はんこ

 春である。
先月まではまだ冷たく感じた風も、すでに心地よい春の風に変わっている。
アカデミーの職員室でのイルカの席は南向きの窓の近くで、春の陽差しを受けてポカポカと暖かい。
 朝の授業を終えて席に戻ったイルカは、うーん、とひとつ伸びをした。
「いいお天気ですねえ、イルカ先生。はい、お茶どうぞ」
「あ、すいません。ええ本当に」
同僚の女性教師が、お昼用にお茶を淹れてくれたのに礼を言って、イルカはお弁当を広げた。アカデミーにはもちろん食堂もあるが、しがない中忍教師の給料はたかがしれている。
つき合いだの何だので、夜に外食することもあって毎回そこを利用すると、月末には少々財布が心許なくなるのは目に見えている。
幸い長い一人暮らしで料理は慣れたものだったので、半ば趣味的にイルカは弁当持参を常としていた。

 そんなに凝ったものではないのだが、見目も味も良いイルカの料理は、独り身の男性職員に殊の外人気があり、たまに頼み込まれて弁当を作ってやったこともあった。
最初の頃はそれでも頼む方も遠慮があったが、回数を重ねるうちに次第に人の口に上るようになり、噂が噂を呼んで「イルカのお弁当」がアカデミーの名物になるのに大した時間はかからなかった。
いつの間にやら男性職員だけでなく、女性職員にまでファンができ、人気は更に上がっていく。とはいえ、イルカが作れるお弁当の数など限られている。
そうなると、あとはもう早い者勝ちである。
 クリスマス前の恋人やバレンタインのチョコよろしく、イルカのお弁当を巡って水面下で醜い壮絶な争いが繰り広げられるに至って、ようやく火影はその重い腰を上げた。
「まったく。弁当ごときで木の葉の忍者が争うとは情けない。よいか、イルカ。今後誰に頼まれても他人に弁当を作ることはまかりならんぞ。火影命令じゃ」
一切の例外なし、との火影命令にあちこちから激しいブーイングがあったものの、やがてはそれも小さくなり、この騒動は収まった。
 それが去年の秋のことである。
それ以来イルカのお弁当は、近くにあるのに手に入らない幻のアイテムとなった。
運良く弁当を味わうことの出来たラッキーな人間の口から、自慢げに語られる「幻のアイテム」の内容はやがて実物を残して一人歩きを始める。
 そうして噂とは大抵の場合、尾ひれがふんだんに付くものなのである。





 その翌年、春―――つまり、現在。
今まで一人の合格者も出したことのなかった上忍が、始めて教え子を持ちアカデミー教師と交友を持つ頃には、「イルカのお弁当」はすでに伝説の域に達していた。

 「え!?カカシ先生知らないの?」
教え子の一人、第七班の紅一点のサクラがびっくりしたような顔でカカシを見た。
「何が?」
「だからウワサよ」
「ウワサって何の?」
「イルカ先生の」
それはサクラ達のアカデミーでの恩師であり、しつこく口説き倒してようやく手に入れたカカシの大事な恋人の名前でもあった。
「はあ?あのヒトのウワサって何よ。何かウワサになるような事しでかしたの?」
寝耳に水とはこのことだ。
「・・・ウスラトンカチ・・・」
「カカシ先生ってばほんとに知らねえのかよ」
どうやら、サクラだけでなく、サスケもナルトも耳にしているらしい。
ようやく叶った恋に酔って、イルカのこと以外はすっかり頭に入っていなかった。
「あ〜、もう。先生たち仲良いからてっきり知ってると思ったのに」
「だから何なのヨ。ほらっ、さっさと言う」
イルカについての噂なら、恋人たる自分が知っていて当然。つーか知らないなんて許せない。そのくらい今のカカシは、イルカに夢中なのだった。
「お弁当よ、お弁当。幻のアイテム・伝説の逸品とまで言われている、イルカ先生の手作りお弁当のウワサ」
「手作り・・・弁当?」
「本当に知らないんだー」
がっかりー!とサクラが肩を落とすのにも、かまってなんかいられない。
「・・・・知らない。何なのよ、それ」
 そもそも、イルカのお弁当がそんなにウワサになってる以前に、イルカが毎回手作りのお弁当を持ってきている事すら知らなかったのだ。それは、イルカが弁当を詰めている時間に、ぐうぐう寝ているせいなのだが、もちろんカカシはそれを棚に上げる。
だって、俺にそんなの作ってくれた事ないし・・・。
仮にも恋人。手作り弁当がウワサになるくらいのモノなら、一度くらい作ってくれてもバチは当たらないと思う。

 子供達の目にも、カカシが拗ね始めているのがはっきりと分かった。

・・・・・まったくカカシ先生ってば正直者なんだからな。
・・・・・イルカ先生、愛されてるんだな〜、羨ましい!いつか私もサスケくんと!
・・・・・・・・・・・・・・・・ふう。

 三者三様、好き勝手なことを考えながら、拗ねる上忍に事態の説明を始めた。
「でね、そのお弁当がすごい人気になっちゃて。アカデミー内で『イルカ先生のお弁当争奪戦』が繰り返されて、このままじゃあアカデミー内の人間関係の崩壊に繋がるとかで、火影様がイルカ先生に他人には頼まれても作ることは禁止って命令出したって」
 だから、それ以来イルカ先生のお弁当は見かけることはあっても、食べれない手に入らない幻のアイテムと言われてるのよ、とサクラは話を締めくくった。
「それでお前達はイルカ先生の料理って食べたことあるのか?」
話しを聞き終えて、一番知りたかったことを尋ねる。
「ないわよ〜。だからカカシ先生が頼めば作ってくれるかなって期待してたのにー」
「そっか、ないのか・・・」
教え子に先を越されなかった事にほっと胸をなで下ろすカカシだった。が。
「・・・・・・・俺、ある・・・」
ボソリと。
勢いをつけて六つの目がその声の主に集中した。
「なっ!なんだと!サスケ、お前イルカ先生の手料理食べたの!?」
「うっそ〜〜!本当なの?サスケくん!」
「なんでお前がイルカ先生の料理食べるんだってばよっ!」
「・・・・ウルセエ・・」
 ぎゃぎゃあと五月蠅い三人を無視して、サスケは帰り支度を始めた。Dランクの任務はとっくに完了していたのだ。
「前に夜、たまたま会ったんだ。その時に晩飯がまだだって言ったら、家に連れて行ってくれてご馳走してくれた。それだけだ」
「あん。待ってよサスケくん!一緒に帰ろうよ」
「あ!サクラちゃん!!」
 じゃーねえ、先生さようならーとか、明日は遅刻すんなよーとか。教え子達は思い思いの言葉を告げてさっさと帰っていった。
それを見送った後、上忍は報告書を片手に受付所に急いだ。着く頃には、夕陽が西の空を綺麗に染め上げていた。



 受付に顔を出すと、イルカが笑顔で出迎えた。
「カカシ先生、任務お疲れさまです」
「はい、報告書です」
「お預かりします。えーと・・・」
イルカはいつも笑顔だ。アカデミーでも受付でも、大人相手でも子供相手でもそれは変わらない。イルカの笑顔は穏やかな気持ちにしてくれる、と里でも評判だ。
カカシはそんなイルカの笑顔が、自分以外の人間に向けられるのを嫌がった。
たわいない嫉妬だとは分かっている。けれど嫌なモノは嫌なのだ。
さっきだって、部屋に入る前に隣の中忍と談笑していたのをカカシはしっかり見ていた。
「はい、結構です。どうもありがとうございました」
「イルカ先生、今日は何時まで?」
「え、今日ですか?今日は早番だったので、もうすぐ終わりますが」
「じゃ、一緒に帰りましょう。待ってますから。話がアリマス」
顔は穏やかに笑っているが、目が笑っていない。俺、何かやらかしたかな?覚えがないけど・・・と、イルカは不思議に思いつつ、それを承諾して受付の仕事に戻った。

 いったいどんな話があるのやら・・・。
エリートで写輪眼を持つという特殊な存在のカカシは、いつだって里の噂の的だった。
実際イルカも、カカシのいくつもの活躍の噂を聞くたび憧れたものだ。
マスクと額当てで顔の大半を隠してはいても、彼の容貌がひどく整っているのは見て取れる。
 強くて美しい、異形の上忍。
それが、ナルトを介してカカシと直接知り合うまでの、イルカの彼に対するイメージだった。
百聞は一見にしかず、と言うがまさか、木の葉の憧れ・写輪眼のカカシがこんな性格の男だったとは。
拗ねるし、泣くし、喚くし。自分勝手で我が儘で、子供みたいに無邪気なのだ。
今まで思い描いていたイメージが、ガラガラと音を立てて崩壊していく様をイルカは目の当たりにしたのだった。
 けれど目の前で全開の笑顔を見せられた出会いのあの時から、実はイルカはカカシに恋をしていた。
だから出会った翌日からのカカシの猛アタックにも、とまどいはあっても嫌悪は全くなかった。

「好きです」「大好きです」「愛してます」「あなただけです」だから、俺の恋人になって下さい!

 身分だとか立場だとか。
真面目なイルカは、それこそカカシの事をおもんばかって、当たり障りのないような態度でカカシに接していた。自分のことを過小評価するきらいのあるイルカには、自分はカカシにはあまりにも相応しからぬ相手だったのだ。
それでもカカシはめげずにイルカの元に通った。押して押して押しまくって、ようやくイルカを落としたのは出会って僅か2週間後のことだった。
良くも悪くもカカシは自分の感情に正直だ。
上忍の恋は、他の上忍も中忍をも巻き込んで、あっさりとアカデミー全体に知れ渡った。
こうなると、イルカは観念せざるをえない。
元々、彼はカカシに恋をしていたのだから。イルカはおずおずと、カカシの差し出す手を取った。
 それから一ヶ月弱。
本来のイルカの性格と、カカシの我が儘のせいで、何度も口論にはなったが、それはそれで上手くやっていた。


 受付業務を次の人間に引き継いで、イルカは上忍待機所に向かった。
「お待たせしました、カカシ先生」
戸を開けると、そこには同じ下忍担当のアスマと紅の姿もあった。
「いーえ。じゃあ帰りましょうか」
「はい。アスマ先生、紅先生、お先に失礼します」
イルカは二人の上忍に、会釈をする。
「おう」
「カカシー、あんまりイルカ先生に無理言っちゃだめよー?」
アスマがヒラヒラと手を振るその横で、紅がにっこり笑いながらカカシに釘を差す。
紅のその言葉に幾分むっとしながら、カカシは無理なんか言わなーいよ、といつもの調子で返す。
「イルカ先生も、あんまりカカシの事を甘やかしちゃだめよ〜。子供の躾はきっちりとね」
 隣でアスマが肩を震えさせながら、必死で笑い声を押さえ込んでいる。カカシはさらに不機嫌になる。
・・・ははは。何て返していいものやら。
とにかくこれ以上カカシの機嫌が悪くならない内に、さっさと退散するのが正解だろう。
「で、では、失礼します〜」
「またねー、イルカ先生v」
 紅せんせい〜。頼みますからカカシ先生を刺激しないで下さい!と、心の中で泣きを入れつつ焦りながら上忍待機所を出た。

 「おめえ、あんまりイルカを困らせんなよ」
「あら〜、アスマったらイルカ先生には優しいのねー?」
何かを期待している目だな、とアスマは思った。全くこいつも懲りないやつだ。悪い奴じゃねえが、いかんせん遊び心が多すぎる。相手がそれなりに経験を積んだ人間ならともかく、イルカでは、紅の相手は酷というものだった。
「イルカと海千山千のお前とじゃ、誰だってイルカの味方につくだろーが」
「ちょっと!誰が海千山千だって?アンタあたしに向かっていい度胸じゃない!」
しまった、やぶへびだ。
うっかり余計な口出しをした自分の行動を、アスマは心底後悔した。


 一方カカシは予想通りすっかり拗ねていた。
やれやれと思う向こうで、そんなカカシも可愛いと思ってしまう自分もかなり重症だ。
イルカはそっと手をカカシに重ねた。一緒に帰るときはいつでもカカシは手を繋ぎたがった。
普段はイルカも恥ずかしくて拒んでいたが、今日はイルカ自身もその気になった。
 カカシは一瞬びっくりしてイルカを見たが、すぐに嬉しそうに笑ってぎゅっと手に力を込めた。
 そうやってイルカの家まで手を繋いで帰った。
「お茶淹れますから、座って待っててくださいね」
カカシはいつも通り、ソファに座ってイルカを待った。ずっと手を繋いで帰ってきたことが、よほど嬉しいらしくにこにこしっぱなしだ。
 何事にも質素なイルカの生活で、唯一の贅沢はお茶だった。元々イルカの父がお茶が好きで、子供の頃からいいお茶を飲み慣れていたイルカが、大きくなってお茶に五月蠅くなるのも当然といえた。生活費を多少切りつめても、お茶の質は一切下げない。
そんな訳で、カカシがイルカの部屋に来るときの手みやげは、食材だったり、お酒だったり色々だが、高級茶を持ってくることも多かった。
「はい、どうぞ。これ、このまえカカシ先生が持ってきてくださったお茶なんですよ」
「そうなんですか」
「ええ、とても美味しいですよ。ありがとうございました」
イルカの喜ぶ顔を見るのが大好きな上忍は、それだけで幸せな気分になった。お手軽な男ではある。
「えーと。それで、カカシ先生。お話って何でしょう?」
「・・・・え?」
「えって、話があるとおっしゃったのはカカシ先生でしょう?」
イルカと手を繋いで帰った事があんまり嬉しくて、うっかりここに来た目的を忘れるところだった。
「そ、そうですそうです。うっかり忘れるところでした」
カカシは居住まいを正す。
「イルカ先生」
「はい?」
「あのですね、えーと」
「はい、何でしょう」
「つまり、お弁当、なんですが・・・」
「・・・はあ?・・・」
「イルカ先生は、アカデミーにお弁当を持っていってるんでショ?」
ああ、とうとう気付いたか、とイルカは心の中でこっそりため息を吐いた。
「でも、俺そんなこと知らなかったし・・・」
それはカカシ先生が、朝いつまでも起きないからですよ、とまたもやイルカは心の中で突っ込みを入れた。
「考えてみれば、俺達っていつも一緒に食べには行くけど、イルカ先生の手料理ってのは食べたことないですよね・・・」
だってカカシ先生、やたら好き嫌い多いからメニュー考えるの面倒なんですよ、と心の中で以下同文。
「それに俺がまだ食べたことのない、イルカ先生の手料理をなーんでサスケが食べてるんです?それってずるいでショ!」
あー、そんなことまでばれてるのか・・・。
ずるいっ!俺にも食べさせてっ!と訴える片目がなんか可愛くて、イルカは目尻を下げる。
「わかりました。じゃあ、明日の夕飯は俺んちで食べましょう。カカシ先生の好きなモノ作りますから」
拗ねていた顔が、一気に笑顔になる。イルカの大好きな顔だ。
「あのね、イルカ先生。お弁当も作って欲しいんですけど」
「え、お弁当ですか?えーと・・・作りたくない訳じゃないんですけど・・・ちょっと・・・お弁当は無理かなあ・・・」
 かつての騒動で、火影からお弁当作りの禁止を言い渡されていたイルカである。
「という理由で、お弁当は作れませんけど・・・その代わり夕飯はなんでも好きなモノを作りますよ」
火影の命令だから仕方ない。けれど我が儘な上忍は承知しなかった。
「やデス。俺は恋人なんだから、いいじゃないですか」
「そういうわけにはいきませんよ、カカシ先生」
「大丈夫デス。誰にも文句は言わせませんから。もちろん火影様にだって」
そりゃー、火影様はともかく、他のみんなは文句は言わないだろう。何しろ相手は写輪眼のカカシだ。誰だって自分の命は惜しいはず。
とは言え、真面目なイルカはそういうズルは好まなかった。
「だめです!決められたことはきちんと守らなくては、生徒に示しがつきません!いいですね、カカシ先生!」
 イルカにきっぱりと言われてはカカシは引き下がらざるをえない。
火影の命令はイルカにとっては絶対だし、しかも「生徒のため」という一言がでてはもう絶対だめだ。言い出したら聞かないのは、イルカの美点でも欠点でもある
これは、根本から考え直さないといけない。カカシはお茶を飲みながら思うのだった。





 「・・・え?もう一度言って下さい。カカシ先生」
「ですから、これが」
そう言ってヒラっとした用紙をイルカに差し出す。
「依頼書です」
「本当に、本気ですか?」
「もちろんです!」
「だって俺、もう随分任務には就いてないですよ?」
「大丈夫です。そんな大した任務でもないしね」
カカシが持ってきたのは、任務の助手に就くよう要請する、火影からの依頼書だった。
 樂の国と琉の国の国境に、山賊と化した一団が住み着き、旅人達を襲うようになったのはここ半年ばかりのことらしい。
両国もなんとか、その一団を排除しようと人を送り込んだが、山賊の中にどうやら抜け忍の手練れが居るらしく、合わせて5回の討伐隊が組織されたが、その全てが戻らなかった。
両国は事態を重く見て、木の葉の里に山賊討伐を依頼してきたのだ。
ただの山賊なら中忍で充分だが、中に抜け忍がいるらしいとの情報もあり、あえて上忍が任務に就くことになった。
その依頼をカカシが受けて、カカシは助手にイルカを指名した。

「助手じゃと?カカシよ、たかが山賊の討伐に一人では不安かの」
助手として一人連れていきたい、とのカカシの要請に三代目火影は怪訝な顔をする。
確かに、抜け忍がメンバーの中にいるのは本当らしいが、だからといって仮にも「写輪眼のカカシ」と二つ名を持つ男に助手の要るはずがないだろう。本来なら。
「ま、そうですけどね。ちょっと気になる事もありますんで一人連れていきたいんですよ。ダメですかね、火影様」
「誰を連れて行く気じゃ」
「イルカ先生を」
「イルカ?あやつはアカデミー教師だぞ。任務からはずっと手を引いておる。誰か別の・・・」
「イルカ先生がいいんです。あの人以前医療班にいたでショ。色々役に立つ知識を持ってるし、それに幻術は上忍クラスの使い手だっていうじゃないですか」
「・・・・今回の任務に必要なのか?それが・・・」
「どうもね。両国からの報告書を見てて思ったんですがね。この抜け忍ってもしかして、滝からの手配書のアカザじゃないですかね」
カカシは火影に両国から回ってきた、討伐隊の末路の報告を見せた。
「なんじゃと?あの・・・」
「この、遺体の様子を見ると、毒にやられてるのが多いでショ」
報告書には、回収できた遺体の損傷や様子などが事細かに書かれていた。それによると、遺体の大半は何かしらの毒を受けた痕跡があった。
毒のために死に至った者もいれば、毒で動きが鈍ったところを斬られたり、突き殺されたりした者もいたが。
「なるほど・・・。滝隠れの抜け忍アカザは毒使いであったな」
「薬草に詳しいイルカ先生は、格好の助手でショ」
「わかった。依頼書を出してやるわい」
渋々ながらも火影の了解を得たカカシは、早速イルカを口説きに行ったのだった。

 「そういう訳で火影様からの了解は得ています。俺はアンタを助手に任命します。受けてくれますか?」
しばらく黙ってカカシの話を聞いていたイルカは、それにゆっくりと頷いた。
「わかりました。俺の知識が役に立つのなら喜んで」
「良かった!じゃ、ここにサイン下さい。あ、はんこもね」
「ここですか?ええと・・・これでいいですか?」
イルカはサラサラ、と用紙にサインをして、はんこを付いた。
上忍はにっこりと笑う。丁寧にその用紙を畳むと、懐に大事そうにしまった。
「じゃあ出発は明日、10時にイルカ先生のところに迎えに行きますね」
「はい。遅刻しないでくださいね」
「ダイジョーブデス」

 「大丈夫」と上忍は言ったが、彼の遅刻癖はナルトからいつも嫌と言うほど聞かされている。とにかくいざとなったら、こちらからカカシを迎えに行くつもりで居ようとイルカは思った。
まず必要な荷物をまとめてしまおう。相手は毒使いという。なら、薬草の類は多めに持っていった方がいい。
いくつかはそのままで、いくつかは丸薬にしたりして、すぐ使えるように。市販品のものよりもイルカが独自に調合した薬はよく効くと評判だった。里の薬師や医師がイルカの調合薬を競って使いたがる程だ。
それと忍具。手入れは怠ってはいない。
 樂の国までは片道で約5日。むろん忍の足で、であって普通なら2週間は軽くかかる。そこから情報を取りつつ、琉との国境までさらに2日。敵の数は大雑把に見積もって50人近く。だが、相手が忍でなければ50人が100人であっても大したことはないのだ。忍の戦闘力が、いかにすごいものなのかがその事からも伺える。
 イルカは明日の用意を調えて、ベッドに入った。
 翌朝はすっきりと晴れていた。珍しく遅刻もせずに現れた上忍は、異様なほどご機嫌だ。
「・・・あの、カカシ先生。どうしたんですか?」
「どうしたって・・・何がです?」
上忍はどうやら自分の様子がいまいち分かっていないらしい。
「だって、もの凄く機嫌がいいみたいですが」
そんなに任務が楽しみなのか?いや、まさか。もしかして俺と二人ってのが嬉しいのかな?だけど。でも。
いくつかも考えが頭を巡り、その度にその考えを否定する。
「そうかな?そうかもね、うん。いいことがあったんデス。任務が終わったらイルカ先生にもお話しますね」
「はあ、そうですか?よく分からないけど、良かったですね」
「はいっ」
 では、とりあえず出掛けましょうか、とカカシが言う。とりあえずって何だよ、任務なのに。と思いつつイルカは素直にカカシに付いていった。



道中は何事もなく、明日には樂の国に入ろうかというところまで来た。
「樂の国に入ったら、どういうルートで行きますか?」
「ま、やっぱり街道沿いでショ。1番近いルートでも、大きな町があるしね。そこで情報を集めるという事で」
ところで、とカカシは言葉を続ける。ずっと考えてたんですが。
「はい。何か作戦でも?」
「何言ってんの?お弁当の話ですよ」
きょん、とした目でイルカはカカシを見た。
「・・・お昼ですか?おなか空きましたか、カカシ先生」
「・・・・・・・何の話ですか。イルカ先生の手作り弁当の事です」
「・・・・・」
何故いまここで、そんな話になるんだろう・・・。イルカは思わず頭を抱えた。
「あのね。イルカ先生。火影様は、他人には作るなって言ったんでショ。だったら他人じゃなくなればいいって事だよね」
「カカシ先生・・・・。これから山賊討伐の任務なんですよ!そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
「そんな事なんかじゃないデス。俺にとっては大事なことですから」
「それは・・・嬉しいですけど・・・でも、今は任務の・・・っ」
真面目なイルカは、何事もひとつひとつ、丁寧にきちんとこなすタイプである。いくつもの事を一緒くたに出来る人間ではなかった。任務の時には任務の事だけ。
「それでね、イルカ先生。俺達、結婚しましょう!」
 にっこりと満面の笑みと共に上忍は爆弾宣言をした。そしたら他人じゃなくなるでショ。お弁当作って下さいね。火影様もこれで文句は言えません。
上忍のあんまりな言い分にイルカは一瞬、本気で意識を手放したくなった。
全く、この人は〜〜〜っ!!
「そっ・・・そんなこと、出来るわけないでしょう!男同士だしっ!こんな時にそんな事、考えられませんっ!」
「イルカ先生、里の特例を知らないんですか?」
カカシの笑みは消えない。
「特例・・・?」
「そうデス。火影様の承認さえあれば役所は受け付けてくれるんですよ。忍に限ってですけどね」
そんな特例は聞いたことがなかった。
「アンタ、俺を担ごうってんじゃないでしょうね」
すでに上忍に対する言葉使いなんてものは、イルカの中にはない。
「本当デス。だって、ちゃんと受け付けてくれましたもん」
「そうなんですか・・・って、ええっ!?どーいう事ですかっ、それっ!!受け付けたって・・・ええっ!?」
がばああ!!
イルカはカカシの胸ぐらを掴んで、力の限り揺さぶった。まさかまさかまさか・・・と心の中で悲鳴を上げつつ。
「里を出た日、イルカ先生のとこに行く前に役所に届けを出して来ちゃいました」
だから本当は俺達新婚さんなんデス。これは言うなれば、新婚旅行みたいなもんですね。などと、のほほんと吐き出された言葉にイルカは目の前が真っ暗になった。
 新婚・・・ってなに?
「あっ・・・あっ・・・なん・・・っ」
「ゴメンね?イルカ先生。でも、先に言ったら絶対反対するだろうと思って」
「あっ・・・当たり前だ―――――っ!!」
「でも、俺はイルカ先生とずっと一緒にいたかったから、丁度良かったんです。イルカ先生は俺と一緒なのは嫌?」
そんな事ない。それはもちろん、絶対なかった。
カカシといられて嬉しいのはイルカも同じなのだ。ただ、何も言わずに勝手に行動したカカシに、憤りを感じているのも本当だった。それに・・・。
イルカはキっと、カカシを見据えた。
「そうだ。届けって、俺そんなの書いてないです。それに第一火影様の承認なんて、どうやって・・・」
あの火影がイルカとカカシの結婚など、認めるはずがないではないか。そんな非常識な!
「あー。あれね。ほら、この任務を受けるときにサイン貰ったでショ。はんこも。アレデス。火影様のは依頼書を発行して貰う時にちょっとね・・・」
大体、依頼書にサインとはんこなんて、いるわけないでショ。なのにイルカ先生ちっとも気がつかないし。
つまり偽造じゃねーか。イルカは上忍の、大胆なのかせこいのか言い難い手口に、開いた口が塞がらなかった。
「アンタって人は・・・・・・」
イルカは、へなへなと地面に座り込んでしまった。
この人は里の誇る上忍で、俺はしがない中忍で・・・それで、任務の最中にいきなり結婚しよう!ときて、でも実はもう届けは(勝手に)出された後で・・・・新婚で、新婚旅行・・・・。
 がく――――。
やっぱり、この人には叶わない。いろんな意味で・・・・。つくづくイルカは思った。
「だから、さっさと討伐なんか終わらせて、帰りはゆっくり温泉入っていきましょうよ」
温泉、の二文字にイルカはぴくりと反応する。お茶好きと共にイルカは温泉好きでもあった。
「温泉、ですか?」
「ご存じでショ。琉の国は温泉で有名だってこと」
「・・・・・知ってます」
「ね?イルカ先生。いいでショ」
お願いお願い、と上忍の片目は必死に哀願していた。その目を見ると、もうイルカは何も言えなかった。
「はあ・・・。もう、わかりました。帰りの温泉、楽しみにしてますね。でもその前にちゃんと仕事して下さいね。きっちりと!」
その言葉に、カカシは晴れやかに微笑む。イルカの大好きなカカシの笑顔だ。
ああ、とイルカは思う。この笑顔を独り占めに出来るなら、それもいいかもしれない、と。
「じゃ、とっとと樂の国に入って、情報収集しながら先を急ぎましょう」
ぎゅ、とカカシがイルカの手を握る。イルカもそれを握り返す。
「相手は抜け忍もいるんですから、油断は禁物ですよ」
「わかってます。でも、俺とイルカ先生ならそれも大丈夫、でショ」
ね?と、カカシは機嫌よく返す。
それにイルカは苦笑で答える。この人には、会った当初から騙されっぱなしだ。でもそれでも、イルカはずっと幸せだった。カカシと一緒で、幸せだったのだ。
そして、恐らくこれからもずっと。




 結局。
山賊討伐は、実にあっさりと片が付いた。さすがは写輪眼のカカシというところだろうか。
毒使いのアカザは、その得意な戦法を使う前にイルカの幻術とカカシの忍術の前に倒れた。木の葉の里は大いに面目を保ち、カカシはその名声を更に上げた。
 里に戻って、報告のために火影の執務室を訪れた二人を待っていたのは、三代目火影の怒りの罵声だった。
カカシの火影承認の偽造は、その日の内にばれていたのだ。まあ、当然と言えば、当然だ。
「でも、他人はだめって言ったの火影様でショ。そのせいで、イルカ先生はお弁当作ってくれないんだもん。だったら他人じゃなければいいってことでショ」
俺は悪くないですよ、と悪びれない顔で言うのだった。
「・・・わかった・・・。特例で、お前には作ってよいという事にしてやろう・・・」
「特例って事なら、結婚の方を認めてくださいよ。あるでしょ、特例」
「バカもん!そんな事認めるわけなかろうっ!」
「えー!?何でですかっ。愛し合う二人の仲を裂こうっていうの?火影様!?」
「いい加減にせんか、カカシ。イルカが困っておるじゃろうっ!」
「困ってませんよ。イルカ先生はちゃんと認めてくれましたもん」
「どうせ、お前が無理矢理認めさせたんじゃろう」
「そんなことありま〜せん」
 延々と続くカカシと火影の子供じみた言い合いに、いい加減厭きてきたイルカは「とにかく」と口を挟むことにした。
「火影様は、あの命令を撤回していただく、その代わりカカシ先生は結婚をあきらめる。どっちもちょっとずつ歩み寄ることで、この話はお終い。いいですか?いいですよね、もちろん!」
 文句があるか!?とでも言いたげなイルカの形相に里の長と里の誇りは、そろって頷くのだった。
「「わかりました・・・」」
「よろしい。じゃ、報告書も提出しましたし、帰りましょうか。カカシ先生」
そう言って手を差し出す。カカシは満足げにそれを取る。では失礼します、とイルカは声を掛けて執務室を出た。

「今日は、好きなモノ作りますね。カカシ先生」
「はい。明日はお弁当、作って下さいね」
「樂の温泉、すごく良かったですね〜」
「また有給とって二人で行きましょうv大体イルカ先生は働き過ぎなんだから」



 火影の命令は撤回されたが、伝説のイルカのお弁当がその後アカデミーの職員の口にはいることはなかった。
嫉妬深い上忍が、ここぞとばかりに睨みを利かせていたのは言うまでもない。
結局のところ、伝説は伝説のまま語り継がれていくのだった。


  おしまい



■ と、いうわけで終わりです〜。どこまで書いても終わりが見えない話でした。
何故!?これって、もっとすっぱり短いお話のはず・・・つか、この内容でこの長さは何事?
しょうがないので、後半のエピソードをすっぱり切りました。討伐戦とか温泉とか(笑)なくても大丈夫な箇所だし。でも、この話は書いてて楽しかったです。こういうカカシは好きだ。コドモなカカシ。書きやすいし動かしやすい。きっとまた書くだろうな、こういうカカシ。ともあれお疲れさまでした。
そのうち温泉話は書きたいかな〜。エロ・・・になるだろーか(笑)