「こんにちは、第3回大学駅伝言大会中継の時間です。本日はゲストに世界的に有名な双子のマラソンランナー『モウソウ・ブラザーズ』の弟、妄宗ススムさんにおいでいただいております。妄宗ススムさん、こんにちは」
「あーっと、こんにちは」
「どうでしょうか、今日の大会。妄宗さんはどう見られますか?」
「んーっと、そうですね、これだけ晴れていると直射日光がきついですからね、結構まぶしいんじゃないでしょうか。まぶしいと細目をしてしまいますよね、すると眠くなっちゃうんですよ、私の場合」
「はあ、…眠くなっちゃう…ですか」
「えーっと、まあ、走っている最中に寝るということはありませんが」
「普通はそうですね」
「んーっと、選手にはがんばってほしいですね」
「…そうですね…
さて駅伝言の話に戻ります。まだまだメジャーとは言えない駅伝言ですが、今までのタスキをつないで走るだけの駅伝とは違い、記憶力を要するあたりが新しく、また難しくもあり、微妙な魅力が存在しております。
今回参加する大学は8校、北は北海道から南は九州まで全国幅広く参加してきております。しかし、マイナーなスポーツなゆえに、陸上部および駅伝部の選手が参加しているのが4校、駅伝サークルとして活動しているのが3校、駅伝言部として正式に参加しているのが山那須学園のわずか1校であります。今後、駅伝言のメジャー化によって正式な駅伝言部が増えるといいですね、妄宗さん?」
「えーっと、そうですね、僕が大学に入ったときは陸上部員って少なかったんですけどね、僕が2年の時に西町マラソンで優勝しましてね、次の年の部員は倍に増えましたね」
「西町マラソンってどういうマラソンですか?」
「えーっと、僕が下宿していた町の町内会のマラソン大会でしてね。優勝商品が商店街の『中島豆腐店』の油揚げ一年分だったんですよ」
「…油揚げと新入部員にどういう関係があるんですか?」
「んーっと、いなり寿司を山ほど作りましてね、いなり寿司食い放題って言って新入部員を呼び寄せたんですよ。なにせ学生は皆貧乏…」
「妄宗さん、ちょっといいですか、スタートの時間が近づいてきました。大会役員から各選手に担ぎ箱と担ぎ棒が渡されます、江戸時代の町飛脚の格好に習って箱を担いで走るこの駅伝言では、担ぎ棒をもって走るのが特徴のひとつです。
選手がスタートラインに並びました、ここで各選手の前、スタートラインの向こう側に封筒が並べられます。この封筒の中には選手が覚える伝言が書かれています。どうでしょうか、妄宗さん?」
「えーっと、やっぱりスタート前の緊張はすごいですよ。僕も10年前のオリンピックでは大変でした。その前の夜に食べたのが焼肉だったんですけど、その焼肉のタレが辛くてねぇ」
「焼肉…ですか?」
「ええ、焼肉です。辛さが舌に残って消えなくて…」
「それでスタートが遅れたんでしたっけ?」
「え?いえいえ、それで眠れなかったんですよ。スタートの前の晩」
「…まあ、いろいろあるということですね」
「さあ、スタートです。ピストルの音とともに選手が飛び出し封筒を手に取りました。封筒の中には伝言が書かれており、選手は伝言を暗記して次の走者に伝えます。この伝言をアンカーである7区の選手にまでつたえ、アンカーがゴールで大会役員に正確に伝えて最終ゴールとなります。大会記録は8時間33分29秒です、今年はこの記録を破れるのでしょうか?どう思われますか、妄宗さん?」
「あーっと、忘れないようにがんばってほしいですね。僕もマラソンの最中は…」
「すいませんが妄宗さん、実況を続けさせていただきます。まだ走りだす選手はいません。ここを出ますと伝言メモ見ることはできません。途中で忘れた場合は、この伝言ゾーンまで戻ってきてからでないと、伝言メモを見ることはできません。
おっと、ここで昨年の優勝校の山那須学院が走り始めました。今年も山那須が優勝なのでしょうか?続いて城下大学、登蘭音大学が続きます」
「さて、レースも中盤に差し掛かって参りました、先頭は4区を走ります草千里中央大学です。2区で山那須学院が、そして3区では登蘭音大が引き返しました。2区以降の選手が伝言を忘れた場合は、中継地点まで戻って前の走者に聞き直さなければなりません。
草千里に1.5km遅れて青之峰大学、その後はまだ3区を走っております。
すでに山那須学院が5位に転落しましたが、妄宗さん、どう見ますか?」
「んーっと、そうですね、こういう場合は、やはり確実に前に進むことが大切だと思います。僕がオリンピックで走っているときも、頭の中では同じ事を繰り返していましたね。ちょうどお使いに行く子供が、買い物リストを繰り返すようなものですよ。やっぱりそういう時は買う順番に覚えないといけませんよね。」
「…はあ、そういうものですかね」
「えーっと、ほら、パンより先に魚や肉を買ってしまうと、生ものですから。やはり重たい牛乳は最後にしたいですよね」
「…つまり、走るにはリズムが大切だということでしょうか」
「んーっと、そうですね。僕はそれを…」
「おっと!!草千里中央大学の木野選手、突然立ち止まりました。忘れてしまったんでしょうか?どうでしょうか、妄宗さん?」
「おーっと、いけませんね、これはいけませんよ。思い出さないと次に伝えられません」
「はい、そうですね、伝言を忘れたら中継点まで戻らなければばなりません。これは大きなロスです。どうするか草千里大学の木野選手」
「んーっと、このまま走り続けるという手もありますよ」
「え?どういうことですか?妄宗さん」
「えーっと、5区の中継点までに思い出せればいいんですよ。走っている途中で思い出すこともありえます。僕も世界陸上ではスタート前に考えていた優勝スピーチを30kmあたりで忘れてしまい、思わずペースダウンをしてしまったことがあります。あの時は先導車が某自動車メーカーのニューモデルだったので、その車の名前が読めなくて、ついスピーチを忘れてしまったんですね」
「…車ですか…おや、木野選手、走り始めました。思い出したのでしょうか、力強い走りです。大丈夫なのでしょう。わずか1分程度のロスで済みました」
「んーっと、たしかねー、Cで始る名前だったんですよ。nが二つあったような…」
「…車ですか…」
「さあ、最終区も残すところ1kmあまり、ゴールは目の前です。先頭の山那須学院のアンカー玉前選手、伝言を受けてから迷いのない走りを続けております。しかし、30m後ろ追い上げる草千里大学の火口原選手も力強い走りを見せております。3位以降はまだ7区中継点に達しておりません。現在のタイムは4時間54分。このままゴールとなれば、前回の第2回の8時間33分を大きく縮める大会記録が誕生いたします。ちなみにこの中継は4時までですから、あと5分以内であればゴールの模様を中継することができます」
「んーっと、それはどうでしょうかねぇ」
「どういうことでしょうか、妄宗さん」
「えーっと、ほら、目の前にラーメンが出されると、何も考えないで食べてしまうでしょう。それと同じで選手にはゴールに全力で駆け込む本能があるんですね、しかも、そういう時は頭の中が真っ白になってしまいます。でも、私はあまりラーメンは好きでないんですよ。ラーメンはツヨシ兄さんの好物でね、私はどちらかというとパスタ派です。特に好きなのはボンゴレですね。知ってますか、ボンゴレってイタリア語で…」
「そういっているうちにゴールが見えてきました、山那須学園アンカーの玉前選手。残り100mでゴールです。今年の第3回大学駅伝言で4時間58分台の新記録が生まれるのでしょうか?最後まで油断はできません。ゴールでの伝言が間違っていれば失格です。また、ゴール直前に伝言を忘れれば、再び7.1kmを引き返さなければなりません。そうなれば間違いなく山那須学園の連覇はないでしょう。放送時間もあとわずかです。
さあ、ゴール直前の伝言ゾーンにたどり着きました。息が荒い玉前選手、担ぎ棒を大会役員に渡します。担ぎ箱の中から伝言メモを取り出して、いま、メモを開いてマイクを玉前選手に向けています。耳を済まして聞きましょう」
『なまむぎ、なまごめ、なまっぐ、ぐおっ・・・』
「どうしたのでしょうか、玉前選手、口を押さえています」
「えーっと、どうやら舌を噛んでしまったようですね。走った直後で息が荒いところで早口言葉ですからねー。アレは痛いでしょう」
「舌を噛んでしまったのか山那須学院の玉前選手。かがんだままです、大丈夫なのでしょうか?
後ろから草千里大学の火口原選手が見えてきました。しかし、まだしゃべりません玉前選手。
しかし、残念ながらここで放送時間は終了です。今年も放送時間中のゴールはなりませんでした。ココでお別れです。この結果は6時からの『ニュースの時間の時間』のスポーツコーナーか、11時からの『爆裂スポーツニュース』でご確認ください。
今、草千里大学がゴールにたどり着こうとしています。…それでは皆さんさようなら。妄宗さん、ありがとうございました」
「えーっと、伝言が早口言葉だからといって早口で言う必要はなかったんですけどねぇ…」
腰が痛い。
ぎっくり腰かもしれない。立てないというほどではないが、屈んだり座り続けるのがつらい。
私は他人が痛い分には結構耐性があるほうなのだが、自分が痛いとなると話は別だ。背骨を突き上げる鋭い痛みのせいで頭が働かない。おそらく4桁の掛け算は不可能だろう。なんてこった。
痛めているのが腰だけに重い荷物を持つのもつらい。今の私では鳥の羽根100kgも持てないだろうし、100mを10秒で走るのも無理だろう。今回のオリンピックは辞退するしかない。
病気になって初めて健康のよさがわかるとはよく言ったもので、腰が痛くて動きづらくなると『この程度の動きでどうしてこんなに痛いんだ?そんなに難しい動作なのか?』とか『どうしてもっとちゃんと仕事をしなかったんだろう?』と思ってしまう。
やる気は普段の3倍はあるものの、動きが鈍いおかげで仕事の能率は下がってしまう。数字に表すと今の私は健康体の時と比べて50%の能力しか発揮されていないはずである。傍目には普段通りぼんやりしているように見えるかもしれないが、そのぼんやりも半分程度で、残りの半分は痛みと戦いながらぼんやりしているのだ。
うちの会社にも腰痛を患っている人は何人かいるが、実際に腰痛になってみるとその方々の気持ちがわかるようになった。
Tさんは時々「腰が痛いから荷物を持つのを手伝ってくれ」と頼んでくる。今までは『痛そうには見えないな、本当かな?』と思って一緒に運んだが、実際自分が腰痛になってみると、それが嘘だということがわかった。
私だったら絶対に荷物は持たない、すべて後輩Nにさせているのだ。
このような貴重な経験を得て、私は腰痛を訴える人の多くが、大袈裟でかつ嘘つきであることを知った。
嘘をつく人の多くは『他人も自分と同じように嘘をつく』と思い込んでいるらしい。
おそらく私の周りの腰痛持ちも同様に『腰痛を訴える人は自分と同じように大袈裟に言っている』と思っているのだろう。彼らに対して控えめに「大丈夫、ちょっと痛いだけです」などと言ってしまえば、まず腰痛だとは思われないだろう。それどころか「お前と違って俺の腰痛はなぁ…」と腰痛自慢が始ってしまうのだ。(すでに3人ほど聞いている。これ以上腰痛持ちの人に「腰が痛い」と話を振るのは止めておこう)
『痛い目にあったことのある人は他人の痛みが判る』と言われているが、どうもその通りではないようだ。むしろ『自分がもっともつらい目にあっている』と思ってりるのかも知れない。それで自分のことは大袈裟に言って、他人の話は過少評価するのではないだろうか。
実際、私がどんなに大袈裟に腰の痛みを訴えても、誰も心配してくれない。
腰痛は不幸な上につらい。
前回も書いたが、腰痛になると仕事が進まない。実際は腰痛になる前から失敗ばかりなので、見た目には損失はないのだが、『いろいろあって仕事が進まない』今までと違い『腰痛のせいで仕事が進まない』のは大きな不幸である。
病気や怪我をした場合、その原因はさまざまであるが、大抵はウイルスだったり、先のとがったものだったり、タンスの角だったりする。タンスの角を取り除くのは不可能だが、タンスに近づかないことで痛い思いをしないですむようになる。
同様に不幸の原因が腰痛ならば、腰痛を取り除けばよい。腰痛を取り除くためには、腰痛の原因を見つけそれを取り除く必要がある。
とりあえず、インターネットで腰痛の原因を調べてみたのだが、驚くべき答えを見つけてしまった。
『4つ足の動物は体重が4本の足に分散するので腰に負担がかからないが、人間のように2本足で立ち上がると体重が腰に集中する。つまり人間は2本の足で歩き出した時から腰痛になる運命だった』
なんということだ、2本の足で歩くこと自体が腰痛の原因だったのだ。2本足で立ったが最後、今となっては腰痛を予防するには遅すぎるのだ。
1歳前後の子供を見て、やれ『立った』だの『歩いた』だの喜んでいる場合ではない。その子供は確実に腰痛に向かって歩き出してしまっているのだ。
しかし、私のようなとても若い人間が腰痛になるのはちと早すぎるような気がする。2足歩行以外にも原因があるに違いない。
老化以外での腰痛になる原因はやはり『物を持ち上げる動作』であろう。意外なことだが軽いものを持ち上げた時になりやすいそうだ。
しかし、よく考えると私はいつ腰痛になったのか覚えていない。忘れたのではない。ある朝、起きてみると腰痛になっていたのだ。
腰痛になる前夜は全く痛くなかったのに、次の日起きてみるとすでに腰痛になっていた。痛くなった瞬間が全く記憶にない。
首を寝違えると言うくらいだから、腰を寝違えたのではないだろうかと思い、会社でTさんに言ってみたら「そんなの聞いたことない」と言われてしまった。たとえ前例がなくても実際に腰を寝違えたのだから、世界初の症例として大々的に発表するのもいいかもしれない。
家族の話によると、私は歯軋り・寝言が多く、寝相もかなり悪いらしい。私自身は全く記憶にないのだが、確かに『起きたら逆を向いていた』なんて事はしょっちゅうある。そんな私なら腰を寝違える事もありえない話ではない。
家族に『寝ている時の事なので覚えていないが、この腰痛はたぶん腰を寝違えた為だろう』と話したら、『あんたは寝ている時も何かしてるよなー。この前なんか敬語使って仕事の話しとったで』と言われた。
そういえば、今使っているPCを作った時、どうやってもインターネットに接続できなかったのだが、一夜明けたら何事もなかったかのように接続できた覚えがある。どうやら私が寝ている間にもう一人の『私』がいろいろとやっているようだ。
しかも、昼間の私より寝ているときの『私』ほうが有能らしく、腰痛は有能な『私』の機敏な動きに腰が耐えられなかった可能性が高い。
会社で『私』を呼び出して仕事をさせれば今よりもっと能率が上がるだろう、が、そのためには仕事中に寝なければならない。会社で仕事中に公然と寝るのは、どう説明をしても許してはくれないだろう。人材をフルに活用できない会社に勤めなければならないのは、腰痛と合わせて二重の不幸である。
物事を断るのは意外と難しい。商品を売りに来るセールスマンや勧誘の電話にも困ってしまう。私はそれほど気が強くないので、断るのにかなりの勇気がいるのだ。
たいていの勧誘は、相手が断る事も予想した上で言ってくるらしく、よほどの事情がない限り「家のローンがあって金がない」と言えば相手は引き下がってくれる。
しかし、その内容によっては断りにくい事もある。一般によくある断りにくい物として『おすすめな話』がある。
先日、会社の先輩が某石油元売会社のカード会員を勧めてきた。
「入会費無料で年会費も永久に無料。しかもガソリン2円引きで、入会して一ヶ月は5円引き」だと言うのだ。
確かにいい事尽くしである。しかもそのガソリンスタンドは私の家と会社の中間地点にある。『いらない』と断る理由はないように見える、が、私はそのカードが必要だとは思わなかった。
私が帰宅する時間にはそのスタンドは閉まっているし、これ以上カード類は作りたくなかったのだ。正直言って面倒くさいのである。
しかし、先輩にとっては『とても耳よりな情報』であったためか、一日に何度も「入会費無料で…」を繰り返してきた。その後、カードを造ろうとしない私に対して「なんで嫌なんや?」と聞くようになってきた。正直に理由を言っても「そやけど入会費無用で…」と話が戻ってしまい全くこちらの言い分が聞き入れられなかった。仕舞いには「せっかくいい情報を教えてやったのに」とキレぎみに言うようになってきたのだ。
軽い気持ちで口にした『おすすめな話』が、すべての人にとって有益であるとは限らない。しかし、先輩にとって『おすすめな話』は『誰にとっても有益で、多少の欠点があっても即実行に移すべき情報』だったのだ。だから話を聞いても反応しない人がいると『有益な情報を使おうとしない馬鹿』か『俺の言う事を信用していない奴』と思い込んでしまうのだ。
このように『おすすめな話』はかなり危険な物だと言える。
危険なものは『おすすめな話』だけに留まらず、『おすすめのTV番組』・『おすすめの書籍』・『おすすめのレストラン』などもかなり危険である。
これら『おすすめ』は断りにくい物であり、利点・長所が多ければ多いほど断ることが難しくなっている。言い換えれば、聞き手の選択する権利を縛っている事になるのだ。
今さらであるが、私の文章はおすすめではない。
下手で誤字脱字も多く理解に苦しむ事が多い欠点だらけの文章である。しかし、欠点が多いという事は読みたくない理由がたくさんあるという事である。
そういう文章なら、ベストセラーや過去の名作と違い、読まなくても恥をかかないし、後ろめたさを感じる事もない。言い換えれば、このページを見ている皆さんに読む事を強要していない『人に優しい文章』であるとも言える。何事も欠点があるほうが受ける側の自由度が増すのだ。
そういう風に見ていけば、ルックスも人柄も頭も良い完璧な人間より、ぐうたらで欠点だらけの私ほうが高く評価されるはずである。
それなのに(以下省略)
ここ2・3年間、ウチの会社は新卒を採用するようになった。今年も新卒を二人採用した。
毎年この時期になると思うのだが、新人は恐ろしいくらいに素直である。
人としてはこのくらい素直なほうがよいのだろうが、ウチの社内でこれほど素直な人間は全く存在していない。
先日もこんな事があった。
後輩M「杜川さん、次の仕事を早くください」
杜川「Mか、今忙しいからちょっと待ってくれ」
M「忙しいって、今ぼーっとしていたでしょうが」
杜川「何言っとんのや、さっきからこうやって仕事しているやんか」
M「仕事している振りしてぼーっとしてたんでしょう」
杜川「そんな訳ないやろうが。さっきからデータ打ち込んでんの見とったやろが」
M「データ打ち込む振りしてぼーっとしてたんでしょう」
杜川「そんな器用な事出来るわけあらへんやろが」
M「杜川さんならやる。て言うか今やってた」
杜川「やったら、仕事する振りしてぼーっとする振りしながら仕事しとったかも知れへんやん」
M「いやいや、仕事する振りしてぼーっとする振りしながら仕事する振りしながらぼーっとしとったかもしれませんね」
杜川「それやったら、仕事する振り…」
M「とにかく仕事くださいよ。もう仕事切れてしまってすることないんですよ」
杜川「もうちょっとで出来るから、待っとりなさい…ってこれ出来てもお前さんの仕事やないで」
M「えー!ちゃんと仕事して下さいよ」
杜川「だからやっとるやんか。こうやって話しながらでも手は動いとるんやから」
M「でも、足がおろそかになってますよ」
杜川「キーボード打ちながら足動かしてどないせぇっちゅーんね。…こうか?」
M「それは貧乏ゆすりですよ」
昨年入った後輩ですらこのようにねじ曲がった性格をしているのだ。入社当時は今の新人と同じくらい素直だったのに。
他の同僚は言うまでもないだろう。
このような劣悪な環境で働いていれば、生来の素直さを失ってしまうのは当然である。しかも、周りも同様なので自分で変化に気がつかないのも無理はない。しかし、こうやって新人を目の当たりにすると、いかに自分がうす汚れてしまっていたか、そして、私以上に周りの者たちの性格がいかにねじ曲がっているかが露骨にわかってしまう。
今年こそ新人達は、周りのヤツらの悪影響を受けてしまう事なく、素直で真面目で働き者でプラス思考の優秀な人物となるように私を指導していただきたいものだ。
5月も下旬にさしかかり、連休も遠い昔の事になってしまった。
連休中にした事を思い出そうとしても、富士山に登った事が思い出せず。なぜか寝ていた事ばかり浮かんでくる。
本当に富士山に登っていたらとても残念に思った事だろう。登らなくてよかった。
5月といえば『5月病』。
5月病とは、主に新入生や新卒者がかかる病気で、4月からの新しい生活環境に慣れてきて、テンションが以前の状態に戻った事を言うらしい。
うちの会社の新入社員達は、5月になってもテンションが下がったようには見えない。入社当時から夢も希望も持っていなかったのだろうか?
たとえ5月病になっていたとしても、それは入社当時と比較した場合の事で。入社以降どんどん仕事を覚えていっているのだから、多少テンションが下がっても、目に見えて仕事っぷりが悪くなるわけではない。
普段の私と比べれば、お地蔵様ですら『まっすぐ立っている』という理由だけで元気ハツラツに見えるほどだから、新入社員の5月病などは、たいした問題にはならないのだろう。
しかし、私は別に『やる気がない』わけではない。
自分としてはスーパーサイヤ人くらいにやる気を出しているつもりである。が、それでも他の者と比べれば多少ぼーっとしているかもしれない。
実はそれには理由がある。
仕事をするには集中力が必要である。集中力が低下するとミスを起こしやすいし、事故を起こす場合もある。集中力と仕事の能率が深い関係にあるのは当然であると言える。
この集中力は常に一定ではない。『うどんが食べたい』『何かに見られている気がする』などの個人的な理由を除いて、集中力が低下する原因に『時間帯』というものがある。
仕事で集中力があるのは、始業直後や終業前である。『これから頑張ろう』『もう少しで終わるから頑張ろう』という気持ちになるから集中力が高い。同様に昼の休憩前後も集中力がある。
その反対に集中力が低下するのは、中間の時間帯で、同じ仕事を続けていて、始業直後の意気込みが薄れてくるからである。ミスや事故はこの時間帯が多いらしい。
しかも、この集中力の変化は一日サイクルだけに限らず、1週間や1ヶ月でも同様に変わっていくそうだ。土日の前後は集中力が高いということである。
続けて考えれば一年サイクルで集中力は変わるだろうし、もっとスケールを大きくすれば人の一生も同じになるはずである。
生まれた直後や死亡する直前は集中力が高く、その中間は集中力が低下する・・・。確かに産まれたばかりの子供は、『泣く』『寝る』『ミルクを飲む』ことに高い集中力を発揮しているし、老衰で亡くなる直前の老人は生きることだけに集中している。現在私の集中力が低下しているのも、人生の中間点だからに違いない。
『最近、なぜか集中力が高くなってきた』と思っている人は、寿命が近いかもしれないから気をつけたほうがいいだろう。
『集中力が低下してきた』人も要注意である。思わぬ事故に遭いやすいから。
誰だって生きている間は健康でいたいものだ。しかし、年がら年中健康でいられるとは限らない。
出来る限り健康でいるには、何かしらの健康法を行う必要がある。
時々、TV番組で、健康に過ごしている人の健康法を紹介しているのを見かけるが、その内容は『毎日10kmジョギングをする』『青汁を飲む』などであった。中には『30階まで階段を上り下りする』などという健康法を実施している人もいた。
確かにそれらの健康法を行っている人は顔色もいいし元気である、私の10倍は健康に見える。
しかし、それらの健康法が誰にでも有効であるとは限らない。私が『毎日10kmジョギング』などをすれば、半分も走らないうちにぶっ倒れてしまうだろう。
『30階まで階段を上り下り』するのも難しい。私の家も職場も2階建てなのだ。
これらの健康法は健康な人が行うからこそ有効なのであって、普段から不健康な人間が行えば、かえって不健康になる(マイナスにマイナスを掛ければプラスになるという意味ではない)恐れがあるので注意が必要である。
不健康な人のための健康法は意外と知られていない。あるかどうかも分からない
その理由のひとつとして『不健康な人は不健康な状態でもあまり辛くない』というのがある。
私も結構不健康な人間である。視力は0.03を軽く下回り(実際には不明)、アルコールに対するアレルギーがあり、その上腰痛持ちで家のローンもある。
健康な人間がこのような状況になれば、ショックとストレスで80年と持たずに死んでしまうだろう。
だが、私の場合は不健康な状態が普通なので、このような過酷な状況でも普通に生活する事が出来る。死ぬ気で頑張れば還暦を迎えることが出来るはずだ。
しかし、いくら不健康な私でも、病気になるのはやはりつらい。高熱や頭痛に襲われると、色々な事が出来なくなってしまうのだ。100mを10秒で走る事も出来ない。やはり不健康な人間にもある程度の健康は必要である。
そこで私は、不健康な人間のための健康法がないか考えてみた。
日曜日丸一日思索をして私はひとつの結論を得た。そこに至る経緯(昼過ぎに起きたことや昼寝をした事、等)は省略するが、結論としては『不健康な人間がいきなり健康になるのは不可能である』であった。
もちろんコレでは『私の健康法』と題した意味がないので、何とかして健康法をでっち上げないといけない。
腰痛で寝不足気味の(12以上時間寝ても眠い)今は思いつかないが、次回までに考えておくとしよう。
前回健康法について書くつもりだったが、『不健康な人間がいきなり健康になるのは不可能』というお題と矛盾する結論が出てしまった。前回の反省点を踏まえて今回はちゃんと健康法を書こうと思う。
不健康な人は健康な人間よりも体の調子に敏感である。私がいつも『腰が痛い』『眠い』『体が重い』などと訴えているのは、私がぐうたらなのではなく、体の調子を敏感に感じ取っているからである。
健康な人は少し体重が増えても『体が重い』とは思わないだろう。それは体の調子に余裕があるからである。
健康と不健康の境界を水面にたとえるなら、健康な人は海上のかなり高い所にいると言える。その反対に不健康な人は常に海面すれすれである。
健康な人が少し調子を落としても、海面までにはまだ距離があるが、不健康な人が少し調子を崩すと、すぐに水に浸かってしまう。不健康な人は体調に余裕がないのである。
不健康な人がすぐに健康になるのは不可能だが、健康を意識する事により、わずかながらにも健康を目指す事は出来るだろう。
不健康な人は健康な状態がどんなものであるか、はっきりわかるはずである。
健康な状態のありがたみを知って、慎重に体調を管理すれば、少しずつ健康になっていくだろう。
しかし、健康になりすぎてはけない。普通に健康になってしまうと、健康のありがたみが薄れてしまうからである。
この話がピンと来ない人は、健康な人であろう。不健康な人は大いにうなずいているはずである。うんうん…と。
別の話で例えるなら『貧乏でお金のありがたみを知っている間は無駄使いをしないが、大金持ちになってしまいお金のありがたみが薄れてしまうと、無駄遣いが増え散財して財産をなくしてしまい、消費者金融に手を出して利息が雪だるまのようにかさみ、ついに破産をしてしまう』ようなものである。
つまり、不健康な人の健康法は『健康のありがたみが判る程度に不健康でいよう』という事である。
健康になり過ぎないように過度の運動はせず、かといって体が弱ってはいけないので、栄養と休息は十分にとる。
つまりおいしいケーキを食べて昼寝をすればよいだけのことである。それで健康のありがたみを知る事が出来るのだ。
健康でいるよりわずかに不健康でいるほうが健康的なのかもしれない。