花に嵐 2



 入学式は滞りなく終わり、元親達は振り分けられたクラスに向かった。

 偶然だが、元親と幸村達は同じクラスだったのだ。それが分かったので幸村は式の間中機嫌が良かった。 元親も早速知り合った彼らが同じクラスだったのは有り難かった。何しろ全然知らないところに、ぽっと放り投げられたような物だ。知り合いも頼るべき仲間もいない。 言うなればひとりぼっちなのだから。
 人見知りはしない方だが、それでも慣れるまでには多少時間が掛かるだろうと思っていた。
 しかし、そんな危惧は幸村の存在のおかげで無用な物となった。

「元親殿!ここへ!この席に座りましょうぞ!」
「え、でも……」
 こういう場合、最初は名簿順とかで座るもんなんじゃないのか? 少なくとも元親が通っていた田舎の中学はそうだった。 困って佐助を見ると、まあいいんじゃないの?と言うように佐助も勝手に好きな場所に座ってしまった。それで仕方なく元親はその場所に腰掛けた。
「元親殿は何処のご出身か、お聞きしてもよろしいか?」
「え?ああ、構わねえぜ。四国の高知だ」
 四国でござるか!と相変わらずきらきらした目で 嬉しそうに笑う。
「それはまた遠くからでござるな。もしかして海のそばであろうか?」
「…そうだけど、なんでわかるんだ?」
「元親殿から微かに潮の香りがするのでござる」
「そうなの?俺様ちっとも気付かなかったけど」
「犬かよ…、まあでもあってる。 学校は高台にあって坂を下るとすぐに海だったからな」
 今も目を瞑ればあの景色が瞼の裏に甦る。
 もう帰る事はないだろう、全てを失った場所。

「いつまで騒いでんだ、てめぇら!さっさと席に着かねえか!」

 そこまで大声だったわけじゃない。しかしその声は騒がしい教室を一瞬にして静かにさせるだけの力があった。
「………」
 声の主は、多分教師なのだろう。しかもこの状況を考えれば、当然このクラスの担任という事になる。
(ヤクザ…じゃねえよな。その筋の人にしか見えねえけどよう…)
「違う違う、鬼の旦那。ヤクザじゃないから、あの人あれでも教師だから」
 ひそりと佐助が耳打ちしてくれる。
 ああ、やっぱりそうかよ。
「片倉殿は政宗殿の縁続きの方と伺っておりまする。政宗殿の剣の師匠で 剣道部の顧問もされているとか」
 あれが顧問なのか。ふっと元親は小さくため息を吐いた。特待生なのだから決して楽しいだけの部活ではないだろうと思っていたが、 これは本当に覚悟を決めていかねば。そんな風に決意を新たにしていると、片倉という教師が不意にこちらに視線を向けた。
(…え?なんか俺、睨まれてる?)
 あまりに鋭いその眼差しにそんな風に感じたのだが、それは唐突に逸らされてその後一切元親を見る事はなかった。その日は入学式とクラスの顔合わせだけだったので、 生徒は早々に解放された。そのまま家に戻る生徒もいれば、元親のように所属する予定の部活に顔を出す者もいる。
「じゃ、俺様は帰るから。旦那、本当に剣道部に入る気なの?」
 止めといた方が、という気持ちが物凄くこもったセリフだった。 しかし当の幸村はそんな事に気付くはずもなく。
「勿論でござる!元親殿と政宗殿がいるのであれば、当然某も!」
「あ〜、はいはい。それじゃ鬼の旦那、悪いけど旦那の事宜しく面倒みてやって?」
「おう!まあ、俺も一年の下っ端だから、つきっきりって訳にも いかねえけどよ、任せてくれ」
 そうして二人並んで剣道場に向かうのだった。
「なんてゆーか、よくまああそこまで懐いたもんだねえ…」
 普段から人懐こい幸村ではあったが、あそこまで無防備に懐く相手は政宗以来ではないだろうか?
(そういや竜の旦那にも一目で懐いたっけ…。 なんか、ああいうタイプに懐く遺伝子でも持ってるのかねえ、うちの旦那は?)





 この学園には、柔剣道などの道場が三カ所ある。しかも、どれもそこそこな広さがあるとか。
 元親なんかは「なんつー贅沢だ…」と思うのだが、 ここに通う生徒にしてみれば当たり前のことらしい。
「元親殿はおいくつの頃から剣道をされておったのですか?」
「ん?あ〜、どうだったかな…。小学生になる前から竹刀を握ってたかもなあ」
 それは凄い!と幸村の声が廊下にこだまする。
「そういう幸村は、何かやってたのか?」
「某は、長く一つのことをやっていたわけではござらぬが、お館さまが武道を好まれたので一通り何でも 囓ってみたのでござる。ただ、某に合わない物も多く…」
 それで長続きしなかったのだ、と顔を顰めた。無念でござる、とでも言い出しそうだ。
 むら気があるわけでもなさそうなのに長続きしないのは、何が悪いのか?運動神経も良さそうなのにな、と元親は思う。
 幸村と話をしながら歩いてきたので、道場まではすぐだった。
「こちらでござる!」
「へえ、さすがに立派だな…」
 道場からは竹刀の音が聞こえてくる。すでに上級生が中で汗を流しているらしい。
 戸を開けると、熱気がぶわっと二人に襲いかかってきた。 元親はそこの場所から上級生の動きを見つめる。剣道独特のかけ声や竹刀の音が、酷く懐かしく思えた。
 幸村が近付いてきた一人と親しそうに話している。 どうやら顔見知りのようだ。元親のことを話しているのか、上級生が頷きながらこちらを見た。
「お前が長曾我部か、よく来てくれたな! 俺はここの副部長をやってる、相良だ。よろしくな」
「こちらこそ、お世話になります」
「顧問はまだ来てないから、まず着替えてきてくれ。 ところで真田、本当にお前も入るのか?」
「入りまする。ますます楽しみになってきましたぞ!」
 相良はやれやれという顔で、 じゃあ悪いが頼むと元親に幸村を押しつけた。

「あのよう、幸村…」
「何でござるか、元親殿?」
 さすがに一通り各種武道を体験しただけあって、胴着を着ける手は手慣れた物だ。
「ええとよ、その…」
「どうかしましたか?何か不都合でも…?」
「いや、そうじゃなくてな。伊達政宗も、今日からここに来るのか?」
 きょとんとした目が元親に注がれる。
「政宗殿?」
「あ、いや何でもねえ。何でもねえんだ…」
「政宗殿も来られるはずでござる。 元親殿は政宗殿のことが気に掛かられているようだが…」
「え…っ」
 さすがに態度が不審だったろうか?
「難しいお人ではあるが、悪い人ではござらん。 怖くないからご安心なされるが良かろう」
「……は?」
(えーと、もしかして幸村、勘違いしてる?俺が伊達のこと怖くて、色々聞いてると思ったのか?)
 どうやったらそんな誤解が生まれるのか、元親は力無く笑う。
(まあ、怖いってのは確かに合ってるけどよう…。 幸村が言う怖いってのとはちっと意味合いが違うしよ)

 元親が政宗を知ったのは中2の時。全国大会の会場でその戦いぶりを見た時だった。
 まだまだ荒削りだったが、その戦いぶりに目を奪われたのだ。 すぐに敗退してしまったが、元親の目に伊達政宗の姿が焼き付いた瞬間だった。

 あれからずっと政宗のことを気にしていたわけではない。それどころではない時期もあったが、この学園に入学することが決まってからは、 いつかあの男と剣を交えてみたいと思ったことは確かだった。
 その男が。伊達政宗が、ここにいる。
 まさか同じ学園にいるとは思わなかった。 思ったよりずっと早く元親の願いは聞き入れられるかも知れない。そう考えると胸が疼いた。 あの男の何がそんなに気に掛かったのか、それは今でも分からない。戦いに望む姿勢だとか剣が持つ雰囲気だとか。そういうものも確かにあっただろうが、 ただ無性に戦ってみたいと。そう思ったのだ。

 用意を調えた二人が道場に姿を現すと、それまで自由に打ち込んでいた各人が二人の周りに集まってきた。幸村が知らなくても当然だが、 元親はかつて全国大会個人の部で優勝した事があるのだ。そしてその後、突然どの大会にも出なくなってしまった。その経緯は知らなくても、 元親の名前は当然部員であるなら知っている。だからこそ、元親への興味は非常に高かった。

「俺はあの時テレビで見てたけど、思わず身体が震えたのを覚えている」
「俺も俺も!会場で見てたんだけど、凄かったよな!」
「あの時の対戦相手は山中だったよな。西同士の対戦で東は肩身が狭かった」
「だが翌年は伊達が持って行ったからな」
「お前が出ていたらどうなってたか、見物だったんだがなあ」
「おいっ…」
「あ、悪りぃ…」

 元親には彼らの友好的な態度が驚きだった。
(もっとこう、いい顔はされないと思ってたんだが…。気の回しすぎだったか)
 幸村はと言えば、元親の人気ぶりに目を丸くしている。
「も、元親殿は有名人でござったか!」
「いや、そんなんじゃなくて…」

「Hey、何だよ、ここは。剣道場じゃなくてお喋りサークルかなんかなのか?」

 入り口に立つ男が誰なのか、元親には一瞬で分かった。
 鋭い目つきは2年前と少しも変わらない。それでもこの2年で身長はかなり伸びたようだ。 あの頃はもっとずっと小さかった。身体もずっと華奢だった。それでも男が持つ独特の雰囲気はあの頃と同じで、元親の視線を奪って離さない。

「伊達…政宗…」
 政宗の目が元親を射抜く。そして、ゆっくりとした足取りで近付いてきた。
「やっと会えたな、長曾我部元親…。 あんたがここに来ると知って俺は嬉しくて眠れなかったぜ」