機械仕掛けの鼓動  序章      


あの人を初めてみたのはアカデミーに隣接する受付所でだった。
まだ暗部にいた俺は、受付に報告を出しに行く必要のある任務はしていなかったのだが、
たまたま人手不足で普通の上忍の任務をしたことがあった。
Aランクの、俺にしたらどうって事のない任務だったが、
スリーマンセルを組んだ中忍と特別上忍にはそうじゃなかった。人心にバランスを欠いて、
ひどくやりにくい任務となり、ほとほと疲れて報告を出しに行ったのを覚えている。
「お疲れ様でした!拝見致しますので、少々お待ち下さい!」
別段驚く程綺麗な笑顔だった訳じゃない。ただ疲れた心と身体に、その笑顔はじんわりと染み込んできた。
その中忍は報告書に目を通した後、俺の手に小さなあめ玉を一つ乗せた。
「お疲れのようですから…、こんなものでもないよりは良いかと思いまして」
ぽり…と鼻の頭を掻きながら、あの人は照れたように笑った。
社交辞令じゃない、本当に俺の身体を気遣った彼の行動に、ほんわかとした暖かい物がこみ上げてくる。
こんな人もいるんだ、と初めて知った。うちの里も捨てたもんじゃな〜いね。
けれども、その後はずっと暗部暮らしの日々が続いて、受付なんて縁遠い物になり果てていった。
もう会えないかなあ…。少なくとも暗部を止めない限り無理だろうな。
あんな笑顔を俺だけに向けてくれれば、生きて帰る意欲も出るってもんだが…。
「おい、カカシ!もうそろそろだぞ」
「あ〜、敵が出てきた?」
「まだだ。だが上手くトラップが作動してれば、そろそろこっちにやって来るはずだ」
「りょ〜かい」
戦場では、ほんの一瞬の気のゆるみが命取りだ。
俺が今回駆り出されたのは戦場ではないが、他里の忍びの関与が確実な、とある機密文書の奪還だ。
忍び同士の戦いが避けられない任務は、格段に危険な物になる。故にランクも上がる。
命の保証が厳しくなるからだ。
こんな世界に生きてる分、俺たちは誰かを愛する気持ちが強くなる。
大切な人を作るという事は、弱点を持つと言うことだ。その気持ちが俺たちを、暗闇に飲みこまれることから救う。何も持たない忍びは決して強くはなれない。自らの命さえ大切に扱わないからだ。
昔、それこそ子供の頃は、そういう気持ちが分らなかった。
それを俺に根気よく教えてくれたのは、今は亡き恩師と親友だった。
そうして人間になった俺が、初めて気になった人だ。恋と呼べる程強い気持ちには、まだ育っていないだろう。何しろ俺は、あの人の顔と声と胸が温かくなる笑顔だけしか知らないのだ。
けれども、きっとこの気持ちはもっと強くなるだろう。あの人のいろんな事を知れば知る程、もっと強く激しく。
そうして俺はさらに強くなる。
あ〜…、そうなったらまた暗部を止められないかなあ。
あの爺さんは変なところでがめつくてせこい。いつまで経っても暗部から足抜けさせて貰えないのは、
単に戦力として勿体ないと思われているのだろうか?それとも他に思惑なんかが、あったりして?
まあ、いいけどね。だって俺は死なないから。
あの人にあって、俺のことを知って貰うまで俺は死なない。
「来たぞ!!散開っ!!」
獲物が来た。敵に同情する気はない。俺の前に立ちふさがるなら、排除するまでだ。



◆◆◆◆◆



受付の任務を拝命したのは1年前からだった。
ようやくアカデミー教師の口にありついたばかりの頃。もちろん上忍や戦忍への憧れは憧れとして強い物がある。けれどもそれ以上に俺は、子供達の育成に興味があった。 俺自身が孤独な子供時代を送ったせいかもしれない。今はもうあんな悲劇は起こらないと思いたいが、万一の時は自分の手が少しでも 子供たちの救いになればいいと思う。それに、本当を言えば上忍には決してなれないわけがあったのだ。その理由故に、余計に俺は上忍に憧れていたのだけれども。
あの人にあったのは、そんな風に思いながら新しい人生を歩み始めた頃の事。
一応受付は10時までと決められていた。もちろん任務で遅くなることなど日常茶飯事で、必ず10時までに終われるものではない。 上忍師の監視と指導の元で就く下忍の任務ならともかく、他国にまで足を伸ばすような任務は時間などあってないようなものだ。
但し、受付を行う忍びも自分の生活があるから、10時を過ぎた後のものは翌日に回すのが常だった。
その10時を目前に、俺はようやく終わる1日に思わず欠伸が出た。
朝は授業、昼からは簡単な演習に付き合ったせいで、今日は殊の外疲れていた。後もう少しと言うところで、その人は入ってきた。 見たことのない上忍。窓から差し込む月の光に、色素の薄い髪が照らし出される。俺はぽかんとその上忍を見つめた。
「それ、よろしくね?」
いかにも口を開く事すら億劫といった感じの口調だった。
「お疲れ様でした!拝見致しますので、少々お待ち下さい!」
焦りながら俺はその報告書に目をやった。けれども気になって、ちらちらと上目遣いでその上忍を盗み見ると、 その顔色がとても悪いことに気付いた。
任務で疲れて居るんだ、きっと…。
そういえばポケットに子供達に与えたあめ玉が残っていたのを思い出す。普段だったら、こんな事などしなかっただろう。 いくら何でも僭越すぎる。
けれども、その時は何故か身体が動いた。あめ玉を手のひらに乗せると、上忍は驚いた風だったが微かに笑ってくれた。
だって本当に顔色が悪かったのだ。倒れるんじゃないかと、柄にもなく心配だったのだ。仮にも上忍が、そんなみっともない真似は 曝さないだろうと思いはしたが。
アリガト…と小さな声が頭から降ってきたのはその時だった。青白かった頬が僅かに桜色に染まっていた。
「いえ…、お気を付けて。お疲れ様でした!」
上忍はさっさと部屋を出て行ったが、俺はその後ろ姿をぼうっと見つめ続けた。
「うわ…、あれは反則だよ。ちょっと目を奪われた…」
報告書で名前を確認すると、俺の年代にはお馴染みの名前がそこには書かれていた。
「はたけカカシ!?え、うそ…!だって噂じゃ暗部に言ったとか、里外に長期に渡って配属されたとか言われてただろう! なんでここでこんな報告書出してんだ?」
噂は噂に過ぎないって事かな?じゃあまた会えるんだろうか?ここにいれば、いつかまた?
けれども淡い期待は、その後あっさり破られた。結局一度も会えないまま1年が過ぎた。
最初は時間帯が会わないのかと思ったが、こっそり任務報告書を盗み見てはたけカカシの名前を探したが、どこにも記されてはいなかった。 つまり、通常の任務には就いていないという事だ。
「暗部、かなあ。やっぱり…」
それならもう俺にはどうすることも出来ない。偶然を期待することさえ。
通常の任務でも、上忍の就くものは危険度が高い。それが暗部のものなら、さらに何倍も増すだろう。たった一度だけ会っただけの人が 気になる。っていうのは、同僚によると一目惚れなんだそうだ。
そうなのかな?気になるのは本当だけど、そういう強い執着ではまだ無いと思う。だけどもついあの人の無事を祈ってしまう。
晴れの日も雨の日も、いつも。
もう会うことがなくても、それでもいつも。