私立バサラ学園は中等部から大学部まである、文武両道を謳う有名校だ。かつては男子校だったものが、高度成長時に共学となり現在に至る。
大学部は個性派の教授陣を揃えていて人気があり、中高等部も自由な校風が人気を呼んでいる。
そんな高等部の入学式。
八割方は中等部からの持ち上がりだが、当然高等部からの編入生もいる。ここへの編入試験は難関だが、中にはスポーツでの特待制度を利用して入ってくる者も
僅かながら存在する。
そして元親は、そのスポーツの特待制度でこの学園にスカウトされた一人だった。
「なんと入学式の晴れの日に似つかわしい清々しい朝だ!そう思わぬか、佐助!」
無駄に元気な幸村が佐助を道連れに校門をくぐったのは、
入学式が始まる一時間も前だった。
「はあ…、旦那が早くから行くのは勝手だけどさ、俺様もう少しゆっくり寝ていたかったよ…」
「今日から学校だと思うと嬉しくてよく寝られなかったのでござる!それで早く目が覚めて…」
きらきらした目で、いかに今日という日を待っていたかを
熱く語る幸村を、がっくりと肩を落とした佐助がぼそりと詰る。
「うそばっか。ぐうぐう寝てたくせに…」
よく寝られなかったという幸村の言も、
ぐっすり寝ていたという佐助の言葉も、どちらも本当の事だ。日頃からよく寝る幸村にしてみれば、普段の半分の睡眠時間というのは「寝られなかった」に等しいのだ。
「そう言えば政宗殿はもう来られているであろうか?」
「ああ、竜の旦那ね。あの人もちょっと変わったところがあるけど、
さすがにこの時間からは来てないんじゃないの?」
「むう…やはり誘うべきだっただろうか、佐助?」
幸村は真剣に、政宗と一緒に登校するつもりだったらしい。そんな幸村を必死で宥めて思い止まらせたのは、
単にそんな事になった時の政宗の八つ当たりが自分に向くことになるのが分かっていたからだ。
(ほんとにもう勘弁してよね旦那…)
だからと言って佐助が幸村を持て余しているという訳ではない。
総じて人の良い明るい気質の幸村は、昔から仲間内での人気者だ。
幼馴染みで、しかも従兄弟同士という関係がなくても、佐助は幸村が好きだった。もちろん、もうちょっと人の話は聞いて欲しいし、
余計な事に首を突っ込みたがる癖は困った物だと思っているが、そんな幸村をフォローするのはもう逃れられない自分の役目だと、幼い頃に悟っていた。
「とにかく俺様、クラスを見てくるから旦那はここで待ってて。いい、絶対動いちゃ駄目だからね!」
「わ、わかったでござる…」
くどいくらい念押ししてから佐助はその場を離れた。目指すは新入生のクラス割りだ。
「まったく佐助はくどすぎるのだ…。某とて一度聞けばきちんと覚えているのに…」
今までのことは全て棚に上げて、幸村はぶつぶつと文句を連ねる。
ふと、何かに導かれるように幸村が顔を上げた。その瞬間ざあっと一際強い風が吹き抜ける。すでに葉桜になりかけている桜の木から、
僅かに残った花びらが一斉に散っていく。その木の陰に一人の男が立っているのに気付いた。
(人が他にもいたとは気付かなかったでござる…)
興味を覚えて幸村はその男に駆け寄った。
「おはようございます!某、真田幸村と申す者でござる!そなたも新入生であろうか?」
不意に掛けられた声に男がびっくりした顔で幸村を見る。
その時の気持ちを何と表現すればいいのだろう。懐かしいとも物悲しいとも言うような、
けれども一言で表せはしないようなそんな奇妙な気持ちが湧き上がった。
言葉を忘れた様に見つめる幸村に、男は人懐っこい笑顔で「おう!」と応えた。
「なんだ、あんたも一年かい?俺は長曾我部元親。よろしくな!」
「よろしくでござる!それにしても元親殿、見ない顔でござるが編入生であろうか?」
「んー、俺はあれだ、スポーツ特待生って奴?
ここの理事長に誘われて厄介になってる」
「なんと!それでは元親殿がお館様が仰っていらした方でござるか。某もお館様にお世話になっているのでござる!」
「え?あんたも?でも…」
幸村は中等部からこの学園に通っているようだから、元親が不思議に思うのも無理はない。
「某、お館様とは小さい頃からの知り合いでござる。尊敬するお館様のお役に立つため、家を離れてこちらに通うと決めたのが12の時で…」
勢いよく喋る幸村を別の声が遮った。
「旦那!動くなって言ったでしょ!もう、ちょっとくらい言うこと聞いてよ!」
「ああ、佐助!!す、すまぬ!」
「いいよ、もう。それよりクラスは分かったからとりあえず……あれ?どちらさま?」
「元親殿は某達と同じ新入生でござるよ!」
「いや、それはわかるけどね。今日は入学式だから…。ええと、元親サン?旦那が迷惑かけたね」
「いや、別に迷惑なんかかけられてねえよ。
あんたも新入生なのか?俺は長曾我部元親ってんだ、よろしくな」
「猿飛佐助、よろしく。って、ちょっと待って、長曾我部…ってまさかあんた…」
記憶に微かに引っかかるその名前に佐助ははっと顔を上げる。元親はちょっと困った顔で、剣道部に世話になるんだと呟いた。
(そうか、スポーツ特待生か)
彼が本当に佐助が知る人間なら、十分納得出来る事だった。
「剣道部!政宗殿と同じでござるな!
では某も剣道部に入部するでござるよ!」
分からない程度に元親の顔付きが変わった。
「……また旦那はすぐそうやって勝手に。やったこともないくせに」
「やったことはあるぞ、佐助。政宗殿にほんの少しだけ教えて頂いたのだ」
「へえ?よくまあ、あの短気な竜の旦那が教えてくれたもんだね」
「い、いや…。その、型が出来てないって怒鳴ってすぐに帰ってしまったのだが…」
「………旦那。そう言うのは教えて貰ったって言わないの」
「うう…」
くすりと小さな笑いが零れた。何というか、いいコンビだなと元親は思う。
「やる気があるなら俺が教えてやっても良いぜ。えーと、幸村?」
「本当でござるか、元親殿!是非ともお願いするでござる!」
ぱあっと幸村の顔が輝いた。喜びには本当に素直だ。こんなに喜ばれると、
言った元親も嬉しくなる。
(同い年ってゆーか…どっちかってーと弟みてえだよな)
と、ちょっと失礼なことを考えながら佐助を見る。
多分この男もそんな風に幸村を見ているんじゃないだろうかと思いながら。佐助はその視線の意味に気付いたのか、苦笑して見せた。
「ところでさっき言ってた政宗ってよお…」
「伊達政宗。元親の方がよく知ってるかもだけど、去年の全国大会中学生の部で優勝した男だよ」
やはりと思う。
「そっか、伊達はここに進学してたのか…」
「あれ?会いたくなかった?元親は竜の旦那にもっと興味があると思ってたけど?」
佐助の言うことに間違いはない。元親が結局ここの理事長の誘いに乗ったのも、もちろん破格の待遇と弟たちのことを考えてなのだが、もうひとつ、
再び剣道を始めればいつか伊達と仕合う事が出来るのではと思ったからなのだ。
「竜の旦那は元親のこと、意識しまくってるから会えれば嬉しいと思うよ」
今変なことを聞いた、という顔で元親が佐助を凝視する。
(ふーん、自分のことには疎いタイプなんだな)
「西海の鬼って言うんだって?
竜の旦那が昔ぽろっと零したことがあったんだよね」
「……っ、え、え?だ、伊達が…?」
まさか伊達政宗が自分の事を知っているとは思わなかったので、
元親は哀れなほど狼狽えてしまった。
「さしずめ元親は鬼の旦那だね。よし、今度からそう呼ぼう」
勝手に呼び名を決められたのだが、
それに文句を言うだけの余裕もない。
「元親殿、どうかされたのか?顔が赤いようだが…」
佐助と元親の会話など全く聞いてなかった幸村が何の罪もない顔で平然と聞いたものだから、元親の顔はさらに赤く染まる事になった。
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