畑 日 記

「冷や水」                                   2002/3/9

運動不足解消のため、市営のトレーニングジムに通うことにした。ムキムキになりたい人、やせたい人、ただしゃべりに来る人、いろんな思惑の老若男女でなかなか盛況だ。少し慣れてくると案外楽しく、一日おきのペースで通っていた。

ある連休、あまり間があくと次が辛いと思い、朝から行ってみた。そこは、いつものジムとは違っていた。聞こえる音が違う。ぱっと見の色合いが違う。なんとなく匂いまで違うような気がする。老男女で盛況なのだ。『ニャク』はどこへ行ったのだ。これではまるでリハビリセンターではないか。

とはいえ、せっかくきたのだ。むしろトレーニングマシンはすいている。とりあえず、老人があちらこちらに転がるマットに隙間を見つけ、トレーニング前のストレッチをはじめた。

老人たちの会話がいやでも耳に入ってくる。インテリ風の『モノシリ』が一席ぶっていた。

「トマトはな、アンデスの原産でな、雨の少ないとこの物やから水をあんまりやったらいかんのやで」

「ありゃ〜、ワシ、いっぱい水やっとったわ〜」いかにも調子乗りといった感じの『ヒョウキン』が頭をかいた。どうやら、みんなトマトを作っているらしい。

「ワシ、苗を植え付けるときから、たっぷり水やってしもたわ」

「ははは、そりゃ、もうあかんわ」口をあいたまま話を聞いていた紅一点『アングリ』が笑った。

『植え付けのときは、水をやったほうがいいんじゃないか』と私は畝作り用の筋を伸ばしながら心の中で思ったが、口には出さなかった。

さて、ストレッチが終わった私は、穴掘り筋を鍛えるためにトレーニングマシンのコーナーに移動した。そこでマシンをガチャコンガチャコンやっているのは、いかにも気難しそうな『タテジワ』だ。フルパワーで汗を飛び散らせている。

そこへヒョウキンがやってきてタテジワに話し掛けた。

「あのな、トマトはあんまり水やらへんほうがいいらしいで」聞いたばかりの知識をひけらかしに来たのか。タテジワの目が光った。

「いや、そんなことないで。ワシ毎日水やっとるけど元気に育っとるで」

「え、そう・・・でも、モノシリがそう言うとったで」

タテジワはのっしのっしとモノシリのいるマットに近づいていった。

「ワシは毎日水やっとるけど、よう育っとるよ」

「ほう、ワシは水やらん方がええって聞いたんやけどな」

「そんなことない、そんなことない」

『そんなに水やったら、身が割れてしまうぞ』と、コーウンキあやつり筋を鍛えながら心の中で叫んだが、言葉はそのまま飲み込んだ。

「そしたら、土が違うんかも知れんな」

モノシリが目もあわせずに言った。気まずい雰囲気があたりを支配し、皆が居心地の悪さを感じていた。

突然、アングリがケラケラ笑い出した。

「そやけど一回ぐらいは、自分で作ったトマトを食べてみたいもんやな」

「ホンマやな〜」

「そやそや、わっはっは〜」

途端に一転なごやかムード。講釈をたれていたモノシリも、調子がいいと息巻いていたタテジワも、収穫したことはないのだ。私は心の中で『ええ加減にしなさい!』と絶叫した。


アレから8ヶ月、待ちかねた春がやってきた。休日の朝は、あいかわらずお年寄りの天国だ。はずむ会話の端々に、菜園の話題が混ざっている。のどかで平和なひとときだ。ただ、少し気になることがある。最近ヒョウキンとアングリの姿を見ないのだ。自作のトマトは食べることが出来たのだろうか。

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