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 2003/12/30 ハレとケ

昨日捨てられなかったごみを出しに、勢い込んで朝一番で出かけたのだったが、何のことはない。誰しも考えることはよく似ているらしく、結局昨日と同じくらいの長さの列の最後尾につけた。見わたすかぎりの畑の真ん中に建つ焼却場まで、三百メートルくらいだろうか。前のほうの車がマッチ箱くらいに見える。リサイクル用に分けた古書類も可燃物といっしょに燃やすとか。一時間以上待って、やっとピットまでたどり着いた。古書店で屑同様の値を付けられるのも嫌で、思い切って捨てることにしたのだが、自分の手で本をごみの山の中に投げ落とすことには抵抗があったのもたしかだ。家に帰り、髪を切り、車を洗い、玄関を磨いた。谷川健一によれば、ケガレとは、物についていた霊力が離れ活力が弱まることで、ケを復活させるために魂を奮い起こさせるタマフリの行事が冬行われ「その結果ケが再び充実してくる、それがハレである」ということになる。霊力の離れた物を燃やしたり、伸びすぎた髪を切ったり、汚れを擦り落としたりするのも、みなケを復活させるために無意識に行っている儀式なんだろうか。無宗教で、正月の松飾りさえ飾らない自分の中にある精神の古層のようなものにふと気づき、奇妙な感慨にとらわれたのであった。

 2003/12/29 ごみ

もっと早くやっておけばよかったと思うものに、試験勉強と大掃除がある。毎日こつこつと少しずつしておけば、間際になってあせることもないものを、ずっと放っておいたくせに期限がくるとおたおたする。人間の習慣などというものは、なかなかなおらないものだ。『捨てる技術』という本がベストセラーになったくらいだから、どこの家でも捨てるに捨てられず、しまっておいた物を、大掃除の時期に思い切って処分するらしく、焼却場は、ごみを持ち込む自家用車が長蛇の列をなしていた。順番を待っていては日が暮れる。せっかく積んだごみを載せたまま、また家まで持ち帰った。明日の朝一番で持っていくしかない。それにしても、どうして、こんなに使わない物が家にたまっていくのだろう。無論、買ったからだ。一昔前なら、買いたくても買えなかった物が、何でも買えるようになってしまった。買えるものをがまんする必要はないから、当然購入する。しかし、簡単に買える物は簡単に要らなくなる。かくしてごみが増えるというわけだ。しかし、消費が鈍ると景気が悪くなる。大雑把な言い方をすれば、日々我々はごみを買って経済活動に貢献しているわけである。釈然としない思いが遺る。

 2003/12/27 初雪

年末年始の間に読む本を確保しなければいけないと思い、図書館に出かけた。小沢昭一の新刊『泣いてくれるなほろほろ鳥よ』が入っていたのは収穫だった。他に、ブラッドベリの短編集と小林信彦のコラム集を借りて外に出ると、風花が舞っていた。数日ほど前、雪が降ったらしかったが、仕事中のことで見ていない。だから、今年見るはじめての雪である。さすがに冷える。夜半にはいって、やっとストーブの替え芯が宅急便で届いた。ネット通販で頼んだのだが、昨日着く予定だった。雪のせいで、どの便も一日遅れだそうだ。本社は岡山のはずだが、どこが降っているのだろう。説明書を読みながら、交換した。思ったより簡単に交換を終えることができた。これで、買ったときと同じ青い光が戻るのだから、考えようによっては安いものかもしれない。何でも新しい物がいいというのが、今の風潮である。いつまでたっても、交換部品があるということは、半永久的に新しくならないということである。これは、考えようによってはすごいことなのかもしれない。

 2003/12/24 降誕祭

おだやかなイブである。時ならぬ降雪をもたらした寒波も去って、今年もこの地方は雪のないクリスマスになりそうである。キリスト教の信者でもないのに、何がクリスマスか、というようなことを言う人もいるが、もともと、キリスト教とクリスマスの結びつきにたいした根拠はない。北欧起源の冬至を祝う祭がキリスト教の伝播によって混交されて、今のようなクリスマスになったというのが本当のところ。第一よく考えたら、砂漠の民の中から生まれたキリスト教と、樅の木に雪が降り積もるクリスマス行事と、どう結びつくというのか。終日読書。丸谷才一の新作『絵具屋の女房』を読む。巻頭に「吉良上野介と高師直」というエッセイがある。この人の忠臣蔵好きも半端ではない。しかし、忠臣蔵とクリスマスを結びつけ、洋の東西を問わず、日が最も短くなる季節、弱まりゆく太陽が冬至を境に再生する悦びを祝う行事であると喝破したのは、故瀬戸川猛資であった。『スターウォーズ』のジェダイの騎士は時代劇の「ジダイ」からきたのだとか、オビワン・ケノービは「黒帯一本」のことだろうとか、『夢想の研究』一巻は、汲めどもつきぬ着想に充ち満ちている。惜しい才能、とはこういう人のことを言うのだろう。

 2003/12/23 忘年会

せっかくこの界隈では名の通った店での忘年会だったが、肝心の料理が、今ひとつ感心しなかった。それに、やたらと勿体ぶって時間をとって供されるものだから、酒を嗜む人士はいいが、そうでないものには、間がもたない。送別会のようにしんみりとやるならまだしも、忘年会には向かない店なのだろう。いい店をという幹事の心遣いがあだになったわけで、このあたりが難しいところだ。二次会の喫茶店で、何だか物足りないという話になり、国道沿いのラーメン店に出かけることになった。酒を飲まない人がひとりいてくれるというのはこういうときには心強い。「天理スタミナラーメン」は、朝夕出勤時に前を通るのに一度も開いているところを見たことがない、いわば伝説上の店。なんでも、夜しか開けないということらしい。長距離トラックの運転手とか、夜間に食事をする人用の店なのだろう。想像してた通り、店内には大蒜臭が漂っていた。ラーメンを注文してから品書きを見たら、別に店の名前と同じ「天理スタミナラーメン」というのがあった。後の後悔先に立たず。どうも、店でものを注文するのは苦手だ。何だかあわててしまう。運ばれてきたラーメンは白濁したスープに、叉焼とメンマ、それにもやしをのせたシンプルなもので、味もそれに相応しい懐かしい味だった。今度来たときは迷わずスタミナラーメンにしようと思った。

 2003/12/20 アラジン

半端じゃない寒波の襲来である。太平洋に面しているこちら側では雪こそ降らないものの、布団を着てても寒さが肩口からしのびこんできて、寒い寒いと思いながら寝ている始末だ。さすがに、妻が結婚するとき、出入りの電器屋さんからいただいた電気ストーブだけではこらえきれず、押し入れにしまってあった書斎用の石油ストーブを出してきた。書斎用のストーブはアラジンのブルーフレームである。火を点けると独特の青い光がマイカの窓越しに浮かび上がる、衒いのないデザインは、昔から変わることがない。ストーブを買うならこれだと、前々から決めていた愛用の一品である。ところが、久し振りに石油を入れ、火を点けてみると、リングの半分が青い火にならない。芯の調節を試みたが、どうやら寿命が来たらしい。もともと綿でできた芯は、何年か使えば少しずつ燃えてしまうと説明書にも書かれている。芯を買ってきて自分で交換すればいいだけのことだが、問題は、このストーブを置いている店が近くにないことだ。ネットや通販がさかんになって便利になったが、部品の交換や修理はかえって不便になった。ネットで探すと、たしかに替え芯はあった。そればかりではない。本体の各部品に至るまで、すべて交換部品が揃うという。感心はしたものの、替え芯と送料を合わせると、近くの店でストーブごと新品が買える値段である。日本で最初にこのストーブを売り出したのは、外車輸入業者のヤナセだという。もともと外車のオーナー目当てだったらしい。してみれば、この値段も妥当なのかもしれない。替え芯はまだ注文していない。

 2003/12/19 備えあれば憂いなし

書斎のデスクトップ型コンピュータのキイボードとマウスはコードレスである。コードのないのは便利だが、電源は乾電池に頼らざるを得ない。昨日、そのマウスの調子がおかしくなった。ふだんからマウスに頼りきりで、キイボードによる操作は覚束ない。調べてみると、案の定、単四電池が消耗していた。抽斗を探すのだが、前はあったように思うのに、どこにもない。妻が買い置きしているかも、と思って食器棚を調べたが、出てくるのは単三ばかり。CDのリモコンは単四だったが、使ってないので、中で錆びついていた。外出中の妻に買ってきてもらおうと思って携帯にかけたら、駐車場に車を停めたところだった。それなら、と妻のマウスを借りてUSBにつなぐと、「新しいドライバを認識しています」という表示が出て「次に」をクリックせよという。マウスがなくてどうやってクリックするのだ、と腹が立った。妻が古い電卓を探してきて、「たしかこれが単四のはずよ」というので、裏蓋を開けようと、いちばん小さいドライバーを捜していたら、なんと机上の小物入れの中にあれほど探していた単四が二本見つかった。以前に使った残りを、そこに入れたのをすっかり忘れていたのだ。二人で大笑いしたが、買い置きの大事さを思い知らされた一幕であった。大掃除のシーズン。電球、電池は、使い切るのを待たず、この時期に交換することをおすすめしたい。

 2003/12/18 橋

出先から帰宅する途中、いつもの国道に出る道もあったのに、一つ手前の曲がり角を折れたのは、仕事をはじめて間もないころ勤めていたのがこの近くだったからだ。久し振りに通る道沿いの景色の変わらないこと。収穫した大根を寒風にさらす「はさ」の見えないのが残念だが、丈高い草が茂る空き地も、ぽつんと建つ一軒家も昔のままだ。高い土手に沿って走る道に出ると、橋の向こうはすでに黄昏れている。川は夕焼けの残りの光を集めて流れ、空も水も、あたりは一面の深紅色に染まっている。勤めはじめたころは、車の免許もなく、この橋を自転車で通っていた。風の強い日など、大型トラックの横風に飛ばされ、欄干に足を乗せて転倒を防いだこともあった。雨の日には、跳ね上げた泥水が、シャツの背中に茶色の線状痕を残したものだ。あれから、もう二十年。詩人のアポリネールは「生命ばかりが長く/希望ばかりが大きい」と歌ったが、ミラボー橋ならぬ宮川大橋の上に立つと、月日のたつあまりの速さと相も変わらぬ我が身の有り様に眩暈を覚え「日も暮れよ鐘も鳴れ/月日は流れわたしは残る」と、つい呟いてしまうのであった。

 2003/12/17 ぬくもり

めっきり寒くなった。さすがのニケも布団に潜り込んでくることが多くなったことで朝方の冷え込みが分かる。寒いのだから、ずっと布団の中でいっしょに寝ていればいいのに、そこは夜行性の猫族のこと、少しからだがあたたまるといつの間にか外に出ていて、寒くなるとまた戻ってくることの繰り返しだ。半覚半睡のまま、布団を上げたりあごの下を撫でたりしていると、起きているのやら眠っているのやら自分でもよく分からないまま朝を迎えている。普通なら、たいがいにしてくれといいたくなるようなものだが、さほど苦にならないのは、ニケのくれるぬくもりのせいだろうか。左脇にある小さな生き物の持つあたたかさは、体温という生理的なあたたかさだけでなく、喉を鳴らすくぐもった声や毛触りといっしょに生きているという実感を何の説明もなく直にこちらに送り込んでくる。煩わしい関係を抜きにして他の生命体が、ほとんど無意識の状態でダイレクトにコンタクトしてくるのだ。セラピーや癒しという言葉に胡散臭さを覚える者でも、自分の中に起きている変化に気づけば、動物が人間に与える影響の小さくないことを疑うことはできないだろう。「私」という凝り固まった実体が解きほぐされ、手塚治虫が『火の鳥』で描いているコスモゾーンと融け合う瞬間を味わっているのだから。

 2003/12/16 曙光

何の因果か、この寒いのに早朝出勤を命じられた。夜も明けやらぬ時刻に家を出ると、さすがに通りに車の姿はない。国道に出た。ようやく昇ってきた朝日が後方から街を照らす。高圧線の鉄塔や電車の架線が朝日を浴びて白い光をはね返す。毎朝見ていたはずのものが、見知らぬ相貌を見せて立ち現れ、薄暗い雲を背景に見慣れぬ街の光景が浮かび上がった。重く垂れ込めた雲に横に一筋切れ目が生じる。厚い雲の層の上部にそこだけ一叢薄く白い雲が雪山のように連なり、遠い北国に迷い込んだかのように思われた。ふだん通い慣れたはずの道沿いにこんな街があったとは。萩原朔太郎に『猫町』という小品がある。いつもの散歩道を逆にたどったために、ふだん見慣れた町が、まったく知らない町に見えるという話である。うまく創った話だと思っていたが、今朝はそうは思わない。逆光線を受けるだけで、街はかほどにその姿を変えてみせるものなのだ。ある年齢を越えると、人は慣習的行動から外れることを恐れるようになるという。仕事場と家との往き来も同じ道をたどり、寄り道、道草の類をしなくなる。かくて、日々は新味のないものに成り果てるのだ。「早起きは三文の得」という。嫌々ながらの早朝出勤だったが、変わりばえのしない毎日に少しばかり新しい光を入れることができたようだ。

 2003/12/15 生者と死者と 

「TVがニュースを運んでくる」と、この前書いたばかりだが、地上波デジタルの映り具合を試してあれこれとチャンネルを変えていたら、フセイン大統領の身柄拘束というニュースが飛びこんできた。画面で見る限り、フセイン氏は元気そうだった。虱でも探しているのか、髪を探られたり、口の中を懐中電灯で照らし出されたりするのにも、さして嫌がる様子もなく、何だか拍子抜けするほど穏やかな表情であった。これで、長い逃亡生活から解放されるといった安堵感さえ漂うその表情を見るにつけ、割り切れない思いが湧いてきた。命あっての物種という言葉が、みょうに重みを増して感じられる。どんな立派な言葉で飾られようが死者には今日の日は拝めない。どういう審判が下されるかは知らないが、世界が注目している。指導者は人権の名の下に裁きを受けるだろう。そのこと自体に不満はないが、その陰で、いったい何人の犠牲者が出たことか。しかも、これから先も事態は予断を許さない。「一将功成って万骨枯る」という言葉もある。国家の威信や面目というものもあろう。しかし、イラク復興事業をめぐる利権争いを見るにつけどうやら今回の「戦争」はそんなきれい事ばかりでもなさそうなことが明らかになってきている。いつでもそうだが、戦争を美しい言葉で飾る者を信用してはならない。

 2003/12/14 デジタル・デバイド

自分のノートパソコンを、職場のLANにつなごうとして、つながらないのはOSのせいであることを教えられた同僚が、別の同僚に頼んでOSをアップグレードしてもらった。アップグレードだから、見た目は何も変わらない。それで、LAN環境に接続するために自分の机に延ばされたケーブルを「二万円もする高価なケーブルだから部署が変わるときには忘れずに持って行かなくては」と、思いこんでいたと、後から聞かされ、みんなで笑い転げたものであった。デジタル・デバイドというやつだが、他人事ではない。実は、先週新しいTVを買ったが、地上波デジタル対応のはずが、いっこうに見ることができない。ケーブルTVのパンフレットには、「すでに加入している家ではそのままで見られます」とあったが、TVのチャンネル設定をいくらいじくってみても受信できない。気にはなったが、この一週間は忙しくてTVどころではなかった。ところが、今朝の新聞に入っていたケーブルTVのチラシには、「分配器」なるものが、ちゃんと図式化されているではないか。電器店に電話すると、どうやらそれがないと、地上波デジタルは見られないらしい。しかし、そんなことはこれまでのパンフレットには一言も書いてなかった。さっそく買ってきて接続し直すと、ちゃんと映る。TVの設定は運んできた電器店の人任せで、ほとんどの消費者にとって、今の電気製品はブラックボックスである。まさか分配器をデジタル地上波とは思わないが、ケーブルが二万円すると思いこんだ同僚を笑えないデジタル・デバイド経験であった。

 2003/12/13 梨

昨日は小津安二郎の命日だった。その墓には「無」の字一字が刻まれているという。ちょっと格好よすぎる気がしないでもない。忌み言葉という慣わしが民間には残っている。「するめ」の「する」を嫌って「あたりめ」といったりする類だ。小さい頃、祖母が、梨のことを「ありの実」と呼んでいたように記憶している。「なし」は「無し」に通じるからだろうか。言葉に霊が宿るというこの国ならではの宗教観に由来する習俗が、まだまだ生きていたころの話だ。その梨を知人のOさんからいただいた。岡山の実家の父上が作られたものだという。きれいな球形をした手鞠ほどもあろうかという大ぶりな実の梨である。「あたご梨」と包み紙には記されていた。朝食の後さっそくいただくことにした。口に入れると、近頃の梨とちがって甘過ぎず、柔らかすぎず、しゃきっとした歯応えとともにほどよい酸味を帯びた水分が口中に広がる。果物のことを「水菓子」というのがよく分かる。大きいので四半分で上等に一人前のデザートだ。妻が、「この実のなる木って、どんな木だろう。Oさんみたいな木かな。」と言ってくすっと笑った。Oさんを思い浮かべてみたが、梨の木を見たことがないので、何とも言えなかった。

 2003/12/12 冬の日

めっきり冷え込んできた。朝夕の寒さには容赦というものがない。唯一の救いは雲の美しさだろう。西の空に沈んだ日の残りを浴びて黄ばんだ雲が高圧線の鉄塔の向こうに広がっている光景は、何だか映画の1シーンを見ているようで、奇妙に胸に迫るものがある。仕事で駅前に出向いた。かつては百貨店と大型スーパーがしのぎを削った駅前も、両店舗の撤退ですっかりさびれてしまっている。がらんとした駅前には人影もまばらで、ただでさえ寒々とした冬の日をいっそうさびしいものにしている。郊外型の店舗が次々とオープンする国道沿いとはうってかわって、シャッターを閉めたままの店も増える一方だ。景気は底をついただの、回復の予兆だのと、新聞には希望的観測ばかりが目に着くが、地方のこうした実態は、東京にいては理解できるはずもない。不順な天候のせいで、例年なら明るい彩りを添えてくれているはずの銀杏並木も、一本を残してすっかり葉を落としてしまっていた。秋を味わうひまもなしに冬に入ってしまったようで、何だか心残りである。

 2003/12/11 憲法前文

新しいTVが届いて、設定をしていると、首相の顔が大写しになった。自衛隊のイラク派遣について基本計画が閣議決定されたことを伝えるニュースの画面だった。はじめての衛星放送の試験映像がケネディ大統領暗殺事件の中継になってしまったことは忘れられない。TVがニュースを運んでくる。何だかそんな気がした。さて、首相は憲法前文を引いて、派遣の意義を説いたという。はて、平和憲法とも呼ばれる日本国憲法のどこにそんな文句があったかと、あらためて読み直してみた。どうやら、首相の目にとまったのは、次のようなところではないだろうか。

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
(原文は旧仮名)

まことに都合のよい引用に恐れ入る。こうして読むと、憲法はイラク国民のために汗を流せと言っているようにも読めるから皮肉である。もっとも、私は首相の読みとは見解を異にする。二段落目の「いづれの国家も」の国家を、首相は日本ととったのだろうが、これをアメリカととれば、その意味は正反対になろう。国連を無視し、アメリカが単独主義に陥っていることが、イラク国民およびイスラム諸国の抵抗を生んでいるのである。ボタンの掛け違いに気づき、はじめからかけ直すことこそが賢明な対処の仕方である。

引用部分の前にある「諸国民の公正と信義に信頼して」というところを読み飛ばしてはならない。諸国民の中にはイラク国民も当然入っているというのが大方の常識である。いたずらに軍隊を出すことばかりが人道支援ではない。イラクの復興はイラク人民に任せ、日本は日本にできる支援の仕方をするべきである。今一度引く。「日本国民は、(略)、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する。」とある。首相にはもう一度、この文を読み直してもらいたいと切に願うものである。

 2003/12/7 電器店で

実は子どもが大きくなるまで、我が家にはTVがなかった。あるにはあったが押入の隅につっこんであったのだ。教育上の理由というよりは、子どもと遊んでいれば、TVなどいらなかったというのが本当のところだ。絵本を読んだり、積み木をしたり、何かと忙しかった。ある時友人の家を訪れて、そのTVの大きさに驚いた。知らぬ間に大型TVの時代に入っていたのだ。それからしばらくして、我が家も25型のTVを買ったのだが、あれからもう十年になる。TVはますます大きくなっていた。デジタルハイビジョンの映像は美しく、一度目にすると今までのTVを買う気は失せてしまう。しかし、大型TVや液晶TVの価格は給料月額を超える。たしかに買おうと思えば買えない金額ではない。ただ、センス・オブ・プロポーションというものがある。軍事費の突出した国家と同じで、娯楽に費やす金額が家計の中で大きな割合を占めるというのはどうか。結局、あと十年は使えるように地上波デジタル対応にしたものの、その中では最も小さいサイズを選んだのだった。「あっ、あの肉屋さんよ。あの子も映るかしら。」と、妻が声を上げた。カメラはフェズの細い街路に分け入っていた。街は何も変わっていなかった。しかし、道案内をしてくれた子も今では年頃の娘になっているはず。あの金髪も黒いベールに覆われているのだろうか。

 2003/12/6 TV

夕飯の買い物に出かけた店先で手渡されたチラシに、「ケーブルテレビで地上波デジタル放送を」と書かれていた。すでにケーブルTV には加入している。デジタル対応TVか、チューナーを買えばすぐにでも見られるわけだ。とはいっても、地上波の放送にはうんざりしている。2011年に地上波は消滅するにしても、今のところわざわざ金を払ってまで地上波デジタルを見るには及ばないと思って家に帰ってきた。ところが、である。前々から調子が変だったTVが、突然映らなくなってしまった。スイッチを押してもウンともスーとも言わない。地上波に未練はないが、ケーブルTVで流される映画には時々見たいものがある。何より年末には格闘技ファンの子どもが帰ってくる。TVがなかったら、下宿に帰ってしまうかもしれない。あわてて新聞の折り込みチラシを見てみた。まず驚いたのは、TVが安くなっていることだ。今の25型なら2万円台で買える。ところが、地上波デジタル対応機種はその十倍はする。数年先にはすべてデジタル化されることを考えれば、ここはそれを見越して買い換えるのが賢明ということになるのだろう。それにしても、偶然にしてはあまりのタイミングのよさに薄気味の悪さを感じてしまった。

 2003/12/5 近況

出かけた先でしばらく顔を見てなかった知人にあった。「元気、近頃どう。」という決まり文句の挨拶を交わしながら、ほんとうに近頃はどうなんだろうかと考えている自分がいた。以前だったら、知人の挨拶に素早く反応して、いいときは絶好調だし、悪いときは絶不調というかなり極端な返事を返していたはずだが。しばらく考え、「日々是好日」と、色紙の文句のような言葉で返事をしたのだった。そういえば、南瓜や胡瓜の絵に賛を添えた実篤の色紙を玄関口に飾る家を見なくなった。相田みつをに取って代わられたのかもしれない。話を戻そう。いいのか悪いのか、と近況を問われれば正直なところそれほど良くも悪くもないというところだろう。フルスロットルで走っていた頃から考えると、休日のドライブくらいのところだ。かといって、別にトラブルを抱え込んでいるわけではない。悪くなければ良いのだろう。はなはだ煮え切らないが、これが偽りのないところだ。主流にも反主流にもなじめなくて、非主流という曖昧な位置に自分を置いている、さしずめこれが「曖昧な日本の私」といったところか。

 2003/12/4 転石

ローリング・ストーンズといえば、ビートルズと並び称される伝説的なロックバンドである。その内実はどうか知らず、セールス上、ビートルズに対抗するため常に「不良」性をアピールしてきた。かつてビートルズが女王陛下から勲章を授与されたときも、なるほどビートルズか、外貨獲得に功ありと認められたわけだな、と納得したものだが、その頃ストーンズが勲章をもらうことなど想像もできなかった。それが、何とミック・ジャガーが騎士(ナイト)に叙せられるという話が飛びこんできた。麻薬常用の噂が絶えず、一度目の来日など、心待ちにしていたのに麻薬禍の為に入国できず悔しい思いをしたものだ。「時代は変わる」。そのストーンズが騎士とは。もっとも、ビートルズの時にはグループ全員に勲章が授与されたのだが、今回はミック一人というのが問題になっている。相棒のキースは、ミックがナイトの爵位を受けることに不満らしく、「ミックを『サー』なんて呼べないね」と語り、ツアー続行さえ危ぶまれたほどだ。早々と解散してしまったビートルズとはちがい、欠けたメンバーを補充しながらもバンド結成当時のメンバーが主力となって、常にロックの王道を歩んできたストーンズは、「おじさん」世代の憧れの存在である。こんなことで空中分解されるのはたまらない。ブライアン・ジョーンズが生きていたら、ミックにどう言っただろうか。

 2003/12/3 寓話

中国の有人宇宙飛行について、都知事が「中国人は程度が低いからあんなものを喜んでいる。日本が本気になったらいつでもできる」と、いつものように豪語してみせてからまだ一月しかたっていないが、H2Aロケットの打ち上げは三度目の失敗に終わった。関係者も、実力では中国に劣っていないはずと自信を持っていたというが、ブースターロケットの切り離しができなくて推力が足りなかったというのでは、実力のほども疑わしい。おまけに気象観測衛星だとばかり思っていたが、何のことはない、実体はハリウッド映画でおなじみのスパイ衛星だった。防衛とは言え、何かあってもそのまま見過ごすのならはじめから必要ない訳で、迎撃を想定しての監視衛星だろう。星の世界もずいぶんきな臭いところになってきたものだ。それにしても、相継ぐ失敗はどうしたことだろう。関係者の自信が結果によって裏打ちされてないところが問題である。故なき自信の出所を究明する必要がありはしないか。寓話に、牛を見た子蛙の話を聞いた親蛙が、「これくらいだったか」と腹をふくらませて見せているうちに破裂してしまう話があった。はじけるのはバブル経済だけで充分だと思うのだが。

 2003/12/2 ゆで蛙

昨日この欄に「大所高所からそういう助言のできる人材はいないものだろうか」と書いたら、今日の新聞に宮沢喜一のインタビューが載っていた。憲法を理由に、今の情勢で自衛隊を派遣することの難しさを話していた。かつてPKOで犠牲者を出している元宰相の意見を現首相はどう聞くのだろうか。まさか、こういう意見が煩いから定年制を盾にして議員を辞めさせたわけではないだろうが、目の上のたんこぶが消えた首相の独走は警戒しなくてはなるまい。首相に限らず、今の政治家がみょうに威勢のいいのはどうしてだろう。二世三世の議員が多く、苦労知らずで政治家になったこともその原因の一つにちがいない。国の舵取りをする人の中に戦争経験者が少なくなってきているのも気にかかる。かつて、なぜ、戦前において国全体が戦争に傾斜していったのかその理由が理解できなかった。今は何となく分かる気がする。「ゆで蛙の法則」というものがある。急に熱い湯の中に入れれば蛙はびっくりして逃げ出そうとするが、少しずつ慣らしていけば、蛙は自分がゆでられていることに気づかないというのだ。他人事ではない。湾岸戦争時に比べて自分でも、反応の鈍さを感じる。今、お湯の温度はどれくらいなのだろうか。

 2003/12/1 息詰まり

何かのはずみで頸を痛めたらしく、頭が重く胸苦しい感じが抜けないでいた。ふだん肩こりに悩んだことがないので、肩凝り症の人の気持ちが少し分かった。風呂にゆっくり浸かったら、だいぶ楽になった。肺の深いところで息がつけると、世界が広がった感じがする。イラクでついに日本人の犠牲者が出た。政府は相変わらず「テロに屈することなく」という何とかの一つ覚えをやっているが、彼らはきっと息が詰まっているにちがいない。充分な安全保障もなく、危険地帯に派遣される者やその家族の身になったら、そんな言葉は出てこないはずだ。一度大きく息を吐いて、それから深く吸ってみるといい。兵の派遣を望んでいるのは誰で、望んでいないのは誰なのかが分かるだろう。大量破壊兵器が見つからなかった時点で、対イラク戦の大義名分は失われている。方向転換しても、それを責める者は少なかろう。イラク人民が望んでいるのは軍隊ではなく日本製品だそうだ。そういう貢献の仕方もある。度重なる不祥事や信用失墜で、ゆとりのあろうはずもないが、ここらで一息入れて、頭に上った血を下ろす必要がある。大所高所からそういう助言のできる人材はいないものだろうか。
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