□■□ 迷子のシンデレラ 3 □■□




にっこり微笑まれてイルカは舞い上がった。
(だっ、抱きしめたいいぃぃっ!)
「カカシさん、この子ちょっと抱いてて貰えませんか?」
腕の中の子供をカカシに向けて差し出す。カカシは一瞬目を瞠ってから鼻の下を伸ばして子供を受取った。
(うわ、可愛い…っ!柔らかい!良い匂いがする…)
何だか腫れ物に触るようにおっかない手つきだ。菫のとこはこんなじゃなかったのに。やっぱり自分に似ている菫とイルカに似ているこの子供では、扱いに差が出るものだろうか?差というより意識の問題か?自分そっくりとなれば、能力すらも受け継いでいる気になる。だから多少ぞんざいに扱っても平気だろうと、勝手に思い込んでいたのだ。
(やっぱりイルカ先生には優しくしないとね〜。壊れちゃったら大変だし)
イルカと手一人前の忍びだから、そのカカシの心の声を聞いたらきっと頭から湯気を出して怒り狂うだろう。
しかし幸いな事にその声は表に現れる事もなく、イルカはカカシそっくりの子供に夢中だった。
「ええと、菫」
「あい?」
「ちょっとその…抱き上げていいかな?」
「………」
コトリと首を傾けてイルカの言葉を考えている様子は、小動物のようで更に愛らしい。
(ううう、ストライクゾーンばっちり!)
「あい」
菫はパッとその紅葉のような小さな手をイルカに伸ばした。イルカはそうっと子供を抱き上げると、そのピンクの頬に小さくキスを落とす。くすぐったくて菫が笑い声を上げると今度は頬摺りをするのだった。
(しっ、しあわせ〜〜〜っ!)

お互い、じっくり子供を堪能した後、徐ろにカカシが子供の名前を問うた。
「イルカ先生、この子名前はあるんですか?」
「あ、いえ…。もうそれどころじゃなくて、つけてません。カカシさんはこの子に菫って付けたんですよね。俺も何か付けてあげた方が良いですよね」
「ん〜。ま、イルカ先生がつけたいと思えば…」
カカシが言い淀む。子供達も聞いているのだから不用意な言葉を使いたくはない。
何処から来たのかが分からなければ、やがていなくなる可能性もあるだろう。もし万が一、敵の策略だったとしたらきっとイルカは傷つくだろう。それがわかっているだけにカカシは応とも否とも言えない。
「名前、ないの?」
ポツリと菫が呟いた。
「え?」
「この子、名前ないの?だったら菫がつける!名前をよばれるとうれしいの。菫はうれしいです」
はっとした。カカシとイルカだけではない。その場にいた火影もコテツもイズモも。
例え敵の用意した子供だったとしても、こんな純粋な子供に罪はない。可愛がるのはこっちの自由だ。
イルカはぎゅっと菫を抱きしめた。
「そうだね。菫、付けてくれるかい?」
「あい!いっぱい考えます。いい名前つけるの」
「良い子だね、菫。大好きだよ」
カカシの手が菫の銀色の髪をくしゃくしゃと撫でる。菫が笑う。カカシの腕の中の黒い子供が、それを羨ましそうに眺めていた。
「…ぅ、ぁう…」
カカシに抱かれていた子供が菫に向かって手を伸ばす。こっちの子供はまだ言葉を話せないのだ。
「ああ、そう言えば菫も最初は喋らなかったけど。でも教えたらすぐに喋るようになったから、この子もそうなんじゃないかな?」
「え?そうなんですか!だったら教えたら喋ってくれるんだ」
そこでカカシはふと菫に思った事を聞いてみる事にした。
「菫、お前何処から来たのか覚えてるか?」
「どこから?菫は最初からカカシといました」
「ん〜、そうじゃなくて。ええと、俺のとこに来る前のことだ〜よ」
「カカシのところに来る前…。えと、なんか水の中で目を開けたみたいな感じでよく覚えてないです」
どんなたとえだ。
「でも、なんか良い匂いがしてました」
「匂い?へえ…?」
良い匂いと言ったところでヒントになるはずもない。
「いいじゃないですか。何か分かるまでこのままでも。俺はもうこの子達と一緒がいいです!火影様、どうかお願いします!この子達を俺たちに預けてくれませんか?」
これ程愛おしい存在をどうして手放せようか。
「しかしのう、イルカ。何かあってからでは遅いんじゃぞ」
「大丈夫ですよ、火影様。俺もいますから」
「う…、む…」
火影とて可愛らしい子供達を手元に置いておきたい気持ちは分かる。しかし上層部が何というか。
「黙ってりゃわかりませんって」
「一緒に暮らすとなると、黙ってたってバレるじゃろうが」
「じゃあいっそ、どこぞで生ませたって事にしちゃどうですか?」
「「できるかーーーっ!!!」」
綺麗にコテツとイズモがハモった。
「まあ、しばらくは誤魔化せるじゃろうから、それまでに何とかこの子らの身元を明らかにせい。そうしたら後はお主らの好きにすればいい」
火影にしても今はこれが精一杯の譲歩だった。里長には里に住む人々全員に対する責任があるのだ。
「はい!承知しました、火影様!ありがとうございます!!」

そうして二人はそれぞれお互いの子供を連れて家路に着いた。向かう先は隠れ家ではなく本来住んでいる家の方だ。

「じゃあ今日からここが俺たちの家だ〜よ。イルカ先生とこの子も一緒だからね」
「あい!四人でなかよしですね!」
ぷっとカカシが吹き出す。たまに菫の言葉使いはおかしな方向を向く。
だけど仲良しには違いないなとカカシは思う。
「そうそう、お前は本当に可愛いねえ」
「うふふ。カカシもかっこいいですー」
「そ?んん、でも俺とお前ってばそっくりだから、結局お前がかっこいいってことになるわけ?」
腰を落ち着けたカカシの膝の上に菫がのそりと移動する。そこを自分の定位置に決めたようだ。
「菫、カカシに似てるですか?」
「何言ってんの、そっくりだ〜よ。そんでこの子、菫が名前を付けるって言ったこっちの子は、ほら、イルカ先生にそっくりでショ?」
イルカを引き寄せながらカカシが言う。腕に抱かれた子供とイルカを交互に見た菫はこくりと一つ肯いた。
「おんなじです。すごいっ!」
「ね?」
「それじゃこの子の事は菫に頼んでいいかな?俺はご飯を作るから」
「わかりました、イルカせんせ。菫、この子と一緒に遊んでます!」
子供達は仲良く与えられた一室で遊び始めた。お目付役に呼び出されたパックンも、今回ばかりは文句も言わずに大人しく従うのだった。

「それにしても、本当に何処から来たのか…。敵対する何処かの里の仕業なんでしょうか?」
「もしそうだったとしても、色々解せませんよね。俺は分かるけどアンタそっくりの子供を作ってどんなメリットがあるって言うんです?」
火影がイルカを可愛がって居る事は木の葉では周知の事実だが、外から見れば単なるお気に入りの部下の一人に過ぎない。カカシのような木の葉にとって大事な特殊能力を持っているわけでもない。よしんばカカシとイルカの仲を知って、二人にそっくりの子供を作ったとしても、だからどうだというのだろう?驚いたその隙を衝く事は可能かも知れないが、それは二人が一緒にいるところで子供達がやってきたその瞬間を狙わなければ意味がない。
考えれば考えるほど目的が不明なのだ。
「なんだか、まるで俺たちがこんな風に悩むのを面白がってるみたいですよねー」
「面白がって…?」
「カカシさん、どうかしましたか?」
「………そういや、でも…」
「カカシさん?」
カカシは脱いだベストに手を掛けるとイルカに声を掛けた。
「すみません、イルカ先生!俺ちょっと火影様に用事が…!詳しい事は帰ってきたら話しますから子供達を宜しく!」

ノックもそこそこに執務室に飛び込んだ。
その場に残って残務整理をしていたイズモやコテツは、戻ってきたカカシを驚いた顔で出迎えた。
「どうしたんじゃ、カカシ?」
「その、火影様。こういう、何て言うんですかね。生命についてよく知る人が木の葉にも一人居ましたよね?」
「うん?何の事じゃ?」
「ですからね。人や生命についてよく知ってる人。研究者。転じて医療忍術のエキスパートといえば…」
しわの深い顔がはっと顔色を変える。
木の葉における医療忍術の第一人者。それはとりもなおさず三代目火影の直弟子だった女性の事だ。
「まさかお主、今回の騒動に綱手が関わっておると…?」
「少なくとも敵対する奴らにはイルカ先生そっくりの子供を作るメリットはありません。それにあの子たちは普通の子供にしては驚くほど成長が早い。僅か数時間で言葉を覚えたのが良い例です。ただの子供ではないと見るべきでしょう」
「つまり、綱手が何かしら手を加えていると…?」
「もしかしたらあの子供の誕生にも関わっていると思われます。あの人だったら俺とイルカ先生の事も知ってるし、遺伝情報も持ってる。火影様、俺すっごく嫌な予感するんですけど、あの人に連絡とる事って出来ますかね?」
綱手はしょっちゅう居場所を変えている。
連絡を取るのも並大抵の苦労じゃないのだ。何しろ鳥すら寄せ付けないのだから。
「わかった、取ってみよう」
だからこそ三代目を頼ったのだ。直弟子について火影は様々な手を駆使してその動向を掴んでいる。
綱手同様里を離れている自来也も、それから袂を分かった大蛇丸に対してもだ。
尤も自来也は里を離れていても綱手のように出て行ったわけではない分連絡も取りやすいらしい。
大蛇丸に関しては情報の一部を直属として、それだけに勤めている部隊を使役していると聞いた事がある。
どっちにしても、三忍は木の葉の取ってあらゆる意味で厄介だった。

すぐに連絡が取れるわけではない、と釘を刺されたがカカシはその場で待つ事にした。
もしかしたら全ては綱手が知っているかも知れない。
そう思うと全てがはっきりして安心するまで落ち着かなくなったのだ。
(もしこのまま帰っても、きっと上の空になっちゃいそうなんだもん)
それにしても、とカカシは思う。
一体なんだって綱手はこんな真似をしたのだろう?
綱手の仕業だったと仮定して、だが。
もし単なる興味本位だとか面白いからとかそんな理由だったら…。
(ちょ〜っとイルカ先生に説教して貰っちゃおっと)
本気モードの”イルカ先生の説教”は、はっきり言って恐ろしい。
正論を正面からバンバン突きつけられて自分の常識のなさをこれでもかと見せつけられるのだ。
あれはちょっと勘弁して欲しいと思う。

綱手に連絡が取れたのはその小一時間後の事だった。


「菫、カカシさん戻ってきそうにないから、先にご飯食べちゃおうか?お腹空いただろう?」
「…す、空きました、けど。カカシが仲間はずれになっちゃいます…」
しょんぼりという感じで菫が言う。カカシが居ない間に食べてしまうのが嫌なのだ。
「うん、確かにそうだけど。でも何か火影様に用事があったみたいだから仕方ないよ。菫たちに空腹を我慢させてたって知ったらカカシさんもしゅんとしちゃうだろ?」
ほら、とイルカは菫に箸を渡す。それを受取ると菫は行儀良く手を合わせた。カカシの負担にはなりたくないらしい。
菫の横にちょこんとイルカそっくりの子供が座っている。菫としばらく遊んだ時に幾つかの言葉を覚えた。
「いたぁきます」
「いただきます」
子供が揃ってそう口にする。
(し、至福だっ!!めっちゃ可愛いっ!!)
「はい、どうぞ」
イルカは普段受付なんかで見せるのとは違う、極上の笑顔で子供達に接していた。
(ああ、しまった!カメラ!カメラ買っておけば良かった!!)


「いやぁ、悪かった!まさかそんな大事になってたとはねえ。だってどう見たって、ただの可愛い子供だろう?」

ようやく綱手と連絡が取れて、強引に里への期間を命じた火影とまんじりともせずに綱手を待っていたカカシに掛けられた、それが綱手の第一声だった。
「大事にもなりますよ!よりにもよって俺のコピーそのままじゃあないですかっ!」
仮にも里を代表する忍びにそっくりな子供が現れたら、まあ普段の行状をまず鑑みて身に覚えがあれば良し、なければもしや…という疑惑も浮かぶだろう。
「お前、身に覚えありまくりだろう?だから気にしないと思ったんだけどね」
気にするに決まってるだろう!イルカ先生がいるってのに!
「だったらイルカ先生のそっくりさんはどういう意味ですかっ!」
「だって二匹いたから。まさかお前のコピーを二匹作っても面白くないだろうが」

綱手がその生き物を見つけたのは偶然だった。
生まれたばかりのその生き物は、死んだばかりの親の身体に寄り添ってきゅうきゅうと鳴いていた。親の身体には鋭い爪痕が残されており、恐らく襲われてここまで逃げてきたが力尽きたのだろうと思われた。
「そのまま捨て置いたら確実に死んじまうだろ?オサキは珍しかったから持って帰ってきたんだよ」
そのまま飼って口寄せ契約を結ぶのも面白いと思ったが、ふと現在研究中のとある医療忍術をオサキで試してみようと思い立った。簡単に言うと細胞の変異を促進させ身体を作り替えるものだ。質量の増減を促すわけだから一朝一夕に成功するわけではない。これまでに何度も失敗を重ねてきて、ようやく成功の兆しが見えてきたところだった。
元々この忍術は欠落した身体の部位を新しく再生するためのものだったのだ。
そこで綱手はせっかくだからとほんの少しの遊び心を持って、オサキの姿を人間の子供に変化させた。どうせなら全く新しく作るよりも知ってる姿を取り入れた。その方が楽だったのだ。何しろ都合良く手元に対象者の細胞があったから。
「それで、こんな騒ぎを引き起こしたわけですか…」
はあ〜〜〜と長い長いため息を落としながら、カカシは力無く呟いた。
「なんだい、アンタなら喜ぶと思ったんだけどね?特にイルカ似の方は」
「そりゃまあ…じゃなくて!何かの陰謀かと思うじゃないですか!」
「だけど可愛いだろ?私も手放す時はちょっと後悔したもんさ。オサキは頭が良いからね、すぐに人間の子供を追い抜くよ」
二人の会話に火影が横やりを入れる。
「それで、意識改革はどうなんじゃ?オサキが人として生きていくのに不都合はあるのか?」
「まあ、あの子らは生まれて間もない時に変容させたからね。昔の記憶はないし、人として生きていくのに不都合なんざないだろう。後は教育にもよると思うけど、間違わなければ相当優秀な人間になるよ」
「全くお主は…。まあ、もう戻す事も出来んじゃろうから仕方ないが」
「そんな事言って、先生。顔がにやけてますよ?先生はイルカを可愛がってましたからねえ〜」
さすがに元弟子である。火影の弱点などお見通しだった。
「ま、あの子らはアンタたちにやるよ。ちゃんと育てなよ」
「ええ、イルカ先生がそれはもう気に入っていて。変な陰謀絡みだったら俺も考えますけど、こう言う事なら二人とも俺とイルカ先生が引き取ります」
「いや待て!二人とも持って行く気か、お主!」
カカシの言葉に猛然と火影は不満を述べる。男二人でいきなり二人の子持ちは大変じゃろう、一人は儂が…。
そう言いかけて、いくつもの冷たい視線に気付いた。
「し、しかしのう…」
「好きにしろと仰ったのは火影様でショ。イルカ先生はすっかりその気なんですから、今更駄目だなんて言わないで下さいよ」
「はいはい、火影様にはお孫様がいらっしゃるでしょう?これ以上老体にむち打って子育てする必要はありませんよね?」
イズモがさらりと酷い事を言い放つ。ここで子供なんか引き取ったら絶対に仕事に支障がある。そんなわけでコテツもイズモの味方に回った。
「二人を連れて遊びに来ますよ、火影様。じゃ、そう言うわけで俺は帰ります。イルカ先生にも教えてあげないと、やきもきして待ってますから」
あっという間に掻き消えた。
「あれは親ばかになるねえ…」
「カカシの奴、子供可愛さに任務を拒否選だろうな。その場合は火影命令で長期任務に放り込んでやるわ」
カカシに向けられる理不尽な逆恨みに綱手が苦笑いする。
「それに綱手よ、お主もいい加減ふらふらしとらんで里に戻って来んか!全くいつまでも若いつもりで…」
綱手はやぶへびだ、と首を竦めた。
「女性に年の事なんか言うから先生はモテないんですよ。私はもうちょっと好き勝手させて貰います。里を宜しく、火影様」


「そうだったんですか…。でもじゃあ、この子達はずっとうちで育てるわけですね?」
カカシが事の顛末を家で待つイルカに語り終えると、イルカはキラキラした目でそう聞いてきた。それにカカシは力強く肯く。火影の願いを一蹴してきた甲斐があったというものだ。イルカの嬉しそうな笑顔を見られたのだから。
カカシが戻る前にご飯を済ませて、とうとう眠り込んでしまった子供達を眺める。
「新婚家庭みたいですねえ、俺たち」
新婚家庭に子供はいないだろうが、その言葉にイルカも笑って同意した。
(でも新婚って言うんじゃなくて…、そう、家族。大事な家族なんだ)
「カカシさんが帰るまで起きてるって頑張ってたんですけどね」
「子供だし、寝かせてくれて良かったですよ。明日からもずっと一緒なんだから」
「はい」
「そう言えば、この子の名前はどうなったんですか?」
「ああ、それは……」

とんだハプニングから飛び込んできた子供達は、僅かの会田にカカシとイルカの宝物になった。
いつまでもこのままで、というのが無理な事は分かっている。
しかし出来るだけ長く、と二人は誓っていた。
カカシもイルカも、子供達も。自分の居場所をようやく手に入れた。
もう迷子のままではないのだ。