機械仕掛けの鼓動 5



「この目とか…。それに俺はずっと外で血を流しながら生きてきたから…」
結構人間やめたくなるような事もしましたよ、生き残るためにね。だから…。
自嘲気味に呟くカカシに、イルカは突き上げる衝動を抑えきれなかった。中忍のくせに、とは思うけれども。
「それがなんだ!忍びなんだから手が血で汚れてたって当然だろう!俺だってそのくらい知ってるぞ、里の内勤だからってバカにするなっ!」
「え…、いや、バカになんか…。あの、イルカ…?」
イルカの激昂に驚いたのか、カカシはしどろもどろで言い訳をする。しかしイルカは聞いちゃいなかった。
「だから!違うでしょう!里のために戦っていたあなたの手は、本当は汚れてなんかいないんです!
例え血塗れでもそれは誇っていいものだ!そんなの里のみんなが知っている事です。なのに、どうしてあなたが、あなた本人がそんなひどい事を言うんですか…っ!」
「ご…ゴメンナサイ…」
勢いに押されてカカシは謝っていた。
驚いた。本当にこんな風に怒って貰えるなんて思いもしなかった。
嬉しくてどうしてもイルカを抱きしめたかった。なんて人だろう。やっぱり俺の目に狂いはないね。
「ありがとう、イルカ…」
「カカシさん。俺こそすみません、つい…」
少し潤んだ目がそれはもう耐え難いくらいにカカシを誘っていた。でも多分、無意識…。カカシはぐっと逸る心を抑えた。ここで失敗したら振られる。いや、話を聞く限りでは、イルカも憎からず自分を思ってくれてるみたいだから振られる事はないかも知れないけれども、軽蔑されたり幻滅されるのは絶対遠慮したい。
「嬉しかったです。あのね、聞いて下さい。俺、受付所で初めてあった時から、ずっとアンタのこと好…」
まさに告白をせんとしていた丁度その時。
ばあん!と勢いよくドアが開け放たれた。いくつかの黒い影と共にリイチが部屋に雪崩れ込んでくる。
「こんな非常事態に何やってんだ!カカシッ!!」
黒い衣装に身を包んだ男達は、遠慮もなくカカシ達に殺気をぶつけてくる。チッとカカシは舌打ちした。

いいところで邪魔しやがって!

ゆらりと立ち上がったカカシは、黒の男達がたじろぐ程の殺気を身に纏っていた。
その気に当てられてイルカは立ち上がることすら出来ない。
「あ〜あ、切れちゃったか」
「リ…リイチさん、あの…」
「ああ、だーいじょうぶ。間違ってもイルカさんを傷つけるような事にはならないから」
こうなったカカシを止められる人間なんか居ないから、とりあえずあいつの気が治まるまで放っておいてやってよ、とリイチがのほほんとした表情で言う。そうこうしている内に何人もいた敵は、あっさりとカカシによって倒されていった。
「すごい…カカシさん…」
「やあやあ、お疲れ。カカシ」
時間にすれば、わずか数分。それで十人近い敵を地に沈めていた。リイチはパチパチと拍手を送る。
「…お前。なーんで俺ばっかり働かせてんのよ」
「何言ってんだよ。お前がいきり立ってるから、下手に刺激しないように黙って好きにやらせてやったんだろうが」
そのかわりイルカさんはバッチリ俺がお守りしましたとも!
えっへんと胸を張るリイチを、カカシは苦虫を噛み潰したような顔で見るのだった。
「それで?こいつら、なに?」
「何って、敵でしょう」
「そんな事はわかってる!なんでこの場所がバレてるわけ?てゆーか、どこの忍びだよ。全くイイトコロで思いっきり邪魔しやがってっ!」
「カカシ、お前ね…」
上忍二人が虚しい言い合いをしている横でイルカは死体の検分をしていた。倒された男達は正体が知れるような者は身につけていなかったが、その内の一人が極めて特殊な毒薬を所持していた。
「これ、滅多に取れない植物から精製しているんですよ、確か。ずっと南のほうでしか採取出来ない植物です」
「ああ、何か聞いた事あるな」
「だけど、それがどうかしたの?珍しい毒を持ってたってだけでショ」
珍しい物であるなら入手ルートも限られてくる。しかも毒薬になる植物ともなれば、管理も厳重だろう。
どこがどのくらいの量を輸入したかは調べれば自ずとわかるし、それが密輸であっても同じ事だった。
「以前情報が集めたデータを見せていただいた時に、これの輸入先の一覧があったんです。隠れ里を持つ国はどこもそこそこの量を輸入してますが、あの時は確か水の国に結構な量が入ってました」
「水の国?しかしあそこは今回この事態を静観してるはずだが…」
「水と雫は友好国…。おそらくこいつらは」
雫の国には雨隠れの里がある。今夜の襲撃相手は、おそらく水からの物資の援護を受けた雨隠れの仕業に違いない。
「本当にどいつもこいつも…」
「それだけ今回の術に関心が高いんだろう。何しろ写輪眼の如き役割を担う術だからな」
しかし実際襲撃を受けた以上、ぐずぐずしているわけにはいかない。それぞれの思惑を持った敵がそれぞれの事情で動いている。こちらはそれに一々構ってやっている暇などないのだ。
「強行軍でさっさと雲にはいるか」
「いいけど、だからって1日や2日で着けるわけじゃねえぞ」
「でもこのままじゃあ、一般人にまで被害が及びますよ?多少無理してでも早く行き着かないと」
「イルカの言うとおりだ。お前らが普段使うルートを案内して貰おうか?」
昼夜を徹しての強行軍となれば慣れたルートを使うに限る。どこの里でもそんなルートをひとつやふたつは持っているのだ。
「まあ、しゃあねえか。非常事態だからな」

物音が止んでしばらくした頃、宿の者が恐る恐る様子を見にやって来た。イルカがそれに対応している間にカカシとリイチは地図でルートの確認をした。
「で、ここから先は峡谷になってる。そこに隠し通路があって、それを無事に通過すると国境を越えてすでに雫の国内に出る。天隠れのトラップ付きだから、俺が居ないと抜けられないぜ」
「せいぜい頼りにしてるよ」
宿の者達との話を終えてイルカが戻ってきた。
「じゃあ早速行きますか」
「あ、待って下さいカカシさん。あの、俺の変化、解いてかまいませんか?強行軍で行くなら、もうこの格好で誤魔化す必要もないでしょう?返ってこのままじゃ色々不便ですし…力だって一応元に戻った方がありますから」
どのみちリイチの前ではずっと「俺」で通してきたし、正体なんかとっくに知られているだろう。
「ああ、そうで〜すね。その方が良いか。じゃあこっちに来て下さい。細工を戻しますから。ついでに俺も戻ります」
「え!イルカさん、変化解いちゃうの?」
可愛らしいイルカの外見を結構気に入っている男は、少しだけ残念そうな顔をした。しかしこれから先は命がけになってくるかも知れない。男はそれ以上余計なことは言わなかった。
イルカはちょっと困ったような顔で笑って、カカシと共に姿を消した。


時間にすれば僅か1分程だろうか。
二人が消えた先から、一人の男が姿を現わした。リイチにとっては見慣れた容姿の男だ。
月の光を受けて輝く銀色の髪も、その端正な顔を隠すマスクも、深い湖の色を映したような蒼い瞳もお馴染みだ。
「よ!久しぶりだな、カカシ」
「何アホな事言ってんだよ…」
「その姿を見るのは久しぶりだろ」
そのカカシの後を数歩送れてやって来た男が一人。ついさっきまで一緒だった女性と同じ、黒い髪と黒い瞳。
「…イルカ、さん?」
「え、はい。あ、この姿では初めましてですね。イルカです」
「うわ…、全然オッケーじゃん。てゆーか、むしろこっちのが好み?」

女性版のイルカも大層可愛かったが、やはり本来の姿の方が落ち着いた安定のような物を感じる。
男らしい顔つきなのに穏やかな性格が表情に表れていて、変化していた時にはなかった顔の傷が、絶妙の愛嬌をもたらしていた。一本筋の通った凛とした雰囲気が出ていて、リイチは思わずイルカを見直したくらいだ。

カカシは無言でリイチの後頭部をどついた。こんなところで余計なライバルを増やしてたまるか、というところか。もちろん相手もそんなことは分っていて、それをネタにカカシで遊んでいるのだが。
「はいはい、わかりました。じゃあとにかく隠し通路まで行きましょうか、イルカさん」
「あ、はい。あの、イルカで結構です、リイチさん」
「じゃあ俺もリイチで…」
「そんなわけにはいかないでショ!お前が良くてもイルカ先生が困るの!とにかくお前は黙って案内しなさいよ」
それにくすくすと笑いながらリイチは仰せに従った。但しきっちりとイルカの手を取って。
「イルカさんには付きっきりでトラップから守るから、安心してくれな?」
「え、あの…その…」
「リイチっ!!」

街道を避けて山の中をひたすら国境目指して走り抜ける。地図にあった渓谷まであと僅かというところまでやって来た。
「追っ手は来てるか?」
「ん〜、どうかな…。それらしいチャクラは感じなかったけど」
「もうすぐ夜も明けますね…。明るくなる前に辿り着ければいいんですが」
隠し通路の存在は決して知られたくない類のものだ。本来なら木の葉の忍びにすら教えたくないだろう。
だからといって下手に結界を張れば、行く先に何かあると思われてしまう恐れがある。
せいぜい敵の足を鈍らせる程度のトラップを仕掛けるしかないのだ。
カカシが簡単なそれを仕掛けているのを横目で見ながら、リイチは周りを警戒するのを怠らなかった。
そうしてどうにか夜明け前に三人は目当ての場所に辿り着いたのだった。
「ここだ。いいか、まず俺が入る。トラップに仕掛けが作動する前にそれを止めるから、合図したら入ってきてくれ」
それはどう見ても、ただの自然に出来た洞窟だった。
「え?ここですか?だって何にも…」
目を欺くための術がほどこされてはいない。あくまでも自然のまま。
「いきなりここから結界なんかで守ってたら、何かあるぞって言ってるようなもんでしょう?」
そう言ってリイチはニヤリと笑う。
元々この辺りは洞窟が多いらしい。危険な竪穴もあったりして、立ち入り禁止地区に入っているとか。
ところがその竪穴が実は結構でかい物で、地下で複雑に入り組みながら繋がっていることがある時分った。天隠れの忍びが地道に地下を検分して、思いがけず国境を越える程のものだと知ったのは僥倖だった。そうしてそこに隠し通路を造ったのだそうだ。入り口はあくまで自然のままで。
中にある分岐路からしばらく進むと、幻術と結界によって守られた隠し通路の入り口が現れる。
チャクラを予め決められた順に、決められた量だけ流し込んで天隠れの忍びであるという証明をすると、
ゆっくりとその扉が開かれた。

「すごい仕掛け…」
「ありがと。でも頼むからここのことは内密にね、イルカさん。カカシも」
「わかってます、安心しなさいよ」
イルカもコクリと肯く。通路のことは誰にも話すつもりはなかった。リイチがトラップの作動を止めると、三人は急いで通路を駆け抜けた。中は本当に入り組んでいて、なるほどこれならトラップがなくても誰も出ては来られないだろうと思える程だった。
洞窟の中は暗くて、ところどころに淡い光源はあるものの、目が慣れるまでに時間が掛かった。一体どのくらいの時間が過ぎたのだろう。ようやく先頭を行くリイチの速度が落ちてきた。
「もうすぐ半分」
「半分!?まだそんなに残ってんの?」
ちょっと嫌そうに言うカカシに、イルカが苦笑する。本当は自分の本音もカカシと同じなのだ。結構な距離を進んだと思ったのに、まだ半分という言葉に少し違和感を覚えた。尤も地上でなら方向は磁場が狂っていても感覚で分るけれど、こんな地下ではどうしようもない。
イルカは自分たちが辿ってきた道を思い出す。
「あれ…?」
「どうかした、イルカ先生?」
「あ、いえ…」
もしかして今までの道筋って…。
考え込むイルカにチラリと視線を移したリイチは、やっぱりと溜息をこぼした。

「あ〜、やっぱりイルカさんは誤魔化せなかったみたいだね。だったらいいか…、もう回り道しなくても」
「リイチさん…」
光の差さない地下の空洞という特殊な環境下で方向を誤魔化す。磁場の狂いもそれを助けている。そうやって本来の道筋から多少かけ離れた、遠回りの通路をリイチは進んできたのだ。
リイチにしてみればカカシもイルカも信頼に足る人物だ。短くない付き合いのカカシは当然として、イルカへの信頼も行動を共にして十分だと思えた。けれどもこの通路は里の命綱的な存在だ。
それ故の守らねばならない規則があり、リイチは天の里の忍びなのだった。
イルカには恐らく気付かれるだろうと、そう思いながら二人を遠回りの通路に誘った。それが天の里の忍びとしてすべき判断だったから。
「言っておくけど、信頼してなかった訳じゃないからね」