日本で生活してもう30年近くなるが、未だに日本には不思議な伝統や儀式が存在する。
その一つにカラオケという儀式がある。
年末年始になると忘年会や新年会などの会合があるのだが、食事の後はカラオケというコースが今も定番である。
カラオケは友達でもない歌手の歌を、一般人が歌ったりそれを聞いたりするという、宗教的な儀式のことである。
その源流は盆踊りなどの祭りである。
歌をメインとする祭りは世界中に存在が認められるが、これほど盛んに行われる儀式は世界でも珍しい。
カラオケをするにはお布施が必要である、儀式を行うにはある程度の環境(人が入れるくらいのスペース・外に声が漏れる程度の防音)が必要であり、世界でもその数は希少であるため、お布施を渡して場所を確保しなければならないのだ。
もし利用が無料で自由になれば、儀式の最中に他の団体が割り込んで来て、儀式を中断させるを得なくなってしまうだろう。カラオケの儀式を中断することは何よりも避けねばならないのだ。儀式の最中に建物の外で割り込み阻止するために、激しい戦いが行われていることは意外と知られていない。
儀式では、一人ないし数人が生贄となって歌を捧げる。
太古には文字通り生贄になり、命を捧げたものだが、現代では価値観が変化し、命の変わりに歌声を捧げるようになった。これは寺や神社の供え物が、食物から小さな金属片や木の繊維を薄く延ばしたものに変わったのと同様である。
歌を捧げる者は、太古の巫女・預言者と同じであり神の依り代とも言える存在である。つまりは神の代理人である。
神の名には「あゆ」「ひばり」など動物が多い、太古より自然と主に生活してきた日本の文化が伺える。「ボア」など南米の動物も神として崇められているのは驚きであるが、それも日本の懐の深さゆえであろう。
「もーむす(天むすの一種)」「ひらいけん(アキレス腱の仲間)」「グレイ(宇宙人?)」なども存在するらしい。
カラオケを聞く者はほぼ例外なくうつむき、声をひそめている。その内の数人は歌の本を黙読し、残りの者も大抵はリラックスしている。会話をする場合も、歌う者の邪魔をしないようマイクなどの道具は使わない。
聞き手達は歌う者を見ることはない、目の前で歌っている者を、まるで存在しない可のように振舞うのが常識である。歌い手を直視するのは神を直視するのと同様の罪なのだから。
また、儀式が終了した時には、聞き手が手を叩くことが必要である。神社で神を呼び出す時に手を叩くように、手を叩くことで歌い手から神を呼び出し、歌い手を人に戻す役割があるのだ。拍手を怠ると神が離れず、更に長時間歌い続けることになりかねない。
先にも述べたが、儀式を中断させるのは大きな罪である。歌の儀式を中断させると、歌い手は神の代理として不満をあらわにするだろう、どんな理由があろうとも、神を怒らせるのは良いことではない。この事実により、神が意外と怒りっぽいのが良く分かる。
海外のメディアによれば、カラオケは日本特有のコミュニケーションだと言われているが、それは事実ではない。
日本人は日本語という言語をもっており、第二言語の大阪弁もある程度は通用する。わざわざ歌で意思疎通を図る必要は無いはずである。
確かに「あいまい」「間接的表現」は日本特有のコミュニケーション術だが、仮にカラオケが意思疎通の手段だとしても「おなかがすいたね」「そうだね、どこに食べに行く?」「もんじゃがいい」「そうしよう」などの会話を歌で表現するには、想像以上の時間と労力が必要である。第一「もんじゃ」に相当する曲があるだろうか?
カラオケの儀式は広く日本国中に広がっており、海外にもその影響は徐々に広がっている。
近年派生する新興宗教としては、かなり不思議なものであるが。国籍・人種・宗教・神を信じるかどうかを問わない点では、排他性の強い一神教の宗派も見習う部分があっても良いのではなかろうか。
私もカラオケで神の代理人として歌ってみたが、そこで判ったのは神がかなりの音痴だったことである。
当然のことだが、冬の朝は寒い。
北国に住んでいるわけでもないのに、何故こんなに寒いんだろう?
中学の時、地理で日本は四季があって過ごしやすい国だと習ったはずだが、とてもそうは思えない。夏は暑いし冬は寒い。
暑ければダレて仕事にならず、寒ければ体が硬くなって肩がこる。かと言って春秋はなぜか眠くなって仕事にならない。これでどうして日本が過ごしやすいなどと言えるのだろうか?
一年中穏やかだったらずっと昼寝ができるのに。
もしかしたら、私が住んでいる場所は日本ではないのかも知れない。
それ以外に理由があるとすれば,
教科書が古すぎるか、私が授業を聞かずに小説を読んでいたか、いずれかが原因だと思われる。
朝が寒いと布団から出にくくなるので、起きるのが遅くなり、遅刻寸前で職場に着くことが多くなってしまう。
そのたびに「明日こそは普通に起きて始業10分前にはくるぞ」と心に誓うのだが、夜が来て朝になると、すでに予定を10分過ぎていたりする。
目覚ましもあるのだが、これが役に立ったことがない。
よく考えれば「目覚まし時計」は矛盾しているような気がする。
目を覚ますために音を鳴らすのだが、睡眠中は聴力が著しく低下しており、そう簡単に起きれるものではない。
私の職場では、古いプリンターがギリギリ音を立てて動いているが、それでも結構簡単に寝れるものだ。どうかするとプリンターが止まったはずみで起きてしまうこともある。
普通なら仕事すらままならない騒音が、ほとんど子守唄のようになっているのだ。
目覚し時計だって、寝ている間はどういう音を鳴らしても、さほど刺激にならないだろう。下手をするとさらに深い眠りに誘うかもしれない。
目覚し時計できっちり起きるには、体が目覚ましの音ををちゃんと聞ける状態になっている必要があるのだ。
寝ぼけた耳では目覚ましの音が、グレゴリオ聖歌のように聞こえるかもしれない。そうなれば、α波を誘って更に深い眠りに陥る可能性も無くはない。
つまり、目覚ましがなる前に起きていないといけない、寝ていてはせっかくの目覚ましが役に立たないのだ。
これでは目覚ましの意味が無いではないか、いったいどうすればいいのだろうか?
子供の時に「寝る前に、枕を起きたい時間の数叩けばいい」と聞いたことが在るが、あれも本当なのだろうか?
今でも聞くくらいだから、結構効果があるかもしれないが、本当のところはどうなのだろう。
枕が時間を教えてくれるから起きるのだろうか?
その場合、枕が外国製だったらどうなるのだろう。
生産国の時間帯で起こしてくれるのだろうか、日本時間で起こしてくれるとしても、時差ぼけ状態だったらとても困る。
また、その枕を外国に持っていくとどうなるのだろうか?
もし、おきたくない時間の数を叩くと、本当に叩いた時間に起きてしまうのだろうか?
それに、購入前に別の人が適当に叩いている可能性もある。
よく考えれば、朝起きた時、枕が私の頭の下にあったことはほとんど無い。
昼寝をして夕方5時ごろに起きた時は、ちゃんと枕の上に寝ているような気がする。
もしかすると私の枕は、売り場で何気なく17回ほど叩かれているのではないだろうか。
そう言えば、売り場で枕を買う前に、硬さを確かめるために触りまくっている人がよくいる。きっと原因はそれに違いない。
まったくもって迷惑な事だ、その何気ない行為が一体どのくらいの悲劇を生み出していることか、心当たりのある人は心底反省してもらいたい。
枕は睡眠の重要なアイテムとして、現在では多種多様な製品が売りに出されている。
実はかなり前からテンピュール枕が欲しくて、そろそろ買っちゃおうかなと思っている。
テンピュール枕はかなりいい物らしいが、安くは無いので慎重に吟味しなければならない。
そのためにも、しつこいくらいに触りまくって、柔らかさや手触りを確認しなければならない。
海外旅行に行く計画が出たのは、2月の始めのことだった。
私は職場のTさんと、旅行について色々話し合った。
仕事中によそ事の話をして、本業をおろそかにするのはプロのやることではないので、本来は休み時間にでもするべきだが、ウチの会社の上司は仕事中に休み、休み時間に仕事をすることが多いので、私たちはそれを見習って仕事中に話をすることにしている。
しかし、露骨に話をするの上司の手前はばかれるので、私たちは最も仕事のはかどってる時(上司がいないとき)を選んで話をすることにした。
私は海外旅行は一度もしたことが無いので、全く勝手がわからないのだが。Tさんはパスポートを持っていた過去から見ても、海外旅行の経験があるようだ。それ以外の理由があるとしたら、単なる趣味か新手のダイエット方法を試したのだろう。
パスポートの期限が切れている事実を見るまでも無く、ダイエットは失敗しているので、パスポートダイエットはあまり期待できないダイエット方法である。
まずは飛行機に乗って移動するわけだが、まず心配なのは事故である。
先日もスペースシャトルが大気圏に再突入する際に事故を起こし、私は最先端技術も完璧ではないという教訓を得たが。同時にスペースシャトルに乗らなければ大気圏に再突入することは無いので、あまり悲観的になることもないと確信した。
人間は6万メートル上空から落ちたら死んでしまうが、普通の旅客機が6万メートルも高いところを飛ぶこともそう無いらしいので安心だ。
もし事故があっても、ジェット機の飛ぶ高度は1万メールくらい(らしい)ので、被害は約1/6ですむ。痛さも1/6くらいだろう。
行き先は香港とシンガポール等だが、心配なのは食べ物でも治安でもなく、言葉の問題である。
当然のことだが、外国に行くとあまり日本語が通用しない。
国内にいて日本語を駆使しても、Tさんと私は分かり合えないくらいだから、遠い異国の地で、ましてや日本語が通じないとなると意思疎通は不可能に近いであろう。
しかし、万が一何かあった時のためにも、現地語で最低限必要な言葉を覚えておかなくてはならない。
必要と思われる文は以下の通りである。
このくらい覚えておけばどこの国にいっても大丈夫だろう。準備を怠らなければ何事も上手くいくはずである。
2月某日、関空から香港に向けて飛行機は無事に飛び立った。
お土産よろしく頼みます。Tさん。
追記 :
無事に痩せること無く帰ってきたTさんのお土産は、マーライオンの形をしたチョコレートだった。
私は「香港で売っている現地語で書かれた日本の漫画(ワンピース等)」を頼んだのに…残念。
人間にとって睡眠は重要である。
生活の1/3〜1/4は睡眠時間であり、睡眠時間以外の時間もほぼ全て睡眠のために費やされている。
運動はぐっすり眠るために体を疲労させているのであり、食事は睡眠時間中におなかが減らないよう、栄養を補給するのである。
ぐっすり眠れた次の日は、心身ともに快適であり仕事や運動に思いっきり打ち込めて、次の睡眠が更に快適なものになっていくのだ。
言い換えれば人生は睡眠そのものと言ってもいいだろう。
太古から人間は眠る場所を持つことが生活そのものであった。
快適な睡眠を得るために布団を使用するようになり、布団を濡らすと乾かすのが面倒だからと穴倉で生活するようになってた。
その後、布団が汚れないようにと床を設置するようになり、それらが高くなってベッドとなった。
日本では、ベッドだけを高くするようなけちなことをせず、建物全体を持ち上げ今のような家の原形になったとも言われている。
布団を中心に文明は発展し、古代ローマ帝国では、布団の中に詰める綿を集めるために道路が整備された。シルクロードも同様である。
人々は安心して寝る場所を得るために、自分の縄張りを主張するようになった。誰のものでもない土地を自分のものとし、柵を巡らせ防御を固めて他人を寄せ付けないようになったのも、本来は寝るためである。
人々はより快適な眠りを求めて、様々な試行錯誤を繰り返した。
夜になると眠くなる習性から、夜空の星が人間に影響を与えると考え、占星術が生まれた。これは現在は天文学と言われている。
海上でも眠れるようにと船も大型化され、その結果遠くまでの航海が可能になった。
服装にも変化があった。睡眠用の服が発明され、多くの人が寝巻きを使用するようになった。これによって無意識に日中の『活動モード』と夜間の『睡眠モード』を使い分けることが可能になった。ファッション用語の『モード』がこれに由来するのは有名な話である。
産業革命以降、人々は更なる快適な眠りを求め、様々な研究を行ってきた。
スポーツが心地よい眠りを招くとして、意味も無く体を動かすようになり。家や家具の所有に金銭が必要となったため、労働者が生まれた。
電気は光によって睡眠時間を遅くする反面、起床時間を遅れさせ、人間が明るい昼間でも寝られるための訓練に貢献した。
通信網の発達は、留守番電話によって、自分が起きている間にも、世界のどこかでは睡眠中の人がいることを常に認識させた。
TV・本・ゲームなどの発明は、体を動かすことなく心身を疲労させ、夜更かしを誘うものとして当初は敬遠されたが、現実として不眠症の人の暇つぶしとなり、昼寝・居眠りを誘うものとして、現在は違和感無く生活に溶け込んでいる。特に若い世代ではこれらの使用が顕著である。
そしてその睡眠のための重要なアイテムの一つが枕である。
これまで枕といえば、ソバガラや綿などの柔らかい物から、陶器の硬いものまで様々であったが、この21世紀になって生まれたのが、硬いようで柔らかい『テンピュール枕』である。
アメリカはNASAで開発されたという、とてもアヤシゲな出自を持つこの枕は、なんでもロケットの中で、搭乗員が使用するために開発されたといわれている。
どうやら無重力でも枕がないと眠れないようだ。
というわけで(ここからが本題)私はついに『テンピュール枕』を買った。
私は睡眠が浅いせいなのか昼寝が大好きで、休みの日などは昼近くまで眠り、昼寝をして更に夜も眠るという生活が多い。
仕事中にも瞬間的に気を失うことも多く、気がつくとPCの画面いっぱいに「;」が並んでいたこともあった。
そんな私が快適な眠りを求めるのはごく当たり前のことと言えるだろう。
『テンピュール枕』のことはだいぶ前から知ってはいたのだが、多少値が張る(当時9千円くらいだった)ので、イマイチ踏み切れなかったのだ。
しかし、ネットの友人が勧めてくれたので、思い切って買うことにした。
買って最初の2日くらいは、以前の枕との違いからか違和感を感じていたのだが、数日経つとその微妙なフィットする感覚が気持ちよくなってきた。
なにしろ頭の形に合わせて変形してくれるから、頭を置くと何となく浮いているような、枕全体が頭を均等に支えている感覚が気持ちいい。
おかげて眠りも深くなり、今までの目覚ましでは起きられなくなってしまった。
しかも、この枕の効き目は睡眠中だけにとどまらず、起きている時も気持ちよく眠ることが出来るのである。
その証拠にこの一週間は、仕事中にウトウトすることが多くなっていた。しかし、心は寝てもなぜか体は仕事を続けるので、意味も無く印刷をしたり、作成中のファイルを気持ちよく削除したりするのだ。
今までのような意味も無い文字を打っていたのと違って、驚くべき進化である。
たった一週間でこれならば、もう少し慣れれば、眠りながら必要な仕事が出来るようになれるはずである。
その時の私は、現在の私をはるかに上回る存在になっているはずである。
居眠りや昼寝が会社で奨励される日も近いだろう。
すばらしき哉テンピュール枕!
このごろ初心者マークをつけた車が多くなってきた。
彼らは皆自動車学校で勉強して運転免許を取ったのだが、自動車学校の教習で教わることは運転の基礎であり、現実の道路では想像も出来ない事態が発生するのが常である。
昔から『初心忘れるべからず』とも言われているので、初心者になったつもりで運転での注意事項などを振り返りたい。しかし、注意事項の中には不可能とも言える内容も少なくない、本当に安全な運転は可能なのだろうか?
一般に運転中は運転に集中すべきだと言われているが、現在の車は運転に集中出来るようにはなっていない。
運転の邪魔になるものとして、道路標識以外の看板・ラジオ・カーナビ・同乗者・借金・病気(意識を失う病気)・怪我(命を失う怪我)・他の車などがある。
これらは運転の役に立たないばかりか、運転から注意を逸らせて事故につながる恐れがある。
特にカーナビは危険だ。
カーナビは迷子にならないための道具として、今では一般的になってきているが、カーナビが標すルートを知るためには視線を前方から外す必要があり、その間は運転はおろそかになってしまう。
知らない道を走るのに、カーナビは便利な物に見えるが、実際は知らない道をよそ見しながら運転する方が23倍危険なのだ(当社比)。
また、運転中は前方を注視しているだけでは不十分であり、車の各メーター・各ミラー・路面状況・天候・同乗者(寝ていないかどうか)・自分の体調(寝ていないかどうか)などにも注意を払う必要があるとされている。
そういう意味では人間よりもヤツメウナギやカメレオンの方が運転に向いている。
前者は目が多いので一度に多くの物を確認でき、後者は人間の数倍視野が広い。
しかし、彼らは運転に興味が無いのか、自動車学校には通っていない。彼らならば優良ドライバー確実だろうに。
性別での運転の差も良く言われることである。
以前聞いた話では『男性は集中力があるので運転が上手いが、女性は周りの事に気をとられやすいので運転が下手だ』とあったが、集中力の有る無しで運転の向き不向きが決定できるのだろうか?
話が本当なら、運転中に別の事(メーター・ミラー等)に気がとられた場合、男性は完全に運転を忘れるのではないか、その反対に女性は別の事を考えつつ運転に気をとられることになる。
それに女性は同時に複数の仕事をこなすことが出来る。『同時に複数の料理を作る』『話をしながら仕事をする』『ダイエットしながらケーキを食べる』『ダイエットしながら体重を増やす』など、男性には不可能なことを実行できるのだ。
運転に集中できない状況なら、実は女性の方が運転に向いているのではないだろうか。
一旦事故を起こすとなると、車は非常に危険な物となる。自動車事故で大切な命を失うこともしばしばである。
ドライバーは責任を重く受け止め、失敗の無いように常に万全の体制を整えなければならない。わずかな迷いが事故につながるのだ、正しい判断力と豊富な知識を駆使して完璧な運転が出来なければドライバーは失格である。
しかし、振り返って自分がドライバーに向いているかと考えると、かなりの不安があるのは私だけではないはずだ。
命に関わる仕事として医者・飛行機のパイロット・薬剤師・裁判官・ゴルゴ松本などが上げられるが、だれだって自分が病気の時に手術をする医者が自分だったら物凄く不安になるはずだ。
車の運転だって同じくらいの責任があるのだ、本当は運転免許試験は医者になるくらいの難易度が必要なはずだ。
そうすれば免許を持つ者が減って車の数が減り、道路で快適に車をブッ飛ばせるようになるだろう。
人は意外と自分のことを知らなかったりする。
ちょっとした癖を自分は気づいていなかったり、性格の意外な部分が嫌われていたりすることもある。
私も周りから「訳の分からないことを言うヤツ」などと言われることが多いが、私自身としてはそういうつもりは全く無い。
「杜川さん、俺、昨日携帯を変えてきたんですよ」
「ふーん、で、どんなやつにしたん?」
「杜川さんみたいなやつです」
「こんな人間ぐらいい大きい電話って、それだけで携帯とは言えんよなー」
「何言ってるんですか、そんな電話あるわけないでしょうが。杜川さんの持っているやつと同じ携帯です」
「え?このシャーペンみたいな電話かいな。そりゃすごい細いなー、もう携帯自体がアンテナって感じ…」
「だからー、そんな電話あるわけないでしょうが!杜川さんの携帯電話と同じ機種です!」
「ああ、そういうことね…」
「全く!いつもいつも…」
後輩Nは自分の間違いに全く気づかずに行ってしまった。
意外に気づかない事といえば、病気なども挙げられる。
健康に過ごしていたと思ったら、健康診断で病気だと言われてビックリすることもありえるだろう。知らない間に病気になるのを恐れて健康診断を受けない人も結構いるはずである。
また、反対に自覚症状がありながら、それが病気だとは気づかない人もいるのではないだろうか。
その証拠に、私はつい最近まで自分が花粉症だとは気づかないでいた。
思い返せば、何年も前から私はこの時期になるとひどい花粉症になっていた。
天候で言えば、天気がよくて気温が高めで、風がないかあるいはすこし吹いている時、時間帯は正午前から午後4時くらいまでに症状は起こる。
年間を通して症状は起こり続けているが、春先から梅雨までの時期が最も症状がひどくなる。
どこからどう見ても花粉症に違いない。
一年を通して花粉症になるのは珍しいかも知れないが、今の世の中では一年中何かの花が咲いているので、一年中花粉症でも不思議はない。
それに全ての花粉に反応してしまう花粉症だってありえるのだから。
発生する場所が会社に限られているのは、生活の大半の時間を仕事に費やしているのと、いつも事務所に何らかの花が飾ってあるせいであろう。
果たしてこれで労災にする事は可能だろうか?
ある人は杉の花粉で花粉症になり、別の人はヒノキの花粉で花粉症になる。以外にもイネ科の花粉も侮れないらしい。
花粉症の原因になる花粉が人によって違うように、花粉症の症状も人によって様々だ。鼻水・くしゃみ・涙・のどの痛みだけにとどまらず、発熱や倦怠感もあるらしい。
私の場合は特殊な倦怠感と目の特殊な症状の複合で、花粉症を起こすとまぶたが開かなくなり、意識が朦朧となってしまう。
傍から見ているとウトウトしているように見えるだろうが、私自身は花粉症と戦っているのであり、けっして春の陽気と昨日の夜更かしでウトウトしているわけではない。
マスクをして見たが、花粉症が良くなる気配はない。もしかすると二酸化炭素や窒素に対するアレルギーかもしれない。
花粉症は完治が難しいと聞くし、一年中花粉症になっているという事は、ほぼ全ての花粉に反応しているのであるから、直すのはほぼ無理だろう。
一生この花粉症と戦っていかなければならないと思うと、つらくて夜も眠れない。眠れないので仕方なく本を読み、夜更かしをしてしまうと寝不足で体調を崩すためか、次の日は決まって花粉症に襲われる。
この悪循環を断ち切る画期的な花粉症対策はないものだろうか?
私はよく知らないが、花粉症はつらいらしい。
花粉症になるとこの時期は目のかゆみ・くしゃみ・鼻水・鼻水・鼻水が出てきて困るそうだ。
花粉症の原因は名前の通り花粉と体質が深く関連しているようだが、人によっては症状を起こす花粉は違うらしく、検査か何かで原因を特定して遠ざけるように注意するらしい。
確かに鯖に弱い体質の人は鯖を食べないようにするし、濃硫酸に弱い人は濃硫酸を飲まないようにしている。
しかし、花粉のように目に見えない物を、一体どうやって遠ざけるのかはイマイチよく分からない。
くしゃみが出たらとりあえず道を変えるのだろうか?
要するに花粉症になったら、花粉から逃げ回ればいい。
例えればオニごっこのようなものである。
この場合は自分以外は全部オニなのだが。
しかし、花粉から逃げているだけでは根本的な解決とは言えない。世の中のほとんどの人がが結婚しているように、いつまでも逃げられるものではない。
現代医学は花粉症を治す薬を全力で研究しているだろうが、今のところ花粉症を完全に治す薬はないらしく、体質改善が一般的な治療方法のようだ。
これは花粉に対して人間が一方的に譲歩している状態である。
しかし、世の中のあらゆるものが対になっている事を皆さんはご存知だろうか?
生と死、男と女、疑問と回答のように全ての物事には対になっている物があるのだ、異常に対して正常、罹患に対しては治療が必ずあるはずである。
すこし前に会社のTさんが海外旅行に出かけた。
お土産はマーライオンの形をしたチョコレートであり、そのチョコは一晩にしてうちの家族に食べられてしまったが、その後Tさんから旅行中の面白い話を聞いた。
Tさんは花粉症で、ひどい時は事務所内でもマスクをしている。
花粉症が楽になるなら毎日マスク着用をすればいいのに、それをTさんに言うと怒ってくるのは何故だろう?
『マスク姿が最高に似合っている』って言っているだけなのに…
それはともかく
そのTさんはシンガポールでは全く花粉症にならなかったそうだ。
『それはシンガポールの空気が日本と違って綺麗だからだ』と思うだろうが、大切なのはその後に起こった事である。
帰りの飛行機の中、Tさんと旦那は日本の上空になった途端にくしゃみと鼻水が出てきたそうである。
飛行機内の空気はシンガポールの空気のままのはずだし、もし外気を取り入れているとしても数千メートル上空まで花粉と汚れた空気があるとは考えれらない。それにシンガポールにだって花は咲いているのだ。
つまり、花粉症は花粉と汚れた空気のせいだけではなかったのだ。
それでは一体何が原因か?
私が考えたのは『呪い』である。
花粉症が物理的な原因で引き起こされるのでないとしたら、霊的・精神的な原因であろう。つまり『呪い』なのだ。
昔から言葉には霊的な力があると考えられていた。言葉一つで人は元気を与え、希望をもらい、打ちひしがれて絶望を味わう。悲しい話を聞けば同情して涙を流し、不正を糾す意見を聞けば同調して正義感を高ぶらせる。
嫌なヤツに『アホ』と言うのも『ヤツがアホになりますように』という呪いの言葉なのだ。
世の中にアホが多い事実を見れば、呪いは実在ししかも確実に効いている。
少なくとも私には効いている。
きっと誰かが日本に花粉症の呪いを掛けたのだ、もしかすると花粉自身が呪いを掛けたのかもしれない。
花粉症になった人は、花粉とその仲間に呪われる様な事(椿の花をむしって蜜を吸う・朝顔の花をむしって色水を作る・朝顔の栽培に失敗する・等)をした覚えがないかどうか、考え直してみてはどうだろうか。
覚えがなくても、先祖が何かしでかしている可能性も否定できない。花粉症になった人は子供も花粉症になりやすいらしいから、先祖からの呪いが続いている可能性もあるのだ。
シンガポールでTさんが花粉症にならなかったのは、Tさんがシンガポールの言葉を理解できなかったからだろう。外国語で呪われても相手がその意味を理解できなければ効き目がないのだ。
そう考えると英語の得意な人は不幸である。
英語の通じる国は結構多いから、どこに行っても花粉症になる可能性が高いのだ。
花粉症から逃れるには英語の通じない極地か海底にでも行くしかない。
シロクマ・ペンギンは英語を話せないし、うに・なまこ・あわびは英語が話せない上にとても美味しいのだ。
英語が話せなくて良かった。
さらにうに・なまこ・あわびがあれば文句はないのだが・・・。