機械仕掛けの鼓動 8



「…どうしてとお聞きしても無駄なんでしょうね。ですが、こんな方法で『記録者』を手に入れたとしても
里の為になる事はありませんよ。今ならまだ間に合います、どうか考え直して下さい…」
「私がこのような行動を取ることを、ご存じだったか?」
「火影様から、その可能性もあると示唆されておりました。もう少し自分の行動に注意を払っていればと悔やまれます」
火影の名前に天の里長は僅かに眉を寄せた。
「全てお見通しという訳か。さすが火影様と申すべきか。しかしうみの殿、これからは天の里の為に役立って頂きましょう。
そなたの能力は、まさに希有。木の葉一人が独占すべきものではない」
イルカにすれば、何を勝手なことをと言うところか。
イルカが『記録者』としての力を持って生まれたのは偶然だ。確かに木の葉特有の能力ではあるが
要するに血継限界と扱いは同じなのだ。血で継ぐというものではないと言うだけで。
例えば、写輪眼や白眼の能力者に同じ事が言えようか?
天の里長の主張は、彼らに天の里の為にその能力を使えと言っているようなものだ。
「出来ません。どうか私を木の葉にお戻し下さい。私の忠誠は、唯一木の葉へのみあるのです」
里長の説得をイルカは歯牙にも掛けなかった。後ろに控えていた親衛隊が、そのイルカの態度に反応する。
「長、こうなればいっそ洗脳でも何でもなされば…。幸いうちの里には、その道のエキスパートがおります」
「久地か…。確かに奴なら容易いこと」
久地という名に今度はイルカの肩が揺れた。その名は天の里の血継限界を有する家の名だ。
「ほう…、久地の名を知っておるか。さすがは『記録者』よ」

以前火影に、各里の血継限界の能力者の話を聞いた事があった。
現在わかっているだけでも、それなりの数に上る。その上里では知られていても、外に出ない能力もある。
里がその能力の存在を極秘にしたい場合なんかがそれだ。
血継限界以外にもその里特有の特殊能力者というのもいる。イルカの能力もその類に分類されるのだ。
里の利益の為、あるいは能力者の安全の為に極秘裏に生きる能力者も多い。
そういう話を聞いていた時に、久地の名を聞いたのだ。心を操る能力者だと。
傀儡の術は広く世界に知られているが、それの人間バージョンといったところか。意志を奪われて、その術者の思いどうりの操り人形と化す。今までの記憶も何もかも全て奪い取られるのだ。




ぶるりと震えが来る。そんなのは絶対に嫌だった。
大事な人を思う心を、記憶もろとも根こそぎ奪われるなんて冗談じゃない。そんな目に遇うくらいなら、と覚悟を決めた。
もし、もしもカカシが間に合わなかったなら…。イルカはきっと天の里長を睨みつけた。
「貴様っ!長に向かって何だ、その目はっ!」
親衛隊の一人がイルカの胸ぐらを掴むと、止める間もなく殴りつけた。
「本来なら貴様如きが直接言葉を交わせるような方ではないんだぞ!中忍の分際でっ!」
ガツッっと鈍い音がしてイルカは倒れ伏す。男の目には憎しみにも似た炎が揺らめいていた。
「よさんか、益永。傷を付けるな」
「一応忍びの端くれでしょう、多少のことではびくともしませんよ。それに、どうせ久地の手に掛かれば、
今の記憶も何も残りません」
「ふむ。よし、久地を至急ここへ呼べ」
「は!」
益永と呼ばれた男が、ほかの忍びに指示を出している。どうやらこの男、長の片腕というべき存在らしい。
「うみの殿、あなたが自分から天の里の為に貢献するとお約束下されば、何もこのような非常手段を執らなくもすんだんですよ?何なら今からでも誓いますかな?」
誓うと一言言えば、その言質を取られて結局身動きが取れなくなる。
木の葉を裏切る気は全くないのだ。そんな事は嘘でも言えなかった。イルカはぎゅっと唇を結ぶ。天の里長は仕方がないといわんばかりに溜息を吐いた。益永は命令を出したあと、二人の様子を窺いながら暗い笑いを浮かべた。
(カカシさん……、カカシさん…っ!)


「いたか?リイチ」
リイチは力無く首を振る。イルカの拉致に里長が関与していれば、そう簡単に割れるような場所を使うまい。
「くそっ!どこだ…どこにいる、イルカ…!」
「俺、思うんですけどね…」
カツラがカカシに気を遣うようにして喋りだした。
「イルカさんって、すごく里や仲間を大事にしてらっしゃいますよね。そんなイルカさんならそう簡単に相手の
言うなりにはならないと思うんですよ。だって拉致した奴の目的は多分イルカさんの能力でしょう?あの能力を里の為か自分の為か分らないけど、とにかく手中にしたいと。でもそれはイルカさんにとっては絶対に頷けない要請で。突っぱねると思うんです。となったら、相手の執る手段は一つでしょう」
そのとおりだ。イルカは絶対に頷かない。となったら…。
「意志を奪って言うことを聞かせる、か」
「だと思うんですよ。そうすると恐らく…」
「久地…、そりゃあ、やばいな。おい、カツラ。アイツ今里に戻ってんのか?」
「もうバッチリ戻ってます。この前会いましたもん、俺」
「ちょっと、お前らだけに分る話をするんじゃないよ。俺にも詳しく教えろ」
苛つきながらカカシは二人の会話に割って入った。カツラは殊勝にすみませんと謝り、リイチはふんと鼻で笑った。

「久地はうちの血継限界能力者だ。簡単に言えば人間を傀儡にしちまう能力を持つ」


血継限界という能力は、里の威信とともに畏怖の対象ともなる。
天の里においてもそれは同様であったが、里長が能力者をより優遇するようになると里の方針も変更された。以前は忌み嫌われた類の能力でさえ、血継限界と言うだけで忍びの質も問わずに引き立てられるようになったのだ。

益永は実のところ、その血継限界を継ぐ家の直系だった。幼い頃からその忍びの才に長け、切れ者として他国に名を馳せるまでに至った。しかし、ついに能力の発動はなしえなかった。それは一族の者もさる事ながら、本人に一番打撃を与えた。それまでの順調な人生に於ける、唯一の汚点。
丁度その頃、傍系の男子が血継限界の能力を発動させたのもまずかった。
直系に出来なかったものを、傍系がなしえたのだ。
それは関係のない里の者なら素直に喜べただろう。しかし当事者にしてみれば話は別だった。プライドはズタズタ。益永は一転、血継限界継承者とか特殊能力者といった輩を憎み蔑むようになったのだ。
「血継限界など、所詮忍びとしての力に欠けた者が、自己弁護として開発した物に過ぎん。要するに発動出来るのは、半端な忍びだと言うことだ」
勿論、大っぴらに触れ回っているわけではない。里自体が能力者優遇の方針なのだから。それは益永にとって、許すべからざる方針であり、それを撤回させる為にあらゆる手を尽くした。

そうしてそれは、ゆっくりと実現に向かって歩み始め、いまや天の里を飲み込もうとしていた。

「大胡さま、あの者は如何でしたか?」
「強情な男だ。たかが能力者というだけで、木の葉で大事に匿われてきただけある」
「久地が呼ばれたとか…?」
妖艶な、という表現がピッタリとくる女だった。
「久地の術で人形にする。そうなれば他国の情報も思いのままだ。あれがどれ程の情報を持っているかは疑問だが少なくとも木の葉と火の国の機密くらいは知っていようからな」
「久地の能力は大胡様のお役に立っているようですわね」
「お前のお陰だ。久地はあのような男だが、確かに使える能力者ではある。今はとにかく機嫌を取っておくに限る。始末はいつでも出来るからな。使えるうちはとことん使ってやるさ」
ホホホと女が笑った。


「血継限界だって?傀儡…。それじゃ、その術でイルカを言いなりにでもしようってわけ?」
天の里の血継限界について、カカシはそれ程詳しくない。
どこの里でもそうだが、自里の特別な能力については隠したがるものだ。
「久地は質が悪いからなあ…。イルカさんが心配だよ。それにもし、この事に長が噛んでるなら
当然益永も一緒にいるはずだ。あいつは一見冷静な切れ者タイプだが、実は結構粘着質なんだ」
「なにそれ…。変態なの?」
ものすごーく嫌な顔でカカシが切り返す。そんな奴がイルカの側にいるなんて!
「お前、歯に衣着せる物言いくらいしろよな…」
「必要ないでショ。お前しかいないのに。あ、カツラは聞かなかったことにして?」
「……ははは」
カツラの力無い笑いが虚ろに響いた。



のそりと細長い男がやってきた。
「遅いぞ、久地!長がお呼びなんだ、早くしろ!」
「益永か。そんなに尖んなよ。俺様の力が必要なんだろう?」
ニヤニヤと笑いを浮かべながら久地は長の待つ部屋に入っていった。ちっと舌打ちをして、益永も後に続く。
「では私はこれで。上手く運びましたら教えて下さいな、大胡さま」
女はあっさりと去っていく。その後ろ姿を、益永は名残惜しげに見送った。不思議な女だと思う。別段何を強請るわけでもない。益永の望みを言い当てた日から、ずっとただ傍にいるだけだ。
勿論身体の関係はあるが、それが女の目的ではあるまい。何をしたいのか…?
初めてあった日の記憶が実ははっきりしないのだ。そう言えば女の素性も結局知らないままだ。
「まあいい。今はそれどころではないからな…」
そう自分に向かって呟くと、益永はイルカに視線を移した。すでに久地の術がイルカを蝕んでいる。

「うう…、ぐぅっ…あああっ…!」
術に抵抗しているのだろう、低く唸るような声が部屋にこだまする。そんなイルカを、里長を始め益永を含めた
親衛隊5名がじっと見つめていた。イルカの抵抗は、思いの外長かった。
「益永、大丈夫なのか?随分苦しんでいるようだが…」
「平気でしょう。苦しいのは抵抗しているからですよ。さっさと術を素直に受け入れれば、苦しさも何も感じずに済むんですがね…」
バカな男だと思った。こんな抵抗など、結局は無駄になるというのに。イルカの抵抗は、それからたっぷり半時間近くも続いた。
「ふう、やれやれ。こんな強情な奴は初めてだったよ」
でももう大丈夫。何を聞いても素直に答えるし、何をやっても怒りもしなければ何も感じない。
「本当の人形のように大人しいもんさ。さあ、長。お待たせ致しました。なんなりとお尋ね下さい」

「そうだ、あれ…」
ふいにカツラが顔を上げた。もしかしたら、アレが入り口かも知れない、と。
「なに?手掛かりが何にもないんだから、どんな些細なことでも構わないよ?言って!」
イルカが姿を消してから随分経つ。さすがにカカシも焦り始めてきた。敵の妙な血継限界能力者のせいで、イルカの身が心配で堪らないのだ。
「東の神社の外れにある祠…。あそこ、床が外れるんですよ。地下に伸びる暗い穴が開いてました。
あの時は特に何とも思わなかったけど、もしかしたら…」
人も来ないような、古びた小さな祠。しかしあちこちに目立たないくらいの人の手が入っていた。神社の人間がただ修理を施しているせいだと思っていたが、もしかしたら何処かへの通路なのでは?
「どこだっ!カツラ、案内しろっ!!」
過とリイチの目の色が変わった。その場所は、きっとイルカに通じているはずだ。
「はいっ!こちらですっ!」
三人は一気に駆け出した。



術に掛かった後も、イルカは信じられないほどの抵抗を見せた。
本来なら術者の言葉に諾々と従うだけのイルカが、久地が促す答えを口に出すのにもかなりの時間を要した。精神力と一言で片付けてしまえるものではないだろう。
それにしても、ここまで久地の血継限界に抵抗を示した者は今までいなかった。
久地も益永も、里長すらもイルカのその強靱な精神に驚いた。普段のあの、おっとりとした誠実そうな青年と、同一とはとても思えない。しかしともかくも、イルカから情報は引き出したのだ。欲しかった全てにはほど遠いとは言え。

最後の一言を呟いた後、イルカは気絶した。喋れという命令と、喋るなと言う内なる声とにイルカの精神はほとほと疲れ果てて、最後には気を失うほど疲労してしまったのだ。
「これほどの時間を掛けて、この程度の情報か…」
「しかし長、これでもないよりはマシですよ。火の国の情報も、術の情報もある程度引き出したわけですし」
「ふむ…、それもそうか。では久地、益永、うみの殿が正気付いたら再び尋問を開始してくれ」
「畏まりまして」
長は親衛隊の何人かを連れて部屋を出て行った。それを見送りながら、益永は必死で笑いを堪えた。

「おい、久地。本当にアレで術が掛かっているのか?」
「うみのイルカの事か?それとも…」
ニヤリと笑う久地に、益永も同じ顔で笑いかけた。
「長のことだ。どう見たって普段の長そのものだからな」
「だから、そういう術なんだよ、これは。術者の言いなりになる、つまり、普段どうりに振舞えと命令すれば
まさに今の長のように、一点の曇りもないほど完璧に振る舞える」
「ふん…、血継限界を奨励とか言いながら、自らが掛けられるなんてな。まさに道化だ」
「ただし、術が解けても掛かっている間の記憶は残る。見聞きした事も全てな。つまり長の術が解けた時が、俺とお前の最後ってわけだ」
「どうせこのままでは、これ以上上に行くことはない。このまま長を後ろから操っていければ、里も何もかも、思いのままだからな。お前と一蓮托生なんて、ぞっとしないが」

血継限界の家系に生まれながら、その力を持たなかった益永は、一族の総領になることはない。しかし益永の才能と性格は、誰かの下で我慢出来る程度のものではなかった。
そこに久地が登場する。久地の願いは、己の力を振るうことだけだ。意志ある人間を、己の思うまま操る快感にこの男は魅入られたのである。ここに二人の思惑が一致した。そうして最悪の利害関係が出来上がった。
力を振るう土台を益永が作る。そして、久地が思う存分力を振るう。振るう先は益永の指示した相手だ。
それが益永に、新たな権力を与えてくれる事になる。
最初に術の犠牲になったのが、天の里長だった。そうして里長が何者かに操られているという事を悟られない為に「普段どうりに振る舞え」という命令を下す。そうやって二人は徐々に天の里を蝕んでいった。

「ここです!この下に穴が開いてるんです!」
ようやく三人が祠にたどり着いたのは、イルカが姿を消してから何時間も経った頃だった。