わが家自慢2 (現代編)
平成23年11月(前回平成21年6月(前々回平成13年4月)
 おかあさん

平成12年
 40代半ばにして
 なぜ?
 私のせいなのか?    ストレスの発散とか!
 近所のお母さんたちとテニス教室に通っている。一番下手らしい。
 昔は農業中心のこの村も、変わりつつある。お婆ちゃんたちの目も
 気にせずガンバっている。
 これは、自慢していいことだ。
平成13年
 最近ぜんぜん練習にいかない。 ストレスが
ないのか?
 運動能力を悟ってしまったのか?
 もうちょっとガンバってほしい!
平成21年
  去年から始めた畑仕事を、今年も一緒にやってくれている。
  色々試しているが、カラスや虫に滅茶苦茶やられている。
  でも、自分で作った野菜は、やっぱりうまい。
  時々、山歩きや奥様仲間とランチに言っている。
平成23年
  孫の世話(土日)と
  パッチワーク・つるし飾りを作っていいる日は、生き生きしている。
  野菜作りは、あきたみたいだ。


 お兄ちゃん(中学時代・大学の話)

中学時代
 中学時代は、伊勢のバスケットをしている同級生たちの間では
 けっこう有名だった。
 運良く(これで運を使い果たしたかも?)全国中学校バスケット
 大会が、伊勢で開催され、地元代表(これが運良く)として参加で
 き、いい経験をした。一試合個人得点ランキングのベスト10の7
 位(29点)になったのが、唯一の自慢。
 そう言えば、あの「月刊バスケット」何処へいったんでしょう。
 大事にしていたはずなんですけど!
 人生甘くないこと、分ってくれているといいんですが?
ただ今、大学生
 一様、バスケットはしているらしい。 が
 アルバイトの支障になったり、GWなどに試合があって、いやになりかけている。
 アルバイトのおかげで、仕送りが助かっているので、親としては複雑です。
平成21年
  我が家に待望のお嫁さんが、来てくれる。
  やっと、一人前。
平成23年
  いいお父さんをしているが、肥えてきた。


 お嫁さん
赤頭巾2
平成21年
  我が家に、仲間入り。
  ちっちゃくて、可愛らしい。
平成23年
  仕事に復帰しているが、もう一人孫の顔が見てみたい。


 初孫ちゃん

平成22年
  3月生まれる。なんと言っていいか。うれしいの一言。
平成23年
  1歳8ケ月。会話ができるぐらい、良くしゃべるようになってきた。
  めちゃめちゃ、可愛らしい。





 お姉ちゃん(西武の松坂君に似ていたが・)(職場では・)

高校1年生
 松坂君が甲子園にあらわれた時、皆さんは、すごい投手だと思った
 ことでしょう。去年の大活躍は、私たちを楽しませてくれました。
 でも、我が家(特に私)では、違うことで驚いていました。お姉ちゃ
 んが、松坂君の妹のように見えた訳です。
 松坂君が、去年のように活躍したり,CMに頻繁に出だすと困るん
 ですが、伊勢で松坂君を見かけたら、私の娘です。
 これって、自慢できることですよねぇ。
番茶も出花
 
松坂君松坂君と言い過ぎたのか
 化粧が上手になって松坂君じゃなくなってしまった。
 高校に勉強じゃなくて、バレーをしに行っている。
 レギュラーになれないけど、ガンバッているので
 お父さんはうれしい。
平成21年
 
働き出して五年目、副主任だそうで、
 なッなんと、先生とも呼ばれているらしい。
平成23年
 そろそろ結婚してほしい。
 お伊勢さん健康マラソンで好成績を狙っていた去年よりは
 練習をしていないが、出場はするそうだ。


 末 娘(もう風呂には・・!)


小学校6年生
 ミニバス・ヒップホップダンスなど身体を使うことは得意。
 時々いっしょに風呂に入ってくれる。
 この頃は、なかなかお伊達にも乗ってくれないので、卒業かな!
中学1年生
 もうお風呂には一緒に入ってくれない。
 二度と子供たちとは入れないと思うと、さびしいなぁ!
 バスケ部か陸上部か迷っているけど
 「陸上はバスケをしながらでもできる」と私が言うと
 反抗期の言葉が返ってくる。
 何と言っておだてようか! いい知恵ありませんか。
平成21年
 専門学校が三年目。
 後一年半で、お父さんの役目も終わりです。

平成23年
 4月から四日市で社会人として頑張っているが、一人前にはまだまだ。
 


 おばあちゃん(よみがえる!)

2001
 去年10月連れ合いの爺さんを亡くして、元気を無くしていたが
 最近元気になってきた。
 特に田植えのときは、張り切っていた。
 と言っても、田植えをするわけじゃない。
 田植えのときは、近所の二男家族や愛知県にいる三男が
 手伝いに来るので、朝市に買物に出かけたり、食事の用意をしたりで
 やたら、張り切りだす。
 わかる気もします。私も歳ですかねェ!
平成18年
 
棺桶に体半分以上入っていたが
 日大板橋病院で、心臓の弁を取替えてもらって甦った。
 (東京へどのように行ったか、記憶にないくらい、ひどかった。)
平成23年
 くの字に曲がっていた左足の膝も手術をした。両膝人工関節になり
 サイボーグにまた一歩近づいた。

 





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