■ 特別じゃない関係 8 ■





 カナギの言葉が、突然の登場に呆然としていたイルカにようやく伝わった。
「あ…、カナ…」
「聞いてるの、イルカ?聞いてるなら、さっさと出て行きなさいよ」
 扉の方向を指さしてカナギが更に言葉を繋ぐ。イルカはゆっくりと扉に視線を移した。
 いいのだろうか?自分は彼女の言葉に甘えても…。
 なおもぐずぐずしているイルカを、今度はカズキが後押しした。
「イルカ、ほら、行けよ」
 カズキとカナギと。二人の友人の顔を交互に見て、イルカは小さく肯いた。ここで行かなきゃ、きっと二人の友人に見捨てられるだろう。 そこまで愚かにはなりたくなかった。カナギにはもう一度きちんと後で話そう。でも今は…。
 カタンと椅子を鳴らしてイルカは扉に向かう。すれ違いざま微かな声が聞こえた気がした。
「…ごめんね、イルカ…」
 その台詞を言うのは自分の方だ。だけど今はそれも無視して、ただカカシの元に急ぎたかった。

 イルカが外に出るのを見送って、カナギはイルカが座っていた席に着いた。
「本当にお人好しなんだよね、イルカって…。だから私なんかのことを気遣って、自分の気持ちを殺しちゃって…、 もう私の方が罪悪感で死にそうよ」
 涙を見せなかったのは彼女の最後のプライドかも知れなかった。
「本当にこんないい女を振るなんて、はたけ上忍も見る目がないですね。ま、とにかく悪口くらいならいくらでも聞きますから、一献どうぞ」
「悪口なんて…、一晩でも足りないわよ、言い始めたら」
 悔し紛れではなくごく当たり前のようなその口調に、ほんのちょっぴりイルカの今後を心配したが、それも大きなお世話だろうと思い直した。 そうしてイルカの為に行動を起こしたくの一に笑いかけた。
「ああ、でもひとつ訂正よ。あいつに振られたんじゃなくて…」
「捨ててきたんでしょう、はたけ上忍を?」
「そう、よ」
 彼女の中でも葛藤があったに違いない。それでも彼女は間違えなかった。強い人だなとカズキは思った。






 走って走って、ようやく遠目にカカシの家が見えてきた。初めてここでカカシにあった日のことをまざまざと思い出す。 眠そうな顔でのそりと対応に出てきた、あの人を。食事を作るのを見るのが好きだと言った変な上忍。鳥で予定を聞きたがったり、 休みの日に遊びに行こうと誘ってくれたり。
 いつの間にか好きになっていた。全てを奪われていた。
 いろんな事があって、素直に気持ちを出せなかったけれど。
 もういいんだ。思うとおりに全てをさらけ出しても。
 震える手でイルカはあの日押したインターホンに手を伸ばした。

 家の中でカカシも近付いてくるイルカを感じていた。

 里外の任務を終えて戻ったカカシを待っていたのはカナギだった。 いつも遠慮するようにカカシの居ない時には家に入ってこなかった彼女が、当たり前の顔をして居座っていた。 話し合おうとは思っていたが、これにはカカシも呆れた。
「……カナギ、何やってんのよ、ここで」
「何って、カカシを待ってたのよ。当たり前でしょう」
「何の用?」
「恋人のところに来るのに、用事を作らなきゃいけないわけ?」
「それは……」
 まあいいわ、と小さく呟いてカナギはカカシを正面から見据えた。
「これ、返すわね」
「え?」
 カカシの目の前に突き出された手には、小さな鍵。カナギと付き合う事にした時に彼女に渡したものだ。
「カカシってもっといい男かと思ったんだけど、全然違ったわ。がっかり。だからもう、いらないわ。私はもっといい男を 見つけるつもりだから、カカシもそうして?」
 そう言って鍵をカカシの手に押しつけると、カナギはさっさと家を出て行った。後に残されたカカシは、 余りの出来事にしばらく動けないまま立ちすくんだ。そうして徐々に先程のカナギの言葉が脳に浸透するとポツリと呟いた。
「……そっかあ、俺振られちゃったのか…」
 手に残された小さな鍵を、カカシはぎゅうっと握りしめた。
「ありがとね、カナギ。俺のこと捨ててくれて」



「いらっしゃい、イルカ」
 ドアを開けて出迎えてくれたカカシは、穏やかな微笑みを湛えていた。
「カカシさん…」
「カナギには捨てられちゃいました。もっといい男を見つけるからいらないって。イルカ、俺のこと拾ってくれる? それともやっぱりこんな情けない男は要らないかな?」
 カナギがどんな気持ちでそう言ったか、考えるまでもなくイルカには分った。だから遠慮無くカカシを拾うことにした。
「拾いますよ。俺に拾われてくれますか、カカシさん」
「うん、俺はイルカがいい…。でも一端拾ったらもう捨てられませんよ?」
「ずっと一緒にいて欲しいんだから、捨てません」
「やっとアンタを手に入れた…」
 手に入れたのはこちらの方だ。でもそれはここでは言わないでおこう。イルカの方が先に好きだったなんて知られたら、 きっと怒るに違いない。どうして言ってくれなかったんだとか言って拗ねるだろう。カナギが背中を押してくれなければ、 そのままそっぽを向いて応えてくれなかったのかと疑うだろう。
 だから今は何も言わずに、カカシを抱きしめていよう。
「今なら答えてくれる?俺のこと、ちょっとは好き?」
「ちょっと、じゃありません。すごく…好きです」
 そう言った時のカカシを、イルカは一生忘れないだろうと思った。それは幸せそうな、とろけるような顔で笑ったのだ。 まさかこんな顔を見せてくれるとは。一緒にいた間でも、こんな顔は見せなかった。多分、誰もこんな顔は知らないだろう。
 そう思うとイルカの胸はキュっと疼いた。
(幸せな痛みっていうのもあるんだなあ…)
「何考えてるの?ねえ、イルカ。俺のことだけ考えて…?」
 子供のように強請るカカシが可愛かった。
「あなたのことですよ、カカシさん」

 カカシの唇がゆっくり近付いてイルカのそれに重なった。


END