最近不思議なかたちで『サッカーが流行っている』と言われている。
TVを見てもラジオを聴いても後輩と話をしていてもサッカーの話で持ちきりである。これほどサッカーが流行ったのは4年ぶりぐらいである。
家電量販店やコンビニでもサッカーが流行っているらしく、サッカー関連グッズ(看板等)を目にすることが出来る。
しかし、不思議な事に私の周囲でサッカーをしている人を見ることはほとんどない。
広場・道路・田んぼ・駅のホームでサッカーをしている人もいないし、友人達もテレビゲームのサッカーはしても実際に体を動かしてサッカーをしているところは見たことがない。
普通「流行」と言われるものは世間の人たちが実際に身につけたり(ブランドやアクセサリー等)、行動にあらわしたり(カラオケの曲や買う車)、本人の自覚なく行動してしまう(花粉症や風邪)ものであるはずなのだが、このサッカーに限ってはまるで当てはまらない。せいぜい口に出して言うか夜更かしをする程度である。
TVや雑誌を見たり夜更かししたりゲームをするのがサッカーなのだろうか?
この辺のところ私はよくわからない。
今回の文章はサッカーに興味のない人のために書かれた文章である。サッカー(特に今回のワールドカップ)を知らなくても読めるように配慮をしたつもりである。
私はこう見えても結構にサッカーに対しては興味を持っていて、ロナウドとロナウジーニョという選手が別人である事をつい半月前に友人に聞いて確認をしたくらいである。世のサッカー好きの中にはこういう小さい確認をきちんととってない人も多いはずである。雰囲気とノリだけでサッカーファンを自称してはいけない。
今度友人に会う時は、彼らがそれぞれどの国に住んでいるのか聞こうと思っている。
何事においても歴史を知ることは必須である。サッカーとて例外ではない。
サッカーは約1200年前の南米のインカ帝国発祥のスポーツで、当時はボールを太陽神の化身として行った儀式(手に持つと火傷するので足で運んだ)であり、後の15世紀にその儀式を見たスペイン人がヨーロッパに伝えて世界に広まったというのは嘘である。
本当は、イングランドのアーサー王が、占領した国での兵士達の略奪をやめさせるために行為をゲーム化したもので、ボールを自軍のエリアに持ち込めば戦利品が得られるというルール(当時は1チーム12人で行っていた。また、競技の責任者を務めていた騎士のランスロットがボールを投げ込む事でゲームが始まることから「投げる」という言葉の『スロー』が生まれたとされる逸話もある)を決め、戦争に勝利するたびに12ゲーム行っていたとされているというのも私が作った大嘘である。
本当の本当にサッカーの歴史を知りたい人は、図書館にでも行くか、適当に検索でもかけて調べていただきたい。
サッカー競技の大まかな内容としては、一つのボールをを奪い合い自分の陣地に持ち帰るものである。バスケットやアイスホッケーも同様である。
先ほど「略奪行為をゲーム化した」と書いたようにそれらのスポーツは『略奪系』と分類されており、バレーボールやテニスなどの『排除系』とは対を成している。
ちなみに『略奪系』『排除系』という言葉はスポーツを系統的に分類した時の最も上位のカテゴリーに付けられる名前で、一部の賢い人たち(主に私一人)が使っているものである。
サッカーのルールは非常に単純である。
1.サッカー選手は試合中、ボールを操作するために手を使ってはいけない。
2.ゴール前にいる服装の違う人(シュゴシンあるいはキーパーと呼ばれる)は、ゴール前の一部の地域では手を使ってもいい。(この人はサッカー選手ではないからである。ゴール前の一部の地域は大使館と同じ治外法権エリアだという説もある)
3.ボールを奪うために他の選手に後ろから襲い掛かってはいけない(サッカーは紳士のスポーツなので、肩を叩かれて振り向いた人のほっぺたを人差し指で刺すような屈辱を味あわせてはならない)。
これ以外の複雑なルールはここでは省く、知りたい方は適当に調べて確認してもらいたい。
サッカーの解説で「よくわからないルール」として「オフサイド」が挙げられている。
サッカー好きな人にとってはあまりにも有名な「よくわからないルール」である、有名すぎてオフサイドの意味がよくわからない人がほとんどいないくらいである。
この文章を読んでいるサッカーに興味のない方々にとっては「よくわからない」どころか「聞いたこともない」ルールであろう。
このルールは『簡単に言うと、敵陣地内でゴール方向にボールを蹴る瞬間に敵側の選手がキーパーを含め最低2名ゴール側にいない場合「オフサイド」となる』とある本に書いてあった。全くもって簡単ではない。
私のセンスで説明すれば、オフサイドとはことわざで言うところの『出る杭は打たれる』と似ていると言えば理解しやすいだろう。
ボールを持って攻める時に、仲間の一人がやけに相手のゴール間近に進んでおり、相手のキーパー以外の誰よりも前に出てしまう。攻める側にとっては絶好のチャンスだが、それをルールでは「やりすぎだ」として禁じているのだ。
攻める時も「全員で」という横並び主義が見えてきそうなルールであるが、本当の理由は「キーパーが選手ではない(本当の意味でのやりすぎ)」又は「ゴール前が治外法権の地域(そこだけルールが違う)」の2つが有力である。
今年に入ってから、オリンピック・ワールドカップと大きなスポーツイベントが続き、TV・新聞でもスポーツ賛美の話題ばかりが目に付いてくる。雑誌や新聞の大仰な見出しを見たり、自分ではとてもありえないテンションを見せ付けられてウンザリしている人もいるだろう。
そのような人たちが、同類と癒しを求めてこの文章を読んでさらに倦怠感が増せば私のもくろみ通りである。
世の中のほとんどの人は旅が好きだ、昔の書物にも旅行記が多いし、現代の書物でも旅行関係の本は多い。
盆・正月・ゴールデンウィークになれば、海外旅行に○○万人行ったとか、全国の行楽地がどうたらなど、まるで旅に出るのが義務であるかのようなニュースがTVに映し出されてくる。
日本が裕福になったため、旅に出て余暇を過ごす人が増えたのだろうと思う人も多いだろうが、日本人の旅好きは最近のことではない。
江戸時代の事を描いたTV番組(主に水戸黄門)を見れば、日本人は思っている以上に旅が好きであることを知ることが出来るはずである。
日本人は農耕民族であると言われているが、意外と昔から定住せずにフラフラと旅をし続けている人のほうが多かったのではないだろうか。
旅好きの人なら当然知っていると思うが、旅の醍醐味は「アクシデントとの闘い」である。
交通事故や病気は論外であるが、旅に出ると、道に迷ったり予定外の出来事に出会うことが多々ある。
普段の生活の範囲内ならば、多少道を違えてもすぐに戻れるし、多少のアクシデントではあまり困らないだろう。家に帰って寝れば済む程度の事が多いからである。
しかし、旅の途中のアクシデントは油断できない。道に迷ってもすぐに抜け出せるとは限らないし、あさっての方向に向かえばさらに迷ってしまうのだ。移動の途中で気を引く何か(33mの純金大観音・とても大きなオブジェ・さびれたテーマパークなど)に魅せられ、予定外の行動を取ってしまう事もあるのだ。天候の変化も大きなアクシデントを生む要因である。
このようなアクシデントに出会ったとき、我々はあらゆる可能性を想定し、その中から最良の選択をしなければならない。
普段の日常と違い、旅先でのミステイクは取り返しの付かない失敗を生んでしまう可能性が高い。
私もハタチ前後の頃、山道で看板を見落としたために大変な目に会った事がある。土砂崩れで道がなくなっていた上にUターンが出来なかったので車を数百mバックさせて戻った事があるのだ。
今なら経験を重ねて、注意力も判断力も段違いに進化しているので、看板を見落とす事もないだろうし、その数km手前の舗装道路が土の道に変わった所で道を間違えた事に気付くはずである。
アクシデントに出会った時、慎重になるだけでは旅を楽しむ事は出来ない。
峠道に向かう途中で雪に見舞われた場合、普通ならは「このまま登ればさらに雪が強くなる恐れがある。もしかすると積もっているかもしれない」と考えて引き返すのが最善の策である事は確かだが、場合によってはその判断が『負け』になる事もある。
「しばらくすれば雪が止んだ」又は「雪が降っていても道は走れた」などのように『予測に対して結果が裏目に出た』から負けになるのではない、「目的と状況・予測を天秤にかけて、目的を放棄した」事が『負け』につながるのである。
重要な目的があれば、雪が降った程度なら強気で進むべきである。もちろん事故を起こしては元も子もない、本当に本当のギリギリのラインまで進む勇気が試されていると思ったほうがいい時もあるのだ。
ギリギリの状態を強気で進んで行けば、運が開ける事もあるのだ。そのおかげで私は雪の峠道は走ってはいけないという貴重な教訓を得る事が出来た。
何が起こったかは言えない。
このように旅に出ることは自らを試す絶好のチャンスであると言える。
大きなアクシデントを乗り越えれば、臨機応変さが身についてさらに旅が楽しくなるであろう。
先日、私の会社で日帰り旅行が催された。
私はもう幹事ではなく、気楽に旅を楽しめる立場になっていたので、当日まで特に考えずにフラフラと仕事をして過ごしていた。
目的地は神戸、客船でランチクルージングをして、その後南京町を散策するというものだった。
当日、バスで神戸に向かう途中、私はいかにこの旅を楽しむかを考えた。
会社の旅行は個人の旅行に比べればはるかに気楽である。移動はバスだし、施設の予約等も不要だから何も考えずにボンヤリしていればいいのだ。
しかし、この1年近く神社めぐりの旅を続けてきた私が、そのようなボンヤリに甘んじている訳がない。当日で情報が少ないとはいえ最大限に旅を楽しむ方法はあるはずと、行程表を見ながら私は数分考えた。
ランチクルージングもいいが、やはりこの旅の目玉は南京町である。田舎に住む私にとって神戸の中華街は滅多に行けるものではない。
珍しい物も多いだろうし、何よりも食べ物が楽しみである。中華まんや月餅などの食べ歩きはさぞかし楽しい事だろう。
ココで私は気が付いた。船でのランチはバイキング形式である。つまり食べ放題なのだ。
ランチで胃袋を満たしてしまうと、南京町での食べ歩きが出来なくなってしまうだろう。全てを土産として持って帰るとしても、腹が膨れた状態では食べ物を買いたいとも思わないはずである。頭の働きも鈍くなり、面白い物を見つけることも出来なくなってしまうではないか。
危機一髪とはこの事だ。この事に気付かずにランチを目いっぱい食べていたら、南京町で何もせずに手ぶらで帰っているかもしれないのだ。もう少しで罠にはまってしまう所だった。一体誰がこのコースを組んだのだろうか?
やはり旅には慎重さが重要である。
神戸に着くすぐに乗船し、瀬戸大橋あたりまでクルージングとなった。曇り空で今にも雨が降りそうであったが、船の中ではそれも気にならなかった。
食事は南京町のために腹半分とし、あまった時間は紅茶を飲んで過ごした。フルートとピアノの生演奏がうれしかったが、食欲に支配された同僚達は音楽を楽しむ事もせず、何度も料理を皿に盛っては平らげていた。強気の私は心の中で「長い目で物を見れない愚か者たちめが」と心の中でつぶやいた。
船が戻り、下船すると神戸は大雨になっていた。傘が重たく感じるほどの土砂降りであった。
結局、大雨のため南京町散策は中止となり、船着場のすぐ近くのショッピングモールで自由行動となってしまった。
ショッピングモールには中華テイストは取り入れていないので、当然ながら食べ歩きも出来ず、何か食べようと思っても同僚は皆ランチで腹いっぱいなので一緒に店に入るわけにも行かなかった。
微妙な空腹を感じつつ、友人達へのお土産を買って帰路に着いた。お土産にお菓子やプリンを買った人は多かったが、ケーキを7つ(保冷箱入り)買ったのは私だけだった。さすがにケーキ7個を買う直前は少々迷った。満腹であれば買わなかっただろうが「ここで買わねば!」と強気になって買ってしまった。
後日、友人yoswiにお土産を渡そうと「ヒマなら来ないか?」と喫茶店に呼び出そうとしたが、「資格試験の勉強中」と断ってきた。その直後たまたま別の友人が子供を連れて来ていたので、臨機応変さを生かしてyoswiのためをお土産を子供に渡した。
このことは未だにyoswiには話していないし、何も渡していない。残った土産もとっくに食べ尽くしてしまった。
この文章をyoswiが読めば、私は少々危うい立場になるだろうが、こういう時こそ旅で培った慎重さと強気と臨機応変で乗り越えていこうと思う。
駅から15分ほど歩いて私は例の店のある路地に入ってきた。少し遠くに店の看板が見えた
「お食事処 大太鼓」
後輩のメモにあった名前だ、店に近づくと暖簾がかけてあった、まだ11時前であるが店は開いいるらしい。
『迷わせない店』
横引きの扉の大きな張り紙にはそう書かれていた。
しばらく私は考えた、後輩の言っていた事はこの事だろう。しかし、迷わせないとはどういうことだ?
私の迷いをなく方法がこの店にあるとでも言うのだろうか。それとも迷いようもない状態が起こるとでも?座ったら注文も聞かずに即料理が出てきて有無を言わせないとか?まさか・・・
後輩Mがココを紹介してきたのは、先月の事だった。
後輩が言うにはこの店は私にぴったりの店だそうだ。
どういう意味かと聞いてみると
「ほら、盛川さんって昼飯前によく迷っているじゃないですか、『うどんにしようか定食にしようか』って。でもですね、その店に行くと迷わなくてもいいんですよ。そう、迷わない店なんですよ。とにかくすごいですから、一度行って見てくださいよ。絶対迷いませんから」
満面の笑みを浮かべて後輩は言い切った。目が輝いてる。
確かに、私は昼食に何を食べるべきか毎日迷っている。
私の会社はオフィスビルの多いビル街のほぼ中心に位置している。よって周りには喫茶店・居酒屋・ラーメン屋等がかなりある。隣のビルにも1階は飲食店が4つも入っているのだ。
何を食べるかに迷い、どの店に行くかも決めかねてしまうのだ。そうやって迷いに迷ったあげく結局会社の横の居酒屋兼食堂の「後之祭」のうどんを食べることがほとんどである。
私は店に入った。一瞬、暖簾をしまい忘れた店主に不機嫌な顔で『まだです』と言われるかも…と不安がよぎった。
店の中には一人しかいなかった。板前の格好をしているところを見るとこの店の主人だ。
主人は私を見ると、不機嫌な顔もせず「はい、いらっしゃい」といいながら微笑んだ。
カウンターの隅に腰掛けた私はメニューを手に取った。麺類・ご飯類・汁物・裏には飲み物とその他一品料理が・・・。主人の手書きらしいメニューに書かれているのはごくごく普通のものばかりだった。迷わせない要素は何一つ見つからない。
「ご注文お決まりですか?」
主人がお絞りと水を出してきた。
もちろん決まってない。
「えっと・・・」
目が主人とメニューの間を往復する。私はこういう時になかなか決められないのだ。他に客がいないので主人は正面から私を見つめていた。早く決めてこの気まずい空気を何とかしないと。
「お客さん、迷ってますねー」
先ほどとは違う雰囲気で主人が声をかけてきた。ん?と思い顔を上げると、主人の表情が変わっていた。
笑っている、いや喜んでいるようだった。
「お客さん、入り口の張り紙見ましたか?ここは迷わせない店なんですよ。ご存知でしたか?」
「はあ」
しゃべりのトーンも変わってきている。ノリがよくなった感じである。
「お客さんみたいに、店に入ってから『何にしようかなー。アレもいいけどコレもなー』なんて迷っている方が結構いるんですよ。ほら、この通りこの店は私一人でやってるものですから、注文の時に迷うお客さんがいると手が止まってしまうんですよね。特にお昼時。お客さんいっぱい来ますから、他のお客さんを変に待たせてしまうんですよ。」
しゃべるスピードが早くなってきた。こちらが相づちをする間もないくらいである。
「で、ですね、考えたんですよ、迷わないメニューってやつを。簡単なことです、迷うくらいなら両方食べればいいんですよ。そう両方。というわけで、コレどうぞ」
主人が別のメニューを私の目の前に出してきた。書いてある内容を別にすれば私が手に持っているメニューと同じものだ。
「どうです?これは私が考えたオリジナルのメニューです。迷わずメニュー」
私は返事に詰まった。メニューの最初の料理が『うなぎカレー』だったからだ。うなぎカレー?
『うなぎカレー』の他にも『茶ラーメン』『味噌煮込みパスタ』『オムご飯』・・・
想像できそうでイマイチ浮かんでこない料理が羅列されて、頭の中が『?』がでいっぱいになるのが自分でも分かった。
「あ、あの、うなぎカレーって・・・」
「ああ、これはこの迷わずメニューの第一号なんですよ」
私が聞きたいのはそういうことではない。
「そう、コレが最初ですわ。あんまり迷っているもんだから、いらいらしてつい聞いてしまったんですよ『お客さん、なんでそんなに迷ってるですか?』って、そうしたら『うなぎとカレーとどっちにするか決まらない』って言ってきたんですよ。一応私もね『うなぎでどうですか?』って言ったんですよ。まあ、こっちも商売ですから高いほうを。でもそのお客さん『いや、でもカレーも捨てがたいんだよねー』なかなか決めてくれなくてね、つい『じゃあ両方作りますよ』なんて言っちゃったんですよ。勢いで。」
主人は一息ついた。さっきよりも目が輝いている。
「で、うな丼にカレーをかけて出してみたら、お客さんびっくりしちゃいましてね。『へー』とか『ほー』とか言いながら食べてましたよ。一口食べるごとに首を傾げて深く考えていたから、あのお客さんは結構グルメだったのかもしれませんね。最後には『こんな料理は初めてだ』って言って帰っていきました。かなり満足していたはずです。」
『それはたぶん違うぞ』と私は思ったが口には出さなかった。率直に言えば勇気がなかった。
主人は話を続けてきた。
「で、それ以来迷っているお客さんには必ず聞くんですよ『何で迷ってるんですか?』ってね、茶漬けととんこつラーメンで迷っていたから『茶ラーメン』、味噌煮込みうどんとぺペロンチーノで迷っていたから『味噌煮込みパスタ』って具合で・・・」
そのまま、主人はこの迷わないメニューがいかに素晴らしいかをしゃべり続けた。私はメニューを見つめて、名前から料理を想像してみた。
『チキンライスちらし』・・・シャリがチキンライスのちらし寿司に違いない。こんな料理が美味いとは到底思えない。他にも『ユッケバーガー』とか『広島風もりそば』とか・・・
だめだ、決められない。冒険する気にもなれないし、どれを見ても美味しそうに思えない。ここまで話を聞いておいて普通のメニューに戻るのもムリだ。そんなことをしたら主人が気を悪くしてしまう。そこまでして自分を貫く勇気は私にはない。
頼むに頼めない状況に追い込まれ、私はただメニューを見つめる事しか出来なかった。
すると
「もしかして、お客さん迷ってますか?何でまよってるんですか?ほら、言ってくださいよ、何でも作りますから」
主人がカウンターから身を乗り出してきた。
満面の笑みを湛えた主人が、目を細めて私を見つめてきた。
私はさらに追い込まれた。
人は道をつくり続ける
『何か』を求めて前に進むとき 踏みしめたところに足跡が残る
その後を誰かが追い たくさんの足跡が道となる
道はならされ大きく広がる 歩きやすく、走りやすいように
人が作り続ける道は それぞれに交差し合流してつなぎあう
網のようにつながった道は さらに広がり世界の果てまで多い尽くすだろう
しかし、忘れていないだろうか
人が踏みしめた何かを そこに何かがあったことを
気付いているだろうか
踏みつけられた名もなき草や虫たちが居たことを
見えるだろうか
埋められ 削られた大地が
聞こえるだろうか
踏みつけられた道の 無音の声が
知っているだろうか
高速道路が山に穴を穿ち 森切り裂き 川に柱を打ち込むように
私たちの歩く道もまた 徐々に何かを変貌させていることを
一度立ち止まり 見廻してみるといい
自分の進む道と 踏みしめてきた道を
今そこに何があり 何があったかを思い巡らせるのだ
人生の事を言っているんぢゃないぞ
私の住む家は約6年前に建てたもので、自動換気やシャッター式雨戸など最新ではないものの結構今時の造りとなっている。
私の家を建てる時からよく耳にした言葉が防災・省エネ・防犯そしてバリアフリーであった。今でも住宅関係のチラシやパンフレットなどでよく目にする言葉である。
防災・省エネ・防犯は家に住む限りは常に必要な事であるからこれらの技術の進歩については何の問題もないのだが、バリアフリーについては少々疑問を持っている。
バリアフリーとは『高齢者や身体障害者が出来るだけ使い易いように設計する』という意味だと私は思っている。昔と違い、今時の家なら当たり前のように標準装備されている。
実際に最近建てた私の家と数十年前に建てた親の実家とを比べて見れば、家の造りは驚くほど違っている。
玄関の段差は低く作られており、階段・トイレ・風呂場には手すりがある。敷居の段差がなくなり、押入れの引き戸が信じられないくらいに軽い。入居直後に私の家を見に来た叔母が「楽に動ける!」と絶賛していたくらいである。
高齢者などにとってバリアフリーがとても有難いものだということは分かる。しかし、現在住んでいる我々はバリアフリーを有難がるほどに弱っていない。逆に段差のない家になれてしまい、我々がよその家を訪れたときに敷居でつまずく事が多くなってしまった。半年前に亡くなった祖母の葬儀では古くて段差ばかりの祖母の家のあちこちで痛い目あってしまい、むしろバリアフリーが我々の足を引っ張っているのではないかと思えて来たほどである。
バリアだらけの家に住む祖母が90過ぎまで古い家に文句も言わずに生活していたのに、バリアフリーに住む私が小さな段差でつまづくのはいったいどういうことだろうか。
祖母の家で深く考えていた私は頭が痛くなっていた。古い家は鴨居も低いのだ。
確かにバリアフリーの家は色々な意味で便利である。
段差のない敷居は暗くてもつまづく事がないし、軽い引き戸は音も静かで他の人に迷惑にならない。手すりがあれば真っ暗でも階段でコケる危険も減るだろう。壁や床が頑丈だから真夜中に歩いてもきしまないし、防音効果もある。
昔の家ならこうはいかないだろう。常に足元を照らさなければならないし、下ばかりを見ていれば鴨居や電灯に頭をぶつけてしまうのだ。
そう、バリアフリーは高齢者や障害者のためだけでなく、泥棒にも優しい造りの家なのである。
最近の防犯は賊の侵入にのみ警戒を強くしているが、一旦侵入されれば打つ手はない。『バリアフリーですご自由に』状態なのである。
家の事を一国一城と例えるが、家の防犯対策も城を見本にするのが一番いいのではないだろうか。
姫路城などのお城の防衛システムはとても素晴らしいものだと、以前本で読んだ事がある。
複雑に張り巡らされた城壁と堀・狭い門や坂道によって敵を討ち取りやすくできているそうだ。それ以前にも内堀・外堀があり、城下町もわざと見通しが悪くなるように作ってあるという。
このように『守りを固めるためには多少の不便さは仕方がない』と割り切って作られている城は、敵の攻撃に対して非常に優れたものであったそうだ。
家もお城同様に、外だけでなく家の中までも様々に仕掛けを作っておくほうが防犯に役立つはずである。
「侵入しにくい家」よりも「侵入後ひどい目に合う家」のほうが防犯効果が大きいはずである。
ひょとすると、昔の家の不便さは防犯の意味も含まれていたかもしれない。侵入はしやすいが段差が多くて歩き難く、立付けが悪いので気付かれやすい・・・。
バリアフリーは沢山の人たちにとって便利で有難いものであるが、悪い人たちにとっても便利なものになっているかもしれないのだ。
しかも、バリアフリーだからといって何もかも全てがよくなっているわけでもない。壁や床は相変わらず固いし電気が灯いていなければやはり暗いのだ。
さっきから、柱にぶつけた左足の小指の痛みが『間抜けに対するバリアフリーの不備』を訴えている。