番外1
日本の夏は蒸し暑い。梅雨が終わったからと言って、この蒸し暑さが緩和される訳ではない。エコだ何だと世間は五月蠅いし、役所なんかはエアコンの設定温度にまで一々五月蠅い。もちろん警察署もその一端であるからには、色々制約があったりするのだ。
が…。
「涼しいな、ここ…」
「俺が居る部屋なんだから当たり前だろ」
「…てか、お前。何だってこんな涼しい部屋でのんびりしてんの?他は誰もいねえのに」
刑事は普段二人組で動く、らしい。この部屋には政宗の他には成実がいるだけで、つまり政宗のペアが成実というわけだ。現在新宿署が抱えている事件は、相当な数に上るだろう。何しろ犯罪発生率は常にトップを争うという街だ。事実、刑事部屋には二人以外誰もいない。なのに政宗は何をするでもなくエアコンの効いた部屋でのんびりしている。
「あー…?それはなあ…」
「梵は始末書を山ほど抱えているんだよ。それで出たくても出して貰えないわけ」
横から成実が口を出す。
「Shut up! 余計なことは言うなよ!」
それに政宗が怒鳴り返す。一応ここでは日常茶飯事だ。
「はあ?んだよ、テメエ。自分の始末書を成実に書かせてんのかよ?」
「俺はデスクワークは嫌いなんだ」
いや、デスクワークじゃないだろ、ソレは。元親が呆れていると、成実がいつもの事だよとさらりと返した。
「梵に書かせるより早いからねー。尤も清書はきちんとして貰うけど」
成実が代わりに書いていることはみんな知っている。そもそも政宗本人に書かせては、まともな始末書にならないだろうし、その辺り上司も黙認している。要は体裁さえ整えておけばいいわけで、つまり提出される始末書が政宗の筆跡で書かれてさえいれば黙って受け取ってくれるのだ。
「お前らみんな、こいつの事甘やかし過ぎじゃねえか?」
顔を顰めながら意見する元親に成実は苦笑しながら、でも全面的に梵に任せると後が返って大変だからさあ、と当然のように呟く。処置無しとばかりに天を仰ぐ元親に、まあ座ったらと成実が椅子を勧める。それにすかさず政宗が一言、「茶」と言ってふんぞり返った。
「……?」
言っている意味が分からず、つい政宗の顔を凝視する。すると再び政宗が茶、と繰り返した。
「…もしかして俺に茶を淹れろって言ってんのか?」
まさかと思いつつ、疑問を口にしてみる。と、当たり前だろと返ってくる。
「成実は始末書書いてんだ。手が空いてんのはアンタしかいねえ」
「そ…」
んなモン、自分で淹れろ!何処の世界に客に茶を淹れさせてふんぞり返っている奴が居るんだ!テメエ何様だ!!
と。まさに怒鳴る寸前、成実が絶妙のタイミングで口を挟んだ。
「あ〜、悪いチカちゃん。俺も飲みたいなあ〜。淹れてくれる?出来たらコーヒー」
いつもの成実ののほほんとした口調で、元親の怒気が一瞬にして萎えた。さすが従兄弟、よくわかってる。
ついでに元親の事もよく理解している。はあ…と溜息を吐いて元親は腰を上げた。
簡易キッチンの場所は知っている。どの棚に何があるのかも不本意ながら熟知している。ついでに知りたくもないのに、政宗達のカップがどれかも知っていた。
「Hurry up!」
「テメエはちっとは謙虚になれ…」
そもそも元親がここにいるのは、政宗に頼まれた(命令されたとも言う)昼食を持ってきた為だった。政宗のマンションにいた頃、一、二度暇潰しに料理をしたことがあった。もちろん政宗の為ではない、決して。
だが、それを食べ損ねた政宗が不機嫌な様子で「アンタの手料理が食べたい」と強請ったのが始まりで。結局断り切れずにたまにこうして弁当持参でやって来るのだった。
「自分で作った方が美味いだろうによぅ…」
「馬鹿だねえ、チカちゃんの手作りってのが大事なんでしょ。ね、梵?」
「いいからお前はさっさと書いてしまえ」
「なーに言ってんだ。自分だけ先に食べるつもりか?この我儘男。成実、いいから一端終わらせて一緒に食べようぜ」
元親がそういえば、政宗も強く反対はしない。それでそそくさと成実は元親の側にやってきた。
元親は今もオーナーが用意してくれたマンションに住んでいた。政宗は何度も一緒に住もうと誘っているのだが、なかなか良い返事が貰えないでいる。
「でもさ、一緒に住んでしまうとこうしてお弁当を持ってきて貰えなくなるじゃん?朝手渡しされるだけって味気なくない?」
たまにこうしてチカちゃんの顔が見れると俺も癒やされるんだよね〜と成実は笑顔で言った。
そう言われると元親も嫌な気はしない。
「じゃあ、今度は成実もリクエストくれたらそれ作ってくるぜ」
「え…、あー、いや。すっごく嬉しいけど梵が怖い顔で睨んでるんですけど…」
「気にすんな!」
「や…、気にナリマス…」
そんな話をしている間に、一課の他のメンバーが戻ってきた。みんな当然元親の顔を知っているから、親しげに声を掛けてくれる。
「じゃあ俺はもう行くけど、あんまり無茶はすんなよ?」
「わかってるって」
「テメエは前科があるからなあ…」
拳銃を持った相手に素手で向かっていって、あとちょっとで大怪我を負うところだったのだ。あの時は生きた心地がしなかった。
「大丈夫、いざとなったら成実を盾にするから」
「ちょ…!梵っ、あんまりだろ、それ!」
「そっか、政宗を宜しく頼むぜ、成実」
ポン、と。蒼くなる成実の肩を一つ叩く。
「ええぇ?待って待って、チカちゃん!」
政宗と出会ってからまだ大した時間は過ぎていないのに、何だか随分昔のことのように思う。側にいて当たり前の人間」に出会うとは、あの頃は思ってもみなかった。
(もしかしたら、元就の薬はもう必要ねえかもなあ…)
だからと言って過去が消えてなくなる物ではないのだが、それでも。
「元親?」
「ん、何でもねえ…」
「店が終わったら来いよ?」
「わあってる」
弁当を頼んだ日は政宗のところに泊まりに行く、というのが暗黙の了解になっていた。
「さって、今日もがんばらねえとな」