畑 日 記

  「カエル」                              2000/7/10


畑に一歩、足を踏み入れる。ばらばらと何かが逃げまどう。コガエルだ。カエルの子はオタマジャクシであるから、コガエルというのはおかしいのだが、とても一人前の大人には見えない。「大人って汚い」という格言が示すように、大人のイメージとは、ガマとかヒキガエルに見受けられるふてぶてしさ、鈍重さ、厚かましさだろう。


お向かいの四才になるアキラが、いつもカエルを追っかけている。そのアキラ自身がコガエルにそっくりなのだ。みてくれではない。無垢で自然体でいつも裸足のところが似ているのだ。
「公園に行ってくるの、けろんっ」「自転車乗れるよ、けろりんっ」「おっちゃん、なにしとんの、けろけろっ」むしろ、コガエルのほうが落ち着いているぐらいだ。「アキラ、あんた裸足やないか」というと「いひ」と「えへ」の中間で笑う。といっても「うふ」ではない。「いぇひぇ」から粘りを取ったような、「い」の口で「えへ」と・・・


話を戻そう。最初に「逃げまどう」と書いたが、実はやつらはいつも一歩、というか一ぴょんしか逃げない。大勢が一斉にあちこちに散らばるので、逃げまどい感にとらわれるのだ。歩を進めるごとにばらばらっ。いたるところでばらばらっ。キャベツの出来具合を見に行っても、キュウリの収穫のときにも、やつらはそこにいて、ばらばらっと一ぴょんだけ逃げる。「一ぴょんだけ」というのが、人間社会でいう「そっぽをむく」に近い気がして嫌なのだ。木酢液の散布で畑を一周したときなど、悲しい気持ちになってしまう。畑に生息する数多い生物の中でも、カエルは野菜に危害を加えない数少ない穏健派だ。それどころか、畑のテロリストと呼ばれる虫どもを退治してくれる。憎かろう筈がない。この気持ちを知ってか知らずか、やつらは私に背を向ける。だから、草取りをしていて、サトイモのハッパからピョンと頭に飛び移られた時など、嬉しくて仕方ない。「こらこら」とたしなめながらも、涙を見られないように、汗と一緒にぬぐうのだ。


サトイモで思い出したことがある。蓮のイメージが強いのか、カエルには大きなハッパがよく似合う。うちでならゴボウかサトイモだが、圧倒的にサトイモの勝ちだ。緑色の水玉のように、ちょこんといるのがいい。そうしていて欲しい。もうひとつ、雨の日に傘の代わりにサトイモの葉をかざしたアキラが見てみたい。頭の上にはコガエルが一匹。コロボックルみたいで可愛いと思うが、お向かいの奥さんは怒るだろうなぁ。




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