陽炎の果て その後


 ゆらゆらと身体が揺れ動く。馬上にあって不安定なせいもあるが、とにかく身体全体に力が入らないのが原因だった。恐らくは血を流しすぎた為だろう。意識も明瞭とは言い難いのだ。
 政宗が娼館に乗り込んできたあの時。元親はこれまでだと一瞬覚悟を決めた。
 家康への恨みから西軍に身を投じては見たが、結局野郎共の仇すら討てずに敗北を喫した。元親の前に政宗とその右目が立ちはだかったのだ。東軍の陣営は人材が揃っていたから、西の敗北は必然だったのだろう。
 ふと三成の顔が脳裏を過ぎった。
 あの男は不器用で純粋でどうにも放っておけないところがあった。どうなったのか気になるところだが、自分が囚われの身では三成の安否を確かめる事も出来ない。
 じんわりと腹から血が滲んできた。傷口が開いたのだ。それでも痛みは余り感じない。どちらかと言うとまずいのだろうが、今の元親はこのまま死んでも同じだった。

 次に目が覚めたのは小綺麗な部屋の寝台でだった。あのまま奥州まで強行すると思っていたから、途中で休みを取った事に驚いた。
(もしかして俺の為か…?)
 傷口を見ると丁寧に治療してあるから、ふとそんな事を思ってしまった。捕虜相手にそんなはずもないのに。
「気が付いたのか?」
 入って来たのは政宗と見た事のある顔の男だった。
「政宗…」
「まだ顔色は良くねえがもう大丈夫だそうだ」
「あ…、俺の手当はお前が…?」
「医者を呼んだだけだ」
 捕虜相手にわざわざ医者を?
 元親が訝しげな顔をしたせいだろう政宗の後ろに付いていた男がニヤニヤしながらこう言った。
「梵が血が止まらないって凄く心配してたからね。自分で刺しておいてどうなんだって感じだけど許してやって?」
 どこか政宗に似た面差しを見て、確か伊達に連なる人間だと思い出した。以前奥州を訪れた際に紹介された記憶があるが、生憎名前までは思い出せなかった。
「余計な口を挟むな」
 政宗がチッと舌打ちして渋面を作る。
「またまた照れちゃって!」
 政宗相手にここまで軽口を叩ける男も珍しい。だが返って墓穴を掘っていると気付かない辺りがまだまだだろう。
「とりあえず感謝するぜ」
「Ha!自分を捕らえた相手に感謝とは、アンタもよくよく甘い男だな」
 政宗のいつもの物言いに何とも表現しがたい感情がわき起こる。政宗はいつも変わらないのだと思い知る。この男が見据える物はいつも揺るぎがない。その為に自ら行動し、後悔する事がないのだ。そう思うといくらかつて誼があろうと、元親を殺さずに生かしたまま捕らえた事がいっそ不思議だと思えた。
「まだ…」
「An?何か言ったか?」
「いや…」

 まだ俺を生かしておく価値がお前にあるのか?

 そんな事を聞いてどうするというのだ。
「元親」
 ぐいと顎を取られて顔を上げさせられた。目の前に政宗の端正な顔が迫る。この距離で鑑賞に堪えうるのだから凄いと、どうでも良い事を考えた。
「いいか、アンタは余計な事を考えるな。どうせもうアンタは俺から逃げられねえんだ。考える必要なんざねえだろ?」
 逃げられない事は承知している。どのみちすぐには動けないし、そもそも元親は逃げる気を無くしていた。けれど、考える必要がないと言われると、つい反発したくなる。
「確かにそうかもしれねえがよ、一応頭が付いてんだから考えんなっつっても無理だろ」
「Oh,sorry!そうだよな、一応付いてるもんな、アンタにも」
「悪かったな!一応で!」
「何怒ってるんだよ。アンタが言ったんじゃねえか」
 それでも他人に言われると腹が立つのだ。
「まあ、そういう事なら話は簡単だ。俺が直々に考えられねえようにしてやるぜ」
 耳元で囁かれた声に一瞬背筋がゾクリと痺れる。何て事をしやがる!と文句を言う間もなく唇が重ねられた。
「んぅ…っ」
 決して乱暴ではないが絡め取るような口付けだった。
「ん――――!」
 口内を散々舐められて息苦しさに耐えきれず拳を政宗に向かって振り上げる。だが政宗はそれをあっさり封じ込めて更に深く口付けた。
「ねえ、ちょっと…。俺がまだ居るんだけど…もしかして忘れてる?」
 呆れたような声が聞こえて来た。その声に元親が反応する。僅かばかりではあるが抵抗が増えると、政宗は小さく舌打ちして元親から離れた。
「おっ、お前…っ!ななな、なにを…っ!」
 顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。
「…ほんとにアンタは面倒くさい」
「はあ…?」
 別に元親だってそれなりに経験は積んでいる。政宗とだって口付けは初めてじゃないし、だからそれについてうだうだ言うつもりはない。問題はあの男がまだここにいると言う事だった。人前でそういう行為をする事に抵抗があるのだ。
「言っただろ?アンタは俺のもんだって。何も考えずにただ俺の傍にいりゃあいいんだよ」
「それって…」
 もう捕虜とは言わないだろう、それは。東軍の将として他に示しが付かないのではなかろうか。
「あのな、家康自身がアンタの事を許してる。それにアンタは奥州預かりになってんだ。俺がアンタをどうしようが誰も文句は言えねえよ」
 文句を付けさせないくらいの事はしているのだ。
 だからアンタはもう名実ともに俺のモンだって事だ、と政宗は笑った。あの娼館で見せた狂気を纏う酷薄な笑みではなく、ちょっと意地悪そうなそれでいてどこか面白がるような。そんな見慣れた笑みだった。だからつい、元親は油断してしまった。
「あ、あのよ…、じゃあ三成がどうなったか知ってるか?」
「ば、ばか…!」
 まだその場にいた成実が小さく呟いて天を仰いだ。何だと思ってそちらを見るが元親には意味が分からない。
「…元親」
「え?」
「アンタはもうちょっと考えてから喋った方がいいぜ」
 ため息と共にそう言われた。
「はあ…?」
 どういう意味だと問い返せない雰囲気に元親はちょっと気後れする。政宗がピリピリしているのは気のせいではないだろう。
「アンタが石田を気にする必要はねえ」
 きっぱりとそう言って政宗は踵を返した。
「成実、こいつを絶対に外に出すなよ」
「え、おいっ。政宗!?」
「りょーかい」
 元親の呼びかけにも応えずに政宗はさっさと行ってしまった。どうやら機嫌を損ねたらしい。
(西軍の話はやっぱ拙いか…)
 今更だが政宗が一度三成に負けたらしいと言うのを思いだした。
「気にする事はないと思うよ。梵はちょっと拗ねてるだけだから」
「…そんな可愛いタマか?」
「ま、それを言うなら、あんたが何の連絡もせずに西軍に入っちまった時からずっと、と言えなくもないけどね」
 いつでも用事があれば呼んでくれと言い残して成実も去っていく。いずれは家康にも会わねばならないだろう。会わせる顔がないとしてもけじめは付けなければ。だが、今はとにかくボロボロの身体を癒やしたかった。
(もう死んでも良いなんて思わねえぜ。お前らの仇を討つまではな…)
 家康の異国郷愁が誤解なのだとしたら、それを画策した何者かが居るはずだ。そうしてその何者かが誰なのかは大凡見当が付いている。
「この右手でどのくらいの事が出来るかは分からねえけどなあ…」
 しばらくは大人しくしていよう。機会は必ず来る、だからそれまでは。



 ペーパー再録(ちょこっと修正有り)