透明迷宮 序
西海の鬼と名乗る異相の男に率いられた一団が摺上原に乗り込んできたのは、ようやく雪が溶け出した浅い春の頃だった。緑が顔を出し始めはしたが、まだそこに吹く風は春というにはほど遠い。それでも北の地に住まう人々にとっては待ちこがれた春の訪れではあった。
西からの来訪者はいかにも荒くれ者といった一団で、彼らに比べれば柄が悪いと言われてきた伊達軍もまだまだ大人しく思えた。率いる男はその異相に見合った得物を振るって伊達軍を次々と薙ぎ倒していく。巨大な碇槍は切ったり突いたりするのではなく、薙ぎ払い押し潰す為の物であるようだ。
伊達の名のある諸将が尽く異相の鬼に潰された。
三傑の一人、成実が早々に鬼に屈し、あの小十郎までもが膝を付いた時には伊達軍内部にも動揺が走った。だがギリギリのところで小十郎が退き、政宗と共に鬼と対峙した時には伊達軍に自らの勝利を疑う者は一人もいなかった。
それほど独眼竜とその右目は彼らから絶大な信頼を得ていたのだ。
「2対1かよ!そりゃあちっと狡くねえか!?」
二人を相手にした鬼が苦り切った顔で喚く。それを政宗は一蹴した。
「An?こいつは俺の右目だからな。いわば一心同体みたいなもんだ」
「なんだそりゃ!詭弁だろうがっ!」
こんなやり取りをしている間も斬撃が繰り返され細かい傷が増えていく。
「ちっ!独眼竜が聞いて呆れるぜ!一人じゃ怖くて向かって来られねえってか!?」
ぶんっと唸りを上げて碇槍が振り下ろされる。それは炎を纏って違わず政宗に向かっていった。その碇槍を小十郎の刀が受け止める。だが予想以上に重いその一撃は小十郎をその場から弾き飛ばした。だが、小十郎が割って入ったその隙を突いて政宗が六爪を繰り出す。
ここからが本番だというように政宗が口角をつり上げた。
バチバチ…と六爪が雷を帯びる。見ると政宗自身も既にその身に雷を纏っていた。
来る、と男は身構えた。
己も炎を纏って政宗の一撃に備える。
六爪の先から迸る雷電が鋭い痛みを伴って男の脇腹を抉る。炎で多少は相殺したが、それでもかなりの痛手だ。尤も男が繰り出した一撃も政宗にそれなりのダメージを与えていたからお互い様という物だ。
そんな削り合いが何度も繰り返されれば、決定的な痛手は受けなくとも身体はもうボロボロだ。二人ともかなりの血を流している。肩で息をして、それでも立ち上がってくる敵に一種尊敬のような気持ちが湧き上がった。
「やるじゃねえか、独眼竜」
「そっちこそ、西海の鬼」
こんな楽しい戦いは久しぶりだ。
男――元親は笑い出したい心境だった。
お宝を求めてここまで来たわけだが、金銀財宝よりもっと価値のある物を手に入れた気がした。
互いの一つ目が距離を測る。次の一撃が多分、勝負を分けるだろう。持てる力の全てを炎に凝縮させると元親はゆっくりと政宗に向かって歩き出した。一方政宗も元親に向かう。 ゆっくりとした足取りはやがて小走りになり、相手に向かって真っ直ぐ突き進んでいった。
炎を纏った鬼の牙と雷を帯びた竜の爪が激突する。
閃光が迸りぶつかり合った衝撃が見えざる刃となって二人を引き裂いた。
辛うじて立っていられたのは元親の体力が政宗を僅かに上回っていたからだろう。
「…竜の爪、貰っていくぜ」
政宗の左目が元親の動きを追っていく。何も言わないのは、その行為を認めているのか、あるいは口を利く気力も尽きたのか。
とは言え、元親も立っているのがやっとの状態だ。駆け付けてくるのが野郎共ならともかく伊達軍だった場合、元親の命はないだろう。だがまあ、それも運命だ。竜の爪を例え一時でも手に入れた満足感が確かにある。
ならばいい、と元親は思った。もしこのまま力尽きて倒れようと、本望だと。
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