機械仕掛けの鼓動 6


「そんなの分ってるよ、俺たちだってその立場になれば同じ事するしね」
気軽な調子でカカシが応じる。イルカはほっと肩の力を抜いた。
「そうですよ、リイチさん。それよりいいんですか?この道は…」
遠回りしなくても、と言った通りリイチはそこから三人は正規のルートを使った。どのみちイルカが居ればそんなことは無意味なのだ。だから気にしないことにした。
「ま、いいでしょ。だってイルカさんがいるなら同じだし。ね?」
ねって言われても…。
「それなら出口までどのくらいなんだ?」
「ん〜、さっきの半分くらいかな」
「そんなに短縮出来るんだったら、もっと早く決断してよね…」
疲れた声でカカシが文句を言う。リイチはそれに無理言うなと応えながら、その声は笑いを含んでいた。

そうしてようやく三人は雫の国に入った。

「問題はここからだな。雨隠れの目を欺きながら雲に入るのは難しいだろうな…」
「もうあんな便利な代物はないんだ〜よね?」
「そうそうあってたまるか」
カカシだって本気で聞いた訳ではない。ふうんと面白くなさそうな顔で、さっさとその話は切り上げた。
「俺たちがこちらに入っているのは、まだどこの忍びも知らないはずでショ。だったらもう一刻も早く走り抜けるのみ。って事でどうかな、リイチ?」
「妥当だな」
カカシはイルカに視線を移す。この場合足手まといになるのは、確実にイルカである。しかし、元々イルカの護衛としてカカシは着いてきている訳で、天隠れへの旅の本来の目的はイルカ本人なのだ。
「どこまでついて行けるか分りませんが、頑張りますから…」
「大丈夫、大丈夫!いざとなったらカカシが負ぶってでも守るから!」
自分がと言わない辺りがリイチである。緊張を孕んでいた空気があっさりと霧散した。
くすりとイルカが笑う。
「そうですね、いざとなったらカカシさんに頼ります。でも出来るところまでは自分で頑張ります。
俺だって木の葉の忍びですから」

話は決まった。三人は雫の山中を駆け抜けた。

前を走る上忍二人は、決して最速のスピードで走っている訳ではないだろう。だってイルカが着いていけるのだ。
もちろんイルカにしてみればかなりキツイ。体力が違いすぎる。そんなこと、分ってたはずなのに。しかし頭で理解するのと、それをまざまざと目の前で見せつけられるのとでは、受ける衝撃に天地の差があった。
(何とかこのくらいのスピードで抑えてくれるなら着いていける…。でもこれ以上となると…)
ギリギリのイルカに対して、上忍二人は涼しい顔で走り続ける。汗どころか、呼吸ひとつ乱れていない。
(やっぱり…、この能力がなくても俺に上忍を目指すのは無理だっただろうか…)
嫌な考えが頭の中で点滅する。
「イルカ!遅れてるぞ!このくらいでへたばったのか?!」
カカシの声が、その思考を中断させた。はっとイルカは前方の二人を見る。
そうだった、こんな事考えてる場合じゃないっ!
「大丈夫です!すぐ追いつきます!!」
とにかく雲の国に入る事だけに神経を集中させるのだった。





それから三日。雲の国に入ってからも敵の襲撃はあったが、それをどうにかやり過ごして三人はやっと天隠れの里までやって来た。目の前には天の里への大門が聳えている。
「どうもお疲れ様〜。やあっと辿り着いたね」
「よくまあ無事だったもんだ〜ね」
「何回襲撃があったかなんて、数えたくもありませんね。俺も…」
思い出したくないくらいの数だったのは確かだ。
「ま!とにかくここまできたらもう向こうも手が出せないでショ。リイチ、早速里長殿に取り次いでよ」
天の里の里長は木の葉の初代の遠戚だ。会うのは初めてだが、他の里の長と会うより緊張するような気がする。
「そうだな。でもどのみちもう日暮れだし、面会は明日ってことになると思うけど?」
「それで構わないよ。急いでるわけじゃないからね」
「んじゃ、着いてきてくれ。他里の客人を招いた時に泊まって頂いてる迎賓館に案内しましょう」
「そりゃまた、随分な待遇だ〜ね」
「お前じゃなくて、イルカさんがいるからだけどね?」

イルカが天の里の内部に足を踏み入れたのは、これが初めてだった。迎賓館に向かう最中リイチに里のあちこちを見せて貰ったが、木の葉とはまた違った感じの落ち着いた里だった。
「じゃあ明日な」
「ありがとうございます、リイチさん」
「あ、こいつ、ここの責任者。カツラっての。何かあったら遠慮無く言って」
リイチとそう変わらない年の男が深々と頭を下げた。
「宜しくお願い致します。どうぞ何でも仰って下さい」
「ん、ありがとね。もし何かあったらよろしく」
写輪眼のカカシと言えばかなり有名だ。例に漏れず、この青年もカカシを知っているらしい。
カカシを見る目に密かな憧れを見て取って、イルカは苦笑する。自分もこんな風にカカシを見ているのだろうか?
だとしたら、自分の気持ちなんてバレバレなのでは…。人の表情がこれほど内心をくっきりと映し出すとは思わなかった。中には分らない人もいるだろうが、自分がそこまで起用に隠し仰せているとはとても信じられなかった。
(カカシさんにも、当然リイチさんにもバレてるってことだよな…)
「どうかした?イルカ」
一人で顔を赤らめるイルカにカカシが問いかける。
「え!いいえ!何でもありません!」
「じゃあ、まあ俺は行くよ。後は頑張んな、カカシ」
ニヤニヤしながらリイチが踵を返す。ほっとけ、と口の中で応えながらカカシはぱたんと扉を閉めた。

「それで、明日以降の予定は?何か火影様から聞いてるの?」
イルカが『記録者』として派遣されたのは周知の事実だ。失われた術式を天の里に伝えるのが今回の主な任務だった。
「ええ、とりあえずこちらの里長の命で動くように言われてますが、要するに術式の完成品を渡せばそれで終わりです」
「ふうん?あんなえらい目にあってまで来たのに、用事自体はすぐ終わるもんなんだ〜ね」
ちょっと顔を顰めながらカカシが言う。そんな様子にイルカは笑いをこぼした。
「帰りも大変でしょうか、やっぱり…」
「帰りは大丈夫でショ。天の里の護衛付で帰りゃいいんだし」
それにしても、今回のことでイルカの能力は他の里に知れ渡ってしまっただろう。これから先のイルカの身の安全を火影はどう考えているのだろう、とふとカカシは気になった。自分が里にいる間はいい。何があってもイルカを守るつもりだから。けれども自分は任務で里を空ける事の方が多いのだ。
もちろん火影の責任に於いて、イルカは守られるだろう。しかしカカシは、それがおのが手による物でない事に微かな苛立ちと不安を感じるのだった。
(ま、まだ天の里に居るんだし、先のことを今からとやかく思い悩むのもバカらしいか…)
「いくらなんでも、そこまで迷惑は掛けられませんよ」
「迷惑なんかじゃないでショ。アンタはこの里に大切な術式を届けに来た客人なんだしね」
「それは…」
「まあ、今日は疲れたし、もう休みましょうか」
「そうですね」


くたくたに疲れていたはずなのに、イルカは寝付けなかった。
ここまでようやく辿り着いた。やるべき事があって、その為に来たのだ。ちゃんと納得してきたはずなのに
明日、天の里の長に会うのに僅かばかりの躊躇いがあった。
ここに来る前に火影から直接言われたことがある。天の里長は良識のある立派な人間だが、と。
五大国に取って代わろうという野心は、どの忍びにもある野望だろう。天の里長が『記録者』という能力者を手放したくないと強く思う前に、早々に戻るのだ。そう火影はイルカに言ったのだ。
本当にそんな事が起こるだろうか?
あのリイチが忠誠を誓う程の人だ、そんな風に疑いたくはない。
しかし火影の忠告を無視することもイルカには出来なかった。
(明日1日で終わらせて、さっさと木の葉に帰ろう…。カカシさんには無理を強いることになるけど)
「眠れないの?」
小さな声が背中から聞こえた。
「カカシさん…、起きてたんですか?」
「ん、アンタが何やら考え込んでるみたいなんでね」
「す、すみません、気配が伝わりましたか…」
「ん〜、前にもそんな風に色々考えすぎて眠れない事があったでショ、アンタ」
何時のことだろうと一瞬瞬きをして、唐突に「その時」に思い当たった。カカシにキスをされたあの夜のことだ。
ぼっと頬が燃えるように熱くなった。何を言い出すんだ、この人は!
「今度も、する?」


「す、するって…っ!」
何を!?なんてまさか聞けなくてイルカは焦る。そんなイルカにお構いなしに、カカシはイルカに近付いてくる。
「カ、カカシさん…っ」
「あのね、もうずっと言おうとして邪魔ばっか入ってたんだけど…」
「何を…?」
暗闇の中でも映える銀色の光を放つ男が、ギシリと音を立ててイルカが仰臥するベッドに乗り上げた。
「アンタが好きです。ずっと前から…」
「……、え…?」
「結構アピールしてきたつもりだったんだけど…、やっぱり気付いてなかった?」
イルカは言葉もなく、こくこくとただ首を振るだけ。
まさか、カカシからそんな言葉を貰えるとは。だってずっと好きだったのは自分の方なのだ。
「あの時の、受付所で出会った時から俺はもうずっとアンタに恋してる…。それで、えっと、アンタは…?」
カカシには確信があった。ずっとそんな都合の良いシナリオなんかないと思っていたけれども。
このイルカを見たら、自惚れても良いのではないかと。
「アンタも俺のこと好きでいてくれるんでショ?」
イルカ、と耳に囁けばビクリと身体が反応する。そんなイルカの態度は、言葉にせずともその想いをはっきりとカカシに伝えた。
ちゅ、ちゅ、と啄むような軽いキスを与えながら、カカシは心が温かくなるような幸せを感じた。
「明日が本番みたいなもんだから、無理はしません。ただこうやってキスして抱き合って眠りましょう」
「はい、あの…ありがとうございます、カカシさん…。俺も、俺も好きです。ずっとあなたの事が…」
カカシに抱き込まれて頬を染めながら、イルカは小さく礼を言った。
「うう…、そんな可愛いこと言ったら駄目でショ。アンタ俺の理性を試してんの?」
「えっ?そんなことは…」
「あ〜はいはい。分ってます、無意識なんでショ。本当に可愛い人だね、アンタは」
「カカシさんっ!」
くつくつと笑いながらカカシはイルカを抱く手に力を込める。不安はいつの間にか去っていた。


その朝の目覚めは実に爽快だった。
カカシによって取り除かれた不安は、思った以上にイルカに重くのし掛かっていたらしい。それでももう大丈夫だと思えるから不思議だ。抱きしめあって眠っただけなのに、すっかり不安はどこかに行ってしまった。積もりに積もったカカシへの想いを吐き出したのも良かったに違いない。ただ受け入れて貰えるとまでは思っていなかったのに、嬉しい誤算だ。
「カカシさん…」
横を見ると、すでにカカシの姿はなかった。しまった、寝過ごしたかと慌ててイルカは飛び起きる。
木の葉の忍び服に袖を通すと、気持ちもシャキッとしてくる。よし、と準備を整えて部屋を出た。

階下にはカカシとリイチとカツラがすでに揃っていた。階段から下を覗き込みながら、おはようございますと声を掛けた。よりにもよって一番最後だなんて恥ずかしい。カカシさんも起こしてくれればいいのに。
「おはよう、イルカさん」
「おはようございます」
と天の里の二人の声がイルカを迎える。カカシはイルカに向かって階段を上がってくる。
「おはよう、イルカ。ん、顔色は良いね、良かった」
「カカシさん、起こしてくれればいいのに。俺、寝坊してしまって…」
「ぐっすり眠ってたから起こすのに忍びなくてね。俺が起きても気付かないくらい疲れてたって事でショ」
カカシがその気になれば、眠ってなくてもイルカに気配なんぞ気付かせやしないだろうに、そんなことを言う。
「だから起こしてくれればいいんです」
「イルカは寝顔も可愛いか〜らね」
…だから、カカシさん。
「お前ら、朝っぱらからイチャついてんな。目の毒だろうが」
「何言ってんのリイチのくせに」
「目の毒になってんのはこいつだよ」
こいつと言われたカツラは、顔を赤くしながらも「ええ?」という表情で二人を見つめていた。
「とにかくさ、朝飯食おうぜ。用意してあるから」
おら、いつまでぼうっと見てんだよ、とリイチがカツラを引っ張っていった。
カカシとイルカはくすりと笑い合いながら、二人の後に着いていくのだった。