機械仕掛けの鼓動 7


朝食の席は穏やかに終わった。
カカシは起き抜けでそんなに食べられなかったが、「朝はきちんと」が信条のイルカは気持ちよく頂いた。
天の里の長との会見は十時から。その後すぐに、里長立ち会いの下で術の研究開発者たちと共に術を復元する作業に取りかかることになる。
「ま、ここまで来たらあともうちょっとの辛抱ですか〜らね。アンタはいつも頑張りすぎるから多少力を抜いて、気楽に行きましょう」
自分を労る言葉に、イルカの胸はほんわかと温かくなった。こんな優しい人が自分なんかを好いてくれるなんて…。
「じゃあ後程またお迎えに上がります」
カツラとリイチが去ってカカシと二人きりになると、とたんにイルカはどきどきと鼓動が激しく打ち始めた。
片想いだと思ってたころは、二人きりでもこんなにどきどきはしなかったのに。尤も、こんなに動揺していたら二人旅なんか 到底出来やしなかったろう。

天の里長はもともと初代火影の遠戚の血筋である。写真や岩顔でしか知らない初代の面影が、なんとなくこの里長にも受け継がれているようで、 イルカはそれほど緊張する事はなかった。
「よく参られた。ここまでに色々な妨害があったと聞く。里の皆に成り代わり、礼を申し上げる」
「とんでもございません。こちらこそ、不手際により要らぬご心配をお掛け致しました事、申し訳ありません。 貴里の御為に働くよう、三代目火影よりきつく申し使ってございます」
里長との対話は全てイルカに任せて、カカシは後ろの方からその遣り取りをのんびり眺めていた。堅苦しいのはごめんだ。 ずっと暗部で好き放題やって来て、暗部を止めてからも当時の名声でもってやはりかなり自由にしてこれた。
要はカカシの実力故なわけだが、忍びとしての才は努力して得られたものではない。もちろんやるべき努力はしたが、元々は父親の血であり、 親友の瞳のおかげでもあったのだ。ずっとガキの頃はそれが重すぎて嫌だったけれども。
自由にやって来られたお陰で、今も堅苦しいのは好きじゃない。肩肘張って舌を噛みそうな言葉使いで
じじばばの相手ほど疲れるものはないと、カカシはそう思っている。
(よくやるねえ。ま、イルカは年寄りの受けがいいか〜らね。火影の爺さんもイルカには骨抜きだし)
今回の任務でちゃっかり恋人の地位を手に入れたカカシは、火影への報告でどういう風にこの事を伝えるかに頭を悩ませた。
(下手な事言うと、遠方の長期任務に飛ばされそうだしねー)
そんなことを考えている間に、イルカと里長の会見が終わったらしい。リイチに突かれてようやく気が付いた。
「お前、何ぼうっとしてんの?」
「ん〜、ちょっと木の葉に帰った後のことを考えててね〜」
「は…。気が早いな、お前は。これからが本番だろうに」
「いやいや、ここまで来たらもう後はちょちょいで済むでショ。イルカは木の葉の優秀な『記録者』だしね」
「……そうだといいんだがな」
リイチの小さな呟きはイルカの後を追うカカシには届かなかった。



案内されたのは、何重にも結界を張られた里の奥深く。術の研究開発を目的として建てられた施設だった。そこにこの里で開発された、 多くの術が保管されていた。イルカは何人かの見知った顔を見つけて、ほっと肩の力を抜いた。
「タチヤさん、ヨウジさん、どうもご無沙汰してます。木の葉のうみのイルカです」
「やあ、イルカくん。わざわざ済まなかったね。しかし本当に助かるよ」
イルカに親しげな声を掛けた男は、天の里の研究開発グループに所属する忍びだ。かつて木の葉での開発時に天の里から派遣されて来ていた。 それで術の開発にずっと付き合っていたイルカとも顔見知りなのだった。
「上の奴らは妙にピリピリしてるもんでねー。まあ、イルカの能力で安心させてやってよ」
要は術が復元されれば文句はないんだろうからさ、とヨウジも軽い口調で言う。この二人は年がイルカと近かったせいか、 天の里からやって来た中では一番よく話をした。

天の里長と開発部の責任者が揃うといよいよ復元が始まった。
イルカが延々と術式を朗読していく。それを研究者達が総出で巻物に写していくのだ。実際朗読する分には大量の術式も、 いざ巻物へ写す時にはかなりの部分が圧縮される。長すぎて一々唱えていられないから、巻物へ写して使用する訳だから当然だ。
それらの全てをイルカは一言一句たりとも間違えずに朗々と唱えていく。傍で見ていた里長や開発部のメンバーは驚きと共に、 その素晴らしい能力に瞠目するのだった。

これだけの能力が天の里に有れば、と。何故これが天の物ではないのか、と。
長の心に抗いがたい羨望が生まれた。
元々初代火影の血筋だ。直系からは遙か遠くのそれではあったが、まぎれもなく初代の裔に違いないのだ。 なのに、なぜ、コレが我が物ではないのか。

時間にすれば一時間。延々と続いた朗読の声が止まった。
部屋はしん…と静まっていた。イルカはちょっと気後れしながら、タチヤやヨウジに写術はどうかと聞いた。
「んん…、っと、もうちょっとで終わる…。よしっ、これでOK!」
「こっちも間違いなさそうだ。さすがイルカだな」
あちこちで写しが終了した声が上がる。写輪眼ほどの能力はないものの、これで技のコピーを可能とする事が出来る下地が出来たのだ。
「この巻物に写したのは、コピーを可能にするための術式です。これを織込んだ巻物を作れば、
そのまま術のコピーも可能になります。巻物自体の作成は、そう難しい物ではありませんから」
自分が居なくても、天の里の開発部で十分だろう。
これで帰れると、イルカは思った。カカシも当然、これでイルカはお役ご免だと思った。

しかし里長はイルカに、なんとか最後まで留まってくれないかと持ちかけたのだった。


「どうしましょう、カカシさん…。やはり里長の依頼を断って木の葉に戻るのはまずいですよね…」

本来木の葉の研究所で行っていたのは、この術式を巻物に写し込む作業だった。術式を完成させるのにかなりの年数を費やしたものの、 いざ術式が完成すればそれを巻物に織込むのは自里でという手はずになっていたのだ。織込む術式にその里独自の方法がとられる可能性もある。
友好国として手を携えてはいても、全ての手の内を明かす必要はないのだ。木の葉と天も同様だった。
だからこそ、術式を天の里にもたらした段階でイルカの仕事は終わっているのだ。
これ以上留まってどうしろと言うのか。

「元々ここから先はそれぞれの里でって事になってたんでショ。だったらなんでアンタがいる必要があんの」
「そうなんですけど…。何か不安があるんでしょうか?」
「ま、何考えてんのかくらい分りますけどね。ちょっと厄介なことになりそうですねえ…」
はあ、と深い溜息を吐く。
里長直々の要請だ。余程の理由がない限り、それを断ってまで帰れないだろう。だが里長の真意が問題だ。『記録者』というのは確かに便利だ。 その人間がいれば、凡そありとあらゆる情報を手に入れられる可能性を秘めている。
一度目にしたもの、耳にしたものは決して忘れない。なんと便利な道具であろうか。
イルカが木の葉の生まれたのは、まさに運が良かったと言うほかない。他の里に生まれていたら、 飼い殺しのまま無意味な生を強要されていただろう。木の葉だからイルカはイルカらしく在れた。火影だからこそイルカにそれを与えられた。
もしも天の里長が『記録者』としてのイルカを求めたなら、カカシは己のもてる力の全てでイルカを守ろうと誓った。 それで両国の友好にひびが入ろうとも、一切の手加減などするものか。
「とりあえず後でもう一度説得してみます。これ以上俺が居ても仕方ないんですから。巻物の作成は俺には出来ませんし」
「やり方は知ってるんでショ?」
「そりゃあ勿論。木の葉での作成には立ち会ってますから。でもそれをここで指導する訳にはいきませんしね」
「ま、そうだあね。じゃあ里長に面会する時は声かけて。俺も同行しますから」
「はい。宜しくお願いしますね」
少し安堵したような淡い微笑みで、イルカは自分に割り当てられた部屋に戻っていった。

ところが、その後いくら待ってもイルカはカカシの元を訪れなかった。
おかしい、と感じたのは別れてから二時間も後のことだった。リイチがイルカの姿が見えないけれどと、カカシの所にやってきたのだ。

しばらく一人になりたいと言って、昼食もイルカは部屋で取っていた。カツラが直接イルカに手渡したそうだから、 その時はまだ部屋にいたのだろう。
それから部屋を抜け出して…でもどこへ?
里長に会いに行く時はカカシと共にという約束だったから、まさか一人で出掛けるはずもない。 こんな状態の時に勝手に出歩くような人じゃない。隠しきれない不安が頭を擡げ始めている。
イルカは一体何処にいる?
「リイチ、里長の所に案内して…」
「カカシ、落ち着け。な?」
「落ち着いてるでショ。お前に一々お伺い立ててるんだから。本当だったら邪魔者全部なぎ倒して里中探し回ってるよ」
殺気が吹き出してる訳ではない。大声で捲し立てる訳でもない。しかしカカシをよく知るリイチは、 こういう時が一番危ないのだと言うことを本能で知っていた。

カカシの静かな怒りが天の里を飲み込もうとしていた。



リイチを引きずったカカシが問答無用で里長の執務室に飛び込んだ時、当の里長は長老数名と共に天の里に舞い込んだ任務の吟味をしていた。 コピーを可能にした巻物の試しを目的とした選択だった。

「何事だ、リイチ!はたけ殿も、どういうおつもりですかな?ここは天の里の中枢とも言うべき場所。 そこに無断で押し入るとは木の葉との同盟に亀裂が入る事になりますぞ?」
威厳に彩られた物言いで、里長が行き過ぎたカカシの行動を諫める。
「…うみのイルカの行方がわかりません。お心当たりがあればお教え頂きたい」
「うみの殿がっ!?」
ガタンと音を立てて里長が立ち上がる。倣うようにして長老達も慌てた様子で顔を見合わせた。
「どういう事だ?リイチ、そのような報告はなかったぞ?」
「はあ…、ついさっき発覚しましたばかりでして。昼過ぎにカツラがイルカさんと話してますが、それ以降姿をみた物はおりません。 黙っていなくなるはずもなし、万が一の場合があるかと…」
万が一。イルカの身に何か良からぬ事が起こったのかも。
「なんだと!それは一大事だっ!うみの殿にはまだここに留まって、色々教えて頂きたい事があるというのにっ!」
里長は頭を抱えて項垂れる。
それが天の里の者の手であればまさに両国の亀裂を呼び、余所の忍びの手に因るならば天の里は大切な客人を自里内で むざむざ奪われるという恥を被る事となる。どちらにしても天の里にとっては痛手だ。

ただ、これが里長の命であったなら。そうなれば話は全面的に違ってくる。
対外的に里の恥をさらすよりも『記録者』を秘密裏に手に入れる事の方が、より里の利益に繋がると考えたならイルカはもう カカシの手には戻らない。どんな説得にも耳は貸さないだろう。最後まですらっとぼけて、のらりくらりとかわしてみせるだろう。

力でしか、イルカは取り戻せない。

だったら力で取り戻してやる。里一つくらい滅ぼして見せよう。そんな不穏なカカシの気配を感じたのだろう。 リイチが慌ててカカシを押しのけて里長に問いかける。
「とにかくイルカさんがいない事には、長が仰っていた巻物の作成にも支障を来しますよね。俺とカツラはカカシを手伝ってイルカさんを 探してきます。もしかしたら、森に入ってしまって抜け出せなくなっている可能性もありますし。長は他里の忍びの侵入がなかったかどうか、 親衛隊を動かして下さいよ」
天の里は四方を森に囲まれている。どの森にも侵入者に対するトラップがいくつも配備されている。 それに引っかかった可能性もあると言っているのだ。
(そんなわけないでしょうがっ!いくらイルカが中忍だからって、そこまで木の葉は間抜けじゃない。
森にトラップがあるだろう事はどんな忍びでも容易に想像が付くし、そんな場所にのこのこ入り込むはずはない)
「ああ、勿論だ。しかしお前とカツラだけでは心許ないのではないか?親衛隊の何人かをうみの殿の捜索にまわそう。 うみの殿には何が何でも戻って頂かねば」

それよりも、里長のいささかオーバー気味な対応の方がよっぽど不自然だ。

「いいえ、そこまでお手を煩わせるつもりはありません。イルカとて木の葉の忍びです。己の身は己で守れると信じております。 リイチとカツラさえお貸し頂ければ探索はこちらでやりますので。それより敵の侵入があったかどうか、そちらの方の解明をどうぞ宜しくお願い致します」

言葉を選んではいるが、要するにアンタらの手の者はいらないから、そっちの不始末がなかったかどうかの解明をさっさとしろ。 そう言っているようなものだ。
だが恐らく敵の侵入などないだろう。
イルカは天の里に囚われている。カカシはギリと唇を噛んだ。




ピチャ…という水音でイルカは目を覚ました。
(どうしたんだっけ…?ええと、部屋…じゃないよね、ここ)
辺りは薄暗くて、ここがどこだか分らない。自分に宛われた部屋ではないし、当然カカシの部屋でもない。
(確か里長の使いだという人がやってきて…そうだ)
その男がイルカを連れ出したのだ。長がぜひ話をと言っているというので、イルカは恐縮しつつ男に着いていった。
カカシに一言言っておきたかったが、自分がはたけ殿にお伝えしますから、と急かされて仕方なくカカシに会うのを諦めた。 罠だとは思わなかったのだ。まさかこんな手段に出るとまでは。
(カカシさん、きっと心配してる…。なんとかここから出ないと)
拘束されている訳ではない。出ようと思えば出られるだろう。しかしこんな手段で攫った相手が、イルカが出て行くのを黙って 見逃してくれるはずはないだろう。
問題はイルカを連れ出した男が里長の名前を使ったという事実だった。果たして本当に黒幕が里長なのか、 それともただ名前を使っているだけなのか。材料がないだけに判断しかねた。
(まあ…言動を考えると果てしなく黒いけど…)

とにかくここを出ようとイルカは行動を起こした。部屋をぐるりと見回す。出入り口は一つ、窓はない。
部屋の奥にある扉は、おそらく洗面所だろう。トイレや、もしかしたら風呂場もあるかも知れない。ドアに手を掛けて回してみるが、 当然びくともしなかった。窓がないから鳥を飛ばすことも出来ない。
仕方ない、ここはドアを破らせて貰おう。イルカは掌にチャクラを集め出した。
溜めたチャクラを思い切りドアに叩きつける。しかし、ドアには傷一つ付かなかった。
「え…?チャクラが…吸い込まれた?」
傷付けるどころか、チャクラが吸い込まれるように吸収されたのだ。
「何か特殊な物で部屋が覆われているのかな?とにかくチャクラが使えないって事は術も駄目だな…」
となれば物理攻撃か?なにか打撃を与えられるような物と視線を転じて、イルカは椅子を手にした。
「これなら何とかなるかな?」
椅子を振り上げてドアに叩きつける。椅子は粉々になったが、ドアはやはりびくともしなかった。
「うーん、八方塞がりか。俺程度の力じゃこの部屋からは出られないって事か」
だからこそ、拘束もせずに部屋に一人で寝かせていたのだろう。これがカカシだったら、こうはいかないに違いない。 自力で逃げ出す事もかなわず、ただ待つだけしかできない自分にイルカは少々へこんだ。
(まあでも、きっとカカシさんが来てくれるから)
その時にせめて足手まといにならないように、今出来ることをしよう。

部屋のあちらこちらを念入りに観察していると、ドアの向こう側に人の気配を感じた。
誰かがこちらにやってくる。恐らくは、イルカをここに招待した人物だ。



かちりと音がしてドアがゆっくり開いた。
「うみの殿、ご気分は如何ですかな?」
天の里の里長が、何人かの親衛隊所属の忍びと共にそこに立っていた。
ああ、やはり…とイルカは気分が沈むのを止められなかった。あんなに火影様が危惧していたのに。
愚行を止めることが出来なかった。自分がもう少し慎重に行動していれば、天の里長に隙をみせる事なく
気を張っていれば、もしかしたらこの愚行は行われずに済んだかも知れなかった。

決して自分の行動が全ての元だとは思っていないが、それでも自分がもう少し、と言う思いは拭いされない。