畑 日 記

               「台風」                            2000/9/11

台風の季節がやってきた。百姓にとって最大最強最悪の敵だ。ひとたび奴が訪れれば、種は流され、苗は水に浸かり、葉はちぎれ、枝は折れ、花は散り、実は落ち、畝は崩れ、ネットは飛ばされ、ポールは曲がり、バケツは行方不明になる。そして奴は畑だけでなく、人の心に深い傷あとを残すのだ。忘れもしない、二年前のあの日・・・。

接近する台風の影響による暴風雨は激しさを増し、四時頃に社員全員の帰宅が指示された。家に着いた私は、ずぶぬれになりながら、鉢植えを玄関に入れ、飛ばされそうな物を片付けた。あとはベランダだけだ。ガラス戸越しに見える景色は正に嵐。タイミングを見計らって戸を開け、すごい勢いでしけこんでくる雨風を遮るようにすばやく外に出てシャッターを閉めた。狭いベランダのことでたいして手間はかからない。畑を見下ろすと風でもみくちゃだ。後始末が大変だろうな。さて、シャワーを浴びて台風情報でも見るとしよう。

シャッターが閉っている。ハイハイ、確かに閉めました。それはどういう意味かな。認めることを拒否する脳が徐々に整頓され、理解が進むにつれて血が引いてゆく。我が家のシャッターは下まで閉めるとバネ式のロックがかかるようになっている。非情にもそうなっているのだ。私はこの台風のさなか、ベランダに締め出されてしまった。

Tシャツでは痛いぐらいの雨のつぶて。電線が風を切り唸りをあげる。隣近所の家々は雨戸を堅く閉めて「見ざる聞かざる」を決めこんでいる。ベランダ横の雨樋で降りられないかと手摺越しに確認。だめだ。私は高所が恐怖なのだ。なんだか寒くなってきた。

田んぼの向こうの倉庫に人がいる。声をからして叫ぶが届かない。突然、近くのビニールハウスが吹き飛ばされた。おろおろ。誰かいないかとあたりをうかがっては身を隠す。それを何度繰り返したことか。せめて合羽を着ていれば、せめて携帯を持っていれば。

はっ、人だ!三軒ほど離れた家の人がプランターを片付けている。私は叫び、口笛を鳴らし、跳び上がって手を振った。こっちに気付いた。「ハイレナイ、デンワ、オネガイ」私は身振り手振りで必死に伝えた。うなずいている。全身を使って妻の会社の電話番号を空中に裏返しに書く。その人はオーケーサインを示して家に入っていった。

果たしてちゃんと伝わったのだろうか。伝わったなら約十分で到着できるはずだ。祈りながらの長い十分間。来た!手を振る私。家に駆け込む妻。そしてシャッターは開いた。バスタオルを受け取る。話したいことは山のようにあったが、妻は「あほ」とだけ言い残して会社に戻っていった。


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