畑 日 記

           「いの一番」                                   2001/2/21

物には順序というものがある。ほとんどの人が数字を一から数えるように、言葉も単純から複雑へと変遷を遂げた。古代日本人に言葉が生まれ、その美しい植物に「ハナ」と名付けた。これが「フィラデルフィアオオサンショウウオモドキノコシカケ」でなかった理由は説明するまでもないだろう。物には順序があるのだ。

一番に名付けられたものは一音節であったと思われる。しかもそれは生活に密着し、人間にとって重要なものであったはずだ。目、歯、手、血、毛、身など人体に関する一音節の名称が多いのもうなづける。火、矢、湯、帆、輪からは、道具を使った狩や調理が行われていたのがわかる。言葉による意思の疎通があれば「数」の概念が生まれる。その証拠に数字は「ヒフミヨイムナヤコト」と一音節で表せる。もはや文明は飛躍的に進歩したのだ。

やがて文明からは文化が生まれる。古代文化といえば、壁画と音楽だろう。壁画は「絵」だし、音楽の「ドレミ」は一音節で表される。絵と音楽が完成すれば、次に登場するのは「日本昔ばなし」に決まっている。十二支の中で一音節なのは子、卯、巳、亥の四種だけ。ネズミ、ウサギ、ヘビ、イノシシ。昔ばなしのレギュラーたちだ。ヒツジの登場する昔ばなしなんか聞いたことない。

こう考えてみると、野菜が日本人にとっていかに密接な関係にあるかが知れよう。種を蒔けば「芽」が出る。あるものは「木」になり「実」をつける。ダイコンやカブは「根」と「葉」で構成されており味噌汁の「具」になるし、ほっておくと「ス」がはいる。成長具合は「気」になり収穫が「微」や「無」だと「苦」になる。野菜は「蛾」の「子」に食われ、人は「蚊」にくわれ「背」は曲がり「痔」が出て「鵜」に笑われる。

二次的な意味で野菜関連の一音節の言葉もいくつかある。「井」井戸のことである。「土」土のことである。「場」場所のことである。「田」田んぼのことである。これらのことを話し合うのが「イドバタ会議」で「おあしす運動」の仲間だ。そしてこんなことばかり言ってると「ズ」にのるなと怒られる。

さて、長々と一音節名称重要説を述べてきたが、ここまでは序章に過ぎない。私はこの説を踏み台に、とてつもない結論に達したのだ。日本の屋台骨をゆるがす衝撃の新事実。それは「日本の首都は三重県の“津”なのだ!」

私はこの新説を学会に発表する前に妻に披露した。反応はたった一言。
「ケッ」

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