高向公民館
高向公民館の「神の間」にて立ち会い
扉を開けて(午前6時30分)
御頭 上さん(左) 鏑さん(右)
出発前の行列
<御棚(みたな)・御棚屋ともいう>
おひねり持・御棚
楽吊り・楽吊補佐
共盛団もさあ集合!
鉾持を先頭に出発です(午前6時45分)
今から970年前の長暦二年(1038年)、8月11日、高向住人の本滝定行という人が、高向東北の鯛祭田(たいまつりだ)のほとりにあった大きな柳の木が3年前から枯れていたのを切って、二頭の御頭を作り大社と加布良社に献進たものであるようです。御頭の開眼供養では、氏寺正法寺に高位の僧をたくさん招いて大般若経を読誦したと伝えられています。
その後、この高向に宇須野社の社頭に神木の大きなスギの木がありましたが、そのスギの木から出るヤニがたまって、雪の固まりのようになり朝日があたってとてもすがすがしい香をあたりに漂わせました。幾日か経って、そのヤニの中から一人の男の子が化生しました。正法寺の住職であった円覚和尚がその子を育て、神木のスギの精から生まれたと言うことで、木椙という名が付けられました。
木椙が12、13歳になった頃(養和年中1181年)、全国的な天候凶変や悪疫が蔓延する養和の大疫が流行し、この地方でも死ぬ人がたくさん出て後がたちませんでした。この時、神さまが木椙にのりうつりました。木椙は神さまのお告げの通りに、氏寺の神庫から御頭を出し、長老・神役人・村役人らを従えて村中をお祓いの舞をして踊り回った。そうすると、悪疫が退散し激しかった流行病もぴたりと止まりました。これが獅子舞の始まりであり、高向獅子神楽の人長を、杉太夫といわれるゆえんであります。