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第1話、第2話:Greyhawk氏より

<スノーキャット>
息が荒い。喉が張り裂けるようだ。
腰まである雪を掻き分けながら、泳ぐように進むのがやっとだった。
「ロイ!大丈夫か!」
呼び声は白銀の世界に空しく響く。バランスを取ろうと振りまわす手が雪煙を上げ、刺すような
痛みが頬を覆った。
ロイの足跡は、斜面を大またで駆け下りてきたような、広い間隔で木立ちの中に続いていた。
しかしその先は、目の前の一本の樺の木の風下にできた吹き溜まりの陰に隠れて、ここからは見ることが
できなかった。頭に血が上って、顔から湯気が上がっているのがわかる。本当に俺は悲鳴を聞いたのか?
思考が混乱し、自分でも訳が分からなかった。だがたしかに、あいつはそこにいる・・・
吹き溜まりの向こう側に向かう足跡はないのだから。
「ロイ!」
返事はない。やられたのか?そんな簡単に?まさか・・?
足が吊りそうだ。深い雪の中では、腿を上げるのに相当の筋力が要った。
目の前に盛り上がった吹き溜まりを越えるのに、ジョラは思わずつんのめった。思わず小さな叫び声を上げた。
雪の上にうつ伏せに転んで、ジョラは一瞬自分がどうなったかわからなくなった。顔に冷たい感覚が
広がり、息ができなくなる。そのとき、ジョラは急に自分の感覚が研ぎ澄まされるのを感じた。
恐ろしいほど乾いた空気が、耳の中に流れ込んでくるのがわかる。
こめかみがどくんどくんと音を立てている。だが、そのほかに音はなかった。
不気味なほどの静寂が、あたりを覆い尽くしていた。そう、まるで水の底にでもいるかのように・・・。
とたんに底知れぬ恐怖に襲われて、ジョラは飛び起きた。奴は、俺を見ている。
背筋に冷たい汗が走った。
そうだ。ロイはやられた。ここには俺しかいない。いや、奴もだ。奴と俺だけだ・・・。
不意に、斜め後ろで枝から雪が落ちた。ジョラは弾かれたように振り返ると、半ば裸になった
木立ちの中を見渡そうとした。
ドーッという音が尾を引いて谷間にこだまする。反射的に、ジョラは身を固くした。
そのとき不意に、ジョラは明らかな不利を悟って戦慄した。ここでは、俺は赤ん坊同然だ。全身から
血の気が引き、一瞬パニックに襲われて、ジョラはがむしゃらに吹き溜まりの向こうに飛び降りようとした。。
粉の中に落ちたようだ。ジョラは上下をつかもうと必死にもがいた。と、そのとき弦がはじける音がして、
右手に軽いショックを感じた。
発射された太矢は、一瞬の後にすぐ向こうの幹に突き立たった。
乾いた音が木立ちの中に反響し、雪原の隅々にまで染み渡っていった。
かじかんだ手が、ずっとクロスボウを握っていたのを思い出した。いつから握り締めていたのだろう?
ロイの悲鳴を聞いたときからだったろうか・・?
ジョラは雪がこびりついたクロスボウに目を落とすと、急に我に返った。
雪の中にロイが倒れている。長身の体が、まるで丸太を転がしたように動かなかった。
透明な目が青空を凝視していた。
虚しく首筋をつかんだ両手が、まるで喉の傷を覆い隠そうとしているかのようだった。
ロイの周りは真っ赤に染まり、ほとばしった血が雪を溶かして一条の線を描いていた。ロイの体は
半ば雪の中に沈みかけており、あたかも棺桶の中に横たわってるように見えた。
「ロイ・・・」
それ以上の声が出なかった。まるで彫像のように血の気の引いた友の顔に、目が釘付けになった。
ロイ、油断しやがって、なんて運の悪い奴なんだ・・・。
ロイの金色の髭が、まるで短い草のように風になぶられるのが見えた。そのとき、ジョラは突然理解した。
顔面から血の気が引き、蒼白になるのを感じた。ロイの運命は、そのまま自分の運命だ。
ここは奴の領分なのだ。俺はロイより運が良かった・・・でも、それはこいつよりちょっとだけ
長生きできるってだけじゃないのか?
突然、気配を感じた。脇腹に冷や水を浴びせられたように、ジョラの本能が彼の体をひねらせた。
振り上げた右手が弾かれ、クロスボウが宙を飛んだ。そのとき、大きな影が自分を飛び越したのがわかった。
ジョラは雪の中に横倒しになった。白い毛皮をまとった大きな山猫が、わずか数メートルのところに
着地するのが見えた。吸いつけられたように、猫から目を離すことができなかった。ジョラは右手で、
腰の後ろに下げた山刀の柄を探った。焦りからか、右手は虚しく雪を掻くばかりだ。
一瞬、ロイの死体を挟んで、山猫とジョラの目が合った。その時、右手が何か固いものを掴んだ。
山猫が低く唸り声を上げると、白い体が膨れ上がったような感じがした。背中に描かれた灰色の模様が
波打って見える。しかし、それも一瞬だった。次の瞬間、山猫の体が伸び上がった。
ジョラは、右手が掴んだものを振り上げ、狙いをつける間もなく引き金を引いた。
びゅんという音がした。ロイは、やられる前にクロスボウを撃っていなかったのだ。
一瞬の閃きとともに太矢は大気を切り裂き、山猫の腹を貫いた。
スノーキャットは金切り声を上げると、もんどりうって雪の上に落ちた。しかし、体を折り曲げながらも、
次の瞬間にはそいつは顔をジョラと向きあわせ、腹の底から搾り出すような唸り声を上げた。
眼の奥に、らんらんと燃えるような怒りが光っている。
ジョラはごくりと喉を鳴らした。汗でぬれた背中が冷たい。俺は奴から運命を取り返した。
もう、絶対に離さんぞ・・・。
役に立たなくなったクロスボウを足元に落とすと、ジョラはしっかりと山刀の柄を掴んだ。
冷えきった刃が、手の中で白く閃く。さあ、終わりにしよう。
真っ赤な滴が白い毛の隙間からこぼれだし、雪に吸いこまれるのが見えた。
・・・奇妙な一行だな。
クディラはそう思った。なるほど、森を行くのにこんな奇妙な一行はおるまい。
それはまるで、収穫祭の喜劇に出てくる愚者の兄弟のようだった。慣れない足場をよたよたと歩く
そのさまは、男達の太い腕や厚い胸を、むしろ面白おかしい操り人形ででもあるかのように見せていた。
しかも、その全員が小さな弓を持っているのだ!これで狩人のつもりなら、この役者たちはよっぽど
できが悪いに違いない。
思わずため息が漏れた。自分もそのうちの一人なのだ。やれやれ、これはとんでもないことに首を突っ込んで
しまったのかも知れないぞ・・・。ここまで来るのにどこをどう通ったのか、
きちんと覚えているものは一人もおるまい。
無理もなかった。この「にせ狩人」たちは、全員が近郊の農夫にすぎないのだ。
山を歩くことに関しては、アッテンビラやグレカンの都会者たちに比べれば一日の長のある彼らだが、
こうも深い森となると話は別だ。倒木や茂みに足を取られ、その下に隠れたもろい岩場はちょっと
油断をすれば足を挫きかねない。また、太陽を遮る高い梢から垂れ下がった蜘蛛の巣のような蔦は、
鎌が壊れるほどに切り払っても切り払っても、その努力をせせら笑うかのように男達を絡め取った。
一昨日の午前だ。村に一人の男がやってきた。左目に眼帯をした痩せぎすの男で、一見して近郊の者では
ないことがわかった。その深い灰色のローブも人目を引いた。このあたりでは見た事もないほど上質な
(クディラにはそう見えた)その布は、この男が裕福な身上であることを誰の目にも明らかにしていた。
若い鹿の角が必要なのだという。だが、特別な取り扱いが必要で、村の狩人が採ってきたものでなく、
切り取るところから自分が立ち会わねばならないのだそうだ。
妙な話だが、彼は宿の親父に人足の都合を頼んだ。本職の狩人ではなしに。
農閑期には、村の若者はだれでも人足の口を探していた。弓など撃ったこともないクディラだったが、
男はかまわないといった。結局、クディラを初め5人が森へ入ることとなった。
給金は一日、グレカン銀貨で3枚。破格だった。
彼は、自身をデアハンと呼んでいた。なじみのない響きだった。
男が休憩を命じた。その痩せた体とは裏腹に、デアハンは疲れたような素振りは一切見せなかった。
まったく、大したもんだ・・・。足場作りに参加していないとはいえ、この森の行軍を苦にも
していないというのは、尋常の体力ではない。
男達はあえいでいた。そんなに速いペースではないが、この調子で朝から晩まで連日の行軍となると
堪えずにはいられない。しかも、ひとつの気掛かりが男達の上にうっすらと影を落としていた。
・・・ここは、ひょっとすると、あの森なのではないか?
古くから知られた、影の森。ここを歩くものは、常に自分のものならぬ影を引き連れて歩くという。
好んでここを越える人はなく、遥かな昔に失われた街道の記憶が、わずかにこの暗い森の旅の様子を
伝えるのみである。いわく、森を乱さざれば、ここを通るに咎めるは無し。
これは太古の昔にこの森の住人と、人間達との間に交わされた盟約によるものであった。
しかし、その街道もいずこかに消えて久しい。
薄暗い森の天蓋の下、男たちの荒い息づかいだけが、この森のしじまを破っていた。
見も知らぬ沢や稜線を越えてこんなに遠くまで来たはいいが、先行きへの不安は隠しようもなかった。
影の森、影の森・・・。クディラは、自分たちの通ってきた道を振り返って背筋に冷たいものを感じた。
蔦のカーテンに空いた穴は、まぎれもなくこの森についた<傷>に違いなかった。
突然、仲間の一人が口を開いた。さっきまで先頭を務めていたベユールだ。
「おいおい、一体どうなってんだ、畜生。鹿を狩るといっておきながら、あてがあってうろつきまわってる
ようにも見えやしねえ。まったく、どういう了見なんだ?・・・知らないはずがあるまいよ、
このあたりの森ってのは俺達が歩くのを良しとしねえんだ。昔ッから言われてるだろ・・・
里には里の、森には森の掟があるってな。しかも、この森の掟はほかと違って特別あつらえと来ている」
彼は一行の指導者をねめつけた。納得の行く説明がないかぎり、ここから先に進むつもりは
ないというのだろう。同感だ・・・ほかの3人も固唾を飲んでデアハンの言葉を待っている。
デアハンは、その碧眼で笑ったように見えた。いや、気のせいか・・・?
ぎらりと光るその目が、その場の誰もの視線を釘づけにした。やがて、デアハンの唇が歪んだかと思うと、
なだめるような口調でつぶやいた。
「そういうな・・・そう長い旅にはならない。運が悪くとも、明日には村へむかって帰れるさ」
ベユールは顔を真っ赤にして吐き捨てた。
「それで俺達を丸め込めると思っているのか?馬鹿にするんじゃねえ・・」
彼がそこまで言うと、デアハンはにわかにベユールの腕を掴んだ。
ベユールが、冷や水を浴びせられたように痙攣するのが見えた。デアハンは口元をにやりと引きつらせ、
歯の間から絞り出すような声を出した。
「じゃ、ひとりで帰るんだな」
その場がしんとした。と、突然、ベユールが脱兎のごとく走り出した。
彼は、今しがた通ってきた森の闇へと飲みこまれていった。
・・・一体、何がどうしたってんだ?
誰も、なにも言わなかった。クディラは、ベユールを連れ戻さねばと思った。
恐らく、誰もがそう思っただろう。森の道は迷いやすい。来た道を逆行するときでさえ、
よっぽど注意をしなくては行く先を誤る。こんな森で方向を失ったら、ただで済むはずがあるまい。
わずかな沈黙の後、クディラが一番先に口を開こうとした。ところが、まるでそれを
見透かしていたかのようにデアハンが言った。
「いいのだ。彼も馬鹿ではない。無理はすまいよ・・・。
明日、帰るときにでもまた拾ってやればいいのだ。ただし、給金は2日分だけだがね」
誰かが、かすれるような笑い声をたてた。だが、デアハンがちょっとまわりをねめまわすと、すぐに途切れた。
納得がいかない。なぜベユールは突然逃げ出したりしたんだ?
それに、俺達は奴を放っておいて前進なんてできるわけがないだろう。
しかし、今やデアハンは悪寒がするほどの威圧感を持っていた。冷たい汗が背筋を伝い、
腸が縮むような痛みを感じた。逆らえない。逆らえなかった。なぜこの痩せぎすの男にそんなに
おびえるのか自分でもわからなかった。冷たい空気が、彼の体から吹き付けてくるような錯覚を覚えた。
「では、出発しようか、諸君。日暮れまでにもう少し進みたい」
男達は荷物を拾い上げ、また悪路との戦いに身を投じていった。
「ようし、止まれ」
デアハンが言った。日暮れまで一時間といったところか。
男達は全員、もう息が上がっていた。無理をすればまだ進めないこともないが、そこまでするには
及ばないというところだろう。みな思い思いに腰を下ろし、水袋の水を飲んだ。
「そこの2人、下の沢で水を汲んでこい」
沢があるのか?・・・ここでは水の音など聞こえなかった。いや、耳の奥でどくんどくんという脈の音が
響いているからかもしれない。指示された2人も、デアハンにどちらの方か尋ねてから、
脇の藪へと消えていった。
クディラは、大きくため息をついてから身を起こした。それじゃ、俺も焚き木でも探そうか・・・。
ぱんぱんに張った足はなかなか言うことを聞かなかったが、なんとか奮い立たせて立ち上がった。
思わず両手でさする。給金は確かにいいが、それに見合ってきつい仕事だ。
ふと、口をついて質問が出た。
「デアハンさん。その、なんです、あなたの探している鹿を見つけるのに、なにか名案でもあるんですか?」
デアハンは、クディラの方を振り返ると口を開こうとした。
一瞬、その目の感じにクディラは違和感を覚えた。違う。これがさっきまでのデアハンか?
だが、その疑問も一瞬だった。突然、木々の間を縫ってきた一本の矢が、この場の全ての安定を覆した。
矢は、見たこともないような緑色の美しい羽根をつけた、見事なものだった。
そしてその矢は、デアハンの胸に突き刺さった・・・いや、違う!
デアハンだと思っていたその男は、矢が音を立てて彼の胸に突き立ったとき、
一瞬の間を置いて地面に倒れた。だが、その姿はもはや灰色ローブの痩せた男ではなく、
さっきまでクディラとともに森の合間に腰を下ろしていたサットンだった。
デアハンにも何かが起こったようだった。クディラは、サットンが地面に崩おれるとき、
視界の端でもう一人の灰色ローブの男を捉えていた。彼は微動だにせず、ただローブの袖が
一瞬だけ大きくはためくと、なにか子猫くらいの大きさのものが森の中へ飛び去るのが見えた。
しばらく動けなかった。一体、何が起きたのだ?
ふと我に帰ると、クディラはおずおずと屈み込み、サットンを介抱しようと試みた。が、それは無駄だった。
恐ろしいほど鋭く森の静寂を切り裂いた矢は、鮮やかにサットンの心臓を貫いていた。
クディラは矢を抜いてやろうかと思ったが、触れるのがためらわれた。
サットンが痛がるだろうと思えたのだ。いや、そんなはずは・・・。
狙撃手がまだどこかにいる。あきらめてサットンの体を地面に横たえると、クディラも身を低くして
次の攻撃に備えた。だが、どうだろう?デアハンは、あいも変わらず背筋を伸ばして森の合間に
突っ立っていた。あまりのことに動けないのか?だとしたら、これ以上にいい的があるはずがない。
クディラは、警告を発しようとデアハンの足を掴もうとした。
早く屈まねば、次の矢はあんたを見逃してくれはしないぞ・・・・。
氷のようだった。デアハンの足を掴もうとしたその手が、刺すような痛みに襲われた。
それだけではない。まるで掌から汗を吸い取られたかのようだ。皮膚が堅くなり、
指の関節が軋むような感じを受けた。
デアハンは、クディラを見下ろしながらにやりと笑った。
「若者よ。気安く触るものではない・・・それはおまえ自身を傷つけるだろう。
だが、その心遣いに感謝するよ、私を救ってくれようとしたのだからね・・・。
まあ、無駄なことだったのだがな」
彼はそういうと、脇の藪の中へとすたすたと入っていった。あとには、一人クディラだけが残された。
痛い。まるで腕が枯れてしまったようだ。どうしていいかわからず、クディラは彼の右手を
抱え込むようにしてうずくまった。汗が髪の合間から沸き出てきて、鼻を伝って滴り落ちるのがわかる。
しばらくすると、藪の中から搾り出すような悲鳴が聞こえてきた。デアハンの声ではない。
それはまるで、断末魔の小鳥が、その美しい声音を使い間違ったような泣き声を上げて
死んでゆくのに似ていた。声は数秒の間続き、クディラは身を固くして打ち震える他になかった。
まもなく、デアハンが戻ってきた。ローブの肩にやけに大きな真っ黒い爬虫類を乗せていた。
折りたたんだ羽根がある。まるで、そう、それはまるで、あの伝説に聞く竜のような姿をしていた。
クディラが小竜を見ると、それは一瞬だけ軽蔑したように目を細めると、するりとデアハンの袖の中に
姿を消した。
デアハンは、にやりと笑うと口を開いた。
「狩りは終わった。給金を払わねばな」
「終わった?鹿が・・・?さっきの矢は?」
ローブの男は、ふんと息をつくと、懐から銀貨を6枚出し、クディラの前に放り投げた。
「給金だ。残念ながら、私はもうおまえを必要としない。2日分だ」
「待ってくれ・・・何がなんだかわからない。さっきの矢は?みんなは?」
「おまえの仲間か?あとで探しに行くがいい。だが、向こうからおまえを探しに来ることはあるまいよ。
矢か・・・そうさな、この辺りの鹿は矢を射るのだよ。ちょうど、狩人が鹿に矢を射かけるのと逆だ」
「一体、何を言っているんだ?」
「彼らは、森の中での優位を信じている。大体においてそれは真実なのだがね。
しかし、それが彼らの油断を生む。
彼らは、一人で獲物を狩りたてることができると思ってしまうのさ。愚かなことだ」
そういうと、デアハンは、見事に編み込まれた蔦のベルトに括られた、1本の長剣をクディラの前に置いた。
「これは餞別だ。町で売れば一財産になるだろう。
道中の安全にも一役買ってくれるはずだ。とっておきたまえ」
そこまで言うと、デアハンは左の手で奇妙な印を切り、ぼそりと一言つぶやくと姿を消した。
クディラは、しばしの間地面に手をついて体を支えていたが、どうしても震えが止まらなかった。
頭が混乱している。
サットンが死んだ。
案内役はいなくなった。悲鳴が。矢。仲間。いや、どれが先だ?
日が暮れてゆく。赤い光が梢の上に広がり、木々の根元は先ほどにも増して暗くなった。
沢へ行った連中も戻ってこない。クディラはふらふらと立ちあがると、脇の藪をまたいで坂を降りた。
沢へ行った二人は、ともに水際で事切れていた。サットンと同じ、緑の羽根のついた見事な矢が
心臓を一撃で射ぬいていた。これは・・・・これは、デアハンは知っていたのか?こうなることが?
もうひとつの疑問・・・射手だ。この正体を確かめねば、ここから逃げ出すことができない。
クディラは、いったんサットンの死体の脇まで戻ると、さっき悲鳴の聞こえた藪の奥へと分け入った。
そして、吐いた。
若い男が死んでいた。見た事もない繊維の美しい服をまとい、均整の取れた長弓が脇に落ちていた。
射手だ。金色の髪、透き通るような肌の色。だが、その細い首筋には何かの牙のあとが残されていた。
そして・・・その小ぶりな面上は、どす黒い血に覆われていた。眼球が、なかった。
クディラは、走った。蔦が足に絡み付き、どこへ向うとも知れなかった。坂を落ちた。石を蹴った。
だが、あの恐ろしい場所から一刻も早く離れたかった。たとえ、それが死の淵への近道だとしても。
森を乱さざれば、ここを通るに咎めるは無し。
全ての影が、クディラを飲みこもうとしているかのように思えた。