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 2002/9/30 夕陽 

何と言ったらいいのか、喩えようもない夕陽の色だった。無理に喩えようとするなら溶鉱炉で熱せられ、溶けた鉄のようとでも言ったらいいのだろうか。どんよりとした厚い雲が覆った空の下、今まさに沈もうとする日の最後の輝きは今までに見たことのない強いものだった。小さい頃から夕陽が好きだった。始まりより終わりを好むのは気質的には憂鬱質が強いのかも知れない。終わってしまえばどんなことでも受け容れることができる。始まる前から終わりを考えるような意気地のない子だった。すべてが終わってからそれまでを反芻すれば、傷みはすでに遠のき、偽られた記憶だけが波のように繰り返し打ち寄せるばかりだ。空を紅く染める夕陽には、すべてを佳きものにする偽りの美しさがあった。今日の夕陽はそれとはちがっていた。慰謝や愛惜などに一瞥もくれず、遙か遠くにある何かを告げているようだった。遠い昔、娑婆苦に疲れた人たちが渇仰した阿弥陀仏はきっと、あのような夕陽の中に顕れたのではなかったか。ビルの向こうに沈んでしまうまでの束の間、ふとそんなことを思ったりした。疲れているのだろう、きっと。

 2002/9/29 報告書

ずっと放っておいた仕事の提出期限が迫ってきた。滅多にないことだが、資料を家に持ち帰り、それでも土曜日はそれを横目に見ながら別の本を読んでいたのだが、さすがに気になり、今日はパソコンに向かってキイを叩いた。以前は、自分の仕事に対する自己評価がもう少し高かったからか、報告書を作成することにも気合いが入った。今はすでに終わってしまったことについて、考察を加えたりすることに今ひとつ熱意が湧かない。やっていることの内容は決して落ちていないと思うのだが、それによって達成される結果に対する評価が冷めているのだろう。それでもキイを叩いていると、少し面白くなってくるから不思議である。やはり考えるばかりでなく、まず手を動かすことが大切なのだとあらためて実感した。

 2002/9/28 ポルペッテ

「夕飯は何にしようか」と訊かれて、なかなかすぐに思いつかぬまま妻はさっき電話がかかってきた息子を迎えに行った。自分が迎えに行ってもよかったのだが、読みかけていたB・フランクの『日本仏教曼陀羅』から手が放せず、悪いなと思いながら迎えに行ってもらった。かえってきた妻に、「それで何にしたの」と聞いたら、ポルペッテという聞き慣れない名前がかえってきた。今朝の新聞で紹介されていたイタリア料理だという。簡単に言えば肉団子とスタッフドピーマンのトマトソース煮だろうか。パルメザンチーズをふんだんに使うのが特徴のイタリアの家庭料理である。チーズを用意するのとワインを冷やすぐらいは手伝ったが、後は任すしかない。出来上がりはいかにも家庭料理という感じの素朴な味だった。美味しいことには間違いがないのだが、はじめて食べたので、これがポルペッテの味だという確証が持てない。美味しかったらそれでいいではないかという声が聞こえてきそうだが、なんとなく落ち着かないのは持病のようなものだ。三島由紀夫はステーキの値段で味の良し悪しを判断したそうだが、そこまではいかないものの、自分の判断に絶対性を認めないという点では似たようなものかも知れない。

 2002/9/26 電話

屋根の工事が終わって何日かしてM社から電話があった。工事代金の振り込みについてである。車でも新車を納入するときは明るいうちに来て、傷などないか確認した上で引き渡すものだ。屋根の工事については仕上がりについて確認のしようがない。下請けに出した仕事なら、M社が代わりに確認した上で代金の請求をするのが道理だろう。そういう意味のことをその時に伝えた。「雨が降ったら様子を見てみてください」というのがその時の返事だった。代金を払ってから雨が降るのは今日がはじめてである。「そろそろ電話が来るかも」と話していたら本当に電話が来た。しかし、これくらいの雨で直したばかりの屋根が漏ったらそれこそ詐欺である。正直なのかも知れないが、どれくらいの雨ならチェック機能が果たせるのかが分からないだろうか。日本の企業の地盤沈下はかなり広範囲に広がっているのではないかと心配になった。

 2002/9/25 谷間の風景

扉を開けると黴臭い匂いが鼻についた。およそ半年ぶりだから仕方がない。ヴェランダの板もすっかり黒ずんでいる。特に切り妻の屋根から落ちる雨が当たる部分がひどい。落ち葉の詰まるのを避けるため山小屋には樋をつけないのだが、この地方の雨量は半端じゃない。晴天続きを選んでやっと来てみたが、午前中は床も壁もしっとり湿った感じが抜けきらない。ヴェランダに椅子を出し、途中で買った弁当を食べ終わるころになってやっと日がさしてきた。家から持ってきたアラン・コルバンの『風景と人間』の続きを読む。それによると、この小さな谷川沿いの風景を美しいと感じるためには18世紀末に流布したピクチャレスクという概念を待たねばならないらしい。ギルピン神父がその著作の中で、こうした風景に目を留めるまで、誰もこんな小さな谷間を見ようともしなかった。風景を読み解くコードが見つからなかったからだ。風景もまた誰かによって発見されなければ、人の目には見えていても見えないものの一つである。

 2002/9/24 三つ子の魂

朝から天気がいいので、久しぶりに山にでも出かけようかと弁当を作り、さあ出かけようとした矢先に高校に行っている息子から電話がかかってきた。進路に関する書類を今日中に学校に提出しなければならない、ついては印鑑と署名がいるので、学校のすぐ下にある祖父の家に来てはくれまいかというのだ。たしかに、ここ二、三日それらしい本を寝転がって眺めていたようだが、何の相談も受けなかった。おそらく、ずっと前に渡されていた書類を読んでなくて締め切りを知らされあわてて電話してきたのだろう。自分の将来である。親がどうこう言うものではないと放っておいたのがいけなかった。夏休みの宿題を八月の末にならないと開けなかった子である。三つ子の魂百までというが、性格というのはどうしようもない。山に行く元気もなくなってしまい祖父の家を早々に辞退すると我が家に戻った。爽やかな秋晴れがかえって恨めしい秋の午後である。

 2002/9/21  

みごとな夕焼けだった。空をおおっていた鰯雲を透かし模様に見立てて沈む日が地の色を赤く染めていた。車を止めて見やる土手の草地に夏の間はあれほど繁っていた丈高い草が消え、まだ小さいが白や薄紫の花をつけた秋の草がちらほら見える。薄の穂もひらきはじめた。土手の上で風をうけてかすかに揺れている。季節の移ろいが足早に駆け抜ける。今夜は仲秋の名月と満月が重なる日だが、残念なことに日が暮れてから出た雲に隠れて月影は朧である。虫の音が聞こえる。秋が来たのだ。

 2002/9/20 風呂 

職場で雑談をしていて風呂の話になった。入る時にどうするかというので、前と後ろを洗ってから入るという話をしたら、「えっ、体を先に洗わないんですか、後に入る人のために」ときた。こちらは、マナーを教えたつもりだったのだが、若い連中は、体をすっかり洗ってから入るというのだ。「それじゃ、はじめと終わりの二回入らないの?」と聞くと、「銭湯ではそうします。」という答えだった。思い至ることがある。小さい頃家には内風呂がなかった。銭湯の習慣がそのまま身についたのだろう。欧州を旅行すると、バスタブのないホテルもある。体を洗うことが中心で、湯に浸かるという楽しみはさしたる関心事ではないらしい。昔の中国では、詩想するに相応しい場所を、鞍上、枕上、厠上としたものである。馬に乗ったとき、横たわったとき、トイレの中というのは一人になれる場所である。その伝で言えば、風呂に入った時も同じだろう。風呂は体を洗うだけの場所ではない。ゆっくり湯に浸かり、来し方行く末を思い遣るには最適の場所である。水だけは潤沢な国なのだから、この恩恵には浴した方がよかろうと思う。

 2002/9/19 屋根

たしかにいい天気が続いた。屋根屋の仕事もはかどるのもわかる。天気のいい間に仕事をしてもらえるのははなによりである。雨になれば仕事は休みになるからだ。しかし、今日帰ったら、もう仕事は終わっていた。五人がかりでやってくれたわけで別に文句はないのだが、二日間で車一台の金額というのがなかなか腑に落ちない。嘘でももう少し時間をかけてやってもらえると有り難みが出るのだが。ご丁寧なことに近所まで回ってくれて迷惑をかけたことを詫びてくれているそうだ。近所の人曰く、「仕事が速いですねえ。昨日かかったと思ったらもう終わりですか。」プレハブ住宅の売りは工期の短さである。その点では何ら文句のつけようがない。効率的、合理的という観点からこの会社を選んだのは自分である。しかし、時代は変わった。住宅に関する要望も多様化しているにちがいない。施主の満足の度合いが何処から来ているのか、もう少しリサーチする必要がなきにしもあらずである。

 2002/9/18 秋晴れ

久しぶりの上天気で空は秋晴れ。からっとした空気を感じるために窓を少しあけて車を走らせていた。めずらしいことに空の上に鴎が群をなして飛ぶのが見えた。たしかに海は近いが、鴎を見るのは久しぶりだった。朝の光を浴びて羽が透き通るように白く光っていた。帰りにも鳥の群れを見た。季節の変わり目を鳥は感知するのだろうか。それとも何かの前触れだろうか。そんなことを考えながら家に帰ってくると、今日から屋根の修理が始まっていた。今ある屋根のうえにアルミ板の上に砕いた石を貼り付けたものを張っていくのだ。それでも本瓦と比べれば寿命は限られている。雨の多い日本にヨーロッパ式のコロニアルベストを持ち込んだのはいったい誰だ。建築資材だけの話ではない。日朝国交正常化を報道するメディアにしても「拉致問題」中心の偏向した報道振りが目立つ。一時の感情にとらわれることなく長期的な視野を持って事に臨むことが何より大事である。この国の湿度とナショナリズムの高くなるときは要注意である。

 2002/9/17 駐車場

朝、いつもの場所に車をとめようと思ったら工事車両が停まっていてとめることができない。玄関前にとめて入ったら、業者の車が荷物を運び込むので車をどけてくれと言われた。業者も困るだろうが、こちらも困る。前の通りは車一台がやっと通れるスペースしかあいていない。雨の中、車に乗って業者の荷下ろしがすむまで待っていろとでも言うのだろうか。上司は何の指示もしない。仕方がないから車を動かし通りに出た。なんだか馬鹿らしくなってきて、このまま帰ってやろうかと思えてきた。公共交通機関が使えるところならそれで来ている。自家用車で来ることが想定されていながら、指定された場所に別の車が停まっていて、車がとまらないのでは筋が通らない。以前ならもっと抗議しただろう。責任の所在を曖昧にして、筋の通らないことも口を噤んできたことが、最近のこの国の不祥事続きの原因である。少し離れた場所に車を停めて戻りながら、人が丸くなったと最近よく言われるが、結局歳をとって覇気がなくなっただけではないのかと考え込んでしまった。

 2002/9/16 事実は小説よりも奇なり 

終日雨。『壜の中の手記』の書評を書くため、手持ちの資料を渉猟する。しかし、ジェラルド・カーシュについての言及はほとんどない。まあ、それはいい。問題は以前なら、この種の物語は何より好きだったはずなのに書こうとすると言葉が出てこないことにある。綺譚に心が動かないのは、現実がそれを追い越して不可解だからだろう。これらの物語が書かれたのは第二次世界大戦直後、世界は極東の黄色人種や第三帝国の支配下に入らず、英米諸国の覇権は揺るぎないいわば安定した時代である。今は違う。世界は不安定な要因に満ちている。「事実は小説よりも奇なり」という時代は、決していい時代とは言えないだろう。

 2002/9/15  『壜の中の手記

三連休の中日。ゆっくり起き出し、珈琲の用意をしてから朝日と毎日の朝刊を読む。いつもながら経済面は飛ばす。一杯目の珈琲を飲み終える頃、朝食ができあがるので一時中断。お茶を飲みながら書評欄を読む。読んでみたいと思った本が二冊あった。二杯目の珈琲を飲んでから二階の書斎に上がり、ジェラルド・カーシュの『壜の中の手記』を読む。たしかE・A・ポオに同名の短編があったはずだ。インターネットで検索をかければすぐ分かることなのに訳者や編集者は気づかなかったのだろうか。少し前の小説らしい懐かしさが漂うもののこういう話が好きな人にはたまらない短編集である。それだけに御大ポオと同名のタイトルはまずかろう。原題の『オショショコの壜』ではいけない訳でもあったのだろうか。ベストセラーとよく似た題名の本を緊急出版して二匹目の泥鰌をねらう出版社があるが、あの晶文社に限ってそんな手を使うはずもなし。解せぬ話である。

 2002/9/14 ヴァイキング

子どもが模試を受けるため学校に行っているので、昼は二人だけである。たまには外で食べるのもいいだろうと近くのトラットリアに出かけた。ランチ・ヴァイキングを始めたとかで午後一時を回っているのに店は混んでいた。旅行中さんざ食べてきたので、今更ヴァイキングは御免だ。第一自分でサーブさせられるのが気に入らない。せっかく店に来ていながら何故皿をもってうろうろしなければならぬのか。さらに、サラダは萎び、パスタは伸びきり、ピッツァは冷めている。焼き上がり、茹であがりを食べてこそのイタリアンである。妻はピッツァ・マルゲリータ、当方はバジリコのパスタを注文した。ほとんどの客が料理の並んだテーブルと自分のテーブルを皿を持って往復している中、ゆったり座っていられるのはなかなかいいものである。出来立ての料理は熱々で、何よりのご馳走はこのぬくもりである。イタリア料理はママンの味なのだよ。諸君。

 2002/9/13 全長18メートル死ぬ気で追い越せ

出勤途上、前を走る車のリアウインドウに貼られたステッカーを見て笑ってしまった。ごく普通の商用ヴァンである。別段追い越す気もないが、全長18メートルとは吹いたものだ。死ぬ気で追い越せというのも力が入っていてなかなかいいコピーだ。タンクローリーか何かに貼られていたら、威圧感を感じるだろうが、三菱デリカでは怖くも何ともない。金色の家紋の入ったステッカーを貼っていきがる手合いは御免だが、こんなコピーなら読んでいても楽しい。

 2002/9/11 ニューヨーク

一年たった。事件直後、未曾有のできごとにヒステリックに見えたアメリカだが、一年後の追悼記念式典を見る限り、戦闘的愛国心の高揚はおさまったようだ。イラク攻撃を主張するブッシュ一派だけが、事件を自分たちの都合のいいように利用しようとしている。その動きが露骨に見えるほど、ニューヨーカー達は冷静さを取り戻している。ニューヨークタイムズに寄せられたポール・オースターの文章は、「アメリカはニューヨークから出ていけ」という言葉で、ニューヨークは国という枠組みをこえた移民の集合体であることを訴えている。事件の犠牲者はアメリカという幻想の共同体の構成員である前に、ニューヨーク市民であったことをあらためて思い知った。
 

 2002/9/10 河岸林 

河川敷がきれいに整備され、新しく植えられた並木の葉もこんもりと繁り、散歩にはお誂え向きだな、と思いながら車を走らせていると、木の根方で何かがきらりと光るのが見えた。真新しい自転車が二台、叢に転がされている。めずらしいこともあるものだと、あたりに目をやると、行儀よく並んだ木々の間に白いシャツを着た二人の高校生が仲良く肩を並べて座っていた。並んだ二人の間にわずかに見える川の流れが清冽に思え、青春映画の一齣を見ているようだった。

 2002/9/9 匂い

土砂降りの中を車で歯医者に行った際に、雨がシートやダッシュボードにしけ込んだ。窓を閉めたまま一日置いておいた次の日、ドアを開けるといやな匂いがする。リアウィンドウも曇っていた。どうやら湿気が抜けきってないのが原因らしい。仕事への行き帰り、思い切ってフルオープンで走ってみた。すると、いろいろな匂いが車の中に入ってきた。家の前の道から本線に入るまでは快適だったが、国道に乗ったとたん排気ガスの匂いが鼻についた。国道を逸れ農道を走ると肥料の匂いが入ってきた。昔ならいざ知らず今でもこの種の匂いがするのだとあらためて気づいた。ふだんは窓を閉め切って走っているので気づかなかったのだ。なんだか世界が少し身近に感じられた。

 2002/9/8 自転車

香典返しの代わりに自分で好きな物を選ぶことができるリストが送られてきた。ほしい物といっても特になかったのだが、二男の自転車がかなり古くなってきていたのを思い出し、折り畳み自転車を希望して葉書を出しておいた。二、三日前に届いたのを、今日箱から出して組み立てた。折り畳みというだけあって、ペダルとサドルを固定したらもう完成である。空気を入れたら走れるのだが外はまだ雨が上がったばかりである。天気のいい日を待って試運転をしようと思っている。

 2002/9/7 大雨

天の底が抜けたかという大雨が降り続いている。列島上に秋雨前線が停滞しているのが原因らしいが、尋常な降り方ではない。あれからヨーロッパの水害の話を聞かないが、川の流れの緩やかな中欧では、なかなか水が引かないのが大洪水の原因である。家の前は坂になっているが、それでもこれだけ降ると道の上を水が流れ出す。限度を超えると排水溝から溢れ出すからだ。秋の長雨は古歌にも歌われているが、夕立がいつまでも続くようなこの降り方には風情が感じられない。

 2002/9/6 歌舞伎見物

三津五郎の襲名記念公演を見に行った。演目は「石切梶原」それに口上をはさんでの「義経千本桜」というものであった。富十郎は相変わらず口跡の良いのが身上。昔テレビにも出ていた坂東吉弥が、老け役を達者にこなしていた。お披露目らしい華やかな演目だが、面白さは今ひとつだった。襲名ばやりの昨今である、役者の人気だけが歌舞伎の命脈を保っているのだとしたら歌舞伎に未来はないだろう。新作でも古典でもいい。面白い狂言が見たいものだ。

 2002/9/5 シックハウス

仕事で隣町に新しくできたコミュニティーセンターなるものを訪れた。顔合わせを兼ねてちょっとした会議があるというので、時間より少し早めに会議室に入ったのだが。入ったとたん強烈な匂いが鼻をついた。塗料か接着剤から出ているのだろう。心なしか目もしぱしぱし始めた。家に帰ってからもしばらく頭痛がした。あれなら、古い公民館の方がよほど住民にやさしかろう。

 2002/9/4 堤防道路 

川沿いの堤防の上を走った。しばらく続いた雨のせいで川は水かさが増していた。ふだんは水につからない河岸の草の葉の上のところまで水がきていた。やはり川は水が多い方がいい。上流にダムができてしまってから日本の川はいつも干上がった川底を見せている。脱ダム宣言をした田中知事の再選で、日本の川の景色も変わるのだろうか。

 2002/9/3 いわし雲

帰り道、空は一面の鰯雲におおわれていた。もう秋だ。昨日までは夏だった。夏雲は、地平線から立ち上がるように垂直に上に積み上がっていた。今、秋の空では真綿を引きのばしたように小さな鱗模様の雲が想像もできないくらい大きな回教寺院の天蓋となって悉皆を包み込んでいる。

 2002/9/2  帝国の威信

エリザベス女王即位50周年記念コンサートをテレビで見た。英国のプロムナードコンサートの噂は耳にしていたが、今年はバッキンガム宮殿の庭を舞台に、市民を無料で招待しての特別なイベントになっていた。音楽もだが、刻々と移り変わっていくロンドンの夏の夜空の美しさが心に残った。なるほど国家とは「想像上の共同体」だが、共同体意識を紡ぎ出す工夫というものもあるのだ。第二国歌とも言われるエルガーの『威風堂々』を歌うイングランド国民の顔は実に晴れやかだった。ヘンデルの『王宮の花火の音楽』を聴きながら背後で夜空に舞う色とりどりの花火を見ていると、祝祭的空間の盛り上げ方がうまいなあと感心してしまう。大英帝国の威光をまざまざと見せつけられる思いがした。(コンサート自体は6月に行われたものである。)

 2002/9/1 旧仏蘭西料理

夏の慰安旅行で、志摩観光ホテルの有名な鮑のステーキを食べた。バター風味のこってりした味つけが、昔から変わっていません、と言いたそうな味だった。老舗のプライドかも知れないが、料理も時代に合わせて微妙に変わっていくのがいいような気がした。
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