綺羅星  [1]

 自分がこの里で特別視されているという自覚は、子供の頃からずっとあった。 化け物と罵られたり、至宝だと持ち上げられたり。どっちにしろ、常に誰かの視線を感じて育った。 長くもない人生の前半は、監視の意味合いが強かった。それには、人にあるまじき力を持った子供に対する脅威が混じっていた。 後半…長じてからは、その視線の意味はまったく別の物に変貌する。
 力も瞳も容姿さえ、自分で望んだものは何一つないと言うのに、女も男も「それだけ」を欲しがって周りに集まりだした。
 まるで砂糖に群がる蟻のように…。


 本当は空っぽなのに誰もそれを見ようとしない。飾られた外見に踊らされているだけ。
「バカみたい…」
 殴られてジンジン痛む頬を押さえながら、カカシは呟いた。相手はくの一だ。女と言っても力はハンパじゃない。きっと明日はハレるだろう。 まあ、どうせマスクでほとんど隠れるんだけれども。
 ハア…と深い溜息を吐いて、去っていく女の後ろ姿に背を向けて歩き出す。
 だから最初に言ったのに……。
 俺は真面目な付き合いはしないよ、と。
 アンタの事をアイシテルわけじゃないから、と。
 それでもいいと言ったのは女の方だ。最初から全て承知の上で付き合い始めたのに、結局最後はいつも相手の非難を受けて終わるのだ。
 酷い男だ、と。
 こんなに愛しているのに、どうして愛してくれないのかと。
 ああバカらしい。言葉の通じない女に用はないよ。

 そんな風だから、ややこしそうな女とは付き合わないようにしていた。もちろん面倒くさそうな男とも。特に性別に拘りがないから、 男も女も同じように付き合ってきたが、向こうから近付いてくるのは圧倒的に女が多い。
 当然トラブルも女が多くいい加減腹に据えかねて、ある時期からは遊びと割り切れるタイプとしか付き合わなくなった。
 今回のは久し振りの失敗だったな。もっとドライだと思ったのに…。
 なんとなく真っ直ぐ家に帰る気にならなくて、カカシは目に付いた小料理屋の暖簾をくぐった。外から見たより店内は奥行きがあって、 ほどよく混んでいる。これなら誰もカカシに注意を払わないだろう。隅の方のテーブルについて、辛めの酒といくつかの料理を頼んだ。
 運ばれてきた料理はどれも思いの外美味かった。
「へえ、こんな美味い店があったんだ…」
 適当に入っただけにしては運が良い。料理も酒も申し分ない。悪い事ばかりじゃないって事かな、と殊勝に思い始めた矢先。 いらっしゃいませー!と店内に響いた声につられて入り口に視線を移したカカシは、あっさりその考えを翻した。 せっかく良い店を見つけたと思ったのに、ここもすでにあいつらのテリトリーだったのか、と肩を落とす。

「あら、カカシじゃない。こんなところで会うなんて珍しいわね」
 了解も取らずに当たり前のようにカカシの居るテーブルに着くこのくの一の二人連れは、よく言えば気の置けない友人という事になるが、 カカシはこっそり「魔女」だと思っている。他人の不幸に群がるハイエナでもいい。 辛酸を舐めさせられた過去の経験から言うのだから間違いない。
 今回もまさに、悪役を押しつけられた挙句、殴られて振られた直後に姿を現わした女達は、カカシの赤くなった頬にニヤリと唇を上げる。
「どうやらまた振られたらしいわね」
「アンタも懲りないよね。もういい加減、誰かと付き合おうなんて人並みの考えは捨てりゃいいのに」
「……ほっとけ」
 自分が恋愛の出来る人間かどうかなんて、言われなくても知っている。それでもたまに、どうしようもなく人肌が恋しくなるのだ。
「だったら花街に行きゃいいのよ。向こうは商売なんだから、アンタに余計な感情は持たないでしょうよ。 泣く人間は減って店は潤って一石二鳥だよ」
 カカシの対人関係にいつも苦言を呈するアンコが、今回もまたチクリと言葉の刺を披露する。
「あのねアンコ。言っとくけど、俺から女達に付き合おうなんて言ったことないよ。全部向こうからなの。 断っても諦めないんだから仕方ないでショ」
 この一言に倍、いや三倍は返ってくると分っていても、言わずにはいられない男心が分るだろうか。 案の定アンコは柳眉を上げて逆襲を掛けてきた。
「ああら〜、今の聞いた紅?さぞやおモテになるんでしょうねー。さっすが写輪眼のカカシは違うわね。 そんなだからいっつもいっつも振られるんだわよ!全く女の敵ね!」
「こいつの敵は女だけじゃないでしょう、アンコ」
 カカシの注文した酒を遠慮もなしにぐびりと喉に流し込みながら、一言紅が付け加えた。
「ああ、そうそう。この前特別上忍に上がったばかりの純情青年を喰ったってウワサがあったっけ。 ねえカカシ、あれどうなの?本当なの?」
 ずいっと身体を乗り出しながら、アンコが好奇心一杯の顔で聞いてくる。
 …誰が言うか!
 そうこうしている間に「あら、これ美味しいわね…」と紅が酒を瓶ごと持ってくるように言う。
「ちょっ…紅、ソレこっちに付けないでよ」
 この魔女共は見かけに寄らず、かなりのウワバミだ。
 酒を与えたらいつまででも飲んでいる。きっとこの瓶一本で終わるはずもない。
「なによ、ケチケチしない!破格の給料貰ってるくせに」
「お前らに奢る謂われはな〜いよ」
「謂われはなくても弱みはあるのよね〜、カカシ。あ、大将!どーんと持ってきて、どーんと! 今日はスポンサーが居るからいつもより豪勢に行くわよ!」
「……アンコ、お前ね…」
 メニューを片っ端から読みかねない勢いのアンコに、もはや何を言っても無駄だろう。ここで下手に騒ぎ立てて、 店中の男どもを味方にした挙句、カカシのあることないことを派手に喚き散らされてもこっちが困るだけだ。
 ああ全く、悪い事は重なるもんだ。
 腹を括ってカカシは運ばれてきた酒を呷った。どうせ自分で払うんだ、せいぜい飲んで食べてやる。 この女達が例え鯨並に食べたとしても、確かにカカシの懐は揺るぎそうにないのだから。



 いつも通り任務をこなして、数少ない友人と呼べる相手と飯を食い、人肌を感じて翌朝にはそれを放す。
 そんな事の繰り返し。
 上忍師として下忍を育てようにも、眼鏡にかなう子供は現れず、去年と同じ一年が過ぎていく。気付けば暗部をやめてから三年が経っていた。


「カカシ…お主わざと落としているのではあるまいな」
 相変わらず下忍認定試験で子供を落としまくるカカシに、火影は厳しい視線を向ける。
「まさか。どの子供もあの試験を合格しなかったからですよ、心外ですね〜俺がわざとそんな事をするとでも?」
「やりかねんじゃろうが…」
 銜えたキセルをふうと吹かして火影が嘯く。
「そこまで怠け者じゃないつもりですがね」
 あははと笑うカカシに火影はこっそり悪態を吐いた。
 面倒な事からはとことん逃げ出すつもりだったくせに、と。飄々とした口調とマスクに隠されたその表情からは、 何を考えているのか読取る事は難しい。対人関係…というか主に色事のそれだが…それにも芳しくないウワサが後を絶たない。 力量に関しては、誰の追随も許さないだけも物があるのだが、逆にそのせいで関係がぎくしゃくする事も多いのを火影はちゃんと知っていた。 そんなカカシを本当はとても心配しているのだが。
「まあ良いわ。担当下忍を持たないなら、去年同様上忍としての任務に就いて貰う事になろう。異論はないな?」
「承知」
「受付に行って、難しそうな任務を貰ってこい」
「……難しそうな任務って…」
 火影の意図は分っていたので、ちょっと嫌な顔をしてみる。
「実力に見合うと言う意味じゃ」
「はいはい、では失礼いたします」
 やれやれと思いながら、火影に挨拶をして受付所に向かう。一方火影も盛大な溜息を落としていた。
「四代目の早すぎる死がアレに与えた影響は、それほど大きいと言うことか…。頭の痛い事じゃの…」
 窓から見える火影岩を仰ぎ見ながら、そう呟く。カカシにしてみれば余計なお世話と言うところだろう。 が、それはカカシに届くことなく風に消えた。

 ポケットに手を突っ込んだまま、カカシは受付所に顔を出した。どうせ暇な身だ。適当な任務を振り分けて貰うのも良いかも知れない。
「何か余ってるのある?」
「ご苦労様です、はたけ上忍。Aランク任務でしたらそれなりに、それ以下でしたら選取り見取りですよ」
 未だに振り分けられていない依頼書を、パラパラと捲る音がする。
「ん〜、あんまり簡単な奴だと火影様にお小言食らいそうだし、それなりのを貰っとこうか」
 カカシの希望に添って「それなり」の中からいくつかの任務依頼書を上忍に見せる。それらをじっと眺めて、さほどややこしくなく、 しかしそこそこの実力を必要とする任務を選び出した。任務期間はちょうど二週間。火影のお小言からも煩わしい人間関係からも、 解放されるには丁度良い日数だ。

 ふと視線を感じた。

 もともと人に見られるのは慣れているが、隠すようで居てあからさまなその視線に正直カカシも驚いていた。
「バレてるとか思わないのかな?まあ所詮中忍だし、こっちが気付いてるのを分ってないって事かな」
 受付に顔を出すたびにその視線がカカシにまとわりつく。たまにアカデミーでも感じることがあるから、 恐らくは受付を兼任しているアカデミー関係者。名前はもちろん知らないし、興味がないから視線を合わせた事もない。
「今回の任務中はどう転んだって無理だろうから、行く前に済ませておくか…」
 あんな視線でこっちを煽るくらいだから、当然そういう気はあるのだろう。こんな空っぽな自分の、 一体何処が良いのか常々カカシは不思議に思っていた。あの男はその答えをくれるだろうか?
 あの中忍も、見かけとか諸々に付随するブランドに惹かれたんだろうか?それならそれでいい。 そんな奴らには気を遣う必要がない分、付き合いも楽だ。
 でも、ずっとあの視線を感じてきたから。もう本当に長いこと、あの視線はカカシを一途に追いかけていたから。
 らしくなく期待するのだ。
 答えを貰えるかも知れない事に…。

 そのまま受付を後にして、アカデミーの正門の方に回る。あの視線の主が出てくるのが、いつになるかは分らない。 でもこちらにやって来たら、その時は強引に連れて行こう。あの男に案内させて、向こうの家に行っても良いだろう。 受付にいたのだから、正門から出てくるとは限らない。
 これは一種の賭だった。
 知った気配が正門に現れた。校舎の方を眺めると、黒い髪の中肉中背の男が歩いてくるところだった。
 あれが、あの視線の男…?
 密やかな中に熱さを込めたあの視線の男にしては、いかにも平凡すぎる気がした。 とは言え人間見かけで判断する事の愚かしさは知っているつもりだ。
 カカシはゆっくりと行動を起した。
 男がはっと顔を上げる。黒い瞳がカカシの姿を認めて大きく見開かれた。
 カカシは殊更ゆっくりと近付くと、動けずにいる男の耳元に囁いた。

「ねえ、ちょっと付き合ってくれない?これから…」