Emotional mind   おまけのその後







 結局のところ。
 カカシの描いていた「初夜の翌日に恋人とイチャイチャドリーム」は、実現することはなかった。


 朝になって、目が覚めたイルカに「オハヨウゴザイマス」と声を掛けた。恋しい人と共に迎える朝、というシチュエーションはいたくカカシを喜ばせた。息が掛かるくらい近くにある、カカシの整った顔に一瞬疑問符を張り付かせたイルカは、その直後「あっ…」と言って頬を染めた。
 可愛いっ!可愛すぎるっ!
 いい年をした大人なのに、このウブな反応はどうだろう。
 それにちゃっかりとキスを落としながら、身体は大丈夫ですか?と聞く。こんなことをまじめに聞いたら、またこの人は可愛い顔を真っ赤にして睨みつけるだろうな、と思いながら。
 案の定、イルカはカカシが思った通りの反応をした。
 「そっ、そんなこと、聞かないで下さい!」
 「どうして?だって心配なんです。俺、昨夜はあんまり手加減出来なかったし…」
 そこまで口にしたところで、ばっとイルカの両手がカカシの口を塞いだ。
 「朝っぱらから、何てこと言うんですかっ!」
 「何言ってんです。昨夜の心配を今朝しないで、いつするって言うんですか。大体アンタ、初めてなんでしょ?アンタの身体の心配をするのは、恋人の当然の権利ってもんです」
 「…権利、ですか?」
 「だからね、ちゃんと答えて?」
 「…う…、い、いやです。そりゃ、心配してくださってるのは、嬉しいですけど」
 イルカの常識に照らし合わせれば、朝の清々しい光の中で、昨夜の、所謂『夜の営み』について話すなんて、言語道断なのだった。カカシの気持ちは、もちろん嬉しいし有り難いのだが。

 それにしても。と、ふとイルカは思う。
 窓から差し込む光は、随分と明るい。一体今は何時なのだろう、と枕元の時計をちらりと見る。
 その瞬間、カカシの恋人のイルカは、アカデミーのイルカ先生に早変わりした。
 「…っ!十時、過ぎてるじゃないですかっ!」
 嘘だろう!今日は、朝から授業があったのにっ!慌てて起き出しかけて、ヘタヘタと座り込むイルカをカカシが慌てて抱き起こす。
 「何やってんの、アンタは。急に動くなんて無茶でショ」
 「た、立てない…」
 呆然とするイルカに、無慈悲なカカシの一言が襲った。
 「昨夜あれだけヤれば、当然です」
 「だって…、アカデミーが…」
 仕事に固執するイルカに、カカシは拗ね始める。
 「あのね、アンタわかってる?俺達昨夜セックスしたんです。アンタ流にソフトな言い方をすれば、愛し合ったの。一夜明けて、普通ならラブラブイチャイチャし放題でショ。あんまり色気のないこと、言わないでよ。それにアカデミーには、ちゃんと休みの届けは出したよ」
 だから、安心してゆっくりしましょう。と言うカカシの言葉は、すでにイルカには届いていない。
 ラブラブイチャイチャって何だ?それに、アカデミーに届けって、一体どんな理由で?それにそれに……。
 「とにかく!アカデミーには行きます!行きますとも!こんな理由で、休んでたまるか!」
 「もう…。立てないくせにナニ言ってんの」
 「大丈夫です、立てます。このくらいっ…」
 カカシの腕に体重を預けながら、よろよろと膝を伸ばす。腰を下に落として足を踏ん張って、何とか立ち上がった。もちろんカカシに縋り付いたままだが。
 「ねえ、イルカ先生。無理しないで今日は寝ていてよ」
 心配げにカカシは言うが、イルカは一向に聞き入れない。別に仕事に命を懸けてるわけじゃないし、体調が悪いときに無理をするほどイルカもバカではない。だが、この事態で休むというのだけは、どうしても嫌だった。

 …だって恥ずかしいじゃないか。

 昨夜、カカシとイルカの間にあった事など、他の誰が知っているわけでもないのだが。だけど自分だけは知っている。何があったのかも。
 セックスのし過ぎで足腰立たないなんて、恥ずかしくて耐えられないっ…!
 ヨタヨタと歩き出すイルカを追って、カカシも部屋を移動する。
 「ちょっとイルカ先生。よろけてますよ」
 「うるさい!」
 仕方なしに、イルカのする事を黙って見ていると、どうやら着替えをしたいらしい。やれやれと思いながら、着替えを手伝うカカシだった。
 「ねえ、イルカ先生。どうしてもアカデミーに行く気ですか?」
 「当たり前です。…そういえば、あなたはどうしたんですか?今日も七班の任務はあったはずですが…」
 「えー。だって、せっかくの初夜の翌日なんだしー」
 それにイルカのこめかみが、ピクリと動く。
 …つまり、サボりかっ!
 「えー、じゃありませんっ!あなたって人は!毎日、遅刻するとナルトから散々聞かされてましたが、その上、上司がサボりだなんて!」
 はあはあと肩で息をしているイルカの形相は、ちょっと尋常じゃなかった。
 「とにかく行きなさい!すぐに!今すぐにです!」
 びしっと腕を玄関口に伸ばす。それにカカシはきっぱりと抵抗した。
 「それは駄目。だってアンタ、俺が先に行ったらどうやってアカデミーまで行くつもりですか?まさか誰か他の人に頼るつもりじゃないでしょうね。そんな事したら俺暴れますから」
 「そ…それは、そうですが…子供達を待たせているのでしょう?」
 カカシの言う事にも一理ある。カカシに付き添って貰わなければ、恐らくイルカは今日中にアカデミーには辿り着けないだろう。
 「そうですが、俺はアンタのが大事ですから」
 だって、やっと手に入れた恋人なんだから。何年もの間、会いたくて忘れられなかった恋しい人。その人をやっと手に入れた、その翌日の朝だってのに…。
 もちろんイルカだって、カカシの事は大好きで、心配してくれてるのも分かっている。生徒より大事だと言われれば、それはそれで嬉しいのだ。だって、ずっと忘れられなかった人なのだから。
 かあっと耳まで赤くなった顔を見られたくなくて、イルカはばっとうつむいた。
 こんな真っ赤な顔、見せられない!
 ところがカカシは、自分が言った一言がイルカを怒らせたのかと勘違いをした。何より子供達を大事に思っているイルカだ。それを蔑ろ的な言い方をしたのだから、気を悪くしたのだろうと思ったのだ。
 「あ…、ごめん、イルカ先生。あの、決して子供達がどうでもいいとか、そういうんじゃなくてですね…。今はアンタのが大事ってことで…そんな身体で…あ、いや、それも俺のせいなんですが…」
 慌てて弁護するカカシにイルカはいぶかしげな目を向けた。
 「その、だから…心配なんですよ、分かって下さい。ねえ、今日だけでいいから大人しくしてて?そしたら安心してすぐに任務に行きますから!」
 「あの…」
 「なっ、何ですか!?イルカ先生っ!」
 「えと…その、アカデミーには何て言って休みを取ったんですか?」
 頼むから変なことは言ってないでくれ!匂わす程度でも勘弁してくれ状態で、とりあえず気になることを聞いてみた。
 「ああ、風邪って事にしときましたけど…。俺が酔っぱらって、泊めて頂いたイルカ先生の布団奪って寝ちゃって風邪引かせたって…なんかマズかったですか?」
 無難なでまかせの理由に、イルカはほ〜っと息をついた。それなら、まあいいか。この際だから、ちょっとゆっくりしようか。イルカにしては珍しくそんな気持ちが湧いた。
 ここまでカカシが心配してくれるのだから、言うことくらい聞いてやろう。だって初めての次の日なんだし…。そこまで考えてイルカはまた顔を赤くした。
 (うわ…っ!俺も段々カカシさんに影響されてるよな…まずいまずい!)
 「分かりました。じゃあ俺は、今日は一日大人しくしてます」
 「ほ、本当ですか!?俺が出かけてから、こっそりアカデミーなんかに行かないでくださいねっ!」
 こんな状態で一人でアカデミーになんか行けるか!と、言ってやりたい気持ちはあったが、そんな事で時間を取られていては子供達に申し訳ない。
 「行きません。大丈夫ですから、カカシ先生は任務に行って下さい」
 「本当に本当ですね?ヨタヨタ歩いて来るんじゃありませんよ?」
 「……行きませんったら!いい加減にして任務に行かないと怒りますよ?」
 うっとカカシがたじろいだのを良いことに、イルカはさっさとカカシを送り出す事にした。
 「いいですか?子供達にはちゃんと謝っておいて下さいね。では、しっかり任務をこなしてきて下さい。いってらっしゃい、気をつけて」
 ここは、言うことを聞いておいた方がいいかも、とカカシはそろりそろりと玄関に向かって歩き出す。必要もないのに、忍び足になる上忍だった。
 「ええと、イルカ先生…。今晩もこっちに帰ってきていいよね?」
 「いいから、とっとと行きなさいっ!」
 イルカの怒声を背中に受けながら、カカシは「行ってきますー」と家を出ていった。
 走り去っていく上忍の後ろ姿に、イルカはこっそり溜息を吐いたのだった。



 「なあなあ、サクラちゃん。カカシ先生どうかしたのかな。さっきからヘラヘラ思い出し笑いしてるかと思ったら、ため息吐いて暗くなってたりしてさ…」
 3時間の大遅刻をしてきたカカシは、いつものように任務のあれこれを指示して、見守る体制に入った。
 「知らないわよ。どうせ、晩ご飯が気になるとか、そんなことじゃない?」
 「ふうん、そっかー」
 「………」
 「…ウスラトンカチ…」
 「なんだよ、どーいう意味だってばよ!」
 「バカはやっぱりバカだって事だ、ドベ」
 「なんだとー!!」
 「ちょっと、二人ともやめなさいよ!」

 子供達のもめ事も、カカシにとっては何処吹く風だ。任務を終えて報告書を提出する頃には、すでに太陽は傾いていた。受付に行くと、当然ながらイルカの姿はない。
 よしよし、ちゃんと家で大人しくしてくれてるんだなと思い、報告書なんかさっさと提出して家に帰りたかった。なのに、こういう時に限って受付はやたら混んでいた。どうやら休みのイルカに変わって入った人間が新人らしく、要領が悪いらしい。無意味に長い列が出来ていた。仕方なくカカシは列の最後尾に並んだ。
 やれやれ…。
 いつもの倍の時間を掛けて報告書を提出すると、急いでカカシはイルカの待つ家に向かった。帰り道の途中で、ふとカカシは足を止めた。店頭にくず餅が出ている。
 「そう言えばイルカ先生はこれが好きだっけ…」
 冷やしておいて、お風呂上がりにでも出してやれば喜んでくれるだろうか?朝怒らせてしまったし、昨夜無茶をしたせめてもの罪滅ぼしにカカシはそれを買い込んで家路についた。
 「ただいまー。イルカ先生、いますか?」
 カカシが声を掛けながらドアを開けると、奥からイルカが顔を覗かせた。
 「お帰りなさい、カカシ先生」
 どうやらもう怒ってないようだとカカシは胸をなで下ろした。
 「あ、これお土産デス。冷やしておいて後で食べましょう」
 くず餅を手渡すと、イルカは嬉しそうに笑った。
 「ああ、もう出てたんですか。ありがとうございます。嬉しいです」
 冷やしておきますね、とそれを冷蔵庫にしまう。
 どうやら一日大人しく寝ていたからか、ちゃんと歩けるまでに回復しているようだ。
 「あー…、イルカ先生、もう歩けるんですね?」
 「は、はい…あの、もう大丈夫ですから…すみませんでした、今朝は…」
 「いいんですよ。俺はただアンタが心配だっただけ。でも、もうちょっと動けないままなら、しばらくイチャイチャ出来たのにね」
 「イチャイチャって…」
 あ、また赤くなった。可愛い人だなあ、本当に。
 出会えて良かった。神とかそんなものを信じた事はないけど。この人に会えたのが運命だって言うなら、それだけは信じてやっても良い。
 ぎゅっとイルカを抱きしめる。イルカはいぶかしげにカカシをみたが、結局何も言わずに抱きしめられたままでいてくれた。

 「イルカ先生、大好きですよ…」
 「はい、俺もです。大好きです」

 そんな風に囁かれたら我慢なんか出来ない。昨日の今日できっとこの人にはまた怒られるだろうけれども。そっとキスを落として、今夜はどうやってソコまで持って行こうか…と頭の隅でこっそり計算するカカシだった。


 その後、2日続けて仕事を休んだイルカを心配する火影の元に、カカシが満面の笑みで引越祝いを強請りに来たとか、来なかったとか…。


おしまい。