畑 日 記

               「エビ」                               2000/10/9

ちょいと愉快な思いでもしようと居酒屋へ足が向いたりするのだが、場合によっては愉快でなくなることがある。酔っ払いにからまれたり、ぼったくられたりされる訳ではなく、百姓の血がそうさせるのだ。

いくつかの注文の中で気になったのが「てんぷら盛り合わせ」だ。中央には立派なエビが王者のごとく赤らんだしっぽを天に振り上げ、その周囲に野菜天たちが「へへぇ〜」と平伏している。まさに、主従の関係が成り立っているのだ。農耕民族として、このような「魚尊菜卑」の意識が一般にまかり通っている現状は打破しなくてはいけない。

例えば「小エビと貝柱のかき揚げ」を注文する。だが、実際に運ばれてくるのは「小エビと貝柱とタマネギとニンジンとシイタケとミツバのかき揚げのダイコンおろしとおろしショウガ添え」だったりする。「その他」とさえ言わない。完全にないがしろだ。

だいたい、野菜たちの鮮やかな素肌も透けるシースルーの薄衣に対して、エビのあの厚着はどうだ。ビラ星人にコロモをつけてワイアール星人にする必要がどこにあるのだ。一部の人にしか理解できないことを言ってごめんなさい。でも、なぜなんだ。

油を吸ってとろけるように口中に広がるナス。鮮やかな緑でチリッと苦みのさすピーマン。ほっこりして自然な甘みのカボチャとサツマイモ。歯に逆らい鼻から香りの抜けるシイタケ。穴に詰まったコロモがうれしいレンコン。熱々の中身が飛び出すシロネギのイカダ。こんなに素敵な連中が、なぜメインになれないのか。

これは戦いのステージに原因があると思われる。魚介類が幅を利かせている居酒屋では、野菜たちは同じ土俵に上がることすらできない。酒のあるところでは、ふろふき大根であれ、焼きナスであれ、もろきゅうであれ、全て「サケノサカナ」と呼ばれるのだ。これでは裏で魚介類と店側が癒着していると勘繰られても仕方あるまい。

逆を考えてみよう。もし八百屋でトマトとゴボウの間にエビが並んでいたら、はたして人はそれを買うだろうか。もし畑でダイコンの隣にエビが生えていたら、我々はそれを収穫するだろうか。釣り餌ぐらいのエビの苗が売っていたら、それを定植するだろうか。

あえて問う。エビよ、おまえは本当にうまいのか。味だけでとりたて新鮮みずみず野菜にかなうと思っているのか。おまえは所詮プランクトンの成れの果てではないのか。

といった理由でエビ天はいつも私が食べてあげているのだよ。な、妻よ。やはりてんぷら盛り合わせにエビ天は二本は欲しい。

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