルカがこ〜んなチビの頃からのね」
 ハルナが懐かしそうに目を細める。それにつられてイルカもまた、昔の懐かしい情景を目蓋に浮かべた。ふぅん、と気のない返事を返すカカシが気になり目を向けると、バチっと視線が合わさった。

「………っ!」
 まずい、と瞬間イルカは焦った。頬が熱を帯びていくのが分かる。
(うわ、まず…。俺きっと真っ赤だ…)
 そんなイルカの様子に目を瞠ったのはほんの一瞬で、カカシはすぐに何事もなかったかのように目を逸らした。けれどもカカシの目が、いつもより少しだけ優しい色合いを帯びていたのにその場の誰も気付かなかった。
「じゃあとりあえず夕飯にしようか。せっかくイルカが用意してくれたんだしね」
「あ、お口に合うかどうか分かりませんが…」
「なんで?イルカの料理美味しいよ?」
(いや、アンタに言ったんじゃないから。カカシさんに言ったんだから。もう、分かっててからかってるよね、ハルナさん…)
 じろりとハルナに一瞥をくれてから、カカシに向かって愛想笑いをする。背中はじっとり汗を掻いていた。
 カカシの一挙一動をじっと見つめる。
「ん、美味しいよ。アンタ、料理上手いんだ〜ね」
 カカシは小さく笑ってイルカの料理を褒めてくれた。ほっと身体から緊張が取れる。
「よ、よかった…」
 ハルナもニヤニヤしながら大人しくご飯を口にする。
 これ以上からかってイルカの逆鱗に触れるのは得策ではないと判断したのだが、その様子は何か企んでそうだ。
「お二人とも、お代り要るなら言って下さいね」
「ありがとう。それより俺らは明日から早速任務だから、帰りはちょっと遅くなるかも。日によって色々だから先の事はちょっと分からないんだけど」
 任務の事は詳しくは聞かないし、聞けるものでもない。イルカは、はいとだけ応えた。


 そんな風にしてイルカの家に二人が転がり込んできて、すでに二週間が過ぎた。最初に言ったとおり二人の任務は不規則で、帰る時間は遅い日もあれば早い日もあった。家を出るのもバラバラで一緒に出る時もあれば別々に出掛けていく事もある。
 世話をするイルカにしてみれば不規則な生活は手が掛かって仕方がないのだが、それでも文句をいうでもなく黙々と続けた。
 最近ではカカシもイルカの存在に慣れたのか、軽口を聞く事もある。あの時の嵐のような視線を感じる事はないけれど、イルカの毎日はとても充実していた。

 その日、珍しく昼過ぎで仕事を終えたイルカは木の葉スーパーのセール品を買いに出掛けた。一人暮らしが一挙に三人になったので、物がなくなるのが早いのだ。ハルナからはちゃんと食費を貰っている。イルカは固辞したのだがカカシもいるからと今回ばかりはハルナも引かなかった。お金の事で言い合うのもみっともないと、イルカは有り難く受取る事にした。
 その代わり食事に関しては色々気を遣った。素材は良い物、新鮮な物を。料理に関してもきちんと栄養を考えて手抜きは一切しなかった。
 スーパーで雑貨を一揃え、それから近くの商店街まで足を伸ばす。イルカはちょくちょくここで買物をするので、店の人とはほとんど顔見知りだ。
「おや、先生。今日は随分早いんですね」
「珍しく昼までだったんですよ。今日はいいの何かある?」
 イルカを見つけると必ず声が掛かり、イルカもまたそれに丁寧に返事を返していく。家族との縁が薄いイルカにはこういう人と人の繋がりを大事にする傾向が強かった。
 商店街を出る頃には両手に大きな荷物を抱えていた。
「しまった…、調子に乗って買いすぎた」
 まあ三人もいるし、冷凍にしておけばそれなりに持つからいいのだけれども。
「すっごい荷物。もしかしてそれ、全部食材なの?」
 いきなり背後から掛かった声に、文字通りイルカは飛び上がった。
「カ、カカシさんっ!驚かさないで下さいよっ!」
「何言ってんの、忍びのくせに。俺気配殺してなかったでショ?」
 気付いて当然。
 そう言われてしまうと何も言い返せない。だってそれどころではなかったのだし。むうっと頬を膨らませると、カカシはくすくす笑いながらイルカの持つ荷物をひょいと掴んだ。
「え?」
「持ったげる。どうせ俺たちが食べるもんだし。アンタはこっちの軽い方持って、ほら」
(え、え……。えええぇぇぇ…っ!)
「そんなっ!いや、大丈夫です!俺、これでも力はあるし」
「いいから。世話になってるんだしこのくらいさせてよ」
 荷物を奪ってさっさと先を歩いていく。イルカは胸が熱くなるのを感じながら、ありがとうございますと小さく呟いた。
 任務の事は何も知らない。
 だから、この時間がいつまで続くのかも知らない。
 幸せだけど苦しい。だけどいなくなってしまうより、ずっといい。このまま、せめてもう少し…。


「あ、イルカ。ちょっと俺、明日居ないから」
 突然の事だった。
「え?明日ですか?」
「うん、そう。あ、でも俺だけだから」
 ハルナだけ?
「ご一緒じゃないんですか?」
 カカシに問いかける。
「ん、俺は別行動だもん。だから俺はちゃんと帰ってくるからご飯用意しといてね」
「ええ、それはもちろん」
 そうか、二人きりか。
 変な風に意識しないように思っても、それは中々難しい。そもそもカカシは、イルカが自分に抱く淡い恋心をちゃんと認識しているはずだ。その上で何のリアクションも起こさないのだから、やはりあれはあの時だけの衝動だったのだろう。
(だってそう言ってたもんな、あの時も。熱を冷ますだけだって…。でも覚えていてって言ったのもあの人なのに)
 イルカはぶんと首を振る。
 元々手の届くような人じゃないのは分かっている。第一、今は素顔を曝して任務に就いているけど、カカシは暗部在籍のはずなのだ。





 翌日は朝から雨だった。
 昼を過ぎて食堂に足を運んだイルカは、妙なざわつきを感じて隣の同僚に声を掛けた。
「何かあったのか?いつもよりざわついてるみたいだけど」
 すでに大半を平らげていた同僚はイルカに耳にこそっとわけを教えてくれた。
「近々上層部の査察が入るらしいぞ。何処からのリークか知らないけどな、そういう噂が広まってる」
「査察?アカデミーに?」
 それはまたおかしな話だ。一体アカデミーの何を調べるというのだろう。
「それ、誰から聞いたんだ?」
「俺はシラスからだけど、アイツも誰かに聞いたらしいからなぁ。なんせ早いうちから噂にはなってたらしいし」
 昨日今日の話ではないのかとイルカは自分の疎さに歯噛みしたくなる。
「どうもな、教師の一人がアカデミー生にマインドコントロールを施してるって話らしい」
 イルカ達がこそこそと噂をしているのに気付いた別の同僚が、その話に加わった。
「マインド…って、それ…っ!」
「そう、アカデミー禁止事項のトップに上げられてる行為だよな。だからこそ上層部もただの噂と捨ておかないでちゃんと調べようって事らしい」
 そもそもアカデミーは、忍びを目指す子供達を教育指導する為の機関だ。正しい知識を与えて術だけでなく心の成長を促す為に設立されたときく。
 そこで子供達を教える教師は、当然子供達の手本となるわけで、厳しい試験とその考え方や思想にも厳重な審査を必要とする。
 イルカも、自分がよくその試験をパス出来たものだと当時は驚いたものだ。
 だからこそ、アカデミーで教師をする者が子供達にそんな酷い事をするとは、とても思えない。
「信じられない…」
「俺も。その噂、どのくらい信憑性があんの?」
 どうだろうか、とその男も苦笑を浮かべた。なにしろすでに噂は持ちきりで、あることもないことも実にまことしやかに囁かれているのだ。
「教師になる前は戦忍で、その時の心の傷のせいでやらかしたって噂もあれば、敵の草が木の葉崩壊の一端として始めたってのまである。
実際上層部はもっと何か掴んでいるにしても、本当のところは俺たちのとこまでは下りてこないだろうさ」

 ふとハルナとカカシの「里での任務」が気になった。
 もしかしてこれに関係があるのではないか?里での任務にハルナが就くのは珍しいが、彼の里における居場所はいつもイルカの家だ。そしてイルカはアカデミーの教師になっている。二人がイルカにアカデミーでの事を聞いてきた事はない。しかし偶然と言うには余りにもタイミングが良すぎるではないか。
「まさか……」
 自分が疑われているとは思わない。
 そんな素振りは見えなかったし(勿論上忍が関係者に対して、気付かせるようはへまはしないだろうが)多分イルカが対象だったらハルナは正面から問い詰めたはず。イルカから情報を引き出すのが目的ではないだろうが、都合が良かったのには違いない。イルカは日々の会話の中で、何気なく仕事や子供達の事を話題にしていたのだから。
(今までアカデミーや子供達の事を喋ったのって…ええと…。子供達の間で流行ってる遊びだとか授業での笑い話なんかは喋った気がする…。他には何を話しただろうか?)
 何か自分に手伝える事はないだろうか…と思い、すぐにそれを考え直した。彼らに余計な手助けなど必要ないだろう。直接請われたならともかく…。
「まあ、上層部の査察が入ればもうちょっと何か分かるかも知れんし、あんまり気に病むなよイルカ」
「そうだな、うん。ありがとう」
「おう!」