過去の文章

2005/1/25作成
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偽札防止の提案

最近の技術の進歩はすさまじい。青色ダイオードなどの、科学の最先端はよく分からないが、我々一般のレベルでも科学技術は確実に進歩している。
カーナビは衛星を利用して位置を割り出しているし、インターネットは世界中をつないでいる。家庭用のTVは薄くて大画面になった上に、画像も見違えるほどに鮮明となって占い師のすばらしさを映しだしている。

しかし、科学技術の発展は良い事ばかりではない。
音楽CDやDVDは今までのレコード・ビデオテープよりも鮮明な音楽・映像を見せてくれるが、PCの普及により違法コピーが簡単に行われるし、プリンタの高性能化は偽札事件を引き起こしている。
現金が危険ならカードと思いきや、これも不法にコピーを取る犯罪が横行しているらしく油断がならない。
このような犯罪は、この先どのようにセキュリティが強くなっても、それを破ろうとする人がいる限り続くだろうと思われる。ダイエット用語でリバウンドだと言えば理解しやすいだろう。
現に新札がでたばかりですぐに偽札が大量に出回っているのだ。
このようにニセモノを作る犯罪はすみやかになくす必要がある、特に私の手に偽札が来る前に根絶やしにしてもらいたい。(すでに私の手元にある場合は、見つからずに使える事を祈っている)

私はこれらコピー犯罪を防ぐ方法を考えた。

まずは音楽CDであるが、コレはCDをやめてレコードに戻せばよい。
音楽CDはPCで再生できるために、コピーが容易となってしまったのだ。現在レコードを再生できるPCはまず存在しないだろうから、レコードにすれば違法コピーは激減するはずである。また、レコードはシングルでもポケットサイズにならないし、アルバムならばさらに大きいので万引き防止にもなる。
映画等のDVDも同様にフィルム形式にすれば良い。フィルムなら簡単に家庭で見る事も出来ないだろう。そうなれば映画見たさに映画館に出かける人が多くなり、映画館の入場料の法外な高さ(1800円!)が世間に知れ渡るようになるだろう。昔と違い今は2本立てなどマンガぐらいしかない。たった1本映画を見るだけで1800円なのである。偽札を使いたくなる人の気持ちも分からないではない。

そして偽札対策であるが、偽造できないように技術を凝らすのはイタチごっこになるだけなので、別の観点から偽造防止を図るべきである。
私の考える偽札防止方法は「高額紙幣廃止」である。
偽札一枚にどのくらいの製造費がかかるかは知らないが、とりあえず偽札を作っても儲からないように紙幣の額面を下げればよいのである。
当然千円以上の札は無くなるであろう。もしかすると1円・5円・10円の紙幣だけになるかもしれないが、それでも偽札が作られる事を考えればマシなはずである。
そうなると数十万円でも持ち運びが容易ではないだろうが、それはそれで強盗などに遭った時の被害額が少なくなるというメリットも出てくるし、紙幣がかさばるために、金庫や財布の買い替えをする必要が出てくるだろう。この機会に景気が良くなる可能性も大いにありうるのだ。
発想としては幼稚に見えるが、効き目は抜群であることは保証する。

この年末にプリンタを買った私が犯罪を犯す前にぜひ実行していただきたい。

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2005/2/14作成
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スキーを誉め讃える

スキーはとてもすばらしい。

冬のスポーツで最もメジャーなのはおそらくスキーだろう。私の友人達もこの冬に何度かスキーに出かけている。
私自身はこれまで2度スキーをした事があるが、正直なところあまり楽しいとは思えなかった。

しかしスキーはすばらしい。

寒い所が私は嫌いだ。
会社でも郡を抜くほどの寒がりである。Iさんのように保温性に優れた体型(体積に対して表面積の少ない形状、つまり球形)をしていない為でもあるが、とにかく寒さに弱い、事務所のストーブも私の方に向けて置いているくらいである。わざわざ雪の積もるほど寒い所に出かける人の気が知れない。

だけどスキーは素晴らしい。

スキーには無駄が多すぎる。
まず、移動に恐ろしいほど時間がかかる。雪が降らない地方に住む人は何時間もかけてスキー場に移動しなけばならない。その間、ずっと乗り物(主に車)に乗りっぱなしである。ろくに運動も出来ない状態を何時間も過ごしていれば運動不足になってしまう。エコノミー症候群になる可能性だってあるのだ。
スキー場に近づけば渋滞があり、リフトに乗るのにも渋滞がある。スキーは待つのがメインではないのかと思えるほどに待ち時間が長すぎる。
ラーメン屋で並ぶ事すら面倒な私にはとても耐えられない事ばかりである。短い人生を待ち時間で浪費するのは無駄である。寝るほうが楽だし気持ちいい。

けれどもスキーはすばらしい。

やっている事に意味が見い出せない。
スキーとは何かと考えれば「下りる」ただそれだけである。登山は山に「登る」事をメインとしているが、スキーは苦労のある「登り」をリフトなどの乗り物に頼っており、高い所から重力に従って滑り降りているだけである。下に流れるのなら川の水でも出来る事であり、そこに達成感があるとは思えないし実際に山登りほどの達成感は無かった。
最初のスキーは高校の修学旅行だった。この時に知った事は「スキーは寒い」「スキーは止まらない」「スキーはしんどい」の3つであった。
二度目は以前勤めていた会社の社員旅行だった。この時は上司がスキーのインストラクターが出来る人だったので、言うとおりに従ったところ、いきなり上級コースに連れて行かれ、鹿も下りれないほどの断崖絶壁(私の主観による)から下りろといわれて往生した。下りる道程の98%はスキーでは無かったように記憶している。
それ以来スキーはしていない。
しかし、今考えるとそれは私の考え違いで、お尻や顔面で滑るのが本当のスキーなのかもしれない。それはそれで全くもって楽しくない。

だがスキーはすばらしい。

スキーは自然と向き合っていない。
大抵のスキー場は高度の高い所にあるので、都会のようなゴミゴミした環境ではない。自然が多く空気も綺麗である。しかし、スキー場は森を切り開いて作られており、コースも人が設計して作られている。雪が降らなければ人工降雪機も使用されているらしいので、本当に自然を体験しているとは言い難い。
また、スキーは冬の雪山を体験しているように思えるかもしれないが、実際に雪山で遭難してしまったら、スキーの道具が無ければ何も出来ないだろう(「スキーの道具があれば…」と愚痴ることは出来る)し、例え道具がそろっていたとしても、遭難した場所がスキー場でなければ生還できるかどうか怪しいところである。

でもスキーはすばらしい。

話は変わるが、私が成人式を迎える直前の1月上旬、とある駅の階段で滑ってしまった。
いつも乗る電車が発車しそうだったので、急いで階段を下りるのに、滅多にしない3段抜かしをして失敗してしまったのだ。結果、その電車は見送る羽目になり(中川家の漫才ネタより格好悪かった)、ついでに足の骨にヒビが入ってしまった。
その後1ヶ月以上右足にギプスを巻いて過ごしていた。成人式は出席しなかったが、成人式の直後に祖母が亡くなり、親戚一同の前にギプス姿を見られてしまった。事情を説明するのが面倒なので「スキーでやってしまって(テレ笑い)…」とウソを言うと、大抵の人は「あー、そうなんだ。大変だねー」と同情してくれた。真実を聞いて大笑いしたイトコたちとはエライ違いだった。
その後、怪我の説明は全て「スキーで…」と言って過ごした。いつも無理難題を吹っかけてくる取引先も「大変やったねー、無理しなさんなや」と慰めてくれた。

だからスキーはすばらしい。

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2005/3/2作成
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タイマー予約

去年の年末、ある人からファンヒーターをもらった。3年しか使用していない為、見た目は新品同様であった。実際に使ってみても何の問題も無く、部屋を20度前後に暖めてくれる。

灯油タンクが大きいので一度入れると一週間は持つし、暖房も良く効くファンヒーターであるが、電源を入れてから暖かくなるまでに時間がかかるのが欠点である。電源を入れてから点火するまでに30秒はかかるし、暖かくなるのはその1分以上後である。
普通に起きている時にファンヒーターを使う時なら、2分待つぐらい何ということも無いが、これが朝起きる時となると大問題である。
私の寝る部屋は北西の角にあるので、朝の温度は4度くらいしかない。未明に寒くて目覚める事もあるくらいである。
ファンヒーターがあれば暖かい朝を迎える事が出来るかもしれないが、私は睡眠時間を大切にしている人なので「目覚める≒布団から出る」という行動パターンが出来上がっている。(遅刻ギリギリまで寝ているわけではない)そのため目覚めた時にファンヒーターの電源を入れているのでは遅すぎるのだ。起きるだいぶ前に電源を入れれば良いと思うかもしれないが、時間に厳しい私にとって1分早く起きる事など出来るはずも無い。(遅刻ギリギリまで寝ていたいと思っているわけではない)
よく見れば、ファンヒーターには「タイマー」という表示がある。温度の画面の上に「時・分」の表示もあった。これを見た私は「ラッキー、これで暖かい朝を迎える事が出来る」と思った。
ファンヒーターはもらい物で説明書が付いていなかったが、会社でも数種類の機械を使いこなす私ならボタンが5・6個しかないファンヒーターなどおもちゃも同然であった。
とりあえずその日は、現在時刻を合わせ「タイマー」ボタンを押してから6:30と時間を入れて寝た。

次の日、いつも通り7:00に目が覚めた。いつも通り寒かった。

まず午前と午後を間違えていないことを確認してから、何が間違っているのかを見極めるため、前日の行動を思い返した。
「タイマー」を押してから時刻を入力したのがまずかったのかもしれない。そこで今回は先に6:30と入力し「タイマー」を押して寝た。

次の日、いつもより早めの通り6:55に目が覚めた。いつもより寒かった。

もしかするとタイマーの意味を間違えていたのかもしれない。設定時刻に電源が入ると思っていたが、逆に設定時間で電源が切れるものだったのかもしれない。やはりぶっつけ本番は良くないということなのだろうか。
その後、色々試して次のことが判った。

これらのヒントから考えれば「電源を切った状態で時間を設定し、電源を入れてから「タイマー」ボタンを押せばその時は電源が切れるが、やがて設定時間になれば電源が入る」はずである。
ということで、上記の方法で時間を設定し、寝る直前に「タイマー」ボタンを押して寝ることにした。
説明書が無くても、ある程度いじれば使い方なんて簡単にわかるものである。私にかかればファンヒーターごときはおもちゃも同然であった。

次の日、予想通り6:30分にファンヒーターに電源が入った。が、うるさいのですぐ消した。
7:00に起きた時はいつも通り寒かった。

以後、タイマー機能は使用していない。

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2005/3/31作成
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花粉症ではない

春先になると決まって花粉症のことが話題になる。今年の花粉は何倍だとか、何の花粉がひどいとか、人と会うとそんな話をしてばかりである。
今年は特に花粉が多いらしく、会社でも「花粉症になってしまった」と言い出す人が何人かいる。
最近不思議に思うのだが、私の周りの人たちが私が花粉症だと前提して話をしてくるのはなぜだろうか。
特に花粉症の人がそうである。私が「花粉症ではない」と反論しても全然信じてくれない。「目かゆいやろ?花粉症やでなー」「花粉症は鼻水やくしゃみが出て大変やなー」などと言ってくるのだ、どうしても仲間が欲しいらしい。

実際、私は最近目がかゆくなる事が多いので、時々目薬を差しているのだが、それを見た人はすぐに「花粉症?」と聞いてくる。確かに花粉症には目がかゆくなることがあるらしいが、「目がかゆい=花粉症」というのは早とちりではないだろうか?
目がかゆくなるのは花粉症だけではない、はずである。「めっぽ」も「めばちこ」も「ものもらい」も目がかゆくなり腫れてくるはずである。それ以外にもたくさんの病気があるのだ。私が知らないだけでも10はあると思う。知らないけど。
目がかゆいだけで花粉症と決め付けるのは、くしゃみをしただけで「誰かが自分の噂をしている」と決め付けるぐらいにいい加減だと思ったほうがいいだろう。

実際、私は最近くしゃみをすることが多いのだが、それを見た人はすぐに「花粉症?」と聞いてくる。花粉症でくしゃみが出る人が多い事は知っているが、「くしゃみ=花粉症」と決め付けるのは素人判断であろう。
風邪でもコショウでもくしゃみは出るのだ、時には人の噂によってでもくしゃみは出るのだから、くしゃみが出たぐらいで花粉症と決め付けるのは鼻づまりで山瀬まみのモノマネをするくらいにベタな発想だと思う。

実際、私は最近鼻がつまる事が多く、話す時に変な声になってしまう事が多いのだが、それを聞くと大抵の人は「鼻がつまっとるな、花粉症?」と言ってくる。たしかに花粉症になって鼻が詰まる人は多いだろうが、「鼻づまり=花粉症」と決めつれられるのは本意ではない。
風邪をひいた時に鼻が詰まるのは常識だし、蓄膿症だって考えられる。鼻の中をクラゲに刺されて腫れているとか、鼻の穴にピーナッツが詰まっているなど、もっと別の何かが原因で鼻が詰まる可能性もゼロではない。

会社には私が花粉症であると決め付けたがっている人が多いが、このように詳細に考えていくと花粉症である可能性はかなり低いように思える。
これら以外にも鼻水やノドのイガイガとかもあるが、これらも細かく考えていけば花粉症との関係はかなり薄くなるはずである。

もう一度言っておくが、私は断じて花粉症ではない。

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2005/4/20作成
現在位置: 表紙 > 冗談半分嘘半分 > 過去の文章 >花粉症かもしれない

花粉症かもしれない

前回「自分は花粉症ではない」と強気に宣言してみたが、最近は「やはり花粉症なのでは?」と思うようになってきた。
心の中で色々考えるのだが、鼻づまりや目のカユミのせいで深く考える事が出来なくなってしまい、すぐに「面倒だから、もう花粉症でもいいや」と結論づけてしまうのだ。もし鼻づまりや目のカユミが無ければ、深く考え込んだ末に「どう考えても花粉症な訳がない」と言い切れるはずなのに…。
花粉症かどうかを決める方法は色々ある。普通ならば症状(鼻づまり・目のカユミ・花粉症の話題が増える・など)で決めるだろうが、前回も言ったように症状から決め付けるのは少々無理があるように思える。症状以外にも、医者に聞く(「私は花粉症なのでしょうか?」「花粉症にはそういう妄想を生む症状もあります」)、統計的に考える(日本人の3人に1人は花粉症だから3分の1の確率で花粉症だ)、人に指摘される(「一枚二枚の”枚”の字を忘れるなんてそりゃ花粉症だな」)などである。
今回私が考えた花粉症の決定方法は「対花粉症の処置をして直れば花粉症」法である。
日本人の3人に1人は花粉症なだけはあって、花粉症への対処法は本当に沢山ある。インターネットで検索をかければ対処法は腐るほど見つけることが出来る。しかし、インターネットは信憑性がイマイチだし、個人によって効かない方法も結構多い。(気合で勝つ・花粉の無い北極へ移住する…など)
そこで、顔馴染みの薬屋さんに相談をしてみたところ、紙を一枚いただいた。読んでみるとそこにはアレルギー性疾患の食事療法のパンフレットであった。以下はその内容である。

これを見た私は息が詰まった。鼻は既に詰まっている。
誰だってこんなパンフを見たらショックを受けるに決まっている。このパンフレットの通りに食べ物を制限すると、ケーキ・アイス・お菓子の「おいしい物ベスト3」が全て食べれなくなってしまうではないか。これでは生活にハリがなくなってしまう、花粉症ごときのために人生をフイにしなければならないのだろうか?
気になって店長に「これ、本当に守らないとダメ?」と聞いてみたら「これ以外にもコーヒーも止めたほうがいいし、特に冷たいものと甘いものは完全に止めたほうがいいね。ここに書いてあるのは花粉症だけの事だけじゃない、これを守らないと他にも色々な病気を呼び寄せてしまうよ」と言われた。
節制を守りそうもない私に対する脅しだったのかもしれないが、このパンフレットを読む限りでは、今の私の生活はかなりヤバイ状態である。昨日もエンゼルパイを3つ食べていた。
「なんてこった。こんな恐ろしい事があるなんて。もうこれっきりにしてしまおう」と本気で思った私は、もらったパンフレットを引き出しに大切にしまいこんで「これっきり二度と読まないぞ」と心に誓った。

結局、薬屋さんで鼻づまり用の漢方をこさえてもらい、朝昼と苦い粉末を飲んでいる。そのおかげかあるいは季節が移りつつある為か、少しずつ良くなって来ているような気がする。やはり花粉症だったのだろうか。
節制は仏壇に供えてあるプリンを食べてから考えようと思っている。

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2005/5/11作成
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世にも不幸な出来事

なんてこった、朝10時過ぎだというのに、こんなに行列が出来ているとは思っても見なかった。
さすがに連休だけのことはある、こんな朝早くから映画を見に来るなんて物好きも多いものだな。
しかし、映画館でこれほど人がいるのは久しぶりに見たような気がするな、たぶんハリー・ポッターの1作目以来じゃないだろうか。あの時は行列が面倒で観ずに帰ってしまったんだっけ。結局映画自体も観ずに終わっちゃったんだよな。
でも、今回はハズすわけにはいかないね。なんてったって『世にも不幸なできごと』の映画だから。
そういえばこの行列は親子連れが多いな、やっぱりみんな『世にも不幸なできごと』が観たいんだろうね。そりゃそうだ、こんな面白い物語は滅多にないし、これが映画化されると聞けば知っている人は観にくるわな。
でも、他の映画を観に来ている人もいるんだろうな、ここはスクリーン数が多いから、「クレヨンしんちゃん」や「マスク2」を観に来ている人も多かろう。でも、この行列は『世にも不幸なできごと』を見るための行列なんだろうな。なんてったって初日だし。

私より前に並んでいる人たちよ、ちょっと(心の中で)言わせてもらうけど、私は昨日までに8巻を全部読み直して復習してきたんだぞ、のんびり並んでいるお前らはそんな事してきたのか?ええ?
って言うか、この辺で『世にも不幸なできごと』の本を8巻までそろえることなんて出来たのか?普通の本屋にはマズ無いはずだし、大型書店でも5巻までしか置いてなかったんだぞ。仕事で神奈川に行って、普通に8巻まで置いてあるのを見つけてしまったときの私の驚きがお前らに理解できるのか?しかも帯に映画化なんて書いてあるんだぞ、こっち(田舎)ではそんな宣伝なんて全くしていなかったから2重にびっくりしたじゃないか。
もしかして「休みに出かけるのめんどくさいしー、でも子供どっか連れてかないとうるさいしな。映画でも観るか、ちょうど子供向けの映画があるみたいだしなー」なんて軽い気持ちで来てるんじゃないだろうな?
こっちは5年以上前からこの本を読み続けてきたファンなんだぞ、どれだけ期待しているか分かっているのか?それに子供向け映画に大人一人で観に来ているんだぞ。おまえらにそんな真似が出来るか?

もしかして『マスク2』の客も多いのかな?
でも前作の『マスク』の主役ジム・キャリーは今回は出ていなからね。彼はなんと『世にも…』の映画に主役級で出ているんだぜ、これだけでもこの映画のすごさが判るってもんだろう。ジム・キャリーの演じるオラフ伯爵はきっとすごいに違いない。

おっと、考えている間に順番が廻ってきたぞ「中央の観やすい席からでよろしいですか?」って?当然だね。今回は途中で帰る気も無いから真ん中でもいいよ。
でも、人が多くて隅っこになっている事も考えられるか。まあ、覚悟はしておいたほうがいいかもね。

ん?始まる5分前だというのに、人が少ないな。20人いないんじゃないか?私の席も中央付近だし…。
それより、なんで隣がオッサンなんだよ。オッサン向こうがカップルだからどう考えてもこのオッサン一人で観に来たとしか思えないぞ。どうしてこんな席になるんだ?窓口のネーちゃん大嘘つきやがったな、どこが「いい席」なんだよ。贅沢は言わないから仲間由紀恵似の美人の顔が拝める席にして欲しかったよ。こっちは男一人出来ているんだ、プロなら"そういう事"も考えて「いい席」にしてくれよなー。

おいおい、始まっちゃうぞ、ぜんぜん客が増えないじゃないか、どうしてこんなに客が少ないんだ?
あの50人以上あった行列はどこ行っちゃったんだ?いくつもスクリーンがあるからって迷子になったんじゃないだろうな?
『世にも不幸なできごと』だぞ、「アメリカではハリー・ポッターに迫るほどの人気」があるって本のあとがきにあったのに、ジム・キャリーやメリル・ストリープが出ているのにどうしてみんな観ないんだ?

おい、オッサン!靴を脱ぐな!足を組むな!!
映画は始まってしまったし、たった20数人を中央に固めて座らせているせいで前後左右に人がいるから逃げる事も出来ないじゃないか。いったいどこが"いい席"なんだよ。

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2005/6/20作成
現在位置: 表紙 > 冗談半分嘘半分 > 過去の文章>批判文

批判文

PCとインターネットのおかげで誰でも自分の言いたいことを世間に発表できるようになった。HPや掲示板など書き込む場所はいくらでもあるのだ。
こういう道具の無かった時代は大変だった、世間に知らせたい事があっても大声を出すか狼煙を上げるしかなかったのだから。
そのかわり不必要な情報も少なかったようである。
今はインターネットでどんな情報でもすぐに取り出せると言われているが、知りたい事があって検索をしても、どうでもいい情報ばかりが見つかって本当に必要な情報にたどり着けない事がしばしばある。

私の主観で言わせてもらえば、本当に役立つページは全体の2%ほどではないだろうか。
残りのうち10%は面白みに欠けるページ(省庁や市役所等)、20%が読みづらいページ(英語で書いてある)、40%が読むことが苦痛になるページ(日本語・英語以外で書かれているページ)で、残った28%は私の計算違いである。

検索して圧倒的に多いのは個人のHPなりBlogである。
その多くは日記形式をとっており、中には一日の行動のほとんどを書き込んでいる人もいる。
住所・電話番号・購買記録などの個人情報を厳重に保護すべきだとの声がするなかで、これほど自分をさらけ出している人がいるのだから不思議なものである。

ネットの世界でも個人の運営するHPに価値のあるものはほとんど無い。だいたいは自己満足の固まりである。自分の周りに起こる出来事を客観的に書き込めているモノなどほとんど見た事がない。
私は文章中心でHPを作っているので、他のHPでも文章系を良く見るのだが、あまり良い文章にはなかなかめぐり合わない。
オチがなかったり身内や友人ををやたらと持ち上げたり、無意味に話が変わったりする文章が多いのだ。
書くほうは満足かもしれないし、よく訪れる人は判っているので楽しめるかもしれないが、何かのはずみに立ち寄って読む者からすれば、意味不明でつまらない事が多かったりもする。

話は変わるが、私には1歳になった姪がいる。身内のひいき目ではあるがとても可愛い。
滅多に顔を合わさない私を見るとすぐに泣き出すのだが、これは"人見知り"という賢い乳幼児特有の現象である。姪はかなり頭がいいらしい。
また、タマゴボーロでいとも簡単に餌付けできるあたりは、とても素直な性格だといえる。つまりルックスが良く頭脳明晰でそのうえ素直ないい子供なのである。
私の周りにも甥がいる友人(女性)がいるが、彼女は親バカならぬ叔母バカでそれはもうひどいものである。
甥と会うともうベタベタとくっつき「○○くんはかわいー」などと言いまくりで、はたで見ていて「オイオイ…」と思ってしまうことも多々ある。
しかも彼女は事あるごとに「○○は世界で一番カワイイんさー」などと恥ずかしげも無く私たちに言ってくるのである。私は今までこれほど身内を褒めちぎる人を見た事が無い、こう事は少し遠慮して言うのが普通だと想うのは私だけではないはずである。控えめな日本人の美徳はどこへ行ってしまったのだろうか?
それに、いくら甥っ子だからとはいえ自慢するにも限度がある。世間は広いのだから世界一と言い切るのは無理がある。ありえないと言ってもいい。
確かに彼女の甥っ子は可愛い。しかし、私から見れば世界で2番目の可愛さでしかないのだ。

人はもっと謙虚になるべきではないだろうか?

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Copyright (C) 2005 by 杜川月史