世の中で幸福な事と不幸な事では、どちらが多いかと考えれば、圧倒的に不幸な事のほうが多いはずである。
嘘だと思うなら、自分にとって幸福な事とはどんな事かを考えて見ればいい。
『働かずに楽して生きて行きたい』『異性にモテたい』『お金持ちになりたい』などがほとんどではないだろうか。控えめであっても『トラブルに遭わず普通に生きて行きたい』ぐらいであろう。このように人の考える幸福は結構大まかでぼんやりしたイメージでしかない。
それに比べて不幸はかなり現実味を帯びている。
『家のローンがあと26年ある』『ダイエットに失敗した』『競馬で6千円負けた』『買った本が面白くなかった』『上下巻の本を買ったつもりが両方とも下巻だった』など挙げればきりがない。
人は常に幸福を求めて生きている、だが簡単に幸福になれないのはだれでも知っているとおりである。
その原因として『幸福は不幸の埋め合わせにならない』という法則がある。これは『杜川の第44法則』と呼ばれている。
何かのはずみで異性にモテるようになっても借金は減らないし、顔の不細工な人が大金持ちになっても魔法を使う事はできないのだ。
このように、不幸に対して違うジャンルの幸福をぶつけても、差し引きゼロにはならないのである。
幸福になるには不幸を消していくのがもっとも確実な方法である。しかし、不幸はそう簡単にはなくせない。『簡単になくせないからこそ不幸なのだ』とも言える。
しかし、『不幸は簡単にはなくならない』とあきらめる事はない。
人間の体に自然治癒力があるように、不幸に対してそれを打ち消そうとする力があるはずである。『運命のバランス』と呼ぶ人もいるであろう。
例えば、車のローンが百万円残っていたとする、そこへ家のローン3千万円が加われば、車のローンなど取るに足らない不幸である事に気づくだろう。
友人が少なくて悩んでいる人も、会社での上司との人間関係と比較すれば、たいした悩みじゃないと心が晴れるはずである。
このように、不幸はそれ以上の不幸によって打ち消す事が出来るのである。
『ひとつの不幸にいつまでも取り憑かれていなように、運命がバランスをとっている』と考えれば、これは不幸でありながらも幸福であると言えるだろう。
ちなみに以前の私は自分の事を『ど級の近眼で、アルコールに対するアレルギーがあってお酒も飲めず、賭け事に全く勝てない不幸な人間』だと思っていたが、今年に入って腰痛を患ってからは、今までの不幸を忘れてしまい、腰痛の痛さにしか不幸を感じなくなっていた。
その腰痛も先月半ばからのノドの痛み(扁桃腺がはれて水を飲むのも苦痛だった)によって忘れる事が出来たし、つい先日には足をひねってじん帯を伸ばしてしまい、普通に歩けなくなってしまった。当然ノドの痛みなどどこか遠くへ飛んでいってしまった。
このように不幸は長続きするものではない、現在不幸であったとしても、しばらくすればその不幸を忘れ去るような何かが起こるはずである。
私にも近い将来、足の痛みを忘れ去るような『幸福』が訪れるだろう。幸せすぎるのもちょっと怖いものである。
6月末にじん帯を伸ばしてしまい、しばらく普通に歩けなくなってしまった。会社でも片足を引きずるように歩いている。
こういう状態になると、普段では気がつかなかった建物の段差が苦痛になる。トイレに行くにも数分がかりで日本の国土の広さを改めて感じる事が出来た。
もっとも目に付いたのは同僚の態度である。
けが人に対する同僚の態度はきっぱりと二分した。「どんくさい・歳のせい・日ごろの行いが悪い…」などと言いながら微笑みかけてくる心の黒い連中と、「大丈夫か?・むりはするなよ」と怪我をいたわりつつ「ちょっときてくれ」と遠く(どんぐりころころ二回歌うくらいの距離)まで呼び出す悪魔のような連中である。本当にちょっとしたことでも絶対に自分では動かないのだ。
「足、痛いんですけど」「うん、知ってる。ちょっと来て」
このような呼び出したびたび受けて、口で言っても無意味だと悟った私は最近では、自分がけが人である事を訴えつつ相手の無神経さをとがめるべく、落ち着いた態度で「わかりました」と返答している。
話は変わるが、人は健康が崩れるととたんに弱気になってしまうものである。
「早く直るのなら、今までの怠惰な生活を反省し、真面目になります。これからはジョギングと英語の勉強を始めます」などと誓ってしまうが、真面目になったところで病気が早く治る事もないし、怪我を回避できるわけではない。
以前腰痛になった時、私は真面目になる事を誓った。
家に帰った時、車から玄関までジョギングするようにしたし、英単語も2つ覚えた。しかし、現実には捻挫でじん帯を伸ばしてしまっている。
じん帯を伸ばした直後は「真面目になっても意味ないじゃねーか。やってらんねー」と思っていたが、まともに歩けない日々を送り、かなり気弱になった頃「もしかして真面目さが足りなかったのかもしれない」と思うようになっていた。
歩くだけなら普通に出来るようになった今でも、その気持ちはかわらないでいる。
この怪我か完治したら、玄関から車までもジョギングし、英単語を5つ覚える事にしよう。
アテネオリンピック開催まであと少しです、中にはオリンピックのために大画面のTVやHDレコーダーを購入した方もいることでしょう。
新聞・雑誌・TVでは連日オリンピックに関係するニュースが流れております。特に出場する日本の選手についての特集はどのメディアでも大きく扱われているようです。
しかし、オリンピックは沢山の国が参加して行われるイベントです。日本人のみで開催するわけでもなければ日本VS他国で試合が行われるわけでもありません。優秀な選手達が世界中から集められて行われるイベントです。
ところが、私達の周りに流れているオリンピック関係の情報は、ほとんどが日本の選手のことばかりで、他国の選手の情報はごく一部の有名な選手を除いてはほとんど見当たりません。たとえ見つけたとしても「日本の対戦相手」として扱われるようです。
このような偏った情報の中で、本当にオリンピックが楽しめるのでしょうか?日本が金メダルを取れればそれでいいのでしょうか?商売として情報を扱うTV・新聞などのメディアはそれでいいかもしれませんが、いろいろな意味でオリンピック自体を楽しむためには、すこし角度を変えた見方があってもいいと私は思います。
と言うわけで、オリンピックを0.5倍くらい楽しめる情報を考えました。
ここに書いてある事は、オリンピックの競技に関する鋭い考察です。夏休みの自由研究やお金儲けの方法を書いてあるわけではありません。
鋭すぎて突き抜けた内容となっていますが、暇つぶしには大変役に立つでしょう。
最近、職場での話題がスポーツ関係ばかりになってしまったような気がする。
話題を仕分けてみると
オリンピック ……30%
高校野球 ……30%
上司の悪口 ……10%
仕事の失敗 ……10%
暑い ……45%
眠い …… 5%
雨が多くて稲刈りが出来ない ……1%
である
合計が100%を超えているのは「オリンピックを見ていて寝不足で眠い」「仕事中なのにどうして上司は高校野球の途中経過を知っているのか?」「ものすごく暑いから仕事が上手くいかない」「高校野球見ていて暑そう」という話をそれぞれに振り分けたからである。
ちなみに集計には体操の採点方式を採用して、一人が語った中で一番多かった話題と一番少なかった話題を除き、残った話題を集めて平均を出している。
また、バスケットの点数方式も採用し、私達が会話している場から遠く離れたところから話しかけてきた話題には3ポイント与えてある。
家での話題はもっぱらオリンピックである。
帰宅すると、母が今日見たオリンピックの結果を丁寧かつ大雑把に教えてくれる。
なでしこジャパンとかなで肩ジャパンとか言うチームが弱いだとか、水泳がすごいとか…スポーツ全般がイマイチな杜川にとっては何ともコメントしにくい話題ばかりである。
うちの家族も普段は大相撲以外は野球中継すら見ないくせに、オリンピックとなると何が違うのかTVにかじりついている。
母が言うには「オリンピックは4年に一度しかしないし、世界一が決まるからすごい」そうである。
言われてみれば、毎年やる市民大運動会より4年に一度しか開催しないオリンピックは確かに「すごい」。しかもオリンピックで優勝すれば「世界で一番」と言われるのだから、やっぱりオリンピックは「すごい」大会であると言える。
しかし、オリンピックで優勝すれば本当に「世界一」と言えるのだろうか?
世界一の実力を持っていながら、オリンピックに出なかった人もいるのではないだろうか?
世界は広いのだから、TVやラジオがない地方があって、オリンピックを知らない人がいるかもしれない。
オリンピックを知っていても、資金不足で断念している人もいるかもしれない。
オリンピックを知っていて、お金があっても字が読めないために参加できない人がいるかも知れない。
条件はそろっていても、足を捻挫して参加を断念した人もいるかもしれない(私のことである)。
条件がそろっていて、怪我も病気もしていないのに実力がなくて参加できない人もいるかもしれない(人類の99.999%)
誰よりも速く・強いのに人間でないがために参加できない者もいるかもしれない(地球の生命の約100%)
いろいろな原因で参加できなかった者たちが今回のオリンピックに参加していれば、別の者が金メダルを取っていたかもしれない。
それに試合中は何が起こるかわからない、次のように条件がそろえば練習をしていない一般人が勝つ可能性もゼロではない。
このように多少ルールを変えれば、オリンピック優勝も夢ではない。
私はこの冗談半分で何回かダイエットについて書いてきた。そのうちの幾つかは根拠のないものであり、残りのものは根拠こそ確かなもであったが、有効性においては甚だ疑わしい内容であったことをここに白状する。
万が一、私の書いたダイエット法を試した方がいたら、結果にかかわらず謝罪するつもりである。
ゴメン、あれ嘘っぱち。
さて、今回のダイエット法はかなりイイ。どのくらいイイかと言うと、お題に『究極』を付けたくなるくらいに効くダイエット法である。
ダイエットには目標がある。当然の事であるが「やせる」という目標である。望んでいるやせ具合は人それぞれであるが、「やせたい」という気持ちには変わりはない。
現在、巷にあふれているダイエット方法は千差万別であるが、以外にも共通点が存在する。それは「やせたいという気持ちが大切」という部分である。
いかに有効で安全なダイエット方法であっても、当の本人にやる気がなければダイエットは続かないし、結果としてやせられない。その逆に、たとえその効力が疑問視されているダイエット方法であっても、強い決心で長い期間続けていれば大抵はやせられるものである。(どうして有効でないダイエット方法でやせることが出来るのかついては、それぞれのダイエット法を勧めている本なりパンフレットなりを参照していただきたい。ここで挙げてもキリがないし、ここで紹介するのはこの文の本意ではないからである)
しかし、どれほど有名で有効であるはずのダイエット方法であっても、失敗は免れない。その理由もまた人それぞれで、例を挙げれば「お金がない(食料の変わりに薬剤を採る場合)」「時間がない(複雑な調理方法によるダイエットの場合)」「食べれない(大食いダイエットの場合)」「運動できない(足を捻挫している場合)」「食べずにいられない(Iさんの場合)」「3日ともたない(48時間ダイエットの場合)」「落とす脂肪がない(レスリングなどの減量の場合)」などである。
そして失敗をする人の話に多いのが「私は水を飲んでも太る体質だ」というものである。Iさんもそう言っていた。
常識で考えれば水を飲んで体重が増える事はあるだろうが、カロリー・糖質などはほとんどゼロのはずだから脂肪になるはずはない、コレはただの言い訳に過ぎない。
と、思っていた。ついこの間までは。
しかし、よく考えれば、世の中にはその「水で太る」のとは真逆の「どれだけ大食いしても太らない人」が存在しているのである。この事に気づいた時、私は究極のダイエット方法を思いついたのである。
究極のダイエット法の極意は誰でも知っているセリフ「病は気から」である。言い換えれば「ダイエットも気から」である。もちろん気功のような怪しげなものではない。心の持ち方で人はやせられるという事である。
ダイエットをしたことのある人は、食べ物を我慢する時に「この一口がブタになる」という呪文を唱えた事があるだろう。実はこの一口ならぬ一言があなたを太らせていたのだとしたらどう思うだろうか。
先の言葉「病は気から」が表すように、人間の身体は思っている以上に心の影響受けやすいものである。
つまり、何かを食べるたびに「この一口が〜」と思っていると、身体が『この一口分にはブタになるほどの栄養があるのか』と勘違いして、食べる以上の脂肪を作り出しているのである。水を飲んでも太るというのも同様である。
「大食いしても太らない人」はその逆で、『いくら食べても、脂肪にならない』と思い込んでいるため、消化器官がサボっているのである。医学的には消化器官が云々と言われているこの現象も、元をたどれば本人の思い込みなのである。
このような考えは斬新かつ非常識であるため、なかなか受け入れられる事はない。しかし、思い込みが身体に影響するという事実を体験してもらえれば、容易に信じてもらえるはずである。
下の文をじっくり読んで心に刻んでいただきたい。声を出して何度も読み返せすのがベストである。
『私は重いものと軽いものが判らなくなる』
それから同じ形の箱(ふたがあって重ねられるもの)を2つ用意していただきたい。缶ジュース2本でも良い。
片方の箱を空にし、もう片方にはっきりと判るくらいのオモリを入れて(缶ジュースなら片方を飲めばいい)、上にオモリ入りの箱、下に空の箱と重ねて置く。
手で下の箱をつかみ両方の箱を持ち上げて重さを覚えた後、上のオモリ入りの箱だけを持ってみると、重いものと軽いものが判らなくなっている自分に気づくはずである。
このように、人の思い込みは想像以上に身体に影響を及ぼしているのである。この思い込みを利用すれば、食事制限も運動もない、ダイエットしていることすら考えなくていいダイエット法となるのである。
そのためには常日頃から「なぜか私は太らない」と口ずさみ、食事の時も「太らないから喰っちゃえ」と心の赴くままに食べまくり、体重を量るたびに「やっぱ、増えないや」とつぶやくなど、努力を怠ってはいけない。
少しでも「やせたい」という気持ちがあるとダイエットにならないので細心の注意が必要である。完全に『自分は太ってないし太らない』と思い込む事が出来れば、ダイエットは90%成功したも同然である。また、やせることが出来なくても深い思い込みのために、不満もおこらないはずである。
どっちに転んでも失敗のないこのダイエット方法こそが、究極のダイエット方法ではないだろうか。
ちなみに、先ほどやった重さが判らなくなる思い込は、死ぬまで直らないらしい。