わ が 家 自 慢






松阪牛の名声に貢献

 我が家の自慢話は、曾孫じいさんと牛の話である。
 さかのぼること65年前の昭和10年12月、翌年の2・26事件の計画が密かに進んでいた東京での出来事。
 今までは、各地方で行われていた牛の共進会が、東京芝浦屠殺場の落成を記念し「全国肉用畜産博覧会」として開かれた。全国レベルの大会はこれが初めてで、当然、各地方は今で言うブランドを競っていた訳で、神戸牛、近江牛、松阪牛の生産者の牛が、東京に集結した。
 我が家の(みち)も、三重県を代表する松阪牛の中の一匹として、出場することになり、県の関係者や派遣された獣医さんが、連日我が家を訪れにぎやかだったと、当時11歳で孫にあたる私の父から聞いている。
 結果は、肉牛の部92頭の中で、本命とみらてた神戸牛や近江牛をやぶり見事『名誉賞』を獲得、賞金百八十円とトロフィーなど副賞を貰ったのである。他の松阪牛も好成績をおさめ松阪牛の名を全国にアピールするのに一役かったわけである。


 
☆ 曾孫じいさんと「みち」のおかげで得をしたこと。
   ◎平成8年12月に日本テレビ昼の「おもいッきりテレビ」の
    「今日は何の日」のコーナーで紹介され、安っぽいタオル
    とちょっと立派なボールペンを貰った。
    (たった一・二分のコーナーに、東京から二度も取材に訪れ
     テレビは見るのは簡単だが、作るのは大変な作業なんだ
     なあと、テレビの裏側がちょっと覗けた。)
   ◎テレビに出たおかげで、伊勢のしゃぶしゃぶの店「力也」
    さんから招待を受け、一家7人でご馳走になった。

 ☆ 参考にした著書

   ○伊勢志摩編集室 発行「松阪牛・牛飼いの詩」
   ○中日新聞本社  発行「ザ・松阪牛」




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