caravan serai


 ボスフォラスの海を行く ISTANBUL

 ボスフォラスクルーズ

桟橋には何艘もの船が船腹をこすり合わせるようにして繋がれていた。岸壁に波が当たり小さな水しぶきをあげる度に交互に浮いたり沈んだりしていた。よく晴れた朝で、ガラタ橋は逆光を受けて陰になり、風が吹くたびに波光が揺らめいた。

イスタンブルは海峡の街。ボスフォラス海峡に沿って、有名な建物が建てられている。この日は、絶好のクルーズ日和。船をチャーターしてボスフォラスクルーズと洒落込んだ。金角湾を出た船は、ボスフォラス海峡に沿って北上していく。

 ドルマバフチェ宮殿


やがて、船の左岸に優雅な白い建築が見えてくる。ボスフォラス海峡にあるオスマントルコ帝国の宮殿の中で最大の宮殿、ドルマバフチェ宮殿である。ドルマバフチェというのは「埋め立ててできた庭園」という意味だが、その名の通り、昔は小さな港だった。そこを埋め立てて作られたのがこの宮殿である。海の水が、中庭や庭園に引かれており、王妃達は誰にも見られることなく海水浴をしたり、ボート遊びをしたりしていたという。船着き場の長さが600メートルという巨大な建築で、写真は北側翼棟(ハレム)の一部に過ぎない。

天気が良いせいか、船は思ったほど揺れることなく進んでいた。チャーター船だから、ガイドはダヴがやっていたが、途中で休憩をとると隣の椅子に腰掛けた。チャイを飲みながら、世間話をした。もうすぐ結婚するダヴは、その話になるとしきりに照れた。けれど、その話がしたいから隣に座ったこともこちらには分かっているのだ。婚約者のことや新しい住まいのことなどをひとしきり話し終えると、ダヴは船室に戻っていった。また、仕事を始めるのだ。船は第一ボスフォラス大橋をくぐり抜け、アルナブットキョイ(アルバニア人の村)にさしかかっていた。この辺りには色鮮やかなヤル(夏の別荘)が立ち並んで、桟橋にはクルーザーが繋がれていた。

 ルメリ・ヒサール

メフメットII世が、コンスタティノープル攻撃のために三ヶ月で作らせたという要塞ルメリ・ヒサールが見えてきた。円筒形の塔や城壁の造りがいかにもシンプルで、実用一点張りといった感じがいさぎよい。モーツァルトやベートーヴェンが作曲して有名になった「トルコ行進曲」だが、そのもとになった軍楽隊の曲をいつか聴いたことがある。どこか似ているようで、それでいて、やはり違うそのメロディーが耳によみがえった。

第二ボスフォラス大橋を過ぎた辺りで、船はUターンし、今度はアジアサイドに沿って、桟橋に向かう進路をとる。アジアサイドには、古くからあるヤルや、ルメリ・ヒサールと向かい合う位置に作られたアナドル・ヒサールなどがあった。

 ガラタ橋



ボスフォラスクルーズを終え、船は再び金角湾に戻ってきた。船上からは旧市街と、新市街をパノラマで見ることができる。近代的なビルが建ち並ぶ新市街も悪くはないが、丘に沿って幾つものミナレットが聳え立つ旧市街の美しさにはかなわない。イスタンブルに来たんだという感動があらたまって湧き上がってくる。

 地下宮殿


桟橋で船を下りると、そのまま旧市街にある地下宮殿の方へ足をのばした。初日に行ったアヤソフィアの近くにその入り口があるという。路面電車が通る道はイスタンブルではめずらしい。坂道が多くて、道が入り組んでいるからか、電車の交通網はここではあまり発達していない。地下鉄に至っては、世界で一番短いとさえいわれているほどだ。

しばらく歩くと、地下に下りていく階段があった。地下宮殿と呼ばれてはいるが、本来は水道橋を通じて運ばれてきた水を貯めておく巨大な貯水池である。しかし、一歩中に入れば、360本に及ぶコリント式列柱の立ち並ぶ様は壮観で、まさに地下宮殿の名にふさわしい。

映画「ロシアより愛をこめて」で、ショーン・コネりー扮するジェイムズ・ボンドが秘密の通路から入り込みソヴィエト大使館を監視するのがここである。映画では、ねずみの走り回る下水道みたいに描かれていたが、なかなかどうして、ライトアップの効果もあって、今ではデートコースになっているらしい。洒落たカフェもあり、ときにはコンサートが開かれたりもするという。

メデューサの首は、コリント式の柱を支える台座部分に一つは横向きに、今ひとつは逆さになって据えられていた。仏教彫刻でも四天王の足の下に天の邪鬼が敷かれていたりするが、魔除けの意味を持つのだろうか。おそらく、街の入り口近くに置かれて侵入者に目を光らせていたはずのメデューサが、こんな地下で水に濡れながら、柱の下敷きになっているのは、少しばかり哀れを感じさせる眺めであった。

 物価

ずっとアナトゥリアの方を回ってきたから、イスタンブルに戻ると、ここの物価の高さに気がつく。たとえば、トイレチップだ。 なんと25万トルコリラ、というと恐ろしく聞こえるが、なに日本円になおすと、43円である。しかし高い。今まではせいぜい十万トルコリラだった。ざっと2.5倍である。チップをとるだけあってきれいなのは確かなのだが、トルコの男性用のそれは、異様に高い位置に設置されている。背の高い英国人もこんなトイレは使っていなかった。トルコの人はそんなに背が高いわけでもないのにいったいこれはなぜなのか。釈然としない思いでトイレを後にするのであった。

 グランド・バザール 

地下宮殿を出ると、プラタナスの街路樹が影を落とすヌルオスマニエ通りを通って、グランドバザールに向かった。この通りの両側には高級絨毯を売る店が並び、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。行き止まりに門が見えた。バザールへの入り口らしい。壁に沿って、無造作に絨毯が掛けられて、雑然とした中にも賑わいが感じられる。人通りが急に多くなったと思うと、そこがもうグランド・バザールだった。アーチ状の屋根が迷路のように入り組んだ市場の上をくまなく覆っている。その下にある大きな通りには眩いばかりの貴金属、装身具を売る店が並ぶ。どの店の前にも一人、男の人が立っていて、上手な日本語で客を誘う。その大通りから木の枝のように横道が延びている。脇道に入れば入るほど、日常生活に必要な商品が増えてくる。最も古くに作られた市場の中心では衣料品が山積みされていた。大通りと、そこから伸びる枝道辺りが観光客用の土産を売る店に当てられているらしい。めずらしい民族楽器や、民芸品などが並ぶ店先にはどこにでも日本語を話す店員がいる。買い物で困ることは、ここでは決してないだろう。

 ドネル・ケバブの店

絶対に食べたいと思っていたドネル・ケバブのサンドをバザールの入り口にあるスタンドで食べた。肉と野菜を交互に重ねて、長い金串に刺して回転させながら焼いたものを、大きなパンの間に包丁で削り落としてはさんでいく。これは、本当にうまい。こんなに美味しいファーストフードがあるというのに、なぜ、トルコにもマクドナルドがあるのか理解できなかった。トルコ料理の一押しは、屋台やスタンドで味わう軽食。これにとどめを刺す。



 シルケジ駅

 イスタンブルの海岸近くにあるシルケジ駅は、オリエント急行のヨーロッパ側の最終駅である。前にも書いた「ロシアより愛をこめて」にももちろん出てくるが、アガサ・クリスティー原作の「オリエント急行殺人事件」は、この鉄道自体が舞台である。グランド・バザールからエジプシャン・バザールに河岸を変える途中に前を通った。

 エジプシャンバザール

駅からほど近いガラタ橋近くにあるのが、エジプシャン・バザール。古くからエジプト渡来の香辛料が、この市場を経由してヨーロッパに渡ったためにこの名がついた。今でも香辛料を扱う店が多い。市場全体を屋根が覆っているため、中は少し暗い。店の入り口に見たこともない大きさの唐墨が、何本も吊してあるのが目に入った。なぜか人気商品らしく、どの店にもぶら下がっていた。日本の珍味の一つと思っていたが、案外シルクロードを渡ってきた物だったのかもしれない。黒海産のチョウザメのキャビアも、色とりどりの香辛料と一緒に並べられていた。午後の飛行機なので、おみやげを買う最後の機会だった。次男の土産がまだだったので、まずそれを探した。結局最近バンド活動を始めた彼には、ステージ用のブレスレットを買った。それと、新月と星をビロード地に金糸で織りだしたピロウケースも、二人お揃いで買うことにした。

 イエニ・ジャミィ

空港に向かうバスを待つ間、バザール前の広場を共有するイエニ・ジャミィに入ってみた。ところが、モスクの入り口を入ると、周りの広場の喧噪が嘘のように、静かな中庭には祈りの声が聞こえてくるではないか。一日に5回というお祈りの時間だったのかもしれない。早々に退散した。バスが来たらしく、アシスタントのカバク君の姿が見えた。妻と一緒に写真を撮ってもらった。バスの調子がおかしくなったとき、彼は本当に熱心に修理してくれたのだ。17歳のまじめな好青年だった。旅の間感じたことだが、トルコの男の子は実によく働く。義務教育が5年間ということもあるのだろうが、物売りも若い子が多かった。若い子が元気な国は見ていても何か安心できる。

50年前なら日本だってそうだった。皆、まじめに一生懸命働いていた。経済的に豊かになったといわれだした頃から、何かが変わってきたようだ。経済的に豊かになることで何かが実現できるはずだった。それなのに、いつまでたっても何かを成し遂げたという達成感を得られないまま、気がつけばここまで来てしまった。いつの間にか目的と手段を取り違えて、経済的に豊かになることが目的だったように、ただがむしゃらに働いてきたのだ。そろそろここいらで一度振り返ってみてもいい頃ではないのだろうか。アクロポリスの丘で、カッパドキアの谷で、悠久の時を感じさせてくれる地を旅しながら幾度かそう思った。

空港へと向かうバスの窓からボスフォラスの海が見えた。船腹を赤く塗った貨物船が黒海の方に向かっていた。風が旗を揺らすたびに細い月が昼の空に白く光った。
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last update 2001.2.11. since 2000.9.10