Summertime in Italy

 MILANO

ミラノは近代的な都市である。広い道路にはたくさんの車が行き交い、渋滞にも出会う。地下鉄の新線が工事中で、道のあちこちを掘り返している最中だった。それでも、道の真ん中には大きな街路樹が並んで、見た目にも心地よい陰を作っていた。街の中心近くには古い建築も多く残っており、大きな開口部から見える中庭には、木々の茂みが静かな影を地面に落としていた。

 スフォルツェスコ城

スフォルツェスコ城何と言っても、ミラノの中心はドゥオモである。そのドゥオモから、真っ直ぐ伸びているダンテ通りを行くと、大きな噴水が見えてくる。真夏の噴水というのは実に豪奢なものだ。傍にいるだけで暑さが退いていく。水飛沫の向こうに茶褐色の大きな時計塔が見えている。いかにも厳めしい造りだが、これがスフォルツェスコ城の正面入り口である。

門を入ると、門に続く城壁が回廊になっているのが分かる。広い中庭の中を騎馬警官が警備していた。中央に見えるのが城で、城内は博物館や美術館になっている。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたといわれている「アッセの間」の天井画は、騙し絵の技法が使われていることで知られている。しかし、最も有名なのは、ミケランジェロが、死の三日前まで制作していたと言われる『ロンダーニのピエタ』である。

それは、まだ完成からは程遠く、ごつごつした彫り跡さえそのまま残る未完の作品である。それなのに、どうしてこうも見るものに訴えかけてくるものがあるのだろう。ヴァチカンのピエタに見られるような人体の形象の見せる美しさはここにはない。十字架から降ろされた我が子を抱きかかえる母の思いが凝固したような石の塊があるばかりだ。未完成ではあっても、石の塊の中に隠されているマリアとイエスの哀しみは石の覆いを通り抜けてこちらに滲みだしてくる。ミケランジェロの本領はやはり彫刻の中にある。そう確信させられる傑作である。

 スカラ座

スカラ座あまりにも有名なミラノのスカラ座とはどんな建築なのだろうかと想像していった人は必ず裏切られる。それまで、さんざん豪壮華麗な建築ばかり案内されてきた眼には、あまりにも素っ気ないファサードに、「これがスカラ座」と、溜息をつきたくなるかも知れない。

スカラの名は、文化擁護で知られるヴィスコンティ家の妃の名に因んだと言われているが、ミラノ公フェルディナンドの命を受け1778年に完成した。先の大戦で消失したが、再建したときに当時の設計図をもとに復元されているというのだから、もともとの姿なのだろう。一説に拠れば、最初に建てられたときが旧オーストリア帝国の統治時代であったため、本国より立派な物が建てられなかったのだとも聞く。しかし、音響効果のほどは折り紙付き。舞台上で大道具を組み立てている人たちの囁き声が客席にいてはっきり聞き取れるというから半端ではない。

 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアスカラ座前には、レオナルド・ダ・ヴィンチの像が立つスカラ広場がある。そのスカラ広場とドゥオモ広場を結ぶようにして伸びているのが全長200メートルに及ぶヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアである。戦後、地方の商店街が競ってアーケードなるものを作りだした時代があったが、規模も美観も全く違う壮麗な硝子張りアーケードは一見の価値がある。

中央ドーム部で横に伸びる通りと交差する。十字路の天井部の四隅に四大陸を象徴するフレスコ画がある。その下にマクドナルドがあるのだが、イタリアでは赤い看板が認められず、地味な茶色にしているのであまり目立たない。通路の両側には、有名なブティックやカフェ、それに大型書店などが軒を連ねて落ち着いた風格を漂わせている。ここにマクドナルドを入れるのは蛮勇というのがあたっている。買い物をしてもしなくてもそぞろ歩きをしてみたくなる洒落た街路である。

 ドゥオモ

ドゥオモガレリアを通り抜けたら、そこがドゥオモ広場。いっぱいの鳩が目を引く。以前来たときにはドゥオモの真向かいのビルの屋根に日本企業の看板があったが、今はなくなっている。金にあかして目抜き通りに看板を立てたがるのは国威発揚めいてあまり好きではない。しかし、総じて看板が目立たなくなっているのは日本経済の衰退を反映しているのではないか。何だか、複雑な気持ちになった。

有名なミラノのドゥオモは、ガレリアを出て左手、壮大なファサードが広場の一面を占めていた。1386年に工事が始められ完成までに500年をかけたという世界最大のゴシック建築である。ゴシック特有の尖塔の数が普通ではない。数えたわけではないが135本だという。ついでに言えば、塔や壁面を飾る彫像は全部で2245体あるのだそうだ。

中に入ってみよう。正面入り口を入ったところ、大理石の床の上に真鍮の線が象嵌され、南北に伸びている。右手の壁面の高い処から一筋の光が床に落ちてきていた。よく見ると、真鍮の線に接して星座を表す図柄がモザイクで描かれている。時間になると、その月を表す星座の上に、窓からの光が落ちる仕掛けだ。宗教と科学、一見相容れないものの不思議な結合である。これも五百年の歳月のなせる技か。ガリレオが苦笑しなければよいが。

 ステンドグラス

後陣のステンドグラスは規模としては、これも世界最大だそうだ。堂内にはゴシックになってはじめて可能になった尖頭アーチのステンドグラスがそれぞれ微妙に異なる光を落としていた。たとえば、ルネッサンスの頃のそれは、ガラスの中に金属を溶かし入れていたため、落ち着いた色合いが美しい。それが、18世紀になると、彩色硝子になったため光の透過率が落ちて暗く感じる。現在のものは化学的に色を着けているため鮮やかな色が出るのだという。そう言われてみてみると、どのステンドグラスがどの時代の物か、よく分かる。自分としてはルネッサンスの頃の物が最も美しく感じる。彩色硝子が多ければ、どうしても暗く感じる。ルネッサンスの頃の物は無彩色の硝子が結構多く使われている。絵と同じで、「抜け」が感じられるのがいいのだろう。

 屋根に登る

ドゥオモの屋根後陣の左側にあるエレベーターを使ってドゥオモの屋根の上に出られる。階段で上がるという手もあるのだが、今回はエレベーターで上ることにした。一人往復9000リラ、日本円では600円くらいか。ゴシック建築と言えば、飛梁(フライング・バットレス)だが、それを間近に見ることのできる機会は滅多にない。ここはぜひ見ておきたいところだ。

エレベーターを下りて少し歩くと、淡い薄桃色の大理石が敷かれた屋根の上を直接歩くことになる。尖塔の中にはまだ上に上れるように螺旋階段が設けられていた。どこまでも天を目指そうという上昇への希求が強く迫ってくる。林立する無数の尖塔が周囲を囲んでいるうちはさほどでもないが、身廊の屋根の上は手摺りもなく、吹きさらしである。晴れた日にはアルプスの山が見えるというが、風のある日は怖いだろうと思った。

 鳩

エレベーターを下り、もう一度ファサードの前に出た。ファサードの前はまだドゥオモの長い影の中にあった。イタリアから見ると聖地イェルサレムは東方に当たる。イエスを礼拝するときイェルサレムの方を向くように教会を建てるので、ファサードは午前中に日の当たることがない。ヴァチカンだけは例外で、法王がイェルサレムの方を向くので逆になっているという。

ドゥオモ前の広場には相変わらず鳩が餌を啄んでいた。先端恐怖症の妻は鳩が苦手である。嘴がこちらを向くのが怖いらしい。それで、この広場を警戒していたのだが、あれだけいるのにドゥオモの上には鳩が飛んでこない。敷石の上にも糞の跡もない。さては、と思ってよく見ると、やはりヴェネチアのドゥカーレ宮の時と同じであった。

教会の壁から出ている聖者達の頭部や腕など、鳩が羽を休めそうなところには細かな針金が埋め込んであるのだ。うっかり止まると針金にやられることを知っているので鳩は近づかない。大きい建築だから近くで見ても下からだと殆ど気がつかないが、陰険な仕掛けである。小鳥と話すことができた聖フランチェスコの教会には、こんな仕掛けのないことを祈りたいと思った。

 最後の晩餐

夕陽に染まるドゥオモコモ湖から帰って、歩行者天国になっているダンテ通りを歩き、再びドゥオモ広場に戻ってきた。午後の陽がファサードを照らしドゥオモは一段と荘厳さを増していた。

長かった旅も今日で終わりである。最後の買い物をしようと、ちょうどドゥオモの向かいにあるリナ・シェンテというデパートに入った。妻が、「もうこれでいいわ。」と買い物をすべて終えたころ、空はすっかり暗くなっていた。

スカラ広場とガレリアの間の通りを少し入ったところに聞いていたリストランテを見つけた。イタリア最後の夜は、あれだけ食べてもやはりパスタとピザが食べたいのが不思議だ。満足に下調べもせずに入るこちらも悪いのだが今ひとつ満足した味に出会ってないこともある。それで、今夜はあらかじめ聞いておいたのだった。

リストランテと書いてあるのにピッツェリアの看板が出てるのは、ピザ焼き用の石窯を持った店ですよという印なのだそうだ。メニューを見てピザカプリチョーサを注文した。パスタの方は、やはりトマトを味わいたいので、ポモドーロとバジリコのスパゲティを頼んだ。ワインはハウスワインの白をやっぱり1リットル。チコリとアンチョビをのせた薄焼きのピザはぱりっとした歯触りがとても美味しかった。トマトソースの方は、香辛料が利いていて、細身のパスタによく馴染んでこれももう少し量があってもいいな、と思ったほどだった。食後には妻はカプチーノを、自分はエスプレッソを頼んだ。

珈琲を置いた後、ウェイターはにこりともせずカウンターに戻って、デキャンタにサーバーからワインを注ぐコックを引いた。見ていなくていいのかと思ったが、悠然とテーブルを片づけだした。ワインはとっくにデキャンタから溢れだしている。こちらに来たので指さして教えると、あわてる素振りも見せず、コックを止めた。横を通り過ぎるとき、小声で「サンキュー」と、少し苦笑いしながら言った。こちらも「プレゴ(どういたしまして)」と言った。イタリアが少し近くなった。そんな気がした。
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