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sep.2002
oct.2002

 2002/11/28 柚子

帰りがけに「お風呂に入れて」という言葉と一緒に、小ぶりの柚子を二つもらった。車に乗って、助手席に転がしておくと、何とも言えない香りが車の中に広がった。そういえば、以前車の宣伝か何かでバックシートに林檎を転がしておくCMがあった。なるほど、これはなかなか気持ちのいいものだ。今はやりのアロマテラピーということになるのだろうか。ストイックでスパルタンが好みで、車の中には何も置かない。芳香剤はおろかティッシュペーパーの箱一つ、タオル一枚ない。煙草は吸わないから特別匂いがつくこともないが、雨が続くと、いやな匂いがすることもある。このまま入れておけば、自然な香りがいつもすることになって、ちょっといいかと考えたのだが、柚子というのが気になった。鍋物や風呂には確かに合うのだが、自動車にはどうか。ここは、やはり洋物の方が合うのでは、と考えたのだが、果てさて、そうなると、何がいいのだろう。果物の中には熟すと強い匂いを放つ物もある。パッションフルーツは除外するとして、柑橘類が無難なところだろう。そう考えてみると、柚子は意外にいけるかも知れない。信号待ちの度に鼻の近くに持っていき、香りを嗅ぐ。眠気覚ましにもいい。冬至まではこのままにしておこうかと考えはじめていた。

 2002/11/26 メジャー

改革派の旗手として夙に有名だった三重県の北川知事の三選不出馬というニュースが新聞紙上を賑わわせている。国政復帰が大方の予想する突然の不出馬表明の理由だろうが、知事という権力基盤の弱さに痺れを切らしたというのが本当のところだろう。都知事でさえ、さんざ暴言を吐き散らしても問題にさえならず、黙殺されてしまう。所詮三割自治では知事の権力といってもたかが知れている。国会議員に返り咲いて国政を動かしてみたいという気持ちは分からないでもない。しかし、である。日本の国会議員にどれほどの値打ちがあるのだろう。日本の野球界を飛び出し、メジャーリーグで活躍する選手たちと比べると、国会議員もたかが知れている。かといって、アメリカに渡って政治家になれるわけでもない。北川知事の憂愁も深かろう。野球なら日米、それにキューバと台湾ぐらいだが、サッカーとなれば、力次第では世界に通用する。野心家にとっては、自分の力を奮える場所を見つけることは、何よりの願いだろう。実は国民も願っている。サッカーとまでは言わないが、せめてオリンピック競技にもならないベースボール程度には通用する政治家がほしいものだ、と。

 2002/11/25 鴨葱

仕事帰りに寄った店で鴨肉を見つけた。独特の深紅色をした赤身のまわりを脂肪が巻いた肉の色は薄切りながらいかにも美味そうだ。これを買わずにおく手はない。早速買い物籠に入れた。通人が好む酒処の一つに蕎麦屋がある。無論蕎麦が美味いに越したことはないが、はじめから蕎麦では腹がくちくなる。そこで登場するのが「ぬき」である。何を抜くのかって。もちろん蕎麦だ。天麩羅蕎麦から蕎麦を抜けば、天麩羅が残る。これを肴に酒を飲むのだ。気の利いた蕎麦屋の品書きに「鴨南蛮」という一品がある。今夜は、これの「ぬき」で行こう。鴨肉にメリケン粉をじかにまぶし、フライパンで炙る。それだけでいい。あとは天つゆでいただく。雑誌で覚えたのだが、これなら男独りでもできる。今夜は妻が作ってくれたので、白髪葱が添えられ、なお一層の風味を添える。鴨肉の野性味を帯びた濃厚な味が葱の香りと絶妙に絡み合う。獣脂の脂っこさを葱が締め、味は上々。酒は「初孫」を冷やで独酌。申し訳ないが極楽である。秋は美味いものに事欠かない。「鴨が葱背負って」というのは、これ以上は考えられない上首尾を意味する表現だが、まことに言い得て妙。何故かは知らぬが、鴨には葱が合う。是非一度お試しあれ。

 2002/11/24 街づくり 

旧国道の両側に続く銀杏並木は今が黄葉の盛りである。気の早い落ち葉が道の端に溜まり、なんだかいつもより街を明るく感じさせてくれる。道に沿って、かつては賑わっていた商店街がアーケードを挟んで両側に延びている。誰もが車を利用するようになって、駐車場スペースのない商店街の人通りはめっきり減った。そのかわりに大きな駐車場を持つ郊外型の大規模小売店が売り上げを伸ばしてきた。ドーナツ化現象の言葉通り、人は中心部から周辺部へと活動範囲を変えている。ところが、その人通りの絶えた商店街に近頃少し異変が起きている。今までは、アーケードの側に入口を設けて、車の通る旧国道側に背を向けていた店のいくつかが、明らかに旧国道側に店の入口を替えはじめたのだ。旧国道は銀杏並木だけでなく中央分離帯にも昔ながらの並木が続く。もっと多くの店が、旧国道に向けて飾り窓を設けたり、看板を並べたりすれば、ここがこの街のメインストリートだと、車で行き交う人も気づくだろう。ちょっと車を止めて買い物をする人も増えるかもしれない。駐車料金など取らず、もっと気軽に車を止められるようにすれば、遠のいていた客足も戻るだろう。カフェの一つも開店すればもっといい。自分の街で楽しく過ごせれば、余所の街まで行く人はいない。街づくりの秘訣は何よりそこに住む人に心地よい街を作ることである。

 2002/11/23 

どこに行くときもくっついて離れない猫を抱きかかえてベッドに入ると、ニケは胸の上で静かに座ったままだ。やがて、いつものように布団の中に入ってぐるぐると喉を鳴らし始めた。そのまま一緒に眠り込んでしまったらしい。目を覚ますと、ニケは枕許で眠っていた。夕刊を取りに外に出ると、日はすっかり落ちて黄昏の空には青紫のちぎれ雲が広がっていた。五時になると辺りかまわず大音量で鳴り出す防災放送の曲がいつの間にか「夕焼け子焼け」に代わっている。音に驚いたわけでもないだろうが、西の空を鴉の群が北から南へ横切っていく。数え切れないほどの大群である。山のお寺で鐘は鳴らない。戦時中に砲弾を作るために供出したきり、戦争が終わってからも鐘を撞く風習がなくなってしまったらしい。寺の鐘の代わりに今では無粋な防災放送とやらが鳴る。黄みを帯びた夕暮れの空に舞う鴉影は郷愁を誘う光景だが、拡声器から流される画一的な放送からは戦時中の空襲警報を想像させられる。曲が鳴り終わるまで戸口に立って空を眺めていたが、静かになったときには鴉の影も消えていた。電信柱と電線の陰が一段と濃くなった。 

 2002/11/22 地名

市町村合併にからんで、ちゃっかりブランド名を冠するところが現れ、新聞で話題になっている。岐阜県高山市に隣接する市町村が合併することになり、新市名を「飛騨市」と決めたというニュースだ。「飛騨牛」をはじめ「飛騨」という名はすでにブランドである。高山市なども一般には「飛騨高山」という名で親しまれている。「飛騨古川」もお馴染みだ。そこに突然降って湧いたかという「飛騨市」の登場に周辺の市があわてるのも無理はない。地方財源の乏しさから国の補助金目当てに、この際合併をと考えている市町村は多い。しかし、郷土の文化に対する愛着を省みず、経済的な観点を前面に押し立てての合併論には疑問が残る。特に地名には歴史がある。生まれたときから馴染んできた自分の生まれ故郷が、どこかの市のように片仮名や平仮名の地名になったら心ある人はいたたまれない気持ちになるだろう。 「言霊の幸はふ国」と古歌にも詠まれているように、もう少し言葉を大切にしたいものだ。親しまれた地名の取り合いも、頭文字だけとって機械的な平等をうたうのも願い下げにしたい。目先の利益にとらわれることなく、貧しければ貧しいなりにつつましやかに生きていくことは恥ずかしいことではないと思うのだが。

 2002/11/21 麺麭と葡萄酒

「人は麺麭のみにて生くるにあらず」という。まさにその通りで、麺麭だけではちょっと辛い。それに葡萄酒さえあれば、何とか毎日生きていけるのではないかと思う。圧力釜で夕飯のボルシチの下ごしらえが続いている。帰りに寄ったスーパーに麺麭屋直売の仏蘭西麺麭が出ていたので、しめしめと思いバゲットを一本買った。料理ができあがるのを待つ間、赤葡萄酒の栓を開け、グラスに注いだ。カッターボードを壁から外して麺麭を置き、ナイフで切り分けた。香ばしい麺麭の匂いが食卓に立ちのぼる。ぱりっとした皮の歯触りが仏蘭西麺麭の身上だが、焼き立てなのか、中の方はもちっとした食感で、このアンバランスがたまらない。メインディッシュができるまでにバゲット半分を平らげ、ワインは半分以上減ってしまっていた。いい蕪を見つけて決めたメニューだけにボルシチの出来も上々。ワインをもう少し残しておくのだったと、後の後悔先に立たず。独り身だったら、きっと毎日麺麭とワインで夕食をとっていたことだろう。それにたまにチーズと果物を添えて。映画『汚れなき悪戯』の主人公の名前がマルセリーノ・パーネヴィーノ。パーネヴィーノは、麺麭と葡萄酒という意味である。もちろんキリストの血と肉を表す。主題歌の「マルセリーノの歌」のメロディーが忘れがたい。近年リメイクもでたが、もちろん旧作の方が佳いのは言うまでもない。

 2002/11/20 電気剃刀

愛用のブラウンの電気剃刀が古くなり、何度目かの替え刃を探したのだけれど、さすがに同じ型の物はなく、泣く泣く諦めたのだった。ところが新型は昔の物とはすっかり変わってしまっていて、その姿形に馴染めなく、旧型に似た安物を使っていた。ところが、同じブラウンといってもこちらは中国製で、以前のような切れ味がない。朝の忙しい時間に髭をあたるので、切れ味が悪くては朝から気分が良くない。これは大事な問題である。愚痴ってたのを覚えていたのか、妻が結婚記念日に新しいブラウンをプレゼントしてくれた。早速試すと、実に滑らかで、以前の物より振動も少ない。おまけに、洗浄、乾燥、充電まで済ませてくれるスタンド付きである。至れり尽くせりなのだが、一つ気になるのが、洗浄液の交換期限とその価格である。毎日剃って約一月で交換期限が来るのだが、カートリッジが800円する。一日30円弱という値段を、高いと見るか妥当と見るか、目下思案中である。

 2002/11/18 裾出しルック

バーバリアンというメーカーのラグビージャージを愛用している。もうずっと以前、ヘビーデューティーという言葉が流行したことがあった。酷使に耐える機能を持った衣服が尊ばれた頃である。アウトドアライフの流行とも重なって、街にビブラムソールのワークブーツや放出品の米軍の軍服が溢れだしたことがある。もともとラグビーのユニフォームであったラグジャーが、その生地の丈夫さや作りのこだわりからヘビーデューティーのアイテム入りをしたのは当然だった。洗い替え用に二種類のラグジャーを持っているのだが、もうかれこれ十年あまり着ているのに、これがなかなか破れない。さすがに色はいい具合に抜けてきたが、縫い目はしっかりしているし袖口のリブ編みも洗うたびに元に戻る。そろそろ新しいのと買い換えたいが、破れないから替えることができない。今日は母親に、「それはズボンの中に入れて着るものかい」と聞かれて言葉に詰まった。シャツの裾はズボンの中に入れないのが昨今の流儀だということは知っている。しかし、まさか齢80歳を越える母親に、ファッションを講義されるとは思わなかった。

 2002/11/17 猫砂

また一つ愛用の品が店頭から消えた。ニケのトイレ用の砂である。この間から品切れでずっと待っていたのだが、ストックが残り少なくなったので、店の人に訊いてみたところ、もう置かなくなったというのだ。猫のいいところは数々あるが、トイレの失敗をしないことはその内の一つだ。家に来たその晩からちゃんと決まったところでした。前の飼い主がしつけたのだろうか。これにははじめて猫を飼う此方も驚いた。その晩は新聞紙を切り裂いたものを敷いてやったのだが、次の日早速猫のトイレ用砂なるものを買ってきた。ニケの気に入るものが見つかるまで何種類か買い換えた。今の砂は檜の間伐材をチップ状にしたものだが、粒が細かく本当の砂のような感触がニケも気に入っていた。それがなくなったのだ。代用品は、よく似た材質だが粒のきめが粗い。これで納得してもらえるだろうか。いやでもそうしてもらうしかないが、慣れるまではニケも大変だ。猫の雑誌を見ると同じ物が通販で買えるように書いてあるが、会社が潰れたりしていたら元も子もない。それにしても、何故、こういつも行きつけの店がなくなったり品物が消えたりするのだろう。新しい物好きの方が世の中には多いからなのだろうか。定番の商品は切らさない、そういう店があれば、少々高くても贔屓にするのだが。

 2002/11/16 紅葉

紅葉の季節である。路傍の桜並木の葉もすっかり色づいた。風もないあたたかな日和に誘われて、散歩がてらに紅葉狩りと洒落込んだのだが。お目当ての銀杏の黄葉にはまだ少し早いのか川縁に車を進めても水に映る色が淋しい。それならばと取って返した公園のカナダ楓もまだ褐色が残っていた。常緑樹に混じって、ちらほらと紅葉がはじまっていたのはカエデの類だ。すべての葉が深紅色に染まった木もあれば、枝の先の方から紅く染まって、幹に近い方はまだ黄緑色をしているのもある。近くによって葉裏からのぞくと日を透いた薄葉の色がひときわ鮮やかに映える。その緑から黄、黄から赤に至る階調の見事さ。紅葉の名所を訪ね、全山紅葉の見事さに酔うのもいいが、田舎に住むものの特権として、近くの寺や公園で移ろいゆく季節の様を眺めるのも一興だと思うが如何。

 2002/11/15 猟解禁

川岸に沿って歩いていると、鉄砲の音がする。間の抜けた感じの音だが、すぐ近くで銃を撃っている人がいるというのは物騒なものだ。今日から解禁らしく、鳥獣保護区という看板のある土手に、さっきからライトバンが停まっている。オレンジ色のジャンパーを着たハンターたちが狙っているのは雁らしい。上空には長い頸を伸ばした雁が仲間と編隊を組んで舞っている。フランス料理にもジビエというメニュウがあるが、野鳥の料理というのは好きな人にはたまらないものがあるのだろう。レストランで目にしたら、注文するかもしれない。しかし、渡りの季節になると飛来する雁の群は季節の風物詩である。群の中には去年も見た雁もきっといることだろう。そう思うと、猟師の銃に撃たれるのは切ないものがある。どうかうまく逃れてくれと、祈るような気持ちで眺める空に、どうして鳥たちはあのようにのん気そうに飛んでいるのだろう。

 2002/11/14 神経痛 

突然神経痛が来た。右足の蝶番。ずっと以前から、季節の変わり目になると痛み出す。医者に行ったこともある。医者曰く「人と接する仕事ですか?」「はい」とでも言おうものなら、「ストレスですね」 で処方箋が書かれて終わりである。ストレスの来ない生き方を選択して生きている。おそらく医者の見立てちがいだ。今日の痛みで思いつくのは、昨日の晩、ニケが布団の上で寝ていたことぐらいだろう。何があったのかは知らないが、寝る前に布団に入ってきて、すぐ出ていった。ベッドから下りるのかと思ったら掛け布団の上で止まって横になった。布団越しに体を寄せ合うようにして、そのまま眠ってしまった。寝返りを打つとつぶしてしまいそうで、同じ姿勢で一晩中横になっていた。明け方腰が痛くなったが、きっとあれが原因にちがいない。ま、それが原因なら仕方がない。ニケは腰の痛みの何倍ものいろいろな痛みをとってくれているのだから。

 2002/11/13 携帯電話

別にこだわっているつもりはなかったのだが、これまで携帯電話を使ってなかった。もともと電話が好きでないこともある。手許に置いて使わなくとも仕事場にはあるし、仕事中に私用電話はしない主義だから、それで済んでいた。ただ、困ったことはあった。宮内庁御用達の某有名料亭で宴会をした時のこと、電話を借りようとしたら、「最近はどなた様も携帯をお持ちなので、電話は置いてございません」と言われ、さすがにむかっときたことがある。電話のない料亭があるものか。宮内庁はどうやって予約を取るのだ。悪貨は良貨を駆逐するというが、公私をわきまえず、どこでも平気で私用電話をしてはばからない風潮は携帯電話の流行と機を一にしている。何かといえば、場所柄もわきまえず、携帯を取り出す輩が贔屓の客層だというならこちらの方で願い下げだ。二度とこんな店に来るものかと思った。しかし、その時は困った。外に出ても公衆電話は滅多に見かけなくなった。小学生でも携帯を持つ時代だが、年寄りには不便になったものだ、などと愚痴りながら電話のありそうな場所を探して歩いたのだった。そんなこんなで、家族の中で一人だけ、電話不携帯で過ごしてきたのだが、必要が生じたので今日から持つことにした。はてさて、どんなことになるやら。何はともあれマナーモードの使い方だけは覚えねばなるまい。

 2002/11/12 芝居見物

駅前にある文化会館で芝居を観る日だった。しかし、仕事を終えて家に帰ると開演時間にバスが間に合わない。仕方がないので歩いていくことにした。久しぶりに歩く夜の旧街道は、どこも暗くて人通りも少なく、ひっそり閑として死んでいるようだ。かつては私鉄の終着駅だった建物に灯りは煌々と点いているが、列車の着く時間でないのか人通りはまばらである。暗い通りにコンビニの蛍光灯の光ばかりが明るく洩れている。芝居は、なかなか好かった。TVや映画に出ているような役者はひとりもいなかったが、どの役者も役を自分のものにしていて自然な演技で好感が持てた。装置もしっかり作られ手抜きのないところは芝居全体のイメージと共通する。言いたいことがストレート過ぎるところはあるが、日本の農政という地味な話題を劇にして、これだけ楽しませてくれれば文句はない。言い忘れたが『菜の花らぷそでい』という青年劇場の芝居の話である。

 2002/11/11 雑誌

歯医者に行った。いつも待合室で読む雑誌が決まっている。なぜか医者というのはちょっと気取った雑誌が置いてあるものだが、自分が趣味でとっている雑誌を待合室に下ろしてくるのだろうか。S小児科では「婦人画報」、Y耳鼻咽喉科では「サライ」、この歯科医院では「ラピタ」が目立つ。それぞれ院長の年齢や趣味がうかがえるのが興味深い。「サライ」は、Y耳鼻咽喉科に通っている間にすっかり気に入ってしまってしばらく自分でもとり続けた。さすがに補聴器その他の老人グッズの紹介が多いことに気がつき、読者からの投書欄を見て愛読者の年齢層の高さを知り定期購読をやめた。その点「ラピタ」は、今月号も60年代の国産車が特集で、懐かしい車の姿に当時の自分を思いだして心が躍った。何を隠そう、大の車好きで、子どもの頃から「カーグラフィック」と「自動車ジュニア」の2冊を毎月買っていた。将来はカーデザインの道に進み、日本のピニン・ファリナ(フェラーリのデザイナー)になろうと思っていたくらいだ。一つの道をまっしぐらに進むというタイプでなかったのだろう。その後紆余曲折して今に至っているが、車のデザインは今でも気になる。日野コンテッサやいすゞベレットなど、今でも走っているのだろうか。

 2002/11/10 田舎の自然

仕事の下調べやその他の事情で、めずらしく休日にあちらこちらと走りまわっている。田舎道で車を止め、山の方に入っていくと、犬を連れた老人に出会った。道端に立っている高さ十メートルはあろうかというU字型の管についてたずねると水道管だと教えてくれた。去年までは、今立っている場所が川だったという。田に水を引くための農業用水が通っていたのだ。口振りから、川が埋め立てられたことに対する不満がありありと感じられた。坂を下りたところで、畑の作物を消毒している人がいた。農業用水の話をすると、山の方に溜めた水をサイホンの原理で田に灌水していたのだけれど、古くなってきたためにあちこちで水が噴き出してきたそうだ。それで、工事をすることになったらしい。行きずりの者には昔から変わらないように見える農村風景だが、そこに生きている人々にとっては刻々と変化し続けているのだろう。高畑勲の『おもひでぽろぽろ』の中で、農家の青年が言う「都会の人は、森や林や水の流れを見て、すぐ自然だ自然だってありがたがってしまう。ま、山奥はともかく、田舎の自然ってやつは、みんな人間が作ったものなんですよ」というセリフを思い出した。段畑や用水路、河岸林が織りなす景観は人間が作ったものながら、今ではすっかり自然と同化している。それに比べ、旧河道からにょっきり突き出すU字管は異物でしかない。きっと田舎の人が作ったのではないのだろう。そこには自然と共に長く生きていこうという気持ちが感じられない。青年の言葉はこう続いていた。「百姓は絶えず自然からもらい続けなきゃ生きていかれないでしょ。だから自然にもずっと生きててもらえるように、百姓の方もいろいろやってきたんです。ま、自然と人間の共同生活って言うかな。そんなのが多分田舎なんですよ。」田舎でも都会でもない風景が増殖してきているようだ。

 2002/11/7 年頃  

親しい友人の義母が逝去された。今夜は通夜である。仕事で顔を合わせてからつき合いがはじまり、もうひとりの友人と三人でログハウスを作っていた頃は、手伝いに行ったり、手伝ってもらったりと、けっこう行き来もあったのだが、彼が脱サラをして自宅で農業をするようになってからは、一度一緒に飲んだきりだ。そういえば、もうひとりの友人のご母堂の葬式にも、この夏出たばかりだ。一緒に会うことが少なくなったのと、家族の介護の始まりが並行している。他人事ではない。自分の母も通院加療中である。幸い達者なので、自分で電車に乗って通ってくれているが、寄る年波には勝てない。元気なようでも、ずいぶん背が丸くなった。ずっと自分のことばかりにかまけてきたが、そろそろ親の面倒を見なければならない年頃になったということである。

 2002/11/6 夕食

時間になっても妻が帰ってこない。といっても家出ではない。朝から今日は知人の見舞いに行くのだと言い置いて行った。残された子どもと二人の食事当番を任されている。寿司や丼物でもよかったのだが、最近とみに出来合いの物を食べるのが億劫になってきている。簡単な物でも自分で作る方がいい。そう思って仕事の帰りに近所のスーパーに寄った。今夜の夕食を作るということは明日の朝食も考えておかなければならない。ご飯は今朝炊いたばかりの物がジャーに残っている。キャベツとピーマンと豚肉を買って回鍋肉を作ることにした。昨夜大量に作っておいたポテトサラダはまだ大丈夫だろう。朝の味噌汁も残っているはずだから、あれも温めてと考えながら、ピーマンの袋を手にとったところで、明日の朝食を思いついた。ウインナとピーマンの炒め物にしよう。それでピーマン一袋を使いきることができる。家に帰るとすぐ台所に立った。学生時代、喫茶店でバイトをしてたので、キャベツくらいは何でもない。四半分に切って、芯の部分をカットすると、上から押しつぶす要領で平たくし、角切りに切ってゆく。ピーマンは中の種を取って乱切りに、長ネギも5ミリ幅で斜に切った。豚肉を5センチ程度に切って準備はできた。後はキャベツから順に炒めた上に辛子味噌を入れてからめるだけである。ガスレンジを新しくしたので火の回りの具合が良く焦げ付かないので気持ちがいい。キャベツが新しいのかいつもより水が出た。余分な水分を捨ててから味噌を入れてできあがり。結局キャベツ半個を二人で食べてしまった。野菜不足解消である。

 2002/11/5 霜月の頃

寒い日になった。膝掛けくらいではどうにもならない。そろそろ暖房器具を入れねばなるまい。寒さに洟をすすりながら美術館で買い求めてきた図録を日がな一日眺めて暮らしていると、不況下のこの国のことや日々世俗的な気遣いの中で生きている人間関係の煩わしさを忘れ、遥か昔、遠い異国の地で暮らしていた人々の生活が偲ばれ、何がなし心のむすぼれが解かれていくような気がするのである。それで思い出したのだが、信楽にある美術館までの山道のこと。人もあまり通りそうにない細い山道に分け入ったのだが、楓や橡の紅葉に目を奪われていると、松茸の季節ということもあり、所々に入山禁止の立て札が立っているのに気がついた。さらには、荷造り用のタフロープが山の麓に張り巡らされ、折角色付きはじめた紅葉もすっかり台無しにされていたのは興醒めであった。このような俗界を離れた山中にあっても人は欲から離れられないのだなと、あらためて思い知らされ、兼好ではないが、この茸なからましかばとおぼえたことであった。

 2002/11/4 狂言

巷で話題の和泉元彌を見た。散歩の途次に立ち寄る近所の神社が、御鎮座80周年記念とかで奉納狂言を催行したのである。神社に隣接する博物館の前庭に特設舞台を組んでの夜の野外公演。薪能ではないがライトアップされた舞台は昼間のように明るかった。舞楽を奉納する際の朱塗りの欄干を配した舞台の四方に青竹を立て、注連縄を張ったところに橋掛かりをつけ、一応能舞台の設え。松羽目の代わりに、大正天皇御手植えの松を配するあたり、趣向はよくできている。後半の演目は『竹生島詣で』。地口を生かした軽い笑いのとれる作品で、観客もよく乗っていた。芸能スキャンダルを気にしてか家族の結束を強調する挨拶には少し白けたが、吐く息も白くなる寒さと生憎の風の中でも瞬き一つしない熱演で狂言自体は充分楽しめた。篝火の下、幽玄な薪能も結構だが、もし能であったらこれだけの人が集まったかどうか。知名度を武器にしての古典芸能の大衆化という戦略もまんざら的外れではないのかもしれないな、と夜道を帰りながら思った。

 2002/11/3 文化の日

秋を一足飛びに通り越して冬が来たような寒さだが、木々の紅葉は今少しというところで外を出歩くには物足りない。そんなわけで、せっかくの休日も相変わらずの家でのんびり、と相成る次第。それでも、芸術の秋などというクリシェ(紋切り型)にのってかどうか知らないが、TVも文化の日らしく特別番組を流している。フィリポ・リッピの特集となれば観るしかあるまい。フィリポ・リッピは、ルネッサンスを代表するボッティチェッリの師匠にあたる画家で、ルネッサンスを準備した画家といってもいい。独特の線描を駆使して描かれた女性像は、ボッティチェッリに似ていながら、どこか儚げで、翳りのある美しさを醸し出している。それもそのはず、修道士でありながら年若い修道女に恋をし、駆け落ちまでしたフィリポ・リッピが、その相手をモデルにして描かれたのが代表作の聖母子像なのだ。画面に映し出されるマザッチオやヴェロッキオの作品をはじめ、フィレンツェの風景は懐かしく、また、未見のフレスコ画には、再訪を誘われているような心地がした。ナヴィゲーターをつとめる木村佳乃の抑制された挙措動作も番組に落ち着きを与えていて好ましかった。

 2002/11/2 週刊誌

新聞に「年金が危ない」という週刊誌の広告が載っていた。職場でその話をしたところ、さっそく買ってきた上司が「もう読んだか」と言いながら貸してくれた。前の席の同僚は二つ年上である。「あとで、僕にも貸して」と、やはり気になる様子。仕事の合間に拾い読みをしたが、扇情的な見出しのわりには、当たり前のことしか書かれていない。まあ、これが週刊誌というものだろう。しかし、定年退職後でも、職種さえ問わねば、パートタイムの仕事がある、としてマクドナルドの例を挙げているのには苦笑させられた。ルポライターの記事だから、どこかで取材したのだろうが、女性ならまだしも、定年退職後の男性を売り子で雇うマクドナルドの店が本当にあるのだろうか。さらには、資産運用で年金が支払われるまでの間を食いつなげというのも庶民感覚を無視した話だ。そんな資産があれば、誰も年金の心配などしない。政府や官僚は自分たちの生活を心配せずにすむから勝手な政策を発表できるのだろう。腹が立ちながらも、そんなものだろうと思うしかない。しかし、週刊誌に載った年金の話を真剣に読んでいるのはエリートたちではない。リストラに怯え、定年後の生活を心配している一般人である。デフレで一食分と同等の価値を持つ硬貨何枚かに見合うだけの情報を載せられなくて何が週刊誌か、と腹を立てた後で気がついた。これは自分で買った本ではなかったのだ。

 2002/11/1 白い車

乳白色の霧が行く手を遮っていた。前を走る車の影さえ見えず、ただ後尾灯でその在処を探るばかりだ。それにしても、また車が白くなっているようだ。この国の景気が悪くなると、車は白く、女性の服は黒くなると言われる。個性的な色の車は中古車市場で売れ残る危険性があるからか、この国の車はもともと白っぽい。よくって灰色か銀色である。寒色や暖色という色の性質を中学生の頃に習ったことがあるが、色には感情が表れるものだ。フェラーリの赤やジャガーのモスグリーンは、作られた国の個性を表してもいる。日本人にとって、白は純粋さや清らかさを象徴するものなのかもしれないが、こと車に関して言えば街の景色を味気ない事務的なものにしていると思う。そんな中で、新型のマーチの色だけが実にユニークだ。まさかゴーン氏の指示でもあるまいが、新しいイメージを振りまいていることはたしかである。赤や黄色のTOYOTAやDATSUNのトラックを、海外ではよく目にした。どんな田舎町のガソリンスタンドに停まっていても不思議に絵になっていた。日本の田舎にだって、きっと似合うと思う。この不景気がいつまで続くかは知らないが、せめて車の色くらいは色鮮やかにできないものだろうか。
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