機械仕掛けの鼓動 2


朝早くに里を出た二人は、昼前には街道沿いの宿場町に到着した。カカシはそこでさっさと宿を手配すると、 必要な物を揃えてくるからと出て行ってしまった。宿からは決して出るな、と釘をさすのだけは忘れずに。
別段急ぐ旅程ではないが、一応目的のある旅であり物見遊山ではない。こんなに早くに宿を取るのはどうしてだろうと、 イルカは首を傾げるのだった。まあ、カカシが戻れば聞いてみればいいか。
そこまで考えてふと、今自分と共にいる人物がカカシだと言うことを今更ながらに思い出した。
あの、噂に名高い「はたけカカシ」…。
きっと彼は覚えてすらいまい、かつて自分と会った事があるなどと。
それでもあの日の事はイルカにとって、今でも大切な想い出だ。
あの時は机に隔てられていた二人の距離が、今はゼロに近い。もちろんそれは立つ位置だけの話で、
実際には自分とカカシの間はとても近いとは言えない。何を考えているのか、この任務をどう思っているのか。
暗部まで勤め上げた彼が、たかが一介の中忍の護衛などプライドが許さないのでは。
そう思う反面、決して彼はそんな風に任務を差別する人だとも思えない。カカシという人間を理解するのは難しい。いや、 カカシでなくとも、他人を理解するのはやはり難しい物なのだ。
そんな事をつらつら考えているうちに、カカシが戻ってきた。
「あ、お帰りなさい」
当たり前のようにイルカは声を掛けた。カカシはビックリしたような目でイルカを凝視する。
(え?俺、なんか変な事言ったか?おかえりって言っただけだろう…?)
焦るイルカとはうらはらに、カカシは嬉しそうに笑うと「ただいま戻りました」と返事をくれた。
急にイルカの鼓動が高く鳴った。(うわ…、なんだ、これ!)
いきなり高鳴る鼓動にイルカは焦る。カカシに気付かれはしないかとヒヤヒヤしながらイルカは平静を装った。
「何を買いにいらしたんですか?必要な物は里から持ってきたのでは…?」
クナイやら千本などの武器やいくつかの巻物など、あるいは丸薬等、忍びとしての準備はイルカだって怠っていない。
「敵の目を欺くために変装します。ま、どこまで欺けるかわかりませんがね。何があっても守りますが、何もないならその方が良い。 その為の変装です。変化の術を長く掛ける事になりそうです」
大丈夫ですか?とその目が問うていた。
「チャクラコントロールは得意ですよ、これでも教師ですから。変化の術で姿を変えて、ここから出るわけですね」
しかしその程度の目くらましが通用するだろうか?
「ここに影分身を残していきますから、それでしばらくの間は誤魔化せるでショ」
影分身?って、禁術だったよな、確か…。
平然とそんな事を言うカカシに、イルカは改めて自分との立場の違いを思い知らされた。


じゃあと言ってイルカは手渡された服に着替えようとした。
(あれ…?)
気のせいかとも思ったが、どう考えてもこれは…。
「はたけ上忍…、あの…。これ、これって、その…」
どう見ても女物じゃないかっ!そりゃ変装っていうからには、性別も変える方が敵の目を欺く確率は高いだろうけどっ!
真っ赤になりながらイルカはカカシに噛みついた。
「女物じゃないですかっ!まさかこれを俺に着ろっていうじゃありませんよねっ!」
大体どう贔屓目に見ても、はたけカカシの女装の方が目の保養だろうがっ!
「え?当たり前じゃないですか。俺が着るモノをアンタに渡してどーするの」
その口で「お前が着ろ」と言われたも同然だ。
「だっ、だって!だってこれ…っ、どう考えてもアナタのほうが相応しいでしょう!」
それにカカシはにやりと笑って、だめだーよと応える。
「だって護衛役が女体変化しちゃったらマズイでショ。俊敏性は高くなるかも知れないけど、その分力が落ちちゃうし。 それに俺の女版だと色々目立ちすぎてやばいのよ」
もカカシほどの上忍なら、少しくらい力が落ちようとも関係ないだろう。しかし目立ちすぎるという点だけは納得せざるをえないイルカだった。 マスクをしていてさえ、なんとなくその容貌が端正なことが伺えるくらいだ。
それが女性に変化しよう物なら…。そこまで考えて、人目を避ける自分たちが目立つなんてとんでもないと思い直した。
はあ、とひとつ溜息を吐くとのろのろと洋服を手に取る。
「着替えてきます…」
「ここで変化してみてよ。直すトコがあれば言うから」
こっ、この男は!デリカシーってもんがないのかっ。俺なんかの女体変化なんか気持ち悪いだけだろうに…。
「…わかりました…。笑わないで下さいね…」
「笑うって?」
「…いえ、いいんですけど。え、と…」
イルカは素早く印を切って術を発動させた。ぼわんと煙と共にイルカノからだが女性体に変化する。
少し目線が低くなった気がする。それに腕も細くなっているし、きっとその分握力やら腕力も落ちているだろう。 控えめに盛り上がった胸とくびれた腰が目に入って、どうにもイルカをいたたまれなくした。
「うん、良い感じ。髪はそのままでいいけどもう少し長い方がそれっぽいかな」
カカシはすっと近付くと、微量のチャクラを器用に流し込み髪の毛の成長速度を速めてしまった。
(上忍って何でもありだなー)
変なところで感心するイルカだった。
ここには鏡がない。カカシはいいと言ってくれたが、自分の姿を模した女性なんて、とイルカは気が気ではなかった。
でも本心を言えば見たくない。でも見ないと気になって仕方ない。
(ジレンマだ…)


「それ、隣の部屋で着てきてよ。向こうには鏡があるから。気になってるんでショ。で、着たらまたこっち来て」
それにイルカはしおしおと従った。どのみち他に道はない。
締め切られた部屋は思いの外暗かった。イルカは電気を付けて覚悟して鏡を覗き見た。
(あ…あれ、なんか、思った程はひどくない、かな?)
小さめの顔に不釣り合いなくらい大きな目が少し見苦しいと言えば見苦しいが、体型は全体的にバランスが取れているようだった。
(もっとごついかと思ったんだけど、案外普通…?と、とにかくはたけ上忍に迷惑を掛ける程ひどくはないかな…)
あんまりひどくても別の意味で目立つことになる。そうなったら目も当てられない。イルカは幾分ほっとした。
顔の傷が消えているのは、おそらくカカシがどうにかしたのだろう。女の顔に傷があっては悪目立ちするから当然だ。
イルカは手渡された服を着てカカシの元に戻った。
「へえ…」
「あ、あの…」
「すごく可愛いですよ、イルカ先生。思った以上だ」
真顔でそんな事を言われて、イルカの顔は一気に火を噴いた。
(うわっ、どうしようっ!はたけ上忍は別に変な意味で言った訳じゃないのに、俺!きっと真っ赤だ!)
何か言わなければと思うのに、声が出なくてイルカは俯いた。これ以上真っ赤になった顔を見られたくない。
「あ〜…、じゃあ影分身を置いてここを出ましょうか」
本当はもっと別のことを言いたかったのに。けれども結局口から出たのは、そんなありきたりな言葉だった。
しかしイルカは事務的なその言葉に救われたような表情で肯いた。
「は、はい」

カカシは自分とイルカの影分身を部屋に置いて宿を出た。隣にはイルカが寄り添う。
イルカ同様、カカシもその姿を変えていた。
輝く銀色の髪はイルカと同じ黒髪に。もともと華奢な見てくれだったが、変化後はさらにひょろっとした感じになっていた。
(だけど、なんてゆーか雰囲気のあるハンサムって感じ?)
これがカカシの本来の顔からどのくらいかけ離れているのかは想像でしかないが。
(本物を元にしているなら、さぞや美形なんだろうな)
「これから照り葉に向かいます」
「え?照り葉ですか?なにか必要な物がありましたか?」
照り葉は最高級の忍具を作る村として有名なところだ。
「役作りに必要な物を手に入れに、ね」
「はぁ…?」
「あ、アンタ一応俺の奥さんって設定なんで、よろしくね?人前ではイルカって呼ぶから」
さらりとカカシは爆弾を落とした。


宿の者に軽い暗示を掛けて、二人は堂々と表玄関から宿泊客として外に出た。宿に残してきた影分身は、もう1泊してから 別ルートで天の里を目指す。変装をした自分たちは照り葉経由で。それが敵の目を欺くためにカカシが取った策だった。
色々聞きたいことはあったが、往来であまり変な事は口に出来ない。策は策として、全ての敵が騙されるとは限らないし、 どこにどんな敵が潜んでいるかも分らないのだ。
イルカがカカシに言葉を掛けずにいる理由は、もうひとつあった。イルカにとってはそれが1番の問題なのだ。
つまり。
(なんて呼べば良いんだろう…?)
何しろ夫婦者を騙っているのだ。ここで「はたけ上忍」なんて呼んだりしたら、きっと大目玉だろう。変装の意味がない。
しかし…。イルカはすれ違う何組もの夫婦を横目で見ながら、その会話に耳を傾けてみた。
故郷への土産物の話やら、子供の話、仕事相手の愚痴やら親への文句。また寄ってきた宿の話やら温泉やら食べ物やら、 それこそ話題は尽きない。喋るのはもっぱら女性で、相手の男性は聞いてる方が多いのが分った。
やはり名前や愛称で呼んでいるのが大半だ。若い程その傾向が強く、熟年になれば素直に「あなた」と呼ぶ女性が多い。
(「あなた」なんて死んでも呼びたくないっ!て事は名前か…。うわ、それもちょっと…。だってなあ、仮にも憧れの上忍なのに…。 俺なんかが名前を親しく呼ぶだなんて)
変なところに拘るイルカだった。
チラチラとカカシに視線をやるが、当のカカシは何とも思ってないのか素知らぬ顔で前を向いたままだ。
(まあ、いいか…。話があるときは「あの」とか何とか言って注意を引いて、そのまま喋っちゃえば)
それに夜は宿屋に泊まる。その時に結界を張れば何話したっていいわけだし。
カカシの反応は気になるが、ここではもうどうしようもない。話しかけるのは次の宿に着くまで諦めて、なるべくカカシの気に障らない ように勤めながら、イルカは後を着いて歩いた。

ただの夫婦としての旅だから、次の町への道中も殊更ゆっくりだった。忍びの足なら日が落ちる前に着ける宿に二人がようやく着いたのは、 夜も更けきった時間だった。
「まあまあ、遠いところをお疲れ様です。どうぞ湯を使って旅の疲れを落として下さいな」
宿の女将はこんな時間にもかかわらず、愛想良く二人をもてなした。
「こんな時間にすみません」
「前の町から結構距離がありますからねえ。女性の足では昼前に出ないと、まともな時間には着かないんですよ。 慣れてますからどうぞお気になさらずに」
部屋に案内されて一息吐くと、カカシは早々に部屋に結界を張った。これで会話は外に漏れない。
「さてと、イルカ」
ヒヤリとした雰囲気を滲ませてカカシはイルカを呼んだ。


「は、はい…」
なんだろう、なにか失敗したか?俺。
カカシの纏う雰囲気の意味が掴めずにイルカはぴしっと姿勢を正した。
そんなイルカを見て、カカシはふっと少し力を抜いて語りかけた。
「あのね、緊張するのは分るけど。アンタと俺は夫婦なの。どこの世界に旦那の隣でずっとピリピリしてる女房が居るの。 確かに俺は上忍でアンタは中忍だけど、今はそういうのを忘れてやるべき事をやって貰わないと、何のためにこんな格好までしてるのか 分かんないでショ。物見遊山じゃないんだよ?そもそも狙われてるのはアンタなんだから」
カカシの言うことは尤もだ。しゅんとしながらイルカは黙ってその言葉に耳を傾けた。
任務に出ない忍びだからと卑屈になっていなかったか?アカデミー教師という仕事に、ちゃんと誇りを持っていたはずなのに情けない。 あのはたけカカシにここまでさせて、守られるだけで何の役にも立てないのがもどかしかったけど。
「すみません、はたけ上忍…。俺、分ってなくて…」
イルカの声に何かしらの決意を聞き取ったのだろう。
「チガウでショ?」
「え?」
「そのはたけ上忍っての、違うでしょうって言ってんの。ちゃんと俺を呼んで?」
「…あ、」
「アンタから俺を呼んでよ」
こくりと喉が鳴る。急にまた心臓がどくどくとイルカを責め立てた。
でも呼ばなきゃ。呼ぶんだ。
「カ…、カカシさん…」
真っ赤になりながらイルカはようやくカカシの名前を呼ぶことが出来た。
(あああ、どうしようっ!この顔、絶対変に思われるっ!!)
「はい。なに、イルカ?」
(な、何って…)
「え、その…」
(だってあなたが呼べって言ったから…っ)
何を言えばいいのか分らなくて、イルカは頬を染めたまま俯く。だからゆっくりとカカシの顔が近付いてくるのに気付かなかった。 形の良いカカシの指が、イルカの顎に掛かる。はっと顔を上げると目の前にカカシの端正な顔があった。
「え…」