綺羅星 [6]
カカシは愛おしそうに、出来たばかりの恋人を見つめる。その視線にイルカは赤面する。
「見つめられて恥ずかしがらないでよ。アンタだって、ずっと俺の事見てきたくせに」
「それはそうですけど…」
だって、そんな綺麗な顔で見つめられて、恥ずかしがるなと言う方が無理だ。
しかも。
さっきまで自分たちは…。
イタシタ行為を思い出して、うわあと再び赤面する。
「ところでさ。アンタがここに来ようと思ったのはどうして?俺の事好きでも、それを言うつもりはなかったんでショ?」
「俺はずっと、自分には何の価値もない、要らない人間だと思ってましたから…」
そんな人間が、カカシに一体どんな告白を出来るというのか。イルカはそれまでの自分をカカシに語った。
両親を亡くした事や、親戚に否定された事。それがトラウマになって自分の存在価値を見失った事。そんな時に優しい言葉を掛けられて、それに縋ってしまった事。
「そいつの事、本気で好きだったの?」
「本気?…いえ、違うと思います。あの頃の俺は、その言葉に縋らなくては生きていけなかった。一人になりたくなかったから、自分から囚われたんです」
もしかしたらヒイラギは、そんなイルカの気持ちを知っていたのかもしれない。
彼がイルカに辛く当たったのも、そんな気持ちが透けて見えたから。愛しい気持ちと憎らしい気持ちが交差して、ヒイラギも苦しんだのかもしれない。今となっては知るよしもないが…。
「紅上忍が、色々良くして下さったんです。カカシさんの事も、とても心配してましたよ」
「……はあ?紅って、あの紅?」
間の抜けた顔でカカシが聞き返す。
「そうですよ。昔馴染みだそうですね。昔のあなたの事を知っている紅上忍には、ちょっと嫉妬しましたよ」
「…心配?あの魔女が…?」
「ちょっとカカシさん、何ですか?その魔女って…」
「あ?あー、いや何でも…。で、その紅がなんだって?」
「ですから、お礼が言いたくて。俺がカカシさんに告白する勇気を分けて貰いましたから」
カカシは思いっきり嫌そうな顔をした。イルカの前では殊勝な態度だったかも知れないが、しょせん魔女は魔女だ。礼を言いに行ったところで、冷やかされるだけに決まっている。
「あのね、アンタはあの女の正体を知らないだけなんです。いいからもう、あいつには関わらないで。ろくな事にならないから…」
「何言ってるんですか!散々お世話になったのに、お礼くらい当たり前でしょう!大体、カカシさんの大事なお友達なのに!」
……お友達って、誰のこと?
それに、散々お世話ってなにさ…。
「カカシさん?聞いてますか?」
そう言えばイルカは、くそ真面目で有名な奴だった事を思い出す。やれやれとカカシは寝っ転がる。
ごろりと横になって下からイルカを見上げながら、きっと言い出したら聞かないだろうなと思った。
「わかった。わかりましたよ。紅にお礼言いに行けばいいんでしょう?」
「わざわざアンタがお礼言いに来るなんて、天変地異の前触れかと思ったけど、要はイルカ先生に言われて来たのね。尻尾なんか振っちゃって、すっかり飼い犬ね」
きゃらきゃらと姦しく笑う紅に、カカシはすっかりふて腐れている。
「俺だって、来たくなんかなかったけどね。しょうがないでショ。イルカが絶対って言うんだもん」
「だもんって…アンタ誰よ…」
今までのカカシからは、どうにも想像のつかない変わりように、紅ですら呆れて絶句する。
「カカシさんっ…!」
イルカにひじ打ちされて、カカシも大人しく礼を言う気になったらしい。
「ま、とにかくイルカが、世話になったって言うからさ。礼の代わりに、好きなだけ注文していいから」
カカシはイルカと共に、紅を以前会った小料理屋に連れてきていた。
この店は料理も美味いし、酒もいいのを揃えている。
紅も常連らしいから丁度良かった。
いつかイルカも連れてこようと思っていた。二人っきりじゃないのがいかにも残念だが、これまたしょうがない。
「ふうん?イルカ、ねえ…」
にこり、ではなくニヤリという擬音の付いてきそうな笑いに、カカシの背筋にいやーな予感が走る。
「いいでショ、どんな呼び方したって。大事な恋人なんだし」
「あら、ダメだなんて言ってないでしょ。むしろ、いいんじゃないの?アンコやアスマやガイにも、聞かせてやりたいくらいだわ」
誰が聞かせるかっつーの。
ついでにイルカも誰にも見せません!
…と言う訳にはいかないだろうが、出来れば本当にそうしたいくらいだ。
「まあ、せっかくのご厚意なんだから、好きなだけ注文させて頂くわ。悪いわね、カカシ」
「へいへい。どうぞ、覚悟はしてるから」
「じゃあ遠慮なく」
結局イルカが驚きに目を回すくらいの料理と酒を注文して、大いに飲み食いした挙句お土産まで持って、紅はご満悦で帰っていった。
「………紅上忍って…」
「だから言ったでショ、魔女だって…」
呆然とするイルカに、気の毒そうに声を掛けた。
カカシと恋人になったと言っても、それで他の諸々が変わる事もない。
イルカは変わらずアカデミーで子供達を教える他に、受付を兼任している。カカシは上忍としての任務に明け暮れた。
カカシの強い要望で、イルカはカカシの家に住み着いているという状態だ。本来ならアパートを解約するべきなんだろうが、いまひとつ踏み切れずに契約はそのままになっている。
好きだし愛している。だけど、やはり怖いのだ。
カカシの気持ちが離れる事をではなく、いつか自分を置いて、この世から居なくなってしまうのが怖いのだ。
かつての両親のように…。
だから逃げ場を用意しているのだ。
カカシに申し訳ないと思いながら、どうしてもイルカはアパートの鍵を手放せなかった。
「はい、結構です。お疲れ様でした」
いつもと同じセリフで、任務を終えた仲間をねぎらう。
そこに大柄な上忍がやって来た。
「へえ、お前さんがイルカか?」
いきなり話しかけられて、イルカは驚く。
ええと…、誰だっけ?知り合いなんかじゃもちろんないが、見た事のある顔だった。
「ああ、俺は猿飛アスマ。カカシの友達…、いや腐れ縁かな」
「カカシさんの…?」
それに、名前を聞いてああと思った。
猿飛アスマと言えば、三代目の遠縁じゃないか!
「し、失礼しました!報告書を拝見致します」
出された報告書を丁寧に見てから、恒例となった言葉をアスマにも掛けた。
「はい、これで結構です。任務お疲れ様でした」
「おう、サンキュ。ところでお前さん、この後用事あるかい?」
「え?この後ですか、いいえ…。この業務が終われば帰るだけですが…」
「じゃあ丁度いいや、この後付き合えや」
「…は?」
アスマは勝手に店と時間を指定して、じゃあなと手を振って出て行こうとする。慌ててイルカはそれを引き留めた。
「待って下さい、猿飛上忍!そんな、俺…いや、私は…」
「心配すんな。カカシや紅も来るからよ」
がははと豪快に笑って出て行った。
…なんでこう、カカシさんの友達って強引な人が多いんだろう。
イルカは困ったように溜息を吐いた。
はっと気付くと、周りの好奇心も顕わな目がイルカを凝視していた。ぎょっとして、席に座り直す。やけくそ気味に微笑みながら、イルカは仕事を続けた。
飲み会となったその居酒屋で、イルカはアスマと紅以外にカカシが付き合いのある友人の紹介を受けた。
自分に何の了解もなく、勝手にイルカを連れてきたアスマに、カカシは酷く機嫌を損ねていた。イルカは何とかカカシの機嫌を取ろうとし、それを紅達がはやし立てて、再びカカシが拗ねる。
上忍…?こんな人達が、上忍なのか?木の葉はそれで大丈夫なんだろうか…。本当に…?
それでもカカシと仲の良い…と言えるかどうかはともかく…人達を紹介して貰えて、イルカは喜んでいた。
上忍の人達という事で最初は緊張していたが、途中からはそれもバカらしくなるほどの暴れっぷりだった。
「カカシさん…、この人達どうしますか?」
「放っていきたいけどねえ…。そういう訳にもいかないでショ」
「ですよねー。じゃあ歩ける人は、自力で何とかして貰って…」
「アスマ、お前大丈夫でショ。ガイを何とかしてね。アンコは完全に潰れてるね…。紅お前はどう?」
とろんとした目はしていたが、それでも立って歩く事は出来そうだった。
「平気よ〜。でもアンコはそっちで頼むわね〜」
見た目は普段とちっとも変わらないが、喋り方がやはり相当酔っていた。
「わかりました。紅上忍も、どうぞお気を付けて」
「うん、ありがとうね〜イルカ先生。じゃあまた、飲みましょうね〜」
出来れば二度と、一緒には飲みたくないなあ。心の中でイルカはこっそりと呟いた。
アンコを家まで送っていってから、二人は帰路に着いた。
「あいつらには気を付けてね、イルカ。もちろん悪いヤツラじゃないけど、きっとアンタの事オモチャにしようとか思ってるに決まってる」
その場合、カカシも一緒にオモチャにされるのは、目に見えていた。イルカにもそれがわかっていたから、苦笑する。
「でも、良い方達ですよね。カカシさんの事を、とても心配してるんですよ」
「何言ってんの…」
「本当ですよ?俺のこと、見定めようと思ってたんでしょうね、今日は」
にこりと微笑まれて、さすがのカカシも言葉に詰まる。
「まあ…アスマはさ、俺の親友とも仲良かったから。あいつが死ぬ時に、俺の事よろしくとか、言ったらしいんだよね…。それでさ…」
以前、紅が言っていた事に繋がる過去だろう。
「聞いてもいいんですか?」
「もちろん。アンタには聞いて欲しい。この前そう言ったでショ。色々あって有耶無耶になっちゃったけど」
「はい、お聞きしたいです。俺も…」
「俺の先生が四代目だって事は知ってると思うけど、その時のスリーマンセルを組んでたうちの一人が、俺の親友だった男でね」
九尾事件で四代目を亡くして、里全体が悲しみと絶望にくれていた。カカシ達も例外ではなかったけれど、里を代表する一族だった親友は、それでも立ち直りが早かった。四代目を失ったカカシと木の葉を、誰よりも心配していたのかも知れない。
実際親友が居なければカカシは、恩師を失った痛手から立ち直れなかっただろう。
里の代表に三代目が返り咲いて、少しずつ復興がなされていき、人々に笑顔が戻ろうとしていた矢先。任務でカカシをかばって、親友が還らぬ人になった。
里の戦力不足を補うために、経験の浅い者にも、従来以上の任務が与えられていた頃のことだ。
物を食べなくなり、口数もめっきり減ったカカシを、親友は根気よく世話をして、やっと四代目を失った悲しみから、徐々にだが解放されようとしていた時だった。
何よりも誰よりも大切だった人を、自分のせいで失った。誰もカカシを責めなかったから、余計に自分で自分を責めた。
親友は里を代表する一族の出身で、猿飛の家系のアスマとは昔からの知り合いだった。カカシにアスマを紹介したのも、親友だ。
「まあそれで、俺が全部を自分の中から閉めだして、一人で逃げ込もうとした時にアスマの奴がね。そんな事は許さないって、そんな事のためにあいつは生命張ったんじゃないだろうって、そう言って思いっきり殴られた」
カカシにとって、その親友がいかに大切な人だったかが窺える。
今はもういない人。それでも、カカシの中にずっと生き続けている人。
イルカはカカシの手を取り、ぎゅっと握りしめる。
「俺はその人に、本当に感謝します。アナタを守って下さって…。俺がこうしてカカシさんに会えたのは、その人があなたを生かしてくれたからでしょう?だから、俺はその人に、心から感謝します」
カカシさんを守ってくれて、ありがとう、と。
見た事もないその人に、深い感謝を捧げます。
「ありがとう…イルカ。俺もね、本当にそう思うよ。あの時あいつが、ソコまで考えたかどうかはわかんないけどね」
大雑把な性格だったから、案外何にも考えてなんかいなかったかも。
でもあの時に助かった生命だから、イルカに出会えたのだ。
「もし俺が先に死んでも、ずっと覚えていて下さいね?」
笑いながらイルカが言うと、カカシもこくりと肯いた。「もちろんですよ」
臆病なアンタを残して、先に死んだりしませんよ、と胸の中で付け加える。
ずっとずっと、一緒にいる。
「ねえ、明日晴れたら散歩しようか?」
「散歩、ですか?」
「先生やオビトとよく散歩したんだ。晴れた日にはね…」
明日はきっと晴れるだろう。
目に染みる青空の下を、二人で歩くのも悪くない。
「いいですね」
幸せを噛みしめながら、そうイルカは囁いた。
END