畑 日 記

               「アサツキ」                            2000/9/20

衝動買いは、私の代表的な習性のひとつだ。おかげで書斎は乱雑を極めている。民族楽器、皿立て、鎖付きふんどう、燭台、釣り竿立て、ポリタンク、まきストーブ、中華鍋、ポンチョ。そして何なのかさえ判然としない物たち。なぜこんなものがこの部屋にあるのか、こんなもののある部屋がはたして書斎なのか、われながら首をかしげたくなる。

農業専門店へ出かけると、その習性がムクムクと頭をもたげてくる。シロートの私には使用の目的も方法もわからない物が大半だが、妙に興味をそそられる。しかし、農機具、道具類を衝動買いすることはほとんどない。それらの値段が高いのが第一の理由だ。私の衝動買いはヤスモノに限られるのだ。第二に、万が一その商品がとても専門的な品だった場合「○○○はどうしますか」などと質問されても答えられないからだ。第三に、書斎にふさわしくないからだ。第四に、怒られるからだ。第五に必要ないからだ。そういった諸々の理由で、私の習性は主に種や苗に向けられる。畑にスペースさえあれば、新たな挑戦も悪いことではないはずだ。去年、私はアサツキの球根を一袋買った。

テレビの料理番組を見ていると、おいしそうな料理が出来上がる。「これにネギをほりこんで食ったらうまいぞー」と妻に言うと、変に気取った料理人が「最後にアサツキを散らして、さあ召し上がれ」とほくそ笑む。まるで「茶の間のあんた。いま、ネギって思ったでしょ。くすっ」と言わんばかりの笑みだ。ネギとアサツキの違いは「ほりこんで食う」と「散らして召し上がる]の違いなのだ。うちも上品に散らして召し上がりたい。

アサツキの球根は二個を一セットにして植える。袋には三十個ほど入っていたので十五株できた。じきに生えてくるが、そのまま枯れるにまかせ、冬を越して春に再び生えたものを収穫する。もう一度、収穫せずに枯らせると球根がとれるのだ。

上品になりきれない我が家では、ネギと同じように必要な分だけちぎって使っていたのだが、一株も使いきらないうちに全部枯れてしまった。「やっぱり無駄遣いだったな」と思いながら、掘り起こしてみてびっくり。二個だった球根が二十も三十も王冠のように連なっている。そう、ニンニクと同じなのだ。私は、ろくに食べもせず、ただアサツキを繁殖させてしまったのだ。

秋風の吹き始めた現在、裏の軒下でタマネギやニンニクと肩を並べている、およそ三百のアサツキの球根が、植えろー植えろーとざわめいている。来年こそ、もっと上品にならないと、うちの畑はアサツキ畑になってしまうに違いない。

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