また増えてる。預金ではなく体重が。
以前、すばらしいダイエット法を考えたことがあるが、今だ実行できないでいる。
理由は「価値観の不一致」。
皆さんは『病は気から』というすばらしい格言をご存知だろうか。たぶん知っているでしょう。
知らない方の為に意味を説明すると。
『病気とは、「調子が悪いな、でも気のせいかな」と思っているうちに、本当の病気になるものなので、油断してはいけない。ましてや病気になっている最中に「もしかして別の病気かな」などと思ってしまうと、新しい病気を呼び寄せることになりかねない。読書嫌いなのに重い活字中毒になったり、花粉症でありながら園芸中毒になったりと苦痛を増大するだけである。なのでできるだけ趣味は持たないようにしよう』という意味ではない。
という訳で、最近は「病も気からダイエット」を中心に行っている。盆休みにぐうたらして蓄えた分を減らそうというのだ。予定では3年かかる遠大な計画である。
気持ちしだいで人間の体は変化するものらしいから、やせるように気持ちを持っていけば痩せるはず、しかし「やせたい」と強く念じるだけでは意味がないだろう。それで痩せればねぇ…苦労はしませんよ。皆さんもそう思うでしょう?
必要なのは願望ではない、体に痩せるように働きかけなければならないのだ、つまり体に「運動しているように思わせる」のである。簡単に言うと自分の体をだますのだ。
人間の思い込みは結構効き目があるらしく、催眠術を使えばただの棒切れが火箸に思えて、熱がるどころか、やけどの跡すら現れるらしい。
ならダイエットにも有効なのでは、と誰でも思うはず。そこで考えたのが上述の「病も気からダイエット」なのです。
自分の体に対して「腹筋を100回している」と言い聞かせ、腹筋をし過ぎる(と体が思い込む)ことのないように体を安静にして毎日を送るようにしてすでに1ヶ月がたつ。
しかし、やはり「毎日腹筋を100回している」と思い込むだけで痩せるはずもなく、しょっぱなから「病も気からダイエット」は見直しが必要となってしまった。
以前より深い考察を重ねると
腹筋をしていると思い込むよりは、実際に腹筋をした方がよいだろう。
↓
腹筋をするよりはウォーキングの方がいいかもしれない。
↓
それよりはジョギングした方が痩せるに決まっている。
と考えが移っていきました。
結果、「毎日腹筋を100回している」と思い込むのをやめ、「毎日ジョギングで30分ほど近所を走る」と思い込むことにしました。
腹筋よりは効き目があるでしょう。何事も気持ちが大切です。
他人に物事を説明するのは、簡単なようで意外と難しいものだ。自分では当たり前のことでも他者は知らないという事もある。
私は常日頃から説明をする時には、十分相手に伝わるよう細心の注意を払っている。時には例え話を交えてイメージやニュアンスも伝わるように工夫をしている。しかし、あまりに熱心に説明しようとするあまり、内容が多くなり重要な部分が伝わないこともある。また、例え話の内容が理解されないことすら少なくない。
ある日の後輩との会話
「これ置いとくね」
「はい。あ、杜川さん、これ幾つありますかね?」
「24個あるはずやよ、だいたいインド象24頭分かな、松井のホームラン24本分とも言う」
「…なんですかそれ?何で松井なんですか」
「解らんか?それじゃぁバースのホームラン24本…」
「いや、意味分かりませんよ」
「え、お前バース知らんの?マジで?」
「じゃなくて、そういう意味じゃありませんよ。何でそんな物に例えるんですか?」
「いや、解りやすいかなと思ってね。ほら、難しいことを長く説明するよりも、的確なたとえ話をする方が効果的って言うし…」
「数説明するのに何でホームランなんですか?」
「生活に密着しているかなと思ってね。野球知っとったら理解しやすいやろ?」
「普通に24個でいいじゃないですか」
「それじゃ聞くけど、東京ドーム20個分の重さってどのくらいか想像できるか?」
「そんなん解りませんよ。そういうの普通広さで言うでしょう」
「仕方がないな…じゃあ広さで良いや。東京ドーム20個分の広さって鈴鹿サーキットいくつ分か解るか?」
「…解りません」
「だろう。それは東京ドームも鈴鹿サーキットも生活に密着していないからや。これが20万円と千円札だったらすぐに解るやろ。それは20万円も千円札も生活に密着しているからすぐに想像できるんだな」
「…そうですか?」
「じゃあ聞くけど、5万円は2千円札で何枚や?」
「えーっと…」
「はい、時間切れー。すぐに解らないのは2千円札が生活に密着していないからや、わかったか」
「…じゃあ杜川さんはインド象が生活に密着しているんですね」
「当然。重さを表すにはメートル法とインド象法の二つって昔から決まっているからね。最近の若い者は知らんやろうけど」
「インド象法ってのがあるんですか?」
「あるよ。重さを量る時に『インド象何頭分』って言うやろう。他にも『富士山幾つ分の高さ』とか『般若心経何回分の時間』とか『10倍界王拳』とか…」
「…本当ですか?」
このように、いかに心血を注いで説明をしようとも、相手にそれを理解する能力がなくては、相手に十分に伝えることは困難である。
相手の理解レベルを考えて説明をしないと、どうしようもないのだ。
しかし、相手のレベルを考えないで説明をする人のなんと多いことか、あなたの身の回りにも沢山いるはず。
また、そういう人に限って「ちゃんと説明したはず、わからないほうが悪い」と言うのだ。
説明は相手に理解されて初めて説明出来たことになるはず、相手が理解できないのを相手のせいにしていれば、永遠に理解をさせることは不可能である。
音楽の演奏前に音合わせをするように、説明前に十分内容を説明して、相手が完全に理解できたのを確認してから説明を行うようにすれば、相手に十分伝えることが出来るはずです。
これだけ説明すれば、十分な説明方法が理解できたことでしょう。これだけ説明しても解らない人は・・・(以下削除)
思い込みダイエットを始めて約一ヶ月が経とうとしている。その間、世間では様々な事件が起こり、多様なニュースが飛び交った。
世間同様、私もまた激動の一ヶ月を過ごしていた。
デジカメで彼岸花を撮ったが全てピンボケだったり、阪神が優勝できなかったりと息をつく暇もないほど忙しかった。
昼寝やおやつはもとより、食事やTV鑑賞、ついでに仕事まで追加された鬼のようなスケジュールをこなしながらの毎日は、常人ならあまりの過酷さに鼻歌が出てしまうところだっただろう。
しかし、私は不断の努力と根性でいやいやながらこなしていった。
あまり激務の為か、私の体は衰弱した。人間は体が弱ると力が出ないと言うが、本当に弱った時は頭脳も弱るものである。
つい先日もイリニウムの元素記号が何かを思い出せずに苦しんだ。周りの人々に聞いて回ったが、解ったのは私の周りには私より賢い人がいないということだけであった。
誰もイリニウムの元素記号を知らなかったのだ。
その後、ちゃんと調べたので、イリニウムという名の元素が存在していないことを私は知っている。
前置きが長くなったが、とりあえず体重は減っていない。
増えた体重は常識で考えれば脂肪である。
体重が増加した人の中には、鉛を飲み込んだり、体に鉄板を埋め込んだ人がいるかもしれないが、私はそういう事をした覚えがない。ついでに言えば脂肪を埋め込んだ覚えもない。知らない間に鉛を飲み込んでいたのだろうか?
もし鉛を飲み込んだとすれば、今までのダイエット法は誤りになってしまう。食事を減らしても運動をしても、鉛を体外に排出しなければ意味がないのだ。
それには『鉛吐き出しダイエット』しかない。
と、極端な言い方をしてしまったが、今回発見したダイエット法『目的別脂肪ダイエット法』の基本は上記のような内容である。
体についた脂肪はもともとは食品に含まれたていたものである。
肉についていた脂身は、その動物が必要であったがゆえに貯めていた物であって、人間のように不要にもかかわらず溜め込んでしまった物とは訳が違う。
つまり、脂身にはそれぞれ目的があり、目的達成のためにいつまでも自身を維持し続ける本能があるのではないだろうか。
食事制限や運動をしてもやせないのは、痩せる事に対して脂肪が納得していない可能性が考えられるのである。
それぞれの脂肪の目的を考えてみよう。
魚の脂身はやはり泳ぐためであろう。長時間泳ぎ続けるための栄養が脂身となって体に蓄えられているのだ。
牛やブタの脂身は冬に備えての備蓄といえる。食料が無い冬を乗り越えるための命綱である。
現在は家畜によって供給される肉であるが、野生であった頃の本来の目的を考えればそう考えるのが妥当だろう。
『目的別脂肪ダイエット法』とは、脂肪の本来の目的を理解し、それらにあったダイエット法を行って脂肪を減少させようというものである。
実践例を挙げてみよう。
このように目的にあわせたダイエット方法を行い、脂肪に納得してもらえば、必ず脂肪は減少するだろう。
幽霊を成仏させるのと基本は同じである。
現在、植物性油による脂肪を落とす方法を検討中。
果たしてどちらが有効だろうか…
後輩よ、時々お前は私をおっさん呼ばわりするが、私はお前が思っているほどおっさんではない。
年齢だって29だ。おっさんは35を超えたてからだぞ。
え?自分は20だから29は立派なおっさんだって?
年齢差で決め付けるのはよくないな、小学生から見れば、お前も立派なおっさんだぞ。
それによくTVでは100歳過ぎた人に『お若いですね』って言っているだろう、だったら29歳はもっと若いことになるんだぞ。
考えがおっさんだと?
たしかにカラオケで『ここは笠置シズ子の歌がない』と言ったことはある。しかし、だからといっておっさんと決め付けるのは早とちりだぞ、おっさんは笠置シズ子は歌わないものだ。
それに私は子供時代は大阪で育ったんだ。大阪は『あちらで言うたらニューヨーク』って言われるくらいにセンスある都会なんだぞ、そんな私が簡単にダサいおっさんになるわけがないだろう。もちろん立派なおっさんにもならないぞ。
言っておくが、年を取れば立派なおっさんになるわけではないぞ、私を見ればよく分かるだろう。
私はおっさんではないし立派でもない。それに若いうちは失敗や挫折が多いもの、私は今でも失敗と挫折の連続だぞ。
それに9歳差なんて大したことはない。地層年代学的に見れば9年なんて差があるとは言わないぞ、あれは一万年前でも『最近』と言うからな。
お前の干支は何だ?
そうか戌か、それなら話しは早い。私は丑だ、戌・亥・子・丑と数えれば、私とお前はたった3つしか違わないんだぞ。
それでも年の差を盾に言い張るつもりか?
数え方がおかしいだと?最近の若い者は干支が12ある事も知らないのか。
知っているなら干支を順番に言ってみろ。・・・で亥の次は何だ?・・・そうだ子だよな。じゃあさっきの順番は合っているじゃないか。
これほど言っても判らないのか?それならお前が若いという証拠を見せて見ろ。
運転免許証?そんなものは偽造できる、…お前は写真写りがいいな、実物よりハンサムだぞ。別人じゃないのか?
私は…写真写りだけは最悪なんだ、どんな写真でも実物より100倍不細工だ。見てみろ、こんなブサイクなやつ世の中に居ないだろう。
そっくりだと?一回眼医者行った方がいいぞ。
じゃあ年齢差を感じさせる話題を言ってみろ、私が知らないことがあればおっさんを認めてもいいぞ。
お前はゴダイゴを知らないだろう、しかし私は知っている。それが年齢差だ。
平井堅の歌? それくらい知っとるわい。『大きな古時計』だろうが、それくらい幼稚園の時から知っとるぞ。
それでは聞くがな、お前は『アヴェリル・ラヴィーン』を知っているのだろうな?
なに、知らない?本当か?結構有名だぞ、TVでCMだって流れているのに。お前さてはおっさんだな。
結局私は少し前の事を知っているだけで、実質は今の若者と全然変わらないじゃないか、お前はその程度で若者のつもりか?わてほんまによういわんわ。
これからは私をおっさん呼ばわりせずに、お前たちナウなヤングと同世代として扱うようにしろよ、わかったな。
先日、職場の近くに献血車が来た。半年に一度、定期的に献血車はやってくる。
皆さんは献血が結構痛いことをご存知だろうか。
血を抜くあの針はシャーペンの先ほどの太さがあり、予防接種で刺される注射の数倍痛いのである。
その痛さがネックで献血をためらう人も多い事だろう。しかし、向こうもそれを知ってのことか、毎回常に会社までやってきて献血のお願いをして行くのだ。
献血はあくまでも善意であり、強制ではないので必ず行く必要はないのだが、先輩が献血好きであるため、強制的に献血に行かなければならない。もし、拒否しようものなら「世の中の役に立とうという気はないのか」「ちょっと痛いくらい我慢しろ。病人はもっと苦しんでいるんだぞ」「お前は血も涙もないのか」などと言われてしまうことは無く、無理やり腕を掴んで連れて行かれるのだ。
何しろ先輩はバカ力なので、抵抗の仕様が無い。
献血に行くと、まず用紙に住所氏名などを記入しなければならない。おそらく字が書ける事で人間とサルとを見分けようとしているのだろう。
また、生年月日と年齢をあわせて書かせるところを見ると、年齢を偽っていないかをチェックしているようである。
私は人間であることに自身を持って書き込んだ。サルで無い事と、年齢をごまかしていない事を証明し、更に機械でもないことを証明しようと到底機械ごときには出来ないほどの達筆な字で書き上げた。このような字は機械には書くことはおろか、読むことすら不可能に近いだろう。私も読めない。
次に血の濃さを検査すると言って、血を抜かれた。きっと本当は血が赤いかどうかチェックし、抜けるのかどうかをチェックしているのだろう。人間の振りをして人形や、腕を交換したサイボーグを見つけるためだと思われる。
青い溶液に血を落としてチェックをしていた、血が浮いたらサイボーグである。油だから。
そして血圧を測られた。
前回計った時に高めだと言われていたので、今回も高めだったらどうしようと心配になった。
前回は相手が女性だったので「お姉さんの美貌にドキドキしまして…」とごまかしたが、今回は男なのでドキドキするわけには行かない。もしドキドキしたら、新しい自分を発見することになるかもしれない。
心配したために血圧が上がったらどうしようと心配になり、心配したために血圧が上がったらどうしようと心配になリ、心配したために…(以下省略)
そして血を抜かれる。やっぱり痛い。
血を抜かれる間は暇である。動いてはいけない、三段跳びも空中ブランコも出来ない。
車の中を見回してみても、目に付くのは血に関するポスターばかり…、嫌でも血の事を考えてしまう。リラックスとは程遠い、これもたくさん血を抜くための策略だろうか…
血液は重要だ、しかし、裏を返せば重大な弱点でもある。
眼や腎臓は片方失っても、人間は生きていけるが、血液は全体の1/3失うと死んでしまうらしい。
しかも、内臓や脳のようにある程度骨などに保護されているわけでもなく、皮膚に穴があけばすぐに体から漏れてしまうのだ。その皮膚もやわらかく切れやすいと来ては、人体には血液を保護する気は全く無いのだなと思ってしまう。
漏れやすい割には補充が簡単ではなく、怪我や手術などで大量の血を失う時は、他の人から採った血を流し込まなければならない。
全くもって面倒な存在である。
血液が何の役に立つかと考えれば「血液型占いに使う」「皮膚が切れたことを教える」「血液型で人を差別する」「たくさん流して自殺する」などの実生活にはあまり向いていない事ばかりである。
「血液は全身に栄養を送り、不要なものを運び去る大切なものだ」と言う人もいるが、だからと言って血液に「右腕に栄養を運べ」と命じても言う事を聞くことは無く、「脂肪を全て捨ててしまえ」と命じても痩せるどころか、反対に蓄える事に一所懸命になっているのが現実である。
まるで年収に計上されているにも関わらず、自分が自由に使えない税金やローンの支払い分のようなものである。税金を自分のお金と思っている人は悪徳政治家くらいのものだろう。
しかも血液は体重に含まれている。自分の体の一部なのに、何一つ自由にならないとは納得いかないものである。
血を舐めたことのある人は知っているだろうが、血は不味い。吸血鬼の味覚が疑われる。
血の成分は必要な目的にあわせて調合されているが、美味しさを全く考慮されていないのだ。もう少し遊び心が欲しいものである。
怪我をした時に傷口を舐めて、口当たりのさわやかなミルクティーの味をしていれば、怪我の痛みも少しは和らぐことだろう。心が穏やかになるので鎮静作用も働いて回復にも良いはず。
本当に血液がミルクティーならば、出血がひどい時にはミルクティーを足して回復することも可能だし、のどが渇いたら自分の血を飲んで喉を潤すことも出来るだろう。
そうなれば、なんて便利なのでしょうか。
人間はほんの些細な傷でも出血しますし、切った場所が悪ければ血が止まらずに失血死することも充分にありえます。その時のためにわざわざ献血車を走らせて、善意を当てに血を集めるより、人間の血液を身近にある液体に変えれば、もっと楽に人の命を救うことができるでしょう。
美味しければ尚良し。
献血終了後、10分ほど休憩をとり、その間にもらったジュースを飲む。
献血でもらう品物は毎回変わるが、ジュースは常に付いてくる。赤十字の人たちも、血液がジュースになるようにと、こうやって地味に活動しているのだろう。
次回の献血は半年後、あの太い針の痛みを忘れたろである。
誰にでも欠点はある、人どころか物にも欠点は存在する。
石は食べられないし、木は食べられないし、鉄も食べられない。
しかしながら、全ての物が欠点ばかりとは言えない。どのような物にも少なくとも一つは長所がある。人間は長い歴史の中で、世の中のあらゆる物の利用価値を見つけ、長所として認めるよう努力を重ねてきた。
その結果、石や木は建築材料となり、鉄も現在では重要な資源となっている。植物も食べられない物は繊維を取り出して、紐や布・紙を作り出した。
また、薬用成分を持つ植物は、薬として食べ物とは別に扱い、怪我や病気で弱っている人に「これを飲まないと死んじゃうぞ、ちょっと高いけどまけとくよ。どう?」などと言って飲ませては利益を生み出すようになった。
現在では人間以外のほとんどの物は、欠点を完全に克服したかのように見える。TVを見る限りは。
TVで流れるCMでは、あらゆる種類の商品が宣伝されているが、その全ての商品の説明には欠点が存在しない。カタログを見ても同様である。長所ばかりが存在し、欠点と言える項目が全く無いのだ。
自動車一つを見ても、大きい車は「ゆったりとした空間」と宣伝され、小さい車は「コンパクト」と宣伝されている。
全く正反対の存在であるにも関わらず、両方が全く欠点を持っていないというのは、それぞれが完全に欠点を克服したためであろう。人間も見習うべきではないだろうか。
私も欠点は少なからず持っている。が、それは他人から言われるのがほとんどで、自覚している欠点はあまり無い。どちらかと言うと、私が長所と思っている部分を指して欠点と言われる場合がほとんどである。私が欠点と言われる部分と、長所だと思っている部分を並べて見よう。
●欠点と言われる部分 | ○長所と思っている部分 |
視力が悪い | 道でコンタクトレンズを落とした時のショックを知っている。眼鏡屋の上客 |
気が変わりやすい | 臨機応変に富んでいる |
腹が減ると不機嫌になる | 空腹に対して敏感で、それを素直に表現している |
頑固なところがある | 信念を持っている |
根性が無い 一つの事に集中しない | 様々な角度からのアプローチを試みるタイプ |
ミスが多い | あらゆる種類のミスを経験し、ミスのプロになる予定 |
動作が鈍い | 慎重に行動する |
病弱 | 医療関係の景気を維持するために必要不可欠な存在 |
忘れっぽい | 私が全てを記憶していたら、あなたは不要だ |
29歳で独身である | 独身は扶養家族がいないから税金が高い |
家のローンがある | ローンを返済する経済力あり |
性格が冷たい | 「死ぬわけでなし」をモットーとしている |
無茶を言う | 苦茶も言う |
平気で嘘をつく | 嘘を考えるのに苦労しない |
自分を指して「天才かも!?」と言う | 自分で言うなら間違いない |
どう考えても私に欠点があるとは思えない。もしかすると、欠点とは長所を嫉妬してわざと意地悪く言った事なのではないだろうか。
人は欠点があって当たり前だという風潮がある。だが、欠点は常にその人の悪いところであり、無くすべきだとされている。自分の欠点を人に指摘され悩んでいる人も少なくないだろう。
私もその一人である、上記の欠点については皆から「おかしい」「早く気づいて何とかしないと結婚できないぞ」と言われている。
欠点を無くしたならそれでいいのだろうか?
実はそうではない。普段では欠点は補い改善するべきだと言っている人も「自分には欠点はない」と言うと「そんなはずは無い」と言って信じず、「お前は嘘をつくのが欠点だ」と言うのである。本当に言われた。
結局は欠点を持っていないと人間とは認められないのである。欠点を表示した商品が売れないのに対して、欠点を言わないと人間は信用されないのは不思議だが、おかげで自分の欠点を恥ずかしがらずに堂々と言う事が出来る。
私の欠点は視力が悪く、腹が減ると不機嫌になり、気が変わりやすいが頑固なところがあり、根性が無いせいかミスが多い上に動作が鈍く、病弱で忘れっぽく、独身でローンがあり、性格が冷たい上に無茶を言い、平気で嘘をつくのが天才的な所です。
もしそういうヤツが知り合いに居れば、私は一緒に旅行やカラオケに行ったり、飯をおごったり、お気に入りのCDを貸したりなどして、親友になったりせずにさっさと縁を切るだろう。
そういえば私は友人が少ない。
むかしむかしのその昔
とても腕のたつ 猟師が一人
皆がたたえるその猟師 無意味にケモノを殺さない
私の高価なお財布を 三日預けても安心できる
猟師はそんな人だった
猟師は笑う豪快に
「わっはっはっは わはははは」
所変わって風吹く草原
ウー、ピー、バーグは兄弟子豚
半年前から親より離れ 藁ぶきの家に住んでいた
喧嘩しないよう距離をおき 藁ぶきの家に住んでいた
子豚は笑った親ブタそっくり
「ブッヒッヒッヒ ブヒヒヒヒ」
さらに変わって森の中
藁の家から離れた森で 怖いと噂の狼が おなかを空かして歩いてた
キミならきっとわかるだろう
おなかの空いた狼の すさみきった胸の内
なりきってみれば判るはず 大きな耳と大きな目
鋭い牙を打ち鳴らし 森をさまよえばすぐわかる
ほら 狼がやってきた 息を潜めて
「……グルル、ギュルルル(腹の虫)…」
狼の顔がニヤリと歪む
ギラリと光る狼の その眼に写った藁の家
はしゃいだ狼 素早く駆け寄る
笑いがこみ上げ よだれが落ちる
「フッフッフッ ジュルルルル」
遅れて猟師がやってきた
いかし 猟師は遅すぎた
吹き飛ばされた藁の家 そばには七輪 炭と網…
可愛そうな子豚のウーは バーベキューになって狼に…
猟師は怒ってつぶやいた
「なんてこった 遅すぎた」
その三日後に狼は
おなかを空かして歩いてた
またもや狼ニヤリと笑う
ギラリと光る狼の その眼に映ったぼろい家
子豚のピーは兄とは違い 木の家を建てて住んでいた
木の家ならば大丈夫
「ブッヒッヒッヒ ブヒヒヒヒ」
送れて猟師がやってきた
しかし 猟師は遅すぎた
木の家はすでに穴だらけ そばにはポン酢としゃぶしゃぶ鍋が
可愛そうな子豚のピーは ぶたしゃぶにされて狼に…
猟師は悲しみつぶやいた
「なんてこった またしても」
さらに四日後狼は
おなかを空かして歩いてた
もう言わなくてもわかるだろう
そう そのとおり レンガの家さ
おなかを空かした狼は レンガの家の子豚のバーグを 食べてやろうと果敢に挑む
「吹いてもダメだし けってもダメだ こうなりゃガラスを打ち破ろうか」
送れて猟師がやってきた
今度は猟師は間に合った
子豚のバーグはひと安心 猟師が助けにやってきた
屋根に登った狼に 銃を突きつけ威嚇する
「悪い狼 子豚を喰うな さっさと森に帰るがいい」
耳をつんざく銃声に 驚き狼大慌て
屋根から飛び降り猛ダッシュ
耳をかすめて弾が飛ぶ 必死で逃げる狼は 森に向って一目散
猟師が笑う
「わっはっは」
子豚も笑う
「ブッヒッヒ」
夕焼けが夜と入れ替わり 暖炉に集まる猟師の家族 そこで猟師は子供と語る
「ワシは無意味に殺しはしない 狼だって逃してやった」
子供がたたえる
「さすがパパ」
妻もたたえる
「さすがパパ」
猟師の家の夕食は
当然ながらトンカツさ