■ 空想と現実の夜明け 4 ■



 薄暗闇の世界で、男は血の海に横たわっていた。すでに事切れている。
 カカシはその骸を冷めた目で見下ろしていた。
 


 あの日…。
 情報から連絡が入り、里の使いがカカシの元へやって来た日。それでも着いていくと聞かないイルカを無理に小屋に押しとどめて、 カカシは森を出たのだった。小屋に張った結界は彼には解けないだろう。
 カカシは自分が誰かを殺すのを、イルカには見られたくはなかった。きっと自分はためらいもなく、その誰かの命を絶つだろうから。 それにきっと、一緒にいれば自分は躊躇するだろうから。「敵を殺す」事を、ではなく、「自分」を殺すことに…。 決心したはずなのに、イルカともう二度と会えなくなると思うと、決心が鈍った。
 だから、連れては行かない。
 このままなら、傷は少なくてすむ。イルカの事を思えば、何も言わないまま別れるのがいいのだ。
 森を抜けて、峡谷に差し掛かるとカカシは気配を殺した。
 わずか3キロ先に、術を用いた相手がいる。だが、今のカカシには特別な感慨はなかった。
 「その術に掛かったのは俺じゃないしね…」
 そろりと小屋に近付く。
 「!…侵入者感知用の結界、か…」
 おそらく小屋の周囲に張り巡らされているに違いない。触れればたちどころに相手に知られてしまう。
 「でも、ま!巧く使えば、返ってこっちが優位にたつってね!」
 カカシは印を結ぶと、結界ごと小屋を幻術で覆う。大がかりな幻術はチャクラの消費も激しいが、カカシは気にしなかった。 そうして一歩足を踏み出す。
 ピシッと乾いた音がして、結界が侵入者の存在を術者に知らしめた。小屋から人間がのそりと立ち上がる気配があった。 外を窺っているのだろう。
 カカシは額当てをずらして写輪眼を露わにした。自分を見つけられなければ、所詮それまでの相手。倒すのに時間は掛かるまい。 もし、この幻術をものとせずに自分を見つけ出せれば…その時にこそ写輪眼がものを言うだろう。
 小屋から一人の男が出てきたのは、それからしばらくしてからだった。背はそれほど高くない。程良くついた筋肉が、 男の能力の高さを示していた。
 「写輪眼…お前、はたけカカシだな…。あの術、本当だったんだな……」
 「…?アンタが掛けたんだろう、おかしな事を言う。あの禁術のお陰でこっちは色々と大変だったんだ。それなりの落とし前って やつはつけさせて貰うよ?」
 「それもそうだな。どのみち最初の時に覚悟は出来てた。あの写輪眼のカカシと二度も戦えるのなら、悪くない…か」
 体術も忍術も男はかなりの腕前だった。上忍としても優秀な方だろう。
 しかし相手が悪かった。子供とはいえ、すでに二つ名を持つ天才忍者のカカシである。しかも写輪眼は、相手の技も何もかもを見極める 事が出来るのだ。決着がつくのにたいした時間は掛からなかった。
 カカシのクナイが男の胸に吸い込まれていく。
 がはっと呻いて男は血を吐いた。致命傷だ。もう少ししたら、この男に確実な死が訪れるだろう。その命の灯が消える前に、 カカシには聞いておかなければならない事があった。
 「なあ、アンタ。アンタもうすぐ死ぬよ。だからさ、その前に教えてよ。どうすればこの身体、元に戻るの?」
 カカシのクナイは胸に刺さったままだ。抜けば出血がひどくなり、すぐに死んでしまうから刺したままでカカシは男に質問した。
 男は弱々しく顔を上げてカカシを見る。その目には優越感も挫折感も見えなかった。
 「あ、いや。方法は分かってるよ、一応ね。でもさ、要るよね?術を完璧なモノにする大切な要素が。それ、出してよ」
 血まみれで倒れている相手に向かって、平然とそれを出せと言うカカシに男は薄く笑った。
 「…ああ、やっぱり…。お前は…写輪眼の、カカシだな…。容赦がない…。まさに、忍びだ」
 「何言ってんの?当たり前でショ」
 「解呪に、必要な血は…ここには、ない…。それを…手に入れられるかどうかは、お前次第…だ。あれは、ずっと…憎んでいた…血を。 血継限界、というモノを…。それに、踊らされた、人間を…」
 男は視線を西に向け、カカシを誘った。そうして、その一瞬後に事切れた。
 「西…?」
 その奥に何があると言うのか。
 けれど、ためらう事なくカカシは踏み出す。そんな段階はとっくに去っている。
 男の誘うまま西に向かって進むと、ちいさな泉があり、そこに一人の女が静かにカカシを待っていた。



 「写輪眼のカカシ。ようこそ。あの人は、死んだのね」
 「アンタの言うのが、あの小屋にいた男の事ならそうだよ。死んだ。苦しまなかったとは言わないけど」
 「いいのよ。どんな死に方だろうと、死は死よ。お終い。あなたの欲しいモノはここにあるわ。私から奪っていくがいいわ」
 女は歌うように言葉を繋ぐ。悲しんでいるのか憐れんでいるのか。それともすでに、なにも感じていないのか。
 「血継限界は、アンタの方か…」
 「昔の話よ。里のために血を繋いできた一族があったわ。けれど、濃すぎる血は、繁殖力を弱める。そんな事わかってたはずなのにね。 血の呪縛に囚われたご先祖様は、ある禁忌を犯すの。里の女という女に手をつけて子供を生ませる。そうして出来た子供たちを娶せて また子供を作る。あるいは、里の女に生ませた女の子に、さらに自分の子を生ませる。狂ってたのね、きっと。そんな風にして、 里は続いていった。代々の里長はその血を残すために何でもやったわ。だけど、そんな歪んだ生き方が許されるはずもない」
 やがて、里長は妻を取られた男達によって殺された。そして呪われた子供達も。
 「私の曾祖父は、その呪われた子供の生き残りだったわ。まだ幼かったけれど、血の呪縛だけは引き継いだ。まさに怨念ね、 私の両親は実の兄妹だったの」
 「それで、アンタはその血に復讐してるってわけ?」
 女はにこりと笑う。
 「さあ。どうかしら。果たしてこれが復讐と言えるかしらね」
 「ま!少なくともその術を編み出した里長の権威は地に落ちるよね。どうでもいいけどね、俺には」
 「血が欲しい?写輪眼のカカシ」
 「…」
 即答できずにいるカカシに女は微笑みを深くする。血を欲する事は、いまの自分を消し去ること。 それが分かっていて女はカカシに問うのだ。血が欲しいか、と。
 「俺にはね、大事なモノがある。その人を守るためなら、やっぱり何でもやるよ。だから、その狂った男の気持ちも分からなくはないんだ。 俺はしないけどね。だって、俺のあの人はそんな事をすごく嫌うからさ。あの人はとても綺麗な人だから。俺はあの人の綺麗な心を 守りたいんだ」
 だから。血は、貰う。
 「その人のために自分を殺すの?」
 「そうさ。俺よりあの人の方が大事だかーらね」
 「そんなだったら…みんながそんな風だったら、私たちの一族も救われたのに…」
 「あの男だってそうだったでショ。自分よりアンタを取ったじゃない。あの男はアンタの為に死んだんだよ」
 「そう…そうね。いいわ、血をあげる。私を殺してくれる?もうこの血で誰も傷つかないように」
 カカシは女の望みを叶えて、おのれが欲する物を手に入れた。
 ありがとう、と女は最後に言った。あなたの綺麗な人を想う心のために、血をあげるわ、と。
 女は、男と一緒に埋葬した。何となく、そうした方がいいような気がしたから。恐らくイルカならそうしただろうから。
 「イルカせんせ…。せめて最後に一目会いたかったな…」
 「別に会いに行っても構わないんだよ、カカシ?」
 いつの間にやら、カグラが側までやって来ていた。この男は、気配を絶つのが抜群に上手い。カカシにすら読み取れないように気配を 絶つ者は、里にもそう多くはいなかった。
 「行かなーいよ。決心が鈍って困るのはアンタらでショ」
 「それはそうなんだけどね。だけど、本当にいいのかい?俺としては、別にこのままでも面白くていいかなとも思ってるんだけどね。 少なくとも今のお前の方が、ずっといいよ。うん」
 「アンタね…」
 里の一大事を面白いからで決めていいはずもない。けれど、26のあのカカシよりは、いまのカカシの方が里のためにはなるかもしれない、 とカグラは思った。もっともカグラと上層部とは、また考えが違うだろうが。
 「俺はこのまま里に行くよ。アンタ、小屋の結界を壊してくれる?イルカせんせを閉じこめてあるんだ」
 「…なにか、伝言あるか?」
 「なーいよ。じゃあね、カグラ」
 声が終わらないうちにカカシの気配は消え去った。
 「…っ、カカシっ!」
 なんともやりきれない思いを引きずったまま、カグラは人知らずの森にやってきた。小屋には結界が張ってあり、中に確かに人の気配がする。 カカシが言っていたイルカせんせだろう。
 あのときチラリと見ただけだが、人好きのする顔をした中忍だった。カカシが何故あれほど執着したのかは分からないが、 カカシにもたらされた変化があの中忍のおかげなら、せめて礼を言いたかった。
 結界に触れてそれを解くと、なかからあの中忍が転がり出てきた。
 「……アンタ大丈夫か?まったく無茶するなあ。カカシの結界を中忍が解けるはずないだろう?」
 結界を解くのに必死だったのだろう。手には血がにじんでいた。
 「…あ、あなたは…?」
 「ん?覚えてないかな、一度会ったけど。カグラです、よろしく」
 「あ、うみのイルカです、こちらこそどうぞ……じゃなくてっ!そんな場合じゃないんです!あのっ!カカシさんは? カカシさんはどこですかっ!」
 「カカシの居場所を聞いてどうするの?」
 「…だって…。だって、分からないです。分からないけど、会わないと…。会いたいんです、カカシさんにっ!」
 閉じこめられている間中、ずっと考えていた事はそれだった。カカシに会いたい。ただ、それだけ。
 「カカシは里にいるよ。たぶん火影様の所だろう。お行き、そしてカカシに会うといい」
 「あ、ありがとうございますっ!」
 ぱっとイルカの顔が笑顔になる。一瞬後には、その姿はそこにはなかった。
 里へ。カカシの元へ。
 「カカシを人間に変えてくれて、ありがとう…」
 いなくなったイルカの背中に向けて、カグラがぽつりと言う。例え今のカカシがいなくなったとしても。 それでも某かの断片は残るだろう。心の奥底に沈み込もうとも。


 はあはあ、と大きく息を乱してイルカは里の入り口にたどり着いた。
 とにかくまず、火影の執務室に行こう。カカシが何処にいようと、火影が知らぬはずはない。
 「火影様っ!イルカです、失礼しますっ!」
ガラリと戸を開けて部屋に入る。すぐに目に付いたのは三代目火影の姿で、その横にはアスマの姿が見えた。
 「あれ…、アスマ先生…?どうして…」

 その横にいるのは。
 見知った銀色の髪。
 けれど、それは共に過ごした子供ではなく…。
 「カカシ…先生…」
 このカカシがいると言う事は…術が解けたと言う事だ。つまり…。
 俺のカカシさんは……。

 足が震えた。血が引いていくのが分かった。
 「ああ…」
 知っていたはずだ。なのに、ほんの少し期待した。もしかしたら、カカシさんが自分を待っていてくれるのではないかと。
 「…イルカ。しっかりしろ、こっちへ…」
 アスマが身体を支えてくれる。それに感謝の言葉を言ったような、言わなかったような。それすら記憶がない。置いて行かれた、 と頭の隅で認識した直後イルカは意識を手放した。

 「カカシさん、どこですか?遠くに行かないで下さいねって言ったでしょう。お昼が冷めてしまうじゃないですか!」
 小屋の側でイルカが声を張り上げる。ちょっと目を離すとすぐにカカシはあちこちに遠出してしまう。 けれど、どういうわけかイルカが声を張り上げると、ひょっこりと姿を現すのだ。
 「遠くには行ってなーいよ。すぐに戻ってきたでショ。イルカせんせが呼べばすぐに戻ってくるよ?」
 「里には下りてないでしょうね?いいですか、解呪方法がわかるまでは、ここで我慢して下さいね。色々不自由すると思いますが…」
 言い聞かせるように何度も何度も同じ事を繰り返す。それにカカシはいつも同じ答えを返す。
 「イルカせんせが居てくれるなら下りなーいよ」
 カカシと共に過ごす時間がイルカにはとても楽しかった。本当なら術に掛かったカカシも、その世話をしているイルカも、 もっと悲愴感があって当然なのだが。里の中枢では日夜議論が繰り返されていたが、二人には関係のないことだった。
 「ねえ、イルカせんせ。今度はいつピクニックに行こうか?」
 「カカシさんはいつがいいんですか?」
 「毎日だって構わないよ。イルカせんせのお弁当が食べられるならね!」
 笑い合う日常。なんの不安もなかった。森にいる間は。
 「明日は…里に行かなきゃいけないんです…」
 「そっか。じゃあ、森に入ったら俺を呼んで?迎えに行くから」
 「はあ?何言ってるんですか、そんな…。迎えになんて…」
 女子供じゃあるまいし、迎えになんて!でも、その言葉の何て甘やかな響きだろう。
 「俺を呼んでよ、イルカせんせ。きっとアンタを迎えに行くから」
 ええ、カカシさん。きっと。約束ですよ、きっと迎えに来て下さいね。必ずあなたを呼びますから。

 約束なんて、いつだって守られた事などないというのに…。

 目を開けると、白い天井が飛び込んできた。隅の方にいくつかシミがある。雨漏りの後だろうか?それらが霞んで見えなくなると、 静かにイルカは目を閉じた。ポロポロと後から涙が溢れてくる。
 もうあのカカシはいないのだ。この世界の何処を捜しても、見つけられない。
 最初から、解呪のためにその方法を捜していた。だからこれは、正しい結末なのだろう。 けれど、イルカにはそう簡単には割り切れない想いがあった。声に出す事は出来ないから、心の中で呼ぶ。
 カカシさん…と。
 せめて最後に話がしたかった。どうして、何も言わずに、何も言わせずに行ってしまうのか。これじゃ、あんまりだ。 いろんな約束した事を、全部反古にして。
 里の決定をたかが一人の中忍が覆せるはずもなく。
 そもそも、すでにカカシは元に戻っている以上、何を言う気にもなれなかった。 そうして心配したアスマやイビキらに無理矢理休みを取らされて、イルカは一週間を無為に過ごした。 アスマにもカグラにも、カカシはイルカへの伝言を残さなかった。あのカカシが居た事自体が、まるで夢のようだと思える。 生きていくためにはカカシと居た時間を忘れるしかなかった。思い出を抱えて、それで生きていけるほど今はまだ強くなれなかった。
 休み明け。火影に挨拶をしようと執務室に向かうと、まさに一番会いたくなかった相手がそこにいた。
 「おお、イルカ。今日からか。すっかり身体は休めたかの?」
 「…あ、はい。長くお休みを頂きまして…すみませんでした」
 「なに、お主は滅多に休みも取らんから丁度いい機会じゃった。カカシも無事に元に戻った事だしな」
 「……は、あ」
 火影は人知らずの森での二人の日常を知らない。もちろん報告すべき事は報告していたが、 プライベートに関わる事まではイルカも報告しなかった。当然、カカシとイルカの間に芽生えた恋情も知るよしもなかった。
 「…あの、はたけ上忍は、また子供達を…?」
 「ああ、心配するでない。元通り、これからもナルト達の上司として任務に当たる」
 あの事件がナルトから上司を取り上げる事にならずに、イルカはほっとした。カカシがイルカを嫌っていても、 ナルトにとてはいい上司であるなら満足だ。ナルトはカカシにもとても懐いているから。
 「そうですか!良かった、それが気がかりだったもので。はたけ上忍、これからもナルト達を宜しくご指導お願いします」
 ぺこりとイルカはカカシに礼をした。出過ぎたまねだとは思うが、イルカにとってナルトはいろんな意味で特別な子供だったのだ。
 「分かっていますよ。さっきも火影様からイヤになるくらい、同じ事を言われましたから」
 カカシの声だ。イルカが知っているのとは、ちょっと違うカカシの声。あのカカシと比べている自分に気づきイルカははっとした。 こんな事じゃいけない。そう思うのに、いつも気持ちがそれを裏切るのだ。
 「あ、では私はこれで。ご挨拶だけと思ってましたので」
 早々に立ち去るのがいい。そう思いイルカは足早に執務室を出た。なのに、それをカカシが追いかけてくる。
 「イルカ先生、ちょっとお話があるんですが…」
 「え、あの…なんで、しょうか…。あの、ここででは、いけませんか?」
 「いえ、だめってわけじゃないですけど…。ええと、その…森にいた時の話ですが…」
 ぎょっとして、イルカはカカシを使われていない教室に連れ込んだ。
 「はたけ上忍。その話をこんなところでするなんて!」
 一応、里の重要機密とやらになってるはずの出来事だ。廊下でなにげに始めていい内容ではないだろう。
 「あー、そうですね。どうも俺には、いまいちぴんと来なくてね。ええと、それで、ですね」
 「はい…」
 「あの術に掛かっている間、俺随分イルカ先生に迷惑掛けたそうですね…。アスマからくどくど言われまして。 とりあえずお礼をと思いまして…」
 どうにも誠意の感じられない言い方で、カカシはイルカに礼を言った。ドウモアリガトウゴザイマシタ。
 「いえ…。それも任務ですから…。はたけ上忍がお気になさる必要はありません」
 心では別の言い訳をしながらイルカは必要以上に無表情を装った。あのカカシとの生活は自分で決めた事だ。 誰に礼を言われる筋合いもない。たとえ本人からでも。いや、本人じゃないか。
 「…14にまで戻ってたって聞きましたが。ひねくれたガキだったでしょう、俺?いくらイルカ先生が子供の扱いに慣れてるからって、 それだけで俺の面倒を押しつけたって聞いてそれはさぞ迷惑をかけたろうな、と」
 「アスマ先生がそう、おっしゃったんですか?」
 「ええ。だからとにかく礼と詫びはきっちり入れろとね」
 アスマは、イルカがあのカカシと離れがたく思っていたのを知っている。恐らく二人の間に起きた事も、知っているかもしれない。 早く忘れろ、と言いたいのだろう。
 「…いいんです。確かに子供の扱いには慣れてましたし。お話がそれだけでしたら、失礼しますね」
 カカシとは、長く話をしていたくなかった。違うところをあげつらいそうで。カカシは何かを言いたそうにしたが、 一瞬後にはそれを諦めた。それでは、と言って去るイルカを引き留めもせずにそれを見送った。
 「何を聞こうとしたんだか…。こんな物に振り回される俺じゃないでしょうが」
 カカシの手には、一通の手紙。手紙と言うよりはメモと言った方がいいのかもしれない。書かれた内容は一言だ。 それは確かに自分の字で、つまりは14のカカシが今の自分に当てた手紙だった。

 『あの人が欲しいなら』

 それにはたった一言、そう記されていた。手紙と共に3個の丸薬があり、それらはどれも血で固めたような紅だった。
 恐らく…とカカシはその丸薬を眺める。血継限界の血で作ったであろうそれは、14のカカシの置土産だ。
 そのやり取りや、経緯までは推測しようもないが。
 果たしてこの丸薬を飲むとどうなるのか。やはりそれも推測の域を出ないが、あのメモの一言から一つの答えが導き出される。 術が解けて以来、かつて感じていたイルカへの嫌悪は、不思議なほど感じなくなっていた。それも、なくなった時間のせいなのか。 14の自分がイルカとどのような生活をしていたのか、誰も知らない。自分のことなのに、自分すら知らないのだ。
 戻ってからイルカはあからさまにカカシを避けていた。それに気づかない程ばかではない。 14のカカシとの間に色々複雑な感情があったに違いない。けれど、気にすることじゃない、そう思っていた。あの手紙を見るまでは。 『欲しいなら』と書かれていた、あの手紙。欲しいって誰を?あの中忍を?まさか、そんな。
 しかしいくら否定しても、ずっとずっと深いところでその言葉がカカシを捕らえて放さなかった。




 カカシが元に戻ってしばらくして、中忍試験が始まった。カカシやアスマも教え子達を推薦し、試験に取り組むことになった。 中忍試験での教え子達の活躍は、それなりにカカシを満足させた。中忍への昇格はなかったが、その実力は充分中忍に匹敵する。 子供達はもう大丈夫だ。それを確認すると、カカシはかねてから火影に打診してあった暗部復帰を願い出た。
 「カカシ、今になって何故暗部なのじゃ?上忍師としてお主は充分里に貢献してくれた。今更暗部に復帰しなくともこのまま上忍として、 上忍師として、里のために働いてはくれないか?」
 火影の言葉は有り難かったが、カカシは今は何も考えずに戦場に行きたかった。戦いの中に身を置いて確かめたいこともあった。 カカシの決心が固い事を悟って、火影はカカシの希望を受け入れた。
 暗部復帰を聞きつけたアスマがカカシを訪ねたのは、その夜半のことだった。
 「おいっ!お前、なんだって今更暗部なんかに戻る気になったんだ?やっぱり、あのことが原因なのか?」
 「さあねー。あんまりのほほんとした日常ばっかりで、嫌気がさしたのかもね。戦場に身を置いて確かめたいこともあったしねえ」
 「なに言ってやがる。あそこは、なにかを考えたり確かめたりする場所じゃねえ事くらい分かってるだろうがっ!」
 「でも今の俺には必要なんだよ。あの場所がね…」
 痛ましげな目でカカシを見ると、その事をイルカは知っているのかとアスマは聞いた。言ってないから知らないだろう。 そう答えると、いいのか、と更に聞いてきた。全く、鬱陶しいばかりだ。
 別に逃げるつもりはないが、あの人と距離を置きたいのは確かだった。
 今も手元には紅い丸薬がある。
 いつか、それを試すこともあるかもしれない。
 『あの人が欲しいなら』これを飲め、と。14のカカシは言うのだ。そしてかつての自分がイルカをどう見ていたか、 イルカがかつての自分をどう見ていたかを、取り戻せと。
 そう言う事なのだろうと思う。この丸薬は。
 これをカカシが自分でつくったはずはないから、恐らくは倒した敵の物だろう。どうやって手に入れたかは知らないが。
 過去に振り回されるのは性に合わないが、お守り代わりに持って行こう。
 数日後、カカシはひっそりと木の葉を発った。
 一方イルカは、その事をアスマから告げられて息を呑んだ。カカシが戦場に行く。確かに今のカカシはイルカが愛したあのカカシとは違う。 けれど根本ではカカシはカカシなのだ。会いに行こうかと考えては、その気持ちを必死で押さえる。今更会ってどうなる物でもない。 カカシの決断をイルカが変えられるわけもないだろう。火影の説得にさえ耳を貸さなかったという。
 せめて、無事を祈るしかなかった。
 カカシが木の葉を発つ日を、イルカはアスマから聞かされていた。いてもたってもいられなくて、イルカは里の入り口にやってきてしまった。 かつても、カカシを思ってここにたどり着いた事があった。あのときと今では随分状況も違うが。
 「イルカ先生?ああ、やっぱり…。似た気配だなあと思ってました。もしかして見送りに来てくれたの?」
 カカシの穏やかな声に、イルカは驚いてまじまじと顔を見つめた。カカシがこんな風に自分に対して話しかけたことなど一度もなかった。 まるで、これじゃあ…。
 「…あ、はい。あの、俺なんかが見送りなんて、とも思ったんですが…。戦場に行かれるとお聞きしましたので。どうぞ御武運を…」
 「…ありがとうございます。イルカ先生に最後にお会いできて良かったですよ。途中で投げ出して申し訳ないと思ってますが 子供達はもう充分強くなってます。あとは宜しくお願いしますね。ナルトの奴、きっとしばらくはぶうぶう文句たれると思いますが…」
 「はい、分かりました。文句言うなら一発お見舞いしてやりますから!」
 「…イルカ先生」
 「はい?」
 「…。次に会うときには、きっともっと色々お話しできると思います」
 「は?あの…」
 「…待っててくれますか?」
 カカシが何を言いたいのか、イルカには見当がつかなかった。ただ、カカシが約束を欲していることは分かった。よりにもよって、約束だ。
 「あの…。俺は約束ってだめなんです。いつも決まって守られた試しがないもんで…。 でも、もしはたけ上忍にそれが必要なら、俺で良ければ約束します。あなたが帰ってくるのを、待ってます」
 「ありがと、イルカせんせ。それが俺を守るもう一つの鎖になる」
 「…えっ」
 イルカが聞き返すより先に、カカシは発っていった。
 向かう先は戦場だ。命の保証はない。約束なんて、いつだって守られた試しがないのだ。
 けれど、なんとなくいいかとイルカは思った。今のカカシの為にイルカが出来ることは、たかが知れている。約束の一つや二つ、 いくらだってしてやろう。
 いつか、カカシが帰ってきたときに忘れられていたとしてもかまわない。

 昇りきった朝日が目にしみる。
 強くなろう。
 いつか、カカシと向き合える日のために。
 そう心に誓って、イルカは里への道を歩き出した。




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お疲れ様でしたー。やっと終わりです。
このお話はここでお終い。別れて終わるってどーゆーこと?と
思われるかも知れませんが、最初からこの話は
別れて終わるつもりだったのです。だってこの話のカカシは
14のカカシですから。いなくなっちゃう人だったのです、最初から。
成長してないけど、一応成長物語(^^;)
途中で色々思わせぶりな展開なのは、一応続きがあるからで…。
それが、まあ、先日のオンリーの無料配布本に繋がるわけです。
ああいう落ちです。すみません(笑)
すごーく書いてみたかった仔カカシを書けて本人はとても楽しかったです。
呼んで下さった皆様にも楽しんで頂けるといいのですが。
お付き合い下さいまして、ありがとうございましたー。