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 2003/12/28 『コラムの逆襲』 小林信彦 新潮社

落語によく出てくる人物に横町のご隠居というのがいる。八つあん、熊さんあたりに、ご高説を宣う好人物である。とにかく、歳をとっているだけに、昔のことをよく知っている。今で言うリアルタイムで経験しているのだから、「今時の若い者は」とやられると、こちとらは、もういけない。ただただ拝聴、謹聴するしかないというわけだ。さしずめ、エンターテインメント界における小林信彦の位置がこれだ。

何しろ、東京は青山の菓子屋の息子に生まれ、江戸落語は言うに及ばず、戦中戦後の映画をリアルタイムで見ている。さらに、浅草の軽演劇から創生期のTV界に至るまで、その内部と外部を往き来し、事情に詳しいのはいうまでもない。ヒッチコックマガジンの編集者でもあり、中原弓彦の筆名で『日本の喜劇人』という本を出している御仁である。エンタメ界の水戸光圀か大久保彦左衛門。ひとたび口をきけば、なかなかうるさい人物である。

小林信彦のコラムの特徴は、江戸っ子らしく歯切れのいいところと意外に蓮っ葉なところ。好悪がはっきりしていて、お気に入りの役者や噺し家については一家言を持つが、そうでないことについてはあっさり切り捨てて顧みないところ。一例をあげるなら、噺し家ではこの間惜しまれつつ早逝した古今亭志ん朝。現役の女優なら、アシュレイ・ジャッドとニコール・キッドマン。TVドラマなら「アリー・myラブ」。これらについては繰り返して語ってやまない。

つまり、評価の基準が「自分」にあるのだ。それは、何があっても揺るがない。それだけに、はまれば、おもしろいことは無類だが、いったん外れるとなると、もういけない。エンターテインメントは生(なま)ものである。小林が得意とする分野、例えば、江戸落語、アメリカ映画、ミュージカル等については、安心して読めるのだが、現代のTV番組となると、横町のご隠居風のところが鼻につく。まあ、そうは言うものの、この人の書くものは飽きもせずチェックしているのだから、こちとらも同じ横町に住むハチ公、熊公の類なのだろう。

「はじめに」にこうある。「二十一世紀に入って、意外にキナくさくなってきた世界。そして大衆文化の80パーセントはがらくたであるにせよ、光るものがある20パーセントをひろい上げ、クロニクルとして定着させようというのが、このコラムの狙いなのです」。きれい好み、本物好みの小林(先に述べた例からも分かってもらえるだろう)が、二割拾い上げているのが意外と言えば意外だが、ここいらは少し点が甘い気もする。林家正蔵一門の(クライ)ネタを寄席で聞きながら、年の暮れの気分を味わうというのが、この人ならではの暮れの風物詩とか。近くに寄席などない地方では、TV、ラジオ、その他で自分なりの年の暮れの気分を演出するしかない。そういう時のガイドとしては重宝な一冊といえよう。

 2003/12/25 『「即興詩人」のイタリア』 森まゆみ 講談社

かつてイタリアを訪れる際、『即興詩人』をポケットに忍ばせようと想いながら、近くの書店を何軒かあたっても見つからず、仕方なく、ゲーテの『イタリア紀行』だけをトランクに入れて旅立ったことがある。「あとがきに代えて」の中で、著者はアンデルセンの作品の中で、さほど有名でもないこの作品に鴎外はなぜ九年間も費やして訳し終えたのかという疑問を提出しているが、そう言われてみて、はじめて、「即興詩人」が、世界名作級の作品でないことに気がついた。鴎外の流麗な訳業あってはじめて、我々は、この作品の名を記憶しているのである。

著者は地域雑誌「谷中・根津・千駄木」通称「谷根千」の名物編集者。安野光雅が鴎外の『即興詩人』の跡を訪ねて絵を描き、著者がそれに文を添えるという企画でイタリアを訪れたのが病み付きとなり、その後も何度もイタリアを再訪することになる。ローマは言わずもがな、ナポリ、ポンペイ、ソレント、カプリ、ヴェネチア、ミラノと挙げていけばきりがない。およそ、イタリアを旅する者なら訪ねたい街ばかり。それらの地を鴎外訳『即興詩人』片手に精力的に歩き回り、実に根気強く物語に登場する主人公ゆかりの建築、旧跡を突き止めてゆく。要所要所に引用される鴎外の華麗な筆になる『即興詩人』の文章が、絶妙の布置を得て、格好のイタリア案内となり得ている。

それにしても、主人公アントニオの生家の位置を確かめるために必要なバルヴェリーニ広場の銅版画を、偶然テヴェレ河畔の古本市で手に入れたり、発掘中のため、滅多なことでは見ることの適わぬエルコラーナの地下劇場を特別に見学したりと、運にも恵まれている。もっとも、舟で入るのさえ剣呑なカプリ島の「青の洞窟」の中へ、主人公同様泳いで入るなど、著者の実証精神には恐れ入る。この気構えがあったればこそ呼び寄せられた強運でもあったろう。

幼くして母に死に別れたアントニオは、親切な養い親の下で育つが、ある日有名な貴族を助けたのを契機に、その庇護下で学ぶことを得る。そこで、ベルナルドオを知り、生涯に渉る誼を通じることになるが、二人は美貌の歌姫を争って決闘沙汰を起こしてしまう。その結果、友を傷つけ女を失ったアントニオはローマを去る。歳月が過ぎ、ナポリで即興詩人として成功したアントニオの前に今は落ち目となったかつての恋人が現れ、実はアントニオの方を愛していたことを知る、というのが『即興詩人』の粗筋だが、波瀾万丈の物語の中にイタリア各地の名所を巧く嵌め込んでいる。

鴎外の典麗を極めた名訳が、未だ訪れたことのないイタリアの地に思いを馳せ、想像だけで成し遂げられたことを知り、あらためて、その教養の深さ、語学の力を思い知らされた。また、有名な「命みじかし恋せよ乙女」という、例の『ゴンドラの唄』が、鴎外の訳した「即興詩人」の影響下にできたのではないかという著者の指摘にも驚かされた。因みに原文を引く。「朱の脣に触れよ。誰か汝の明日猶在るを知らん。恋せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に」。鴎外の『即興詩人』がこの国の文学にどれほどの影響を与えたか、推して知るべし。

いつか、またイタリアを訪ねることあれば、何を置いても、鴎外訳『即興詩人』の一巻、ぜひ携えたいものである。とはいえ、如何せん、名訳も今となっては、文学研究者でもなければおいそれとは理解しがたい。その意味で、この本は充分に鴎外の現代語訳としての役を果たしてくれるだろう。

 2003/12/22 『サラマンダー −無限の書−』 トマス・ウォートン 早川書房

マトリョーシカ人形というのをご存知だろうか。瓢箪型の人形を胴部で二つに割ると、その中から同じ形をした少し小ぶりの人形が現れる。それを開くと、また同じ人形が現れる仕掛けを持つロシアの素朴な郷土玩具を。あるいは、ミシェル・レリスが『成熟の季節』の中で紹介している粉ミルクの缶を持つ女の子の絵が描かれた粉ミルクの缶の話でもよいが、これら「入れ子細工」の持つ魅力は、人間が「無限」や「永遠」というものに寄せる憧憬をそれとなく証している。

物語の世界で、入れ子構造が特徴的なのは言わずと知れた『千夜一夜物語』だろう。カリフの悪癖を思いとどまらせるために終わることなく語り続けられねばならなかった物語は、一つの物語の中にまた別の物語が胚胎する入れ子構造を必然的にとることになった。「終わることのない書物」を夢見ない物語作者はいない。「無限の書」という副題を持つ『サラマンダー』もまた、その夢のために紡がれた一つの奇矯なテクストである。

どのような物語も、物語である以上プロップの「民話の形態学」に示された要素から自由ではあり得ない。この物語もまた、「依頼と代行」についての物語である。依頼者はサヴォイ王国のオストロフ伯爵。任務を授かったのは、ロンドンの印刷職人フラッド。その任務とは、「始まりも終わりもない書物」を作ること。物語は18世紀のケベックで幕を開けるが、それは所謂「額縁」で、話の本筋はフラッドとその一行が、依頼を受けた本を創るための活字やインク、紙を求めて世界各地を彷徨う探索行である。読み進めるうちに読者は、額縁を忘れ、知らぬ間に絵の中に入り込んでしまう。そして、その絵の中には、また別の絵が描かれているという仕掛けである。

18世紀初頭、オスマン=トルコ軍との戦いで最愛の息子を失ったオストロフ伯爵は、軍籍を辞し、スロヴァキアにある自分の城に隠遁するが、生来の謎を好む嗜好が嵩じて、機械仕掛けで部屋や廊下が動く城を造り続けることに没頭する。また、そこには古今の珍書稀書が集められ、その膨大な蔵書を管理する仕事は、幼少時の病気のせいでコルセットなしでは立つことのできない令嬢イレーナに任されていた。

珍本作りの腕を見込まれて城に呼ばれた印刷職人のフラッドは伯爵の留守中にイレーナと恋に落ちる。しかし、伯爵の知るところとなり、十一年もの間、城の地下に幽閉される。フラッドは「無限の書」を空想裡に印刷することで狂気から免れる。彼の幽閉を解くのは、二人の間にできた娘パイカである。城を抜け出した父子は、雇われていた曲芸師たちとともに、伯爵の船で旅を続ける。父は「無限の書」の完成を目指し、娘は、未だ見ぬ母を求めて。あるときは、氷山の流れる海を、あるいは、珍しい紙を求めて広東を、地下に穿たれた「物語の井戸」に数万巻の古文書を蔵するアレキサンドリアを。

作者も明かしているが、「無限の書」のアイデアを得たのは、ボルヘスの短編『砂の本』に出てくる「まるで、本からページがどんどん湧き出て来るようだ」と評される「砂の本」である。ボルヘスが哲学的な象徴として取り上げた「無限の書」を作者はマニエリスム的手法を用いて、実体化しようとする。ユダヤ人の天才冶金師キルシュナーの手になる、文字が水銀のプールの中で上下に浮動する「鳥肌活字」、堕天使の血と成分を同じくするといわれる「本物の泣きインク」、世界でもっとも高価な紙「最高級亀」、これらが揃うとき、「無限の書」が完成するのだ。

キルシュナーはフラッドに言う。「この世界は意識が必要な物を供給するまでは、はかない幻のような、たいていは空っぽの空間なのだ」「それが世界の本質なら、想像上の本はばかげた夢ではなく現実の暗示なのだ」と。機械仕掛けで城中の部屋や家具が移動したり、磁器製の自動人形が本作りを手伝ったり、作者の想像する世界は、18世紀においてはばかげた夢のような物だが、今の世界では現実化されている。ならば、21世紀の今、空っぽの空間に私たちの意識が供給しているものとは何かを想像して愕然とした。本を愛する人にこそお薦めしたい一冊。

 2003/11/24 『わが映画批評の五0年』 佐藤忠男 平凡社

佐藤忠男の映画に関するちゃんとした批評を読むのは二度目になる。それまでも新聞などでアジア映画に関わっての短評などは目にしていたが、その硬質な文章とおよそ愛嬌というものの感じられない写真から、何となく肩肘張った人のように想像して敬遠する気があったのだろう。それが、伊丹万作の文章をダシに創成期の日本映画を論じた「伊丹万作『映画指導論草案』精読」を読んで一気にファンになった。これは、伊丹が書いた演技指導論をもとにして、実際の映画が作られていく現場に当てはめて佐藤が自由に解題していったものだが、伊丹の考えたであろうことを尊重しながらも、佐藤の映画に対する姿勢を示す絶好の日本映画論になっている。

前述の本もそうだが、何しろよく映画を見ている。日本映画が一番面白かった頃、素人の映画愛好家から出発して、とうとう職業的批評家になってしまった人である。映画に対する愛情とその勉強家ぶりは群を抜いている。出発当初は工員上がりという来歴に注目されがちであったというが、少数者や弱者に対する視線と多数者や権力を持つものに向ける視線は今でも明らかに違う。アジアや中近東の映画に寄せるこの人の情熱は日本だけでなく世界にもアジアその他の地に優秀な映画の存在することを紹介する力になっているし、日本の若い映画作家の発掘、紹介もこの人なくしてはずいぶん貧しいものになってしまうことだろう。

その佐藤が自分の映画批評生活五十年を総括したのがこの本である。十年単位で一括りとして、それぞれを代表する批評が何編か取り上げられるとともに、その時代を総括する文章が新たに書き下ろされている。初期の昂揚した口吻が堪能できる1950年代の批評では『泣くことについて』、『黒澤明論』、『斬られ方の美学』が、この人の硬派ぶりが遺憾なく発揮されていて秀逸。日本映画に見られる泣くという表現のあんまり手放しな有様に疑問を呈し、黒澤作品ではただただ無能に見える百姓の描かれ方に不満を訴え、その当時のチャンバラ映画の斬られ方に無声映画時代の迫力が欠けていることを憂える。まるで何かに向けた怒りがぶつける相手を見つけられないままにそれらに向けられているのではないかと疑いたくなるほどの慷概ぶりである。

年齢を重ねるにつれ、激越な調子は背後に隠れ、冷静な観察眼が光る批評が増えてくるのだが、世論や世相がよしとするものに対する疑問を提示するという作風は一貫している。マッカーシズムの前に同僚を裏切ったとして批判されたエリア・カザンを論じた文章など、ギリシア系トルコ人としてのカザンのアメリカ社会に対する屈折した心理を論じていて興味深い。また、日本に本当に家族主義なる伝統があるのかどうかという視点で論じられた「『ゴッドファーザー』と家族崩壊」など、映画批評の枠を超えて面白い。

日本的な諦念や無常観を描いた作家として受け止められていた小津安二郎が実はきわめてアメリカ的な感覚に満ちた映画作家であったことなど、今ではよく知られていることかもしれないが、この人の小津論や溝口論を契機として、次第に取り上げられてくる。そういう意味で、日本の映画批評を語るとき佐藤忠男を抜きにしては語れない。「古今東西南北の映画を見てきた」と豪語する佐藤のことである。映画批評としての文章は非常に限られたものしか取り上げられていない。ただ、その中に『キューティー・ブロンド』などという明らかに毛色の違う作品表が収録されているところに、著者の健在ぶりを知ってうれしくなる。巻末に「私が選んだ八00本の映画」というリストが収録されていて著者の関心の在り処を知るのに便利。

 2003/11/22 『パワー・インフェルノ』 ジャン・ボードリヤール NTT出版

トルコのイギリス大使館が襲撃され、英国総領事を含む二十数人が死んだ。人ごとではない。ついこの間イタリア人犠牲者も出たばかりだ。アメリカに同調する国に対しての威嚇だろう。アメリカのイラク攻撃に対しては、独仏二カ国を中心に反対が強かったが、ここにきて最も頼りにする同盟国である英国の世論も反対が高まってきている。日本も自衛隊を派遣すれば首都を攻撃すると警告を受けている。イラク情勢はアメリカが最も避けたかった泥沼化の様相を呈してきているといっても過言ではない。

フセイン政権を打倒すれば、アメリカを中心とした国連の監視下にイラク国民による民主的な政府が誕生し、イラクは民主化されるはずではなかったのか。圧倒的な軍事力を背景に、イラクの正規軍を武装解除することで、治安を維持する目論見が外れたのは、アメリカが自分で思っていたような解放軍として、現地で受け止められていないことがある。戦闘終了を告げてからも駐留し続ける米軍にイラク国民は不満を感じている。日本の占領統治で味を占めたアメリカだが、国民性の違いはもとより、時代状況の違いに思いが至らなかったようだ。

グローバリズムという言葉が錦の御旗のような効力を見せる日本とは違って、ヨーロッパ諸国をはじめとして世界が主にアメリカによって標準化される事態に違和を感じている国や民族は少なくない。経済的、軍事的には圧倒的な力を持つ国であるから、否応なくつきあわされているだけのことで、誰もアメリカによる民主化や、アメリカ的な人権を押し付けてほしいなどと思っていない。独裁者による恐怖政治もまっぴらだが、宣教者めいた政治体制の押し付けはご免だ。それが、世界の多くの人々の気持ちというものである。

9.11の出来事を巡って多くの言説が消費されたが、それについて本格的に論じたひとりがジャン・ボードリヤールであった。超大国アメリカの監視防衛対策をくぐり抜け、貧弱な武器しか持たぬテロリストになぜあのような事件を起こすことができたのか、という疑問に対して彼はこう述べている。「世界秩序の裏側に落ち込んだ貧しい人びと」の反抗ばかりでなく「世界秩序の利益を共有する人びとの内心にさえ存在する、決定的な権力に対する拒否反応」がある。世界は内心でこういう事態を望んでいたのだと。

何かを贈られたらそれに見合った、あるいはそれを越える返礼をしなければならないというのは「贈与と返礼」に関する原則である。返済できない贈与は相手に屈辱を与えることになる。テロリストたちが世界貿易センタービルに対して与えた象徴的行為としての自死は、世界をアメリカ化するグローバル化という名の暴力に対する独自のゲームであったというのがボードリヤールの説である。多くの犠牲者を出した事件を素材にしての、言語遊戯めいた物言いは顰蹙を買ったようだが、9.11以後のアメリカおよび世界の対応を見ていると、冷静さを欠いた情緒過多の言説が蔓延し、客観的な物言いがテロリスト寄りと見られて批判されるなど、ヒステリックな状況に思えた。その中で自らのそれまでの知見に基づいて状況についての発言を行ってきた著者の行為は評価されてしかるべきである。

イスタンブールには先の旅行で親しくなったダブが住んでいる。あの後結婚したはずだが、よく話してくれた家族も無事だろうかと心配になる。ブッシュ大統領は「トルコは対テロ戦争の新たな前線」と語ったそうだ。『おかえし』という絵本がある。贈り物に対して返すものがなくなった両家は、互いの子や家までを贈り合い、最後は家が入れ替わっておしまいという他愛のない話だが、このゲームがおしまいになるために世界は、どれだけのものを蕩尽しなければならないのだろうか。

 2003/11/9 『ららら科學の子』 矢作俊彦 文藝春秋

東西に分断された日本国というSF仕立ての発想を持つ『あ・じゃ・ぱん』で、日本の政治を脱構築してみせた作者が、今度は竜宮城ならぬ革命中国から帰還した元学生運動の闘士の目を通して現代日本の姿を「異化」してみせる。現代の日本を動かしているのは、かつて彼がともに戦った同士たちの世代である。彼のいない30年という時間、日本にいた者たちは何をしてきたというのか。革命を夢見て渡った中国で百姓仕事をして過ごした彼の30年は何だったのか。

成り行きで学生運動に引きずり込まれ、警察のガサ入れにあった主人公は屋上にあった金属製のロッカーを機動隊の上に落とすというアクシデントのせいで殺人未遂の罪に問われ指名手配を受ける身の上となる。現地で紅衛兵の運動を見てみませんかという誘いに乗って、革命中国に不法入国を試みた背景には思想的なものだけでなく、せっぱ詰まった事情も働いていた。それから30年。蛇頭の手引きで日本に密入国し、東京に舞い戻った彼を待ち受けていたものは、ルーズソックスをはき、髪を染め、ケータイにかじりつく若者が跋扈する変わり果てた祖国の姿であった。

よど号ハイジャック犯ならずとも、当時、中国や北朝鮮は左翼系学生にとっての理想国家であった。かつて、マルクス主義を報じゲバ棒を振り回していた男たちは、その後掌をかえしたかのように企業や行政の要職に着き、現代日本の資本主義社会を構成している。悪い夢から覚めたような今となってみれば、あの時代の熱狂は何かの冗談めいて感じられる。少し遅れてその時代を経験した者の目にはそう映る。しかし、熱から冷める時期を共有しなかったかつての同士の目には、今の日本はどう見えるのだろうか。

過去が現在を裁くときに陥りがちな過剰な思い入れや激情は抑制され、時に自嘲の翳を帯びるとはいえ主人公の言葉はあくまでも冷静である。「自分の立っているところが祖国だ」という主人公の言葉にコスモポリタン化した傑という若者が共感するのも、どうみてもホームレスかプー太郎にしか見えない主人公の中に変節を変節とも感じない今の日本人には見ることのできない何かを見るからだ。

フィリップ・マーロウをはじめとするハードボイルド小説に登場する探偵の禁欲的な人物像を遍歴の騎士に喩えたのは誰だったろうか。麗しの思い姫に寄せる思慕を胸に秘め、その賞賛の一言だけをたよりにひとり諸国を経巡り戦いに身を窶す。主人公の思い姫は日本に残してきた幼い妹である。妹に贈ったケストナーの本と妹が荷物の中にしのばせたカート・ボネガット・ジュニアの小説が彼にとって祖国と自分をつなぐ唯一の紐帯であった。

矢作俊彦の手になると、三十年間中国の辺境で百姓暮らしをしていた主人公が漂わせる憂い顔の騎士ぶりに薄汚れた都会の闇部を彷徨うハードボイルド小説の探偵像が二重写しになる。当時の世相や映画をはじめとする風俗と現代の東京がカットバックされる描写にいちいちうなずかされる。読者を選ぶ小説かもしれない。すでに過去を過去として葬らしめた者には無縁の書物。過去を引きずっている者にとっては、できかけた瘡蓋を上から掻くような一編かもしれない。

 2003/10/26 『忘れられる過去』 荒川洋治 みすず書房

短いエッセイが集められている。たいていは見開き2ページの間におさまる長さ、いや短さである。どれも読みやすい。難しい言葉も、小賢しい理屈もない。手元に置いおいて、気の向いたとき、適当に開いたところを読む。これといったあてもなく電車に乗って、なんてことのない小さな田舎町の駅に降り立ったときのように、心の開けてくる感じと、奇妙な懐かしさが目の前に広がっている、そういう趣のあるエッセイ集である。

エッセイの内容はほとんど、文学や本に関わりのあることばかり。詩に限らず、本や文学が根っから好きな人らしい。しかし、採り上げられている作家の名前は、かなり渋い。わざと有名な作品をさけたというのでもなさそう。ごく普通に自分の関心の向くまま、心にとまった本を読んで、その話を書いているだけなのだが、この人の書いたものを読んでいると、他の人が、自分の関心や興味より、他人の興味や時代の関心にしたがって本を読んだり書いたりしているのだということが逆に明らかになってくる。

荒川さんは詩人。何年間も大学で講義をしているというのだから、もう少しえらぶったところが出てきてもいいのだけれど、ちっともそういったところが出てこないのは人柄というものだろう。詩を作るだけでなく、本も作る。それもまだ売れていないこれからという才能を見つけては自分の方から出かけていって詩集を作りたいという話を持ちかける。そうやって世に出した詩人も少なくない。全体に短いエッセイが多い中で、詩集を作る話だけは、熱の入り方がちがう。したがって長くなっている。その長さがまた、この人らしくて心地よい。

「表現は全体でするものであり、誰かがいいものを書く、ということがたいせつであり、わざわざ自分が書くことはないのだ。自分が書く時期はおそらく、自分が思う以上に先の話なのである。文章や詩を書く人の中には、その書くことだけしか見えない人もいるが、ちょっと書くことの周囲をみてみると、いろんなものがある。見えたところから先にはずいぶん広い世界がひろがっており、本をつくることもそのひとつだし、本をつくらないまでも、興味深いこと、豊かなこと、楽しいものが書くことのまわりには想像する以上にある。」

かくして、小説で読んだ場所を訪ねては、あるはずの山が存在しないのを発見したり、芥川の年譜にある友人を訪問したという記述から、実際に会えたか留守だったかを想像したり、文庫化されるときに並記される作品の変化(例えば、川端の『伊豆の踊子・禽獣・骨拾い』というのは凄い)を楽しんだりする。なるほど、まだまだ世界には興味深いことはたくさん転がっているものだ、と本くらいしか関心のない筆者のような者にもその豊かさに心躍る思いが湧いてくるのである。

あまり肩肘張ったもの言いをしない荒川さんが「文学は実学である」ということだけは強調する。文学などは何の役にも立たないという風潮に異を唱える。ある種の文学を読むと読まないとではその人の人生はちがってくるはずだという。アナキスト詩人として知られる秋山清の「地べたの上で/そっと背なかをうごかし/全身をおこし/いっせいに立って向こうへゆく」という「落葉」という詩は「みじかいこの幾日がたのしかった」と結ばれる。はじめて落ち葉の気持ちが分かったと荒川さんは書いている。滋味あふれる一篇である。

 2003/10/13 『陰摩羅鬼の瑕』 京極夏彦 講談社

ハイデッガーは、存在作用の場となっているという意味で、人間のことを<現存在>と呼んでいる。人間という呼び方は、生物学的にも文化的な意味でも使われる曖昧な言葉だから存在一般の意味を究明するためにのみ人間を問題にするならそれに相応しい言葉がいると考えたわけだ。事程左様に、言葉とそれが意味するものを合致させることは難しい。ひとつの言葉が特定の概念なり事物なりを意味しているといえるのは、その言葉を使う者同士が、同じ共同体に属している場合に限られる。住んでいる世界を異にすれば、同じ事物も別の言葉で語られ、同じ言葉が別の概念を指すのである。

江戸川乱歩が『心理試験』を書いたのは、確かドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフの犯罪後の心理に影響されてのことではなかったか。ドストエフスキー自身は探偵小説を書いたつもりはなかったろうが、探偵小説作家から見れば、ドストエフスキーの作品は探偵小説的興味を掻き立ててくれる人物に事欠かない。京極夏彦は、純粋培養された「本当に美しい人間」である由良伯爵を描くにあたって『白痴』のムイシュキン公爵を借りてきたのだろう。

人物の二類型として、ドン・キホーテ型とハムレット型がある。自分の信ずるところにしたがって真っ直ぐ進む姿が周囲から見れば喜劇的にもまた悲劇的にも見えるのが前者である。それに比べ、躊躇逡巡を繰り返す優柔不断な人物を典型化したのが後者である。クィーンの国名シリーズの顰みに倣っていうなら京極夏彦の長編妖怪シリーズで狂言回しを務める小説家の関口と探偵榎木津は、カリカチュアライズされたハムレットとドン・キホーテであるのはいうまでもないが、由良伯爵こそはムイシュキン公爵同様正統的なドン・キホーテの末裔である。

白樺湖のほとりに立つ城館めいた由良家の館「鳥の城」で起きる惨劇は、数知れぬ鳥の剥製の硝子玉細工の眼こそ不気味だが、それまでの同シリーズに比べれば、登場人物も舞台もシンプルに構成されている。公家出身の華族由良家は儒学者の家系として知られる。当主昂允の父は鳥類学者で、妻を早くに亡くし、嫡男昂允は病弱であったため成人するまで館の外に一歩も出ることなく、娑婆苦から隔離された悉達多のように育てられた。昂允はバベルの図書館とも称される館内の膨大な蔵書を頼りに独学で物事を知ることになった。子どもがそのまま大きくなったように純粋な伯爵は皆に愛されているが、婚礼の翌朝、新婦が殺害されるという悲劇が三度繰り返され、四度目の悲劇を防ぐため探偵が呼ばれることになる。

拝み屋、中禅寺秋彦の憑き物落としの手際は相変わらず鮮やか。妖怪談義はいつものこととして、今回の趣向はハイデッガーの哲学と儒教、それに鳥類学である。横溝正史をカメオ出演させ、木場修や伊庭刑事と馴染みの顔を配しながらも、どこか人生の哀感を漂わせるのは人物造型の手柄だろうか。グロテスクの中に美しさと哀しみが潜む佳編としておこう。

 2003/10/4 『他者の苦痛へのまなざし』 S・ソンタグ 北條文緒訳 みすず書房

「他者の苦痛」とは端的に言えば、映像化された惨事、もっと具体例をいえば、戦争を写した写真や映像を意味している。たとえ、人が同情や憐憫、或いは人道的な怒りを胸に秘めて見たところで、そこに映し出されたものは「他者」の苦痛でしかない。ソンタグが問おうとしているのは、第三者が他者の「苦痛」を見ることについての当否である。

ソンタグは、まず、フェミニズムの視点から戦争反対を訴えたウルフの『三ギニー』について触れながら、その中で同じ写真を見た二人が安易に「われわれ」と括られていることに疑義を呈する。映像は様々に解釈されうる。戦争の悲惨さを表現した写真が、そのまま戦争に対する批判を生むとは限らない。見る側の立つ地点がちがえば、その写真は被害をもたらした者への報復、復讐の思いを喚起することもあるからだ。ソンタグは、残虐な行為を眼にするたびに幻滅を感じたり、信じられないと思ったりする人間は成熟しておらず、道徳的に欠陥があると考える種類の人間である。一枚の写真を見る行為にも政治的な立場の選択がはたらいていることを明らかにする。

絵画は作者が別人だと判明したときに偽物となるが、写真は被写体が本物でないときに偽物となる。絵画と比べて写真はより真実に近いという思いこみがある反面で、写真には常に「やらせ」疑惑がつきまとう。クリミア戦争から硫黄島に掲げられる星条旗の写真まで、より真実に見えるように加工された多くの例を挙げて、いかに過去の映像が作られたものであるかをソンタグは証している。問題は作られた映像にだけあるのではない。自国の戦死者の顔は見せないという了解事項や大量死の映像の秘匿に見られる検閲の事実は真実を伝える写真という媒体に対する疑いを深める。

ソンタグはかつてその『写真論』の中で、大量に流される映像の過剰がわれわれの良心を麻痺させ冷淡にさせていると述べたが、今回の著書ではそれを訂正する。確かにTVに代表されるメディアは映像を陳腐化してはいるが、だからといって世界はメディアが作り出した「虚構」ではない。巨大な悪や不正は現実に存在し、それによって苦しむ人々がいる。映像の持つ限界は認めつつも、「残虐な映像をわれわれにつきまとわせよう」とソンタグは主張する。たしかに「映像が提示するものに対してわれわれは何も成し得ないという挫折感」はあるが、「誰かを殴るという行為はその行為について考えることと両立しない」。一歩退いて考えることもまた、知性を持つ者のなすべきことであるからだ。
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