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sep.2002

 2002/10/31 「You Are The Top 今宵の君

ここのところ日課のようにソファでニケを抱いてうたた寝をしている。「お風呂よ」と起こされて、はじめて風呂に入る前に眠ってしまっていたことに気づいた。風呂ですっかり目が覚めると、今度は眠れない。WOWOWで、三谷幸喜の「You Are The Top 今宵の君」を見た。ニール・サイモンを髣髴とさせる洒脱な会話、軽快なテンポ。市村正親の科白回しに入れ歯をはめた年寄りのような覚束なさを覚えたが、急病で倒れた鹿賀丈史に代わった浅野和之が思いの外よく、戸田恵子を相手にしての恋人役をそつなくこなしていた。ストーリーは、戸田演じる歌手の死を悼む歌作りに顔を合わせた旧友二人の思い出話で構成されている。市村演じる五郎は作詞家、ひとしは作曲家、二人はともに戸田演じる歌手を愛していた。7年前の交通事故で歌手が死んでからは、現実主義の五郎は売れっ子となるが、芸術家肌のひとしはぱっとしない。二人の生き方と、歌手がどちらを愛していたのかという謎をからめて追悼曲作りが深夜のリハーサル室ではじまる。所謂バックステージ物。井上陽水作曲による劇中歌「You Are The Top 今宵の君」の出来もスタンダードを思い浮かばせる出来で悪くない。こういう上質のエンターテインメントが配役は代わっても常打ちで見られるような小屋ができないものだろうか。本物の舞台で、是非観てみたい芝居であった。

 2002/10/30 

昼休み、家の畑でとれた物だと、皿に山盛りになった柿が供された。その色にまず目を奪われ、手を出した。細かな斑点というか筋状に入った模様が甘さの徴である。四半分に切り分けられた実の最も色の濃い模様の入ったところに手を伸ばす。独特の甘い匂いが好き嫌いを分けるところかもしれない。甘さと渋さは共通のタンニンから生じるわけで、舌に残る甘さの裏には渋みが隠されている。子どもの頃、秋になると山を駆け回っては柿の実をとって食べた。今なら柿泥棒と言われるだろうが、当時はどの子もやっていた。もう時効だろう。たまに渋柿を囓ってしまうと、もうどうしようもない。舌の上を爪でこそげてみようが、水でうがいをしようが、舌に残った柿の渋みだけはどうしてもとれない。別の山に行き、甘柿を探して頬張るまでは渋さが舌の上に残るのである。それが、甘い柿を食べると不思議に消えていった。秋もおそい頃、日の暮れかけた山からの帰り道、振り返ると、柿の木の天辺のあたりにぽつんと一つとり残されたように残る柿の実が見えた。夕陽に照り映えたたった一つの柿の実は晩秋の光景として今も記憶に残っている。それが「木守り」と呼ばれて、わざと残されたものだということを後に知った。天からの恵みをすべて取り尽くさず、わざと残すところに祖先の心の有り様を見たような気がする。

 2002/10/29 甘えっ子

どうした訳か、ここのところニケがずっとくっついたまま離れない。今夜も帰ってくるなり、玄関でお出迎え。その後、二階に走り、ベッドに誘う。寝転ぶと枕許に寄ってきて、いつものように腕の中に入ってきた。まだ、夕食もすませていないが、これはこれで気持ちがいい。ついうとうとしてしまった。夕食も終わり、風呂もすませ、ソファでナイトキャップを飲っていると、ニケが膝の上に乗ってきた。気がつくとそのまま眠っていたらしい。疲れているのだろうか。「もう寝たら」と、言われて二階に上がると、ニケもついてきた。腕枕が暑かったのか、すぐに出て、枕許で寝入ってしまった。すっかり甘えっ子になったニケは、こうしている今も実は膝の上にいるのである。

 2002/10/28 豚汁

「寒いね。」と言って帰ってきた妻が夕飯の支度をはじめた頃、実家から急用の電話がかかってきた。急に冷え込んだので、今夜は豚汁にしたらしい。鍋には、すでに野菜が準備されていた。別の鍋に牛蒡と蒟蒻がもうそろそろ沸騰しそうな湯の中で煮えている。どうやらちょっと実家に顔を出さねばならないらしい。次の手順を説明すると、手早く着替えをすませて妻は車に乗った。後は亭主の出番である。こう見えても料理にはちとうるさい。うるさいが、口だけである。できてきたものを批評はするが、自分で作れる物はたかがしれている。まず、沸騰した湯をざるで切り、牛蒡と蒟蒻を別の鍋の野菜の中に入れた。次は、豆腐を掌に乗せ、賽の目に切ると、包丁越しに鍋に入れた。豚肉をパックから取り出し、これも適当な大きさに切って、鍋の中に。次が一番厄介な味噌の加減である。味を見ながら入れてと言われて味噌こしを渡されても、分量の見当がつかない。味噌は手作りの信州味噌を樽で買っている。小出しにしたパックの中から匙で味噌こしの中に入れる。引き出しから擂り粉木を出し、見よう見まねで鍋の中で味噌をかき混ぜた。味見をしてみるが、なんとなく物足りない。息子を呼んで味見をさせる。「ちょっと薄味かな。あと、気持ちだけ入れてみたら」と、見解が一致する。もう一塊り味噌をすると、どうやらできあがった。椀に入れて息子を呼ぶと「豆腐がいつもの四倍も大きい」と笑いながら言う。どうやら包丁の入れ方が足らなかったらしい。豚肉も心もち大きめである。しかし、味はいつもの家の味だと言われて、ほっと一安心。お代わりもし、夜食にも食べようかと言いながら、息子は食べ終わった。少しは父の背中を見せることができたか、と思いながら椀に残った最後の汁を飲み終えた。薬味の七味がかすかに匂った。

 2002/10/27 ありふれた日曜日の午後 

朝から急に冬が来たかと思うような風の音である。我が家は長峰と呼ばれる尾根伝いに伸びた旧道の八合目あたりに立っている。馬の背状の土地に道を挟んで両側に立ちならんだ家並みは、雨には強いが風には滅法弱い。台風が直撃したときにはテレビアンテナは折られ、雨樋はめくられ、棟瓦が飛ぶという有様。つい最近も屋根の修理をしたばかりである。電線をひゅるひゅる言わせる風の音を聞いていると、たとえ天気はよくともどこにも出かけようなどという気がしなくなる。朝寝坊を決め込み、起きてからはゆっくりと新聞を読み、朝食を食べる。堀田善衛と堀江敏幸を読み、WOWOWで『鉄道員(ぽっぽや)』を見る。昼食は定番のキャベツとアンチョビのパスタ。ワインは、行きつけの酒屋がくれた国産無農薬のワインを試した。若い頃スキー場で見かけた銘柄だが、今では甘さが気になる。午後は、堀江敏幸の続きを読んでいるうちにうとうとしてしまったところをニケに起こされた。いつものようにお腹の上に跳び乗ってきて喉を鳴らす。落ちないように腕でかこうとそのまま眠りかけるので、こちらも目を閉じた。あたたかみが、腕に胸に心地よく広がってくる。風は止んで外は静かな日曜日の午後である。遠い将来、幸福な時を思い返す時がきたとしたら、こんな日の記憶が甦るのかもしれない。

 2002/10/26 背中 

電話があったのは午後五時を回っていた。金曜日は出張で出先からそのまま帰宅して仕事場に戻っていない。明日のイベントについて、問い合わせの電話だった。あわてて同僚に電話を入れた。担当の者がみな出張していて、準備ができていないのは確かなようだ。イベントは朝からなので、準備をするなら今夜しかない。電話を切って仕事場に駆けつけた。面倒くさいのは、セキュリティシステムとやらが今年から導入され、休日や勤務時間外に勝手に鍵を開けると、警備会社にアラーム信号が入ることだ。責任者しか、鍵を持っていないので、自分一人ではどうにもならない。電話した同僚が鍵を開けに先に行ってくれているはずだった。仕事場に着くと、同僚の傍で見慣れない若い女性がいっしょに机を運んでくれている。「娘です。」と紹介された。そう言えば笑顔がそっくりだ。そそくさと挨拶を交わすと机の中から準備物のリストを出し、彼女にも手伝ってもらって倉庫から品物を運んだ。せっかくの休日なのに嫌な顔一つもしないで親の仕事先に着いてきてくれる、気だてのいい娘さんを持った同僚が羨ましくなった。それに引き替え我が子は、とため息をつきそうになって、気がついた。気だてのいい同僚に、よく似た気質の子が授かるように、我が子の腰の重さもまた親譲りなのだと。子は親の背中を見て育つという。できるだけ対話は心がけてきたのだが、そういえば背中を意識したことがなかったのは不覚だった。口ばかり達者に育ったのはその所為かもしれない。

 2002/10/25 歯医者

ちゃんと磨いてきたつもりだったのに、「ほとんどきれいなんですが、親不知のところに磨き残しがありますね。」と言われてしまった。自分の娘ほどの女医さんにそう言われると、なんだか介護されている老人になったみたいで、面目のないような、遣る瀬ないような気持ちになってしまう。かかりつけの歯科医院は新しく開業したばかりである。院長が若いからスタッフはそれより若くなければいけないのだろう。看護婦など、学校を出たばかりの新人が多い。その中では、主に歯周病など、歯茎のチェックをしてくれているさっきの先生は、若いけれど落ち着いた感じのする人である。しかし、やはり若い。同年齢の集団の中では、自分の年齢など特に意識することはないのだが、うら若い女性に口中をのぞき込まれるのは、申し訳ないような、恥ずかしいような気がして仕方がない。まして、磨き残しを指摘されたりすれば、情けないような気さえしてくるのである。ああ歳をとるというのは、こういうことなのだな、と実感させられてしまう。それなら年配の医者のいる歯医者にかわればいいようなものだが、若い人たちで運営されているこの医院の持つ明るさは、医者嫌いの私に敷居の高さを感じさせないという点で捨てがたいものがある。今度こそ、入念に歯磨きをしてから来ようとあらためて決意したのだった。

 2002/10/24 図書館

借りていた本を返しに図書館に寄った。いつもは五時で終わるのだが、木曜は七時まで開けている。勤め人には、五時閉館はつらい。最近では木曜日以外にも開けている日があると聞く。公共図書館のサービスが向上するのは何よりだ。以前は、本も蒐集の対象で、これはという本を買い求めては悦に入っていた。書棚が本でいっぱいになる度に新しい書棚を買い足してきたのだが、この鼬ごっこにはきりがない。歳をとり、欲というものが失せたこともあり、読んだ本は梗概だけを残し、本体は公共図書館に収蔵することにした。最近では、日本中どこの図書館にある本でも取り寄せることができる。自分の書棚に置いておく必要は、ほとんどない。たまに、この本は手許に置いておきたいと思う本がある。そんなときは改めて本屋に注文するのだが、そんな本がめっきり少なくなった。本に限らない。これは欲しいと思うものが近頃とみに減った。ものを食べておいしいと思うのだから食欲は人並みにあるのだろうが、これでなければというものがない。生きていくには、食物も衣服も必要だが、必要以上のものは欲しくなくなっている。未だ身辺無一物という心境には達していないが、少しずつ、身の回りを整理し、田中正造ではないが死ぬ前には頭陀袋一つというところにまで達したいものだ。

 2002/10/23 腕枕

夕刊に連載中の『三谷幸喜のありふれた生活』は、必ず目を通すことにしている。なにしろ、久しぶりに出てきた洒落た喜劇の書ける劇作家である。おまけに映画通で、笑いのつぼを心得ている。思えば、TVの『古畑任三郎』で、この作家の才能をはじめて発見したのだった。しかし、連載のエッセイは、私人としての三谷の家庭生活を綴ったものであり、特にペットとの暮らしぶりが、他人事とは思えず、読みながら我が身と比べて一喜一憂している。さて、今夕の文には、この間拾って来たばかりのホイという猫の顛末が書かれている。人なつっこい猫で、家に来た日に三谷に抱かれていっしょに眠ったと書かれている。眼と鼻を病んでる痩せこけた猫といっしょに布団に入る三谷にも驚いたが、そこまで窶れながら人間への警戒心を忘れてしまっている猫にも驚いた。我が家のニケは、最近やっと、私の腕を枕にして眠ることの喜びに目ざめたばかりである。この頃では、毎晩、寝ている枕許に来ては「ニャ」と鳴く。布団の端を持ち上げるとそっと潜り込んできて曲げた肘に前足を乗せ、頭は二の腕に乗せる。ごろごろとなる喉の音を子守歌のように聞きながらこちらも寝入ってしまうのだが、起きたときには腕が痺れて感覚がない。ここまで安心するのにかかる時間が、かえってニケの気持ちのたしかさを裏付けているような気がする。拾われてきた晩に示すのは媚びというものではないだろうか。病が癒え、体力が戻ったら知らん顔をするのが猫というものである。そういう話が読めるのを今から期待していますよ。三谷さん。

 2002/10/22 牡蠣と菠薐草のグラタン

実は牛乳が飲めない。日本の成人の何割かは同じ体質を持つという乳糖不耐症だと本人は決めつけている。クリームシチュウが食卓に上るときは夫婦の危機であるというのが衆目の一致するところ。それなのに、帰ってきて今夜の夕食はと聞くと、「グラタン」と聞かされた。何かまずいことをしただろうか、と一瞬我が身を振り返った。しかし、心中一点の恥じるところもない。よく聞いてみると、定番の牡蠣のベーコン巻きを作る予定だったのだが、あまりに牡蠣の身が小さいため、あわてて献立を変えたという。それで一安心。さっそくパルミジャーノ・レジャーノのチーズをおろす。皿に小山をなすほどおろすとテーブルのまわりはチーズの香りでいっぱいになる。こぼれた分はニケのおやつにとって置いた。とっておきのミュスカデを冷蔵庫に入れて待つこと暫し。牡蠣と菠薐草のグラタンがオーブンから出てきた。たっぷりのチーズに灼き焦げができ、香ばしい匂いが立ちこめる。冷えた白ワインと熱々のグラタンの絶妙のコンビネーションは最高である。滅多にお代わりなどしないチーズ嫌いの息子が余分に作っておいた一皿をぺろりと平らげたのを見ても味のほどは保証つき。妻は得意メニュウが増えたと満面の笑み。牛乳はだめでもグラタンなら食べられる。牡蠣も菠薐草も大好物である。温かいものがありがたい季節になった。クリームシチュウが苦手の御同輩にもお薦めしたい。

 2002/10/21 ロマ

契約していないのにここ何日かWOWOWをケーブルTVで見ることができる。番組改編期のための特別サービスだろうか。つい先だっても、ジプシー音楽の旅というタイトルで、めったに見られない映画を流していた。「ベンゴ」「ラッチョ・ドローム」の二本である。ほとんど誰も見ていない夜明け前の時間帯。ニケが起こさなければ、そして、窓を開けろと言わなければ(口で言うわけではないが、窓の下に立ってこちらを上目遣いで見る)見られなかった。いくら何でもまだ暗いのに通りに面した窓を開けたまま寝るわけにはいかないので、目覚ましにTVのスイッチを入れたら偶然流れていた。 ロマ独特の哀愁に満ちた旋律が心に沁みた。そして今夜。ヴァイオリニストの古沢巌がジプシー音楽を訪ねてハンガリー、ルーマニアを旅するという番組をBSで見た。もともとエジプト人という意味のエジプシャンから来たジプシーという言葉が差別的だというので今ではロマと呼ばれることが多い。国を持たない放浪の民族という性格から差別や迫害を受け続けながらも、今でも主にヨーロッパを中心に一千万人の人がロマの暮らしを続けている。音楽を愛し、土地に縛られず旅に生きるロマの人々の生き方には惹かれるものがある。不思議に旅した土地でロマの人々の音楽を耳にすることが多かった。彼らが流浪した道筋とこちらが歩いた道が重なっていたのだ。いつか、彼らの生まれたインドの地も訪れてみたいと思っている。

 2002/10/20 出張

高速料金は出張旅費に加算されない。だからといって、日曜日の朝早くから起きて一般道を走るのも嫌だ。そう思って、高速に乗ってはみたけれど、何と往きだけで2900円の出費である。帰りはとても高速に乗る元気はなく、一般道にしてみたけれどこれが渋滞。一時間かかって8キロ進まない。渋滞には勝てない。腹は減る減る日は暮れる。家は後百キロも先だ。めげて、高速に乗ることにした。さすがに高速は渋滞知らずである。ところが、後もうすぐで家というときになって、何がどうなったのか、突然窓硝子が曇りだした。あわててハンカチで拭くのだが、間の悪いことに工事中で片側一車線。スピードが落ちるとパッシングランプの嵐。デフの調子が悪く水滴の着いたフロントウインドウは、ぼやけて前がよく見えない。わずかに最下部が濡れてないのを幸い、体をかがめてのぞき込むようにして運転を続け料金所までたどり着いた。路肩に停車してよく見てみると、空気取り入れ口が閉じられていた。どこかのボタンを押すときにまちがえて押してしまっていたらしい。新鮮な空気が入ると現金なもので、窓の曇りは一度に晴れた。家に帰り着いたときには疲れ果てていた。高速料金、往復で6000円弱。休日をつぶして仕事をしても元がとれない。嗚呼。

 2002/10/19 寄合

久しぶりの休日だというのに、地区の行事のために寄合に出ることになった。めったに出ることのない場なので見知った顔もいない。黙って聞いていると、ほぼ例年通りに事は進んでいるようだ。これならわざわざ寄合など持つ必要もないのにと思うのだが、当方と同じようにはじめて顔を出す人もいる。結果は例年通りでも顔を合わせた者同士で決めたということで寄合に意味が生まれるのだろう。結局最後まで口を開かなかった人が三人いた。特に反対でも賛成でもない。決まったらその通りに従うということなのだろうが、全くの無言というのはどんなものだろう。相槌を打つなり、首を傾げるなり、何らかの方法で話し合いに参加できないものだろうか。いろいろ言いたいことはあるはずなのに、何かの理由で発言を拒否しているようにもとれる。諦念なのか、絶望なのか、単に無関心なだけなのか、それは分からない。ただ、何らかの発言をした人の方により親しみを感じたことだけはまちがいない。無言や無表情は負のメッセージを発信しているのだと思う。本人がそれを知っててそうしているのなら何も言うことはないのだが。

 2002/10/18 文楽

めずらしく文楽をこんな時間にやっていると思ったら、「たけしの誰でもピカソ」という番組だった。北野武監督の新作映画の宣伝を兼ねての特集だろう。ふだんはばかなことばかりを言っているたけしが妙に真面目に文楽を解説しているのがおかしかった。『桃尻娘』の橋本治もそうだが、世間の顰蹙を買うような形のスタイルでデビューした人たちが、いつの間にか伝統演劇や伝統美術に回帰してしまう。私はこれをひそかに「回帰現象」と呼びたいと思う。閑話休題(それはさておき)、文楽は、もっと採り上げられてもいい芸能のひとつである。歌舞伎も嫌いではないが、人形浄瑠璃と比べると夾雑物が多い。世話物にせよ、時代物にせよ人形遣いに操られる人形の動きに一度引き込まれると、人間の演じる歌舞伎が色褪せて見える。命なき人形が人間以上に感情の揺れ動きを見せる様は不思議としかいいようがない。太夫の野太い声が泣き口説くのも一度その世界に入ってしまうとか弱い女の嘆きと聞こえるからなお不思議だ。独特の節回しと絡み合う三味線の音色の前に、いとも簡単に屈服してしまう。文化というものの持つ力には侮れないものがある。

 2002/10/17 UK 

研修で英国から若者がきている。英国といういい方は正しくない。本人はユナイテッド・キングダムから来たと言っているのだから。日本でイギリスと呼ぶ国の正式な名前はやたら長い。グレイトブリテンと北アイルランド連合王国というのが本当で、ユナイテッド・キングダム略してUKというのは連合王国を意味している。若者の名はニコラス。通称はニックだ。なぜ国名を気にするかというと、ニックはスコットランドとイングランドのハーフだからである。同じイギリス人でハーフはないだろうという向きもあるだろうが、それはちがう。イングランド、ウエールズ、スコットランド、アイルランド(の一部)という四つの国が連合してひとつの国となっているのがイギリスなのだ。ちなみにイギリスは英吉利と書いてイングリッシュを意味するから、イングランドを主とした呼び名で、スコットランドやウエールズ出身者にとっては面白くない呼び名である。アイルランドとはもっと複雑な関係があるが、ここでは触れない。ニックはリバプール出身で贔屓のチームもリバプールである。日本でも人気のマンチェスターユナイテッドやベッカムは嫌い。マンチェスターの大学を出たが、それを「失敗だった」というほどの愛郷精神の持ち主である。日本でのベッカム人気なぞは絶対に理解できないだろう。こういう頑なさは問題無きにしも非ずだが、日本人の無節操な応援振りもまた不可解である。偏狭な愛郷精神もどうかとは思うが、表層的なアイドルタレント的扱いも場違いだろう。

 2002/10/16 サッカー

監督がジーコに代わってはじめての試合をTVで見た。中田、小野、稲本、中村という中盤の四人が自在に動き回る布陣はなかなか魅力的だ。中田や小野が終始楽しそうな顔をしてプレイしているのも悪くない。中村は疲れが残っているのか、もう一つ精彩を欠いていたが、守りに見せる気迫は、さすがにセリエAを経験してきている強さを感じさせる。トルシエ前監督の時と大きくちがうのは攻撃的なゲーム展開が増えたことである。果敢に攻めていくサッカーはやはり面白い。ただ、いつもながら決めを欠く。最後のシュートが決まらなくては何にもならない。高原に代わって後半に入った柳沢が相手側ディフェンスの裏のスペースを狙ってさかんにダッシュしていたが、ああいうプレイが得点に結びつく。代表全員が揃っての練習時間があまりとれなかった中ではよくやったのではないか。問題はディフェンスである。一対一になった後、簡単に抜かれてシュートを許す場面が再三見られた。この課題をどう解決するか、次の試合を楽しみにしたいと思う。

 2002/10/15 ジョン・コルトレーン

突然コルトレーンが聴きたくなった。専用のスタンドに灯をともすと硝子の火屋を透した光がステレオ装置を照らし出す。いつの間にか増えたコルトレーンのディスクの中から今夜は名盤ばかりをセレクトした一枚を選んだ。氷の塊をいくつか放り込んだグラスに酒を充たすと肘掛け椅子に凭れ込んだ。氷は一つではないから、オン・ザ・ロックとは言わない。正しくはオン・ザ・ロックスと言う。こんなことばかりを勉強してきた。椅子の傍らにはグラスを置くための小さな円テーブルがある。アンダルシアの寄せ木細工文様のコースターの上にグラスを置くと曲がはじまった。スタンダードのバラードだ。後期のあまりにも先鋭化したコルトレーンは疲れる。マイルスと分かれて自前のコンボを持ったときあたり。それもちょっと肩の力を抜いてスローなスタンダード曲が、こんな夜には相応しい。心地よいけだるさが体中に広がっていく。今夜はもう何もしたくない。

 2002/10/14 

天気のいい日が続く。三連休だが、どこにも出かけなかったので、近くの公園まで散歩した。人はどこかに出かけているのだろうか、休日の町は静かである。馬の背になった道を下ると切り通しに出る。小高い丘の上には博物館、少し下ったところには美術館がある。その向こうには以前植物園もあった。丘の麓に鳥居があり、倭建の叔母を祀った神社がある。子どもの頃から鬱蒼とした茂みの中にあるので、ずいぶん昔からあるのだと思っていたが、「祝御鎮座八十年」と書かれた真新しい幟が立っていた。なあんだ、と思った。古来からの伝統のように思わされてきたものが、案外最近に作られたものであることがよく分かる例である。まあ、文句は言うまい。騒がしい町なかにあって、小鳥の声が降り注ぐ小暗い森林というのは得難いオアシスである。有り難いことに、少し歩けばこの手の神社に行き当たる。この町に住んでよかったと思うのはこんな時である。

 2002/10/13 祭り

祭りに行ってきた。関係方面から寄せ集められた出し物がメインストリートに作られた特設会場で披露されるのが主な企画で、その周辺に屋台や出店が出る。俗に「大祭り」というが、市によって作られた祭りであまり面白いものではない。ただ、市の名を冠した祭りということもあり、屋台の数も多く、人出は多い。人の賑わいを見てなんとなく祭り気分に浸るのだ。子どもの頃はちがった。商店街の裏手にある小公園が祭りの中心地になっていて、見せ物小屋やお化け屋敷、サーカスなどが仮設の小屋掛け公演をしたものだ。露天商の屋台も、駅前からその公園に人の流れを導くように伸びていた。『天然の美』や、『サーカスの唄』が流れる公園内はある種のいかがわしさが漂い、子ども心にも祭りの持つ非日常的な楽しさを味わったものだ。お化け屋敷の口上が「怖いお化けじゃないんです。愉快なお化け、楽しいお化けがいっぱいだよ」などという巫山戯たものに変わりはじめた頃から、祭りが変質していった。見せ物小屋の看板の板絵のおどろおどろしさが消え、人さらいにさらわれた子らが演じていると噂されたサーカス小屋の物悲しさがなくなり、小学生の鼓笛隊パレードや婦人会の民謡踊りが目抜き通りを闊歩しはじめてから祭りは健全なものとなり、裏通りの公園から表通りへ出ていった。今、公園はただのさびれた空き地となり、かつての賑わいを知る者もいない。表通りでは他の県から招いただんじり囃しが響いてくる。自分の市の祭りに余所の祭囃子を聞いて心躍るものだろうか。郡上踊りに名残を留めている「かわさき」は、もともと、この地の音頭が全国に広まったものである。大通りのパレードもいいが、手っ甲脚絆に菅笠の波が古い家並みの間の世古道を流していくような風情のある祭りが見たいものだ。音頭をとる人がいないものだろうか。

 2002/10/12 床屋

髪がはねてきたので、床屋に行った。父親と息子、そしてその嫁の三人でやっている近所の店だ。三味線の上手だった母親は数年前に亡くなった。子どもの頃は、借家住まいだったので、その近くの床屋に通っていた。高校時代、何ほども歳のちがわない若い人が今の家の近くに店を開いたので、そこに通うようになった。話が合って気に入っていたのだが、肺を患って店を続けられなくなった。それで、今の店に通うようになったのだ。近所の人と世間話をするのも今ではここぐらいになってしまった。今日から、市の祭りが始まったらしい。今年は、昔父もやっていた素人歌舞伎が久しぶりに演じられるという。「歌舞伎というとお父さんを思い出しますねえ。あの人は上手かった。」と、言われて、父の舞台姿を思い出した。今年の出し物は『白波五人男』、おそらく「稲瀬川勢揃い」の場だろう。父の役は弁天小僧だった。和紙に科白を書いた書き抜きを見せてもらったことがある。「さてその次は江ノ島の岩本院の稚児あがり」と、今でも暗誦できるのは、門前の小僧習わぬ経を読む類。髪もきれいになったことだし、久しぶりに明日は祭りにでも出かけてみるか。

 2002/10/11 独居 

休みをとってひとりで家にいると、不思議そうな顔をしてニケがやってくる。猫に有給休暇を説明してもはじまらない。顎の下を撫でていると膝の上でゴロゴロ喉を鳴らす。眠ってしまうまでそうしていて、そっとソファの上に下ろすのだが、書斎に行って本を読んでいると、また書斎の机に上がってくる。書斎の肘掛け椅子で眠っている間にと昼食をとりに階下に下りてしばらくすると、また下りてくる。寂しがりやなのか、今日は二度もソファに寝転んだ僕のお腹の上で眠ってしまった。かわいいのだが、身動きがとれないので困る。しかし、いつもは子どもにとられてばかりいるのでこうして独り占めできるのはうれしくもある。肌寒い季節にはなおさらである。

 2002/10/10 10月10日

雲ひとつない快晴である。観測史上もっとも雨の少ない日として、東京オリンピックの開会式になった日だけのことはある。出張で外に出た。風もなく、陽のあたるところでは暑いが、木陰は涼しい。弁当を持って、外のベンチに座って食べた。ちょっとしたピクニック気分である。もっとも、少し前から手がけていた仕事は思うように成果が出ず、心中は今日の天気のようなわけにはいかない。箸を置いて遠くを臨めば山は青紫に薄ぼんやりと霞んでいる。「たたなずく青垣ごもれる大和しうるはし」と言いかけて奈良を思い出した。今日も法輪寺や法起寺の近くでは、枝一杯になった小ぶりの柿が秋の日を浴びて光っていることだろう。こんな天気の日に行きたかったと、心は少し前に訪ねた斑鳩の里へ飛んでいくのだった。

 2002/10/9 ノーベル賞

今日の新聞に小柴教授のノーベル賞が大きく報じられていると思ったら、夜には、島津製作所の田中耕一氏のノーベル化学賞受賞が報じられ、報道番組はノーベル賞のニュースばかりを流している。無理もない。昨今は暗いニュースが続いて、報道する側だってうんざりしていたにちがいない。そこへ、はじめての二人同時受賞の知らせである。しかも、政治的な思惑がはたらく平和賞や根拠のはっきりしない文学賞とはちがって、業績重視の科学分野である。日本中が湧くのも仕方がないだろう。京都の島津製作所の前を通ったことが何度もある。ハイテクとはおよそ無縁な地味なビルだったが、そこで、ノーベル賞を受賞するほどの研究が行われていたとは意外だった。記者会見の会場も急ごしらえが目立つおもしろい会見だった。作業着姿の受賞者もだが、上司と見られる二人が田中氏を挟むように座り、丸に十の字の島津のマークがやたら目立つように吊されていた。個人よりも親会社の意向を重視する日本企業の姿勢がまたも世界に発信された瞬間だった。気になったのは小柴氏の方である。明智光秀は三日天下だったが、たった一日の騒ぎだった。ほっとされていればいいが、少しさみしいのではと、気になってしまった。

 2002/10/8 観音菩薩像

奈良は雨だった。天気予報では曇りのはずだったのに。こんな天気では、鹿も外に出たくないのか、いつものように大勢で出迎えてはくれなかった。日本の公園で、動物が当たり前のような顔をして暮らしているところは他にない。世界に目を向けても稀だろう。外国人観光客が多いはずだ。奈良公園近くで昼食をすませ、法隆寺に向かった。斑鳩の里の秋といえば、色づいた柿の木だが、生憎の雨でほとんど見えない。そのかわり、いつもは修学旅行生でにぎやかな境内が嘘のように静まり返っていた。今回のお目当ては、『日本仏教曼陀羅』の表紙にあったギメ美術館の勢至菩薩と対になる観音菩薩像である。随分昔に訪れたときは、百済観音ばかりに目が行って、はっきりと覚えていない。今回表紙写真で見た勢至菩薩は細くくびれた腰まわりや瓔珞に、ほのかな艶やかささえ漂う逸品である。対になる観音像をこの目で見てみたいと思った。その観音菩薩像は四年前に完成した大宝蔵院にあった。思っていたより大ぶりで勢至菩薩によく似た面影を湛えている。ギメ美術館では中国の仏像に分類されていたというが、なるほどと思わせるエキゾティックな容姿である。来てみてよかったと思った。他にも白鳳時代や飛鳥時代の仏像が多数展示されているが、おおどかな表情が魅力的な仏像群であった。

 2002/10/7  

雲の様子を言うのに「棚引く」という言葉があるが、本当に雲は棚引くものなのだということをあらためて知った。朝のうちまだ降っていた雨も、出勤しようと車に乗ったときにはすっかりあがり、雲の間に青空がのぞく雨上がりの朝だった。国道を西に走ると一級河川に架かる橋に出る。行く手の空には、見事に棚状に並んだ雲が横にひろがっていた。なるほど棚引くというのはこういう状態の雲を指すのか、と妙に感心してしまった。雲はちょうど天気予報の衛星カメラから見た写真の通り南西から北東にかけて走っていた。頭上を被う雲が、頭の上では広がっているのに、北東の方角に集まっていくように見えるのが、当たり前のはずなのに心に残った。昔の人は雲を天と地上を隔てるものと見たそうだが、衛星カメラという視点を知ってしまった今では雲の上にも自分の視点を持つことができる。ちょっと考えると凄いことのようだが、分からない世界の範囲が広がっただけのことだ。探査ロケットを飛ばすたびに宇宙の広大さを実感させられているではないか。地球の丸さなど知らずに雲を見られた昔がふと懐かしくなった。

 2002/10/6 灰色の町  

図書館からリクエストした本が届いたという連絡があったので、借りていた本を返しがてら出かけた。今にも降り出しそうな日曜日の午後である。町はひっそりと静まり返って人影もない。もともと活気のない町だが、商店街のシャッターも閉まったまま、通りを走る車もほとんどない。みんないったいどこに行ってしまったのだろう。どんよりとした曇り空の下、まるで眠っているような町は奇妙にノスタルジックである。高校時代、自転車で走っていた道筋は、今も何が変わったというほどの変化はない。郊外は、さすがにずいぶん変貌を遂げたが、町の中心部にあった唯一の百貨店が閉店したり、大規模小売店が跡形もなく消えたりという特別な変化を除けば、シャッターを閉じたままの店が目立つものの、町は昔ながらの姿を残している。再開発を目指す人々の動きもあるようだが、住民の多くはこの町の静かな佇まいを愛しているのではないだろうか。そう思いながら灰色の町を通り過ぎたのだった。

 2002/10/5 ジダン

居間のソファに座っているとドアを開けてニケが入ってきた。上目遣いにこちらを見ると、そのままトテッと倒れた。首のところを掻いてと言っているのである。数は少ないが猫語が理解できるようにはなった。残念ながらまだ話すことはできないのだが。しばらく掻いていたが、ふとニケ専用のブラシが目に入った。そういえば、しばらくブラッシングをしていない。手にとって、頭というか額というか(猫の額は狭い)、とにかくニケが自分で毛繕いするには、舌が届かない辺りを掻いてやった。気持ちがいいのかさかんに喉を鳴らす。しばらくぶりだからか、出るは出るは、もくらもくらと毛が抜ける。いくらでも抜けるので調子に乗って梳いていたら、抜け毛で繭玉ほどの毛玉ができた。尻尾を振ると、もう嫌という合図である。手をとめたら、子どもの部屋に戻っていった。ニケが着くか着かないうちに、「誰がやった。ニケがジダンになったやないか。頭がすけて見える。」と、息子の叫び声。ちょっとやり過ぎたかも知れない。後で見たら、たしかにうっすらとピンクの地肌が見えていた。早く冬毛が生えるのを祈るしかない。

 2002/10/4 ドリフター

TVのチャンネルをやたら次々と変えていく人のことをドリフターというらしい。実はその一人である。これが見たい、というほど見たい番組もないのになぜかリモコンを持つとチャンネルを変えたくなる。ケーブルTVに加入してから、チャンネル数も増えた。押し続けていれば勝手に次々と変わった場面が映るのは、なかなか楽しい。映画は別にして、ドラマは苦手である。意外に面白いのが教育番組で、今日はガウディの特集がひっかかった。建設途上のバルセロナを撮した古いフィルムが時折挿入されるのだが、ヴィム・ベンダースの映画を見ているような気にさせられた。ラス・ランブラスの並木が、まだ植えられたばかりで、寒々とした枝の具合が奇妙にリアルだった。いつまで経っても建設中のサグラダ・ファミリア教会だけがかえって不変を感じさせるのが皮肉である。

 2002/10/3 『旅情

夕食後、ソファでうとうとしていると、蚊に刺されて目が覚めた。さっきまで見ていた番組は終わって、TVにはどこかで見た風景が映っていた。サマードレスのキャサリン・ヘプバーンを見て、映画『旅情』だとすぐに気がついた。何度見ただろうか。不思議なことにいつも最後まで見てしまう。話の筋はとっくに知っている。主演女優はキャサリン・ヘプバーンである。美人でもなければ若くもない。それなのに、見ているうちにだんだんこの女性が魅力的に見えてくるのが、映画の持つ力なのだろう。清教徒の子孫のアメリカ女性と、イタリア人男性の恋愛に関する意識のちがいをコメディ仕立てにしたこの作品の持つ色褪せない魅力はどこから来るのだろう。脚本や役者、カメラすべてがその原因にはちがいない。しかし、何といっても水の都ヴェネチアという都市の持つ魔力を抜きにしては考えられない。サン・マルコ広場をカメラが映すたびに、溜め息が出る。鐘の音が告げる、ヴェネチアと。訪れたことのない人には、一度は行ってみたい土地として。そしてすでにその魔力に墜ちた人には、再び訪れたい場所として。

 2002/10/2 リア王 

平幹二朗の「リア王」を見てきた。星二つ半というところだろうか。役者はそう悪くないと思うのだが、作品の理解という点で、シェイクスピアがいやに下卑た感じがした。シェイクスピアがそう高尚なものでもないことは分かっていていうのだが、悪巫山戯やくすぐりの中にもところどころ稲妻が走るような天啓にも似た真実が閃くところがあるのが沙翁の劇である。平幹二朗演出だというが、一度演出は他人にまかせて役者に徹してはどうだろうか。一幕目はやたら声高に呼ばわるばかりで緩急のテンポがなく単調。二幕目には少し変化が感じられたが、主役であるリアが後方に退いた感がある。ひとつ気になったことがある。劇中登場人物がやたら「神々」という言葉を発するのだが、舞台は英国である。カソリックではないにしろ英国国教会もキリスト教にちがいはない。であるからには唯一神が建前のはず。小田島雄志の訳だそうだが、原文を読んでみたいと思った。

 2002/10/1 台風

来ない来ないと言っていた台風がやっと来た。別に待ち望んでいたわけではない。ふき直した屋根の具合を見るには、台風か大雨でも来ないととチェックのしようがないからだ。しかし、記録的な大型台風というわりには拍子抜けのする通り過ぎ方だった。考えてみるに、今回の台風の進路がめずらしく関東直撃型だったために、報道各社の本社のある関東としては記録的だの歴史的だのという言葉が口から出てしまったのではないだろうか。毎年台風に見舞われている台風銀座と呼ばれる地方にあっては、今回の台風など並み以下の規模である。何を騒いでいるのかという受けとめ方も出ようかというもの。東京一極集中型のマスコミの在り方はこのように歪んでいる。東京以外は地方局という見方をやめて、それぞれの都市が自分たちの文化圏を中心にした報道姿勢を貫くといった形がそろそろ考えられても言い頃だろう。
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