追い抜き


ピタピタ
ペタペタ
坂の上の運動場から
風に揺られていたコスモスたち
かたわらを抜けて行く

いつだって方向の変えられる膝は
柔らかか
濁りっこないはずの目は
丈夫か
やたらに降り続いている愛とかで
慣れっこになった傘の中

無心が角を曲がると
神さまだって手が届かない

1978年型の形式の目が
未来への追い抜きを見ると
はらはらしどうしだ


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作品の裏側( 追い抜き )


 割と急で狭い坂の途中に仕事場がある。その上に小学校があり、低学年の子どもたちが、キャーキャーいいながら、私たちを追い抜いていく。まっすぐ歩いている子もいれば、よそ見をしながらの子もいる。

 坂道ではなく、新しい日本に向って、大人たちを追い越して行ってほしい子どもたちには、大人のような形式の目を持ってほしくない。

 柔らかな膝で自由に方向の変えられる
 丈夫な目を身に付けていってほしい、と思う。

 今の大人は、子どもを過保護に育ててしまった。事実、自分の子どもにも過保護だなぁ、と思いながらしてしまうことがある。

 そんな未来を担う子どもの事故は痛ましい。
 <無心が角を曲がると>
 <神さまだって手が届かない>
 子どもは油断をする。キャーキャーいっているときほど油断をする。大人たちが気を付けなければいけない。

 と、いう
 交通安全に子どもたちの未来をからめた詩でした。
 ちょっと、無理があったかも!

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